イノシシと人間の攻防

山幸窯つれづれ
山本幸一
(やまもと・こういち)
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山本幸一
zeikomi
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1947年福岡県大牟田市生まれ。小石原、ファエンツア(イタリア)で学ぶ。
1978 年熊本市に開窯。以後、東京、京都、福岡、沖縄、ソウルなどで個展、グループ展。

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イノシシと人間の攻防
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 昨年、隣家の主人が自宅を電気柵で囲ってしまった。電気柵には微弱電流だが高電圧が流れていて触れるとバシッとかなりのショックがある。毎夜、大小2頭のイノシシが裏庭にやってきて、それに約10匹の飼い犬が一斉に吠えるのでとても眠れるものではないという。中には柵越しに鼻をつき合わせて尻尾を振る不届き犬も出る始末で、イノシシは全く平気で犬小屋周辺の土を掘り返し、山ミミズ(大きいの)を捕食する。これに耐えられず、ついに電気柵でわが家を守ることになってしまった。

 イノシシは人間と同じ雑食で道路脇を鋤で掘り返したようにして山ミミズを捕り、山芋も好物で、人の頭ほどの石も平気で転がして掘り出す。竹林では犬以上の嗅覚で筍を人間より先に探し出し、果樹農家のみかんや梨、畑の野菜もいただく。最近、クヌギ林で大きな穴を幾つも見たが、多分クワガタやカブトムシの幼虫を狙ったようだ。10数年前から被害は増加するばかりで、天敵の猟師は減り、イノシシの増加に歯止めが効かない。そこに電気柵が登場し、今のところこれが最も効果的という訳だ。イノシシの方も当然柵の無いところを求めるので、柵は増え続け、ついに家を囲むという信じられぬ光景を見ることになった。

 先日、近所のトミナガさんの傘寿の祝いの席で、元々この金峰山山系(熊本市と有明海の間に位置する)にイノシシはいなかった、と言う地元の人たちの話を聞いた。ウサギを捕る猟師はいたが、子供の頃はイノシシの姿も被害も見たことは無かったという。では一体どこから、どうやってきたのか、九州山地(阿蘇や球磨方面)からどうやって広い熊本平野を越えられたのか、と言うのが一同の疑問だった。山裾の養豚農家がイノブタを作るためにイノシシを持ち込んだという説も出たが、これは逆でイノシシが豚舎を襲ってイノブタが生まれたというのが正しいようで、謎は解けないままだった。

 先日、フク(窯の飼い犬、15歳オス)の主治医のD氏に会った。

「先生、イノシシはどうやって九州山地からこの金峰山にやって来たんですかね?」

「それは簡単なことで、川です。北は菊池川、南は白川に沿って来るのです。」      と実に明解。

「川には川ガニやミミズ、昆虫、植物の実などがあり、海までも出れる。」

 そういえば天草には以前生息しなかったイノシシが今はいる。また海を泳いでいるところも目撃されている。

「遠くまで移動する理由はなに?」

「それは分からないが、棲みやすい条件が揃っていることは確かでしょう。」

「このまま増え続けるとどうなりますか?」

「さあ、わかりません。」

「数年前の狸のようなことは予想できませんか?」

 山裾が住宅地と交わる近辺で狸が急激に増え、その後ぱったり消えてしまい、今は全く見なくなった。

「あれは狸に何が起こったのですか?」

「介癬ですね、それが感染して行った.」

「介癬で死にますか?」

「死にますよ。人間だって痒くて眠れなければ死にます。」(歯切れの良さがD氏に好感を持つところだが、どうも近年患者の減少が気になる)

 そういえば、その頃珍獣を見たことがある。団地の大掃除の最中、薮の中に全く無毛の獣が右往左往していて、あれは一体何だろうという騒ぎになった。思えば、あれが狸だったのだろう、哀れな姿だった。

「イノシシの感染症を待つというのは危険なことで、豚にも感染して大変なことになる。」

「つまり良い策がないとなると、みんなが猟師となり鉄砲をもつ、豚肉の替わりに猪肉を食す、ということですかね。」

 わたしの妄想だが、元々金峰山にも天草にもイノシシが生息していて、その後何かの理由でその場所から消えてしまった。その末裔たちが残された記憶をたどり、今頃次々と帰郷を果たし子を作っている。イノシシに悪意がある訳ではない、ただ他より食べるものが豊富で居心地が良いということだ。

 今日も、昼間というのに100メートル先を子連れの3頭の黒い獣が崖上から下へ道を横切った。今や人とイノシシの境界は確実に拡散している。人気のない山道を歩くときは私がいることを彼らに伝えなければいけない。15才となりもはや耳が聞こえぬフクに、言葉にならない言葉を掛け、唄にならない唄を聞かせながら散歩する日々だ。