クロの時代(上)

山の暮らし
重松博昭
(しげまつ・ひろあき)
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重松博昭
zeikomi
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しげまつ・ひろあき

1950年福岡に生まれる。 1974年、大学中退、結婚したばかりの妻と新天地(約1ヘクタールの栗山)に移り住み、自給自足をめざして「シロウト農法」を営む。 現在、栗山は雑草園に、そこでくらす鶏達の卵で最低限の収入を得ている。3人の子はすでに巣立っている。 著書に『山羊と暮らした』(葦書房)『われら雑草家族』(石風社)がある。

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クロの時代(上)
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 彼女を最初に抱き上げた時、大きさは生後2,3ヶ月程度だったが、顔つきはまるで大人で冷めていた。黒に裏が白の柴犬の雑種、シェパードかハスキーが混じっているよう。2006年2月10日、数日続いた寒空にようやく春の日が差し始めた午前中だった。私の心も冷めていた。8ヶ月前に盟友サンタが姿を消し、その後にやってきたモンが生後3ヶ月半で急死してまだ2ヶ月しかたっていなかった。

 4月半ば、山じゅうに緑の粒が吹き流れていた。西の奥の鶏小屋がひどく騒がしい。数羽がその下の柔らかな緑の段々畑に散らばっていた。わずかに戸が開き、中にクロがいて、足元に一羽の死骸、とっさにクロの首輪をつかみ険しく叱りつけ強引に引きずって土間に入れ、妻と一羽一羽つかまえ小屋に入れていった。いつの間にか流しのわきのすき間から出たクロが、黄土色の茅の茂みに突進、中から飛び出た1羽が低空飛行で畑を越え、お隣の竹林へと逃げ、なおもクロが疾走する。私はあきらめかけた。鶏のこともクロと家族として生きることも。妻は懸命にクロを諭し追った。竹林の奥へ、さらに谷間へと、あの細身のどこにそんなエネルギーがと驚くほど速足でどこまでも。やがて彼女は無傷の鶏を抱きかかえ戻ってきた。ほどなくクロも帰ってきた。

 妻がいなかったらクロはまた放浪の旅に出ただろう。それからも土間においていた卵を食い荒らしたり、ご近所の履物をくわえてきたり、また鶏を追い回したりと事は多かったが、妻はあくまで優しく我慢強かった。1年余りが過ぎる頃には素行は修まり、見違えるほど顔はすっきりと穏やかになった。孤独をかこっていた山羊のメリーも、ちょくちょくクロが遊びに行くようになって表情が柔らいだ。

 この2007年は養鶏はご難続きだった。まず鶏インフルエンザ、それも宮崎で。もしウイルスが突然変異で鶏から人、さらに人から人へと感染するようになれば多大の被害が出る。野鳥が有力な感染源とされ、外に閉じていず消毒も不十分で鶏と人と接することの多い平飼い・放し飼いは問題視された。しかしただ一度(ウイルスの運び屋とされるアヒルを川から連れてきて鶏と同居させていた)以外はすべて土・外界から遮断され衛生完備とされる近代的養鶏場で発生している。最も肝心な鶏の生命力・免疫力を私達は見落としていたのではないか。清浄な空気と水、日光、運動、土、土に育まれる食物(特に青菜)が生きるためには不可欠ではないか。

 人間にとっても。ふり返ってみれば我々は鶏と似たような「進歩」をとげてきた。放し飼い・平飼いは戦後の焼け跡・復興期。ケージ飼いは高度経済成長期のアパート住まい。そして冷暖房完備のウインドレスはコンクリートジャングルのマンション暮らし。私達はより多く、より強大、より安楽を求め、土から生命から逃れ、ひた走ってきた。その行き着いたところが大量廃棄社会であり原発地獄だろう。あの天の鉄槌を受けてなお私達は死へのアクセルを踏み続けるのだろうか。

 この年の4月18日の未明、鶏の断末魔の叫びに目覚めた。クロと土間を飛び出た。クロは冷静沈着、頼もしい存在に成長していた。北のはずれの小屋はすでに静まっていた。中の1羽は血まみれで首がない。あとの死骸3羽の首に約3センチ間隔で釘のような穴2つ。戸、壁と地面の境、金網、トタン屋根・・・。と徹底的に点検。その翌日未明、鶏のかすかな叫びに待ち構えていた私とクロととにかく走った。今度は山の中ほどの小屋の裏にカサコソと足音、クロが闇に追う。小屋の中には1羽が倒れていた。金網に直径7,8センチの穴。明けて13ある小屋全部を点検、夜は12時と3時と鶏山を見回った。被害なし。翌日も夜回りをしたのだが、その翌25日朝、首なし1つ、さらに翌朝も。私もクロも気づかないうちにやられた。しかもどうも金網を破って来ているようだ。

 ほとほと疲れ果て、養鶏の先輩の宗像の滝口さんに電話、その午前中来てくれた。いたずらっ子のように笑いながら開口一番

「養鶏なんかやめたくなったでしょう」

 彼は挟み罠2つを持参、仕掛け方を教えてくれた。その夕方暗くなって鶏小屋の外壁におとりの鶏の死骸をつるし、その下の地面に罠を仕掛けた。

 なぜかパタリと敵は来なくなった。

 1ヶ月以上が過ぎた朝、晴れ、まだ日は出ていなかった。山じゅうが気だるく濃密な緑にあふれていた。イタチではなくテンがいた。いどむような悲しげな目つきだった。全身黄金色、ざっと体長30センチ、尻尾15センチ、両後ろ足が罠にはさまれていた。バカなやつだ。来なければ良かったのに。どうにも気が重かった。バットを振り下ろした。血を吐き、静かな目つきでがっくりと顔を落とした。

 栗の花の生臭い匂いが漂っていた。

                   2013年2月2日

     追伸   クロは帰ってきません



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