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山の暮らし
重松博昭
(しげまつ・ひろあき)
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重松博昭
zeikomi
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しげまつ・ひろあき

1950年福岡に生まれる。 1974年、大学中退、結婚したばかりの妻と新天地(約1ヘクタールの栗山)に移り住み、自給自足をめざして「シロウト農法」を営む。 現在、栗山は雑草園に、そこでくらす鶏達の卵で最低限の収入を得ている。3人の子はすでに巣立っている。 著書に『山羊と暮らした』(葦書房)『われら雑草家族』(石風社)がある。

コラム一覧

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 新しいウーファーさん(助っ人)、ミヒャエルさんが到着した2月29日はこの冬1番のドカ雪だった。25歳のスイス人(母はフィリッピン人、父はスイス人)、スラリとなで肩の長身、目元がなんとも優しい。表情は透き通っている。大丈夫だろうか。農作業に身体が耐えられるだろうか。雪の後は重い雨が続いた。絶望的なことに時々咳もしている。
 結論から言うと、彼くらい空気みたいにスーと我が家のくらしに入ってきた人は初めてだった。必ず朝7時半にスーと(幽霊のようにとは言わないが)現われ、無駄なく確実に仕事をこなした。どんなに雨が降っても、黙々と鶏小屋の肥料を山の上の草地に運び、分厚くまんべんなくしいた。スーと定時に食卓に着き、きれいに食べ物を平らげ、スーと後片付けをした。時たましゃべる時も静かにスーと、よく聞くと内容は濃い。もちろん日本語しか私はわからない。日本人に親しい人がいるとか。ペラペラではない。一つ一つ自分の思いを伝えようとしている。言葉だけではなく、何より目の表情で。肥料だし・草取り・餌やり・薪運び・火起こし・後片付け・・・いつもなんとなくとだが彼の存在全体から伝わってくる。生きるとはどういうことなのか、真摯にじっくりと思っている、そういった息遣いが。
 そう言えば、一昨年の夏、うちでウーファーとして過ごした水野裕太君が今春高校に入るとか。同じく共に暮らした倫子さんは、つい先日1年間の福島県鮫川村での生活を終え、福岡に帰ってきたが、すぐに福島にもどるとか。同じく洋子さんは結婚して土佐へ、昨秋、無事出産した。うちの30代の3人の子ども達も、それぞれに人生の節目にさしかかっている。
 生きるとは・・・答えは出ない。一日一日それをかみしめ生きていく、そこに意味がある。ただ生き、死ぬ、それだけのこと、それ以上のものなどない。
 一人一人が生き、死ぬ、それが唯一大切なことなのだ。またぞろ生命よりカネの大合唱がマスコミの旗ふりで湧き起こってはいないか。復興と聞くと、一昔前の“活性”化を思い浮かべる。要するにカネの復興、活性化なのだ。ごく一部の人たちの。生命を第一に考えるなら、放射能をばらまくべきでない、閉じ込めるべきだ。出したところ、東電が責任を持つのが当たり前ではないのか。今の生命だけではなく、未来の生命のために。
 嫌なことは嫌と言おう。逃げたい時は逃げよう。ただし逃げている自身から逃げてはならない。弱い空しい自身をそのまま認めよう。全部を受け入れよう。大切なのは復興ではなく再生なのだ。生命の芯から生き直すこと。
 話はガラリと変わるが一つの実験を試みることにした。太陽光発電だ。宣伝文句を鵜呑みにすれば、パネル15枚(約畳10枚分)で、電気の自給と、余った電気を売って一切の費用を捻出できる。ただし20年かけて。耐用年数は30年から50年。
 うまくいかなくてもいいのだ。自分が使う電気を自分の住む地に降り注ぐお日様が創ってくれる。これが楽しい。今後、発電能力はかなり向上するだろうし、普及すればするほど安価に手軽になるだろう。希望者も増えるだろう。日本全戸とは言わないが半分でも設置すれば、脱原発も二酸化炭素削減もかなり現実的になるのでは。
 もちろんこの大前提に節電・省エネ、脱大量消費・廃棄がある。この「豊かさ」を維持すべきでないと、いや今の生活は豊かでないと私は思っている。ありとあらゆる有象無象(うぞうむぞう)があふれてはいるが、では空気は?水は?食べ物は?人と人との、自然と人との結びつきは?
 私達は頑張らなくていい。競争しなくていい。勝たなくていい。競争社会の行く末はとっくに見えている。この地球に核を初めとしてどれだけの殺戮兵器があふれていることか。より多くのマネーのためにどれだけの生命が破壊されたことか。国破れて山河ありなど遠い昔のユートピアだ。地球全体の山河・海が“より”・“ため”のために破壊されようとしている。
 お日様・空気・水・・・、大地・海の生命の営みさえ健全であれば。私達は生きていける。その自然の営みがより豊かになるための手助けこそ、本来の技術(テクネー)ではないのか。その“より”こそ進歩ではないのか。
 ミヒャエルの1ヶ月の後半は気持ちの良い晴天が続いた。彼は伸びやかに逞しくなっていった。遊び心の余裕も出てきた。持参してきた長い帯のようなものを木と木の間に張り、綱渡りをやった。彼が料理したパスタやブラウニーもなかなかの味だった。
 彼が去った夕、いくつもの灰色のちぎれ雲が生暖かい風に奔(はし)っていた。その大空に刻み込まれるように、生々(せいせい)と黒々とした柿や栗の枝々が縦横に伸びていた。青い闇に包まれ、野や畑一面にくっきりとした新緑が息づいていた。

  2012年4月9日