いとほしき日々

山の暮らし
重松博昭
(しげまつ・ひろあき)
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重松博昭
zeikomi
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しげまつ・ひろあき

1950年福岡に生まれる。 1974年、大学中退、結婚したばかりの妻と新天地(約1ヘクタールの栗山)に移り住み、自給自足をめざして「シロウト農法」を営む。 現在、栗山は雑草園に、そこでくらす鶏達の卵で最低限の収入を得ている。3人の子はすでに巣立っている。 著書に『山羊と暮らした』(葦書房)『われら雑草家族』(石風社)がある。

コラム一覧

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いとほしき日々
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 トロトロと浅く官能的な眠りに漂っていた時、夢の中で雄鶏の甲高いわめき声が聞こえてきた。氷るような闇の遠くから。ふっと現実の中にいた。ぬくぬくとした布団の中だった。何があってもここから出たくないと思った。眠りに戻ろうとした。だがもう覚めてしまっていた。再びはっきりと聞こえてきた。雄鶏の切迫した叫び声が。布団から出た。深夜一時過ぎだった。何度も痛い目にあっているので、未練を断つのが以前より容易になった。とにかく一刻も速く。靴下もはかず靴をひっかけ西口から走った。月も星も出ていない。
 小屋に入った。雄鶏は静まっていたが、雌鶏たちが不安の声をあげてんでに移動している。やがて全体が静止した。懐中電灯を持って出直し調べたが、侵入者も被害鶏も見当たらない。
 翌深夜、雌鶏の悲鳴で飛び起きた。犬二匹と待ち構えていた、つもりが肝心の懐中電灯がない。探すのに2,3分、これがいけなかった。二匹と土間を飛び出した。ハッサンは闇に突入、侵入者を追った。クロと私が小屋に駆けつけた時、首なしの遺体一つが奥に転がっていた。北側の壁と地面の境に直径7,8センチの穴。毎春のようにしつこくやって来る一番厄介なイタチかテン以外考えられない。ただ厳寒期は初めてだ。あまりに寒く食い物がないのだろうか。とにかく徹底的に点検、完璧に侵入路をふさぐしかない。それもこの山の16の小屋全部。
 幸い、助っ人(ウーファーさん)、西さんがいた。日本人男性37歳、中肉で腰高のやや長身、メガネをかけたインテリ風だが、眼差しが誠実で澄んでいる。動きに無駄がなく力強い。鶏小屋の肥料出し、青草やり、薪運び、そして人間の昼食、夕食、後片付け等々とてきぱきとこなす。おかげで私はイタチ・テン対策に専念できた。
 料理がプロだった。まずパスタ・カルボナーラ、重ったるい卵くさいイメージで私は敬遠していたのだが、すっきりとした透明な味だった。熱々の麺(めん)に生卵をからめる。煮込まず、卵かけ感覚でいいとか。次に親子丼を数人分一気に作る方、御飯を蒸す要領で余熱でほどよい半煮えに。なるほど。
もう一人プロの料理人が、福岡から遠・寒路はるばる50ccのバイクで来てくれた。飛岡さん、32歳(二度目)シャイのかたまりのような日本人男性、話すことの一つ一つが本質的、動きの一つ一つに心がこもっている。妻もじっくりと心をこめて対応している。
夕食は彼の用意したサバの煮つけ、翌昼食は彼の打ったソバと我が家自慢の人参・ゴボウの天ぷら。彼と西さんは馬が合ったようで、二人で鹿防除のためのノリ網を山のあちこちに張ってくれた。そして夕食には二人で水ギョウザを皮から作ってくれた。五人で薪ストーブと鍋を囲み、ゆでたてをツルリと食べ、男三人はお湯割り焼酎を口に含んだ。黙々と食べていた義母が、「心のこもった豊かなお味です」と言ってくれた。その翌日の昼過ぎ、何度も挨拶して我が家の急な坂をバイクにまたがり、彼は福岡へ帰っていった。
 鶏のほうは幸いこの一週間被害はなかったが二月二、三日の寒さには参った。夜間ならともかく昼間に流れる水が太く長い氷柱(つらら)になるのを見るのは初めてだった。鶏の体内にほぼ出来上がっていた卵も氷ったのでは? 産卵がガタ落ちになった。日も本格的に長くなるこの時期に。これも初めてだった。何もわかっていない。鶏さんのことを。畑も、山も。やはり生き物である人間、そして自身のことも。
 毎夜酒を飲み西さんと話した。彼は私のように「原則論」を、「べき論」を吐かない。まず事実を直視する。相手を、異を理解しようとする。その上で具体的戦略的実践的に論じる。意見の違いもあった。例えば新大阪市長、官僚組織等の根本的見直しはいい。だが異即敵かつ悪は危険だと私は思う。ふだんなら口論になったろうが。この時は冷静率直に話し合うことができた。結局、危険なのは私達一人一人が独裁者をかつぎ徒党を組み、自身から、生命から逃走すること。そうではなく、まず自身の生を生命の根っ子から創り、その場で、持続的に、できるところから社会・政治に参加する。その異と異の結びつきが地球再生の流れを創っていく。
 彼の料理はますます冴えてきた。シャケ・ヒジキ・ゴボウの炊き込み御飯、人参・リンゴの爽やかサラダ、ポテト・炒めルッコラ入り卵焼き・・・ある材料、畑の野菜で。里芋の煮しめ、皮の模様が残るほど薄くそいで。唯一の失敗作、茶碗蒸し、蒸し過ぎてすが入った。それでもこの料理のダシに切干し大根を使ったのは、まったくの不意打ちで味わい深かった。
 西さんが去って二週間余りが過ぎた。この冬は後半雨が多い。できるだけ山野をそのまま残し、コンクリートでふさがないようにしてきたこともあって、あちこちがズルズルだ。やはり終わりは、下りは難しい。年を取れば取るほど、生きることが酷になってくる。
 もう一度土台からしっかりせねばと、西さんがぬかるみに敷いたカワラを踏みしめ坂を登った。

                       2012年2月28日