静かな生活

山の暮らし
重松博昭
(しげまつ・ひろあき)
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重松博昭
zeikomi
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しげまつ・ひろあき

1950年福岡に生まれる。 1974年、大学中退、結婚したばかりの妻と新天地(約1ヘクタールの栗山)に移り住み、自給自足をめざして「シロウト農法」を営む。 現在、栗山は雑草園に、そこでくらす鶏達の卵で最低限の収入を得ている。3人の子はすでに巣立っている。 著書に『山羊と暮らした』(葦書房)『われら雑草家族』(石風社)がある。

コラム一覧

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 このところアジアの若者の来訪が相次いだ。五月末から六月半ば、タイの男性、ウオーラ・ポンさん。修行僧のような澄んだ容貌、いつも穏やかで誠実、野山と一体となっていた。同じ時期、一日だけだが台湾の男性、ソンさん。こちらは庶民的・開放的、この二人はもちろん初対面だが、英語で親しげにしゃべりながら犬の散歩に出かけて行った。六月後半、日本人男性、長谷川さん、大学4年だが一から生き直そうと自給自足を志し、50ccのバイクで神奈川を出発、農家を10軒ほど回った。肩の力の抜けた自然体がいい。

 八月下旬、香港の女性、イボンヌさん、熊本在住で勤めぐらし。シャキッと背筋が伸び、きびきびと優しく、まるで大和撫子。九月上旬、シンガポールから中国系男性、ソウさん。サラリーマンぐらしで、作業着等準備不足、おまけにアレルギー体質で両腕に湿疹。にしては健闘した方だろう。日本語が未熟で時に重役風の物言いにムカッとすることもあったが、注意すると素直に聞いてくれた。根はやさしいようでどこかユーモラス。

 九月中旬、久しぶりにヨーロッパ、スウェーデンからリトアニア出身の男性、ルーカスさんが飛び込んできた。とにかく賑やかで一日じゅう声をあげている。その分長身でたくましそうな身体の動きは芳しくない。到着早々、大量の鼻血、風邪・・・・と事は絶えなかった。その前日、自転車ではるばるやって来た日本人男性、サトシさんが居なかったらどうなったことか。丸十日間、あの嵐の男と24時間ほとんど英語だけで過ごし面倒をみてくれたのだから。しかしこの二人結構仲良くなったのを見ると、ルーカスにはどこか憎めない純なところがあるのだろう。

 ルーカスが去った九月の終り、急に静かに冷たくなり、艶々としたススキとアワダチ草の黄緑が目立つようになった。秋冬野菜の種まきに絶好だ。サトシ君は終日畑や山で土と風と過ごした。彼は自由・自立の自給ぐらしを志すコスモポリタン、あちこち回ったらしいが、フィジーと小笠原諸島が特に気に入ったとか。

 十月上旬、台湾から女性、ジェシカさん、必要なことしかしゃべらないが、こちらの話はきっちりと聞いてくれる。田舎暮らし・農作業経験はまったくないらしいが、すっとここの暮らしに入ってくれた。キンモクセイの山吹色の香が山を一気に秋色にした。安らぎに満ちた日々だ。

 ただし境界領域でのゴタゴタが続いた。天下国家の話でなく気が引けるが、我が掘っ立て小屋にスズメバチ達が次から次へと飛来してきた。放っておくと、でかい提灯のようなまむしに似た斑模様のおどろおどろしい巣を作りあげてしまい、そうなるとこちらの命まで脅かされる。やむをえず、この二、三日で30匹近く叩き殺した。

 

 事は連動するもので、秋晴れの午後、外から土間に入り、ふと作業机を見ると、卵の入ったバケツの上に灰色の太く長い紐がクレーンのように首をもたげていた。目が合った。蛇さんだった。卵に飛びつく寸前の首を金バサミで引っつかみ袋に押し込めようとしたが、ヌルッと逃げられた。数年前までは暗黙のナワバリがあって、彼等がネズミをねらって入ってくることはあっても、私達の生活を侵害することはなかった。あたりを徹底的に整理・清掃し、入ってきそうな隙間をふさぎ、タバコの灰の代わりに石灰をぶ厚くまいた。幸いその後は姿を見かけない。いつも人間の出入り口は開々とあいているのだが。スズメバチとはちがって彼等とはまだ暗黙の了解が可能なのだ。

 猪や鹿も、栗を食べに侵入し、時に畑を荒らしていくが、こちらが山や畑を常時生活の場とし、ナワバリをはっきりとさせるために所々にノリ網を張り、一日中ハッサンを放しているので、深入りはしてこない。

 考えてみれば、彼等からすれば、こちらが勝手に作った境界でしかないし、どちらかというと彼等のほうが先住者なのだ。共存のためにはもっともっと相手を知らなければ。あまりにも情報が不足している。

人間の集団同志のほうがコミュニケーションも共存もはるかに難しいようだ。太古の昔から人類は戦争を繰り返し、「進歩」すればするほど、集団が、国家が巨大になればなるほど、おびただしい命が犠牲になった。

 私も自分のクニ・ふるさと・山河・家族はなんとしても死守したい。だからこそ戦争は避けなければならない。不戦は、脱原発・大量消費廃棄と同様、いまや理想論ではなく、きわめて切迫した現実論になってしまった。異と異が共存できなければ全世界が破壊されてしまう。

 実は国家・民族とは巨大な幻想なのではないか。戦争を生み出すのは幻の集団対集団の憎しみではないか。私達一人一人の中に憎しみがある。戦争を生み出しているのは私たち自身なのだ。

 見も知らぬ人間を、見も知らぬが故に憎悪することだけは避けなければならない。

                    2012年10月7日