わが師メリー

山の暮らし
重松博昭
(しげまつ・ひろあき)
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重松博昭
zeikomi
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しげまつ・ひろあき

1950年福岡に生まれる。 1974年、大学中退、結婚したばかりの妻と新天地(約1ヘクタールの栗山)に移り住み、自給自足をめざして「シロウト農法」を営む。 現在、栗山は雑草園に、そこでくらす鶏達の卵で最低限の収入を得ている。3人の子はすでに巣立っている。 著書に『山羊と暮らした』(葦書房)『われら雑草家族』(石風社)がある。

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わが師メリー
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 彼女を熊本県菊池市の田園地帯から軽ワゴンで3時間かけて連れてきたのは、10年前の4月半ば、新緑満つ雨の日だった。生後2ヶ月だがもう半分大人のようないかにも山羊然とした覚めた表情で、車の荷台に静かに座っていた。中小の山々に囲まれた1ヘクタール余りの東南向きの傾斜地、我が雑草園での最初の夜も静かだった。頑固さも老山羊並だった。私が鎌で刈った上の山にあちこちに泉のように萌えるカラスノエンドウやハコベやギシギシには目もくれず、小屋の左右の20アールほどの段々畑の端に伸びるイネ科の細い線ばかりを食べ続けた。夏が来て大好物のはずのクズの葉にも口をつけなかった。
 秋の盛り、長女野枝とその二人の友人が雑草園で数日過ごした時、メリーは全く別の姿を見せた。3人の若き女性の前で明らかに彼等観衆を意識して、ススキの白とアワダチ草の山吹色をバックに軽々と飛び跳ね、空中で身をくねらせ踊ったのだった。
 彼女は肝心な時は柔軟だった。冬枯れの時季、柴や椎、樫など、私が持っていった常緑樹の葉をきれいに食べた。
 翌年の春、雄山羊メルが生まれた。メリーはいかにも母然とした優しい眼差しで赤ん坊をなめ、おっぱいを与えた。いつも一緒だった。メルは1ヶ月もしないうちに生気あふれる仔山羊に成長した。2匹は終日自由に栗やクヌギの若葉の下を駆け回り、山の南端一面を覆うクズの葉の陰に休んだ。メリーはいつの間にかクズの葉を食べるようになった。
 梅雨の終わり、メルは嘉穂町の山の奥の牧場にもらわれていった。無表情のメリーにもどった。小さかった角も伸び、頑丈になった。ここから彼女と私との葛藤が始まる。  
 よく首輪が抜け彼女が自由になった。まっさきにまだ幼いアンズやミカンや栗の木の先を走りながらつまみ、迷わず畑に直行、収穫を心待ちにしていた枝豆の葉と実をムシャクシャと食った。スルスルとつかまえどころがなく私は怒鳴りながら彼女を追った。人参や大根の種をまいたばかりの畑がグシャグシャになった。両角をひっつかみ、首輪とロープをつけ、ぶんなぐりけっとばした。熱い太陽が頭上にあった。かすかに冷気を含んだ乾いた風が流れた。メリーはじっと立っている。私は立ち尽くし、頭をたれた。オレは死ぬまでこんなことをやってるんだろうか。
 ある朝、突如彼女は角をつき立て突進してきた。私は尻餅をついた。あわてて立ち上がり、全身全霊の力で両手で両角を持ち押し返した。しばらく両者動かなかった。やっとの思いで彼女を押し倒した。
 どんな時もメリーはすぐにいつもの彼女にもどった。どことなく空(くう)で毅然としていた。彼女は寂しかったのだろう。あれほど子煩悩な彼女に2度と仔が授からなかった。親しかった野枝もいなくなった。目つきが険しくなった。最も親しい妻にさえ角をつき立て振り回すようになった。
 ただミルクは2年目、3年目とお産もしないのに律儀に最低でも2合、多い時は2ℓ強を出してくれた。わが家にとって実に貴重なタンパク源だった。朝食にはミルクたっぷりのクレープ、昼食には妻手製のパンと水なしオールミルクのシチューが定番だった。カテージチーズもよく作った。
 4年目の冬、子犬のクロが新家族になって、ちょくちょくメリーを訪問するようになった。時折、メリーを放した。2匹はフカフカとした落ち葉とうっすらと積もる雪を舞い上がらせ疾走した。彼女はまるで馬のように力強く躍動感あふれていた。
 9年目の夏から秋、1ヶ月ほど心優しい生きのいい女性、倫子さんが私達と暮しを共にした。彼女はいかにも楽しげに終日畑や山で汗を流し、メリーと安らかな時を過ごした。両者最初からスーと通じあっていた。
 10年目の初め、子犬ハッサンがやって来て、時折3匹で駆け、じゃれあった。さすがにメリーの脚力が衰えを見せ始めた。すぐに息も上がるようになった。表情は穏やかで凛としていた。
 11年目、2011年夏、福島県鮫川村でお年寄りの手伝いをするNGO活動に参加していた倫子さんからの声が届いた。そこは日本の原郷そのものの美しい心安らぐ豊かな地とのこと。私は水俣のどこまでも透き通った海を思った。
 私たちは自身の生命の源を自身で破壊し尽そうとしている。生命の循環を断ち切ろうとしている。「進歩」とやら「豊かさ」とやらのために。ただの生命、生命と生命の結びつき以上に豊かなものなどありはしないのに。
 倫子さんはメリーちゃんに会いたいと心をこめて言ってくれた。
 夏が終わって、メリーは急に足腰が弱った。横たわっていることが多くなった。それでも毎朝、私と山へと登り、終日、草を食んだ。
  その朝も少しよろけはしたが、いつものように歩いた。山はかすかに茶褐色に染まり始めていた。緑は柔らかく乾いていた。穏やかな淀みのない日差しの下、寝そべって草をムニャムニャとかんだ。
 午後、そのかっこうのままで息を引き取っていた。まだ温かかった。いつもの表情だった。

  メリー、然と生き、然と死す   2011年10月4日

(12月29日  記)