豊資源国 ニッポン

山の暮らし
重松博昭
(しげまつ・ひろあき)
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重松博昭
zeikomi
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しげまつ・ひろあき

1950年福岡に生まれる。 1974年、大学中退、結婚したばかりの妻と新天地(約1ヘクタールの栗山)に移り住み、自給自足をめざして「シロウト農法」を営む。 現在、栗山は雑草園に、そこでくらす鶏達の卵で最低限の収入を得ている。3人の子はすでに巣立っている。 著書に『山羊と暮らした』(葦書房)『われら雑草家族』(石風社)がある。

コラム一覧

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 五月を告げるのが、山一面に雲のようにカリフラワーのように湧く椎の花とすれば、六月はやはり栗の花だろう。ある朝、木々の豊かな緑が白髪に転じたかのように全面をクリーム色が覆う。この花の匂いがまた生(性)の根源そのもので強烈、生きることが嫌になるほどだ。梅雨直前にぴったりだ。  
 下界ではいつもの年のように早過ぎるくらいに田植え(少なくとも準備)は着々と進んだが、雨が降らず困った所も結構あったようだ。
 それにしてもあの水を引き、溜め、干す仕組み・技術はすごいといつもながら思う。電気・石油等はほとんど使わず、上から下へと流れる水のエネルギーをフルに利用している。フルではないか。あの用水路にミニ発電機でもすえたら面白いかも。
 巨大科学技術社会の一番つまらないところは、一人一人の創造性というか遊び心、悪戯[いたずら]心を発揮できない、勝手気儘[きまま]にやれない、状況に応じて、ある材料で、それぞれの好み、能力に応じて、つくることができない。歯車・部品にしか、消費者にしかなれない。
 ただ、このあたりは現代社会というより人間の本質に関わってくるかもしれない。人間は常により楽により快を、もっと言えば永遠の平安、つまり死を願望している。それならさっさと死ねば良さそうなものだが、この世にその死の世界を求め、結局は地獄が出現してしまう。地獄とはこの世にある。

 ようやく六月も後半になってまとまった雨が降った。何十年とこの山で暮らしてきたが、灰色の雨の中をカッパを着て仕事に出る気の重さは変わらない。ただそのしばらくを凌げば、すっと心が軽くなる。どうも重さと軽さは紙一重というか裏表というか一体のようだ。楽のため苦を我慢するのではなく、苦楽は一体のようなのだ。
 草の葉に落ちる雨の雫、生命の鼓動。天雨に蘇った雑草達の勢いは実に頼もしかった。うちは雑草達が主役なのだ。この場合の「雑」は「その他大勢」とか「瑣末[さまつ]」ではなく「野生」、「混然」、「共生」を意味する。彼等が生き生きとしていなければ、鶏達も木々も野菜達も人間も猫も犬も生かしてもらえない。特に六月七月は鶏に青草を山のように食べてもらう。それと米糠・腐葉土・野菜クズ・耳パン(時にはお供え物のラクガンや古くなった乾麺)ドブロクの粕等々を混ぜて発酵させたものが主食。補助的に輸入トウモロコシも使う。このところ友人が作る無農薬玄米(小米)が手に入ったが、いつもとはいかない。
 [たけのこ]もニョキニョキと頭と首を出した。これがあっという間に長く青々とした胴体に成長するから不思議だ。今日本ではこの竹がカラス同様嫌われ者になっている。私も数年前まではお隣りからヒタヒタと迫ってくる竹の群れに脅威を抱いていた。重い腰を上げ、本気になって竹と付き合ってみると、これほど調法なものもない。まず筍はうまい。次いで燃料、油分があるので生でも燃える。五右衛門風呂に最適。あと、物干し等、手すり、野菜・苗木・花等の支えや棚、柵、日除け、箸等の食器、[とい]、屋根・・・一度竹ばかりで[すみか]を作ってみたい。いよいよの時は山に寝かせておけば肥料になる。
 結局、竹も人間が自然から逃げているからはびこるのだ。それもあくまでも人間側から見ればで、竹はこの地の気候・風土に合っているから繁殖している。竹はこの山の主なのだ。雑木も雑草も同様だ。彼等の豊かな繁殖があるからこそ、豊かな山野、ひいては海が存在する。この豊かな自然に日本は余りにに恵まれすぎたのかもしれない。土からコンクリートへ。私達はひた走ってきた。その行き着くところが原発地獄だろう。

 七月初めの豪雨はすさまじかった。雨と雨の間のうっとうしさ、重苦しさも相当のものだった。空中にびっしりと詰まった水分が途方もなく巨大なシリンダーとなって頭の上から伸しかかってくるような気分だった。七月三日未明の滝のような雨と天の鉄槌のような雷鳴が一気にその重苦しさを吹き飛ばしてくれた。水一色の世界が青白い閃光に照らし出された。ほどなく小止みになり、やがて止んだ。
 その夕、丸太小屋のベランダで冷たいドブロクを呑み、ほっと目をつぶっていると、なんとも涼しいせせらぎがどこからともなく聞えてきた。下駄をひっかけ、いつもは流れのない谷間へと下りた。うっそうと雑草と灌木の茂る暗がりを水は流れていた。透き通って冷たい。流れを十メートルばかり登ると、岩と岩の切れ目から水が湧き出ていた。両手ですくい口に含んだ。風の波のような[ヒグラシ]の響きが山の奥から湧き起こってきた。
 翌朝、目覚めた時、せせらぎは止んでいた。谷間の流れは地中に吸いこまれていた。白い雲と雲のすき間から、乾いたみんみん蝉の声が差し込んできた。

 

                   2012年7月12日