山の暮らし(17) クロの時代 下 

山の暮らし
重松博昭
(しげまつ・ひろあき)
booktitle
重松博昭
zeikomi
¥0円
しげまつ・ひろあき

1950年福岡に生まれる。 1974年、大学中退、結婚したばかりの妻と新天地(約1ヘクタールの栗山)に移り住み、自給自足をめざして「シロウト農法」を営む。 現在、栗山は雑草園に、そこでくらす鶏達の卵で最低限の収入を得ている。3人の子はすでに巣立っている。 著書に『山羊と暮らした』(葦書房)『われら雑草家族』(石風社)がある。

コラム一覧

booktitle
山の暮らし(17) クロの時代 下 
zeikomi
¥0円

 

 

 2009年末、生後1ヶ月半の雌犬が家族に加わった。Mrアダム(イングランド出身の心優しき偉丈夫、翌年の3月まで共に暮らす)が「ヒッポ、ヒッポ(カバ)」と可愛がり、名も彼にちなんでハッサンとした。クロは母親同然にハッサンに接し、2匹はいつも一緒、あまり外に出て行かなくなった。

ハッサンは伸び伸びと育ち、半年が経つ頃には、意外にラブラドルとビーグルが混じったすっきりとした美形に成長した。クロのおかげでこちらはほとんど躾をしなくてすんだ。散歩の時はクロだけをつないだ。最初ハッサンは怖がって川に寄り付かなかったが、至れり尽せりのクロの指導で、水に入るようになった。

 この夏の盛り、トラ次郎(オス猫)が獲物を追跡中、天ぷら真っ最中の油に足を突っ込み、そのまま失踪。3日後妻が近所で見つけた。ひどい火傷ですぐに病院へ。家で静養中に再び失踪。3日後に今度は自身で帰ってきた。激痛に耐えられなかったのだろう。下腹部と右足がただれ目も当てられない惨状だった。病院で皮ごと取り除く手術に彼はよく耐えた。その後容易に皮膚が再生せず、長い入院生活が続いた。

 この頃、猪に加えて鹿の被害も目立つようになった。クロとハッサンの活躍も本格的になった。2匹とも放すと外に遊びに出かけてなかなか帰ってこないので、クロはつないでいた。ハッサンは顔に似合わない野太い声を山じゅうに響かせ、夜じゅう雑草園を守ってくれた。それも後ろにクロが控えていたからこそだ。最初、怖気付き、闇に飛び込むことのできなかったハッサンを、身をもって指導したのもクロだった。

 この2010年初冬、近くの産廃場の拡張計画(ざっと10倍)に反対して、今まで我慢に我慢を重ねてきた住民たちが熊ヶ畑地区を先頭に立ち上がった。私も微力ながら参加した。中心メンバーのパワーにはとてもついていけなかったが。現在(2013、3)のところ、県の許可は下りていない。細々とでも最後まで関わりたい。

 そして翌2011年3月11日のあの未曾有の大災害、原発地獄。やはり何かが決定的に変わった。もはや猶予はない。この地球にも、私の人生にも。少しでも悔いの残らないように残りの日々を生きなければならない。

 自身に忠実に、自身の生きたいように   大地に従って、生命の流れに委ねて

 私は一個の宇宙になりたい

 山羊も犬も猫も猪もモグラもカラスも虫達も草々も木々も・・・その一つ一つが宇宙だ。群れ固まった人間集団の1員ではなく、様々の宇宙との絡み合い、結びつきに生きる1個の宇宙になりたい。

 この年の春、今まで300入れていたヒヨコを100羽にした。ずっと思い続けてきた。穀物等の貴重な食糧、特に輸入トウモロコシを大量に消費しなければ成立たない養鶏業はやめたいと。その1歩をようやく踏み出すことができた。

 秋、山羊のメリーが眠るように大地にかへった。

 冬、豆腐屋さんのご主人が死去、山田の町に3軒あった豆腐屋さんがゼロになった。

 クロと私とは時間はかかったがそれなりの信頼関係はできた。暗黙の契約みたいなものもあった。クロは繋がれている時や閉じられた土間にいる時は、自由になることを一切放棄して、飼い犬・番犬をきちんと勤めた。紐が切れたり、戸が開いていたりして一旦自由になると、自分の意のままに気の済むまで歩き回った。ハッサンはもちろんクロに従った。ただ必ず5、6時間後には2匹とも帰ってきた。1度だけクロが帰ってこなかった。3日後、膨れ上がった足を引きずり坂を登ってきた。罠にかかっていたようだ。

 そしてあの2012年11月29日の深夜、クロは姿を消した。1、2週間たつうちに思い当たった。1年ばかり前からエネルギッシュに駆け回らなくなった。それまで一気に駆け上っていた坂で息を切らすようになった。まだ6、7歳というのに。一ヶ月が過ぎて、クロは帰ってこないという思いが強くなった。生きていたらハッサンの所に帰ってこないはずがない。妻とも深い絆があった。二ヶ月後、それは確信になった。

 どこか彼女には気品というものがあった。 独り生き、死ぬ気高さが、覚悟があったように思う。

 クロは死に場所を求めて姿を消した。          2013年3月10日

 

 

 

 追伸

今年からヒヨコを入れないことを、散々迷った挙句、決心しました。老兵(鶏)

さん達の働きいかんですが、あと1、2年で卵屋をやめます。

 それにしても世の中、金、金、金の大合唱ですね。海を毒し、大地・農の営みを破壊し、ろくに自国の食糧も自給できずに、どうしてまともな農産物が輸出できるというのでしょうか。いつまでも世界じゅうの食物を買い漁れる(あされる)と思っているのでしょうか。この地球規模の食糧危機・水不足の時代に。

 平飼い・放し飼い養鶏は、大地に根付いた農・社会を再生する重要な柱の1つになるでしょう。その地の自然・その地域の余り物・廃棄物を最大限に生かして、鶏も卵も健康。良質の肥料で大地の営みはより豊かに。低いですが安定した収入。極めれば奥は深いでしょうが誰にでもすぐにやれます。新たに農的暮らしを始める人にもってこいです。

 ただ正直、毎日毎日の鶏さん達の賄い(まかない)に疲れてしまいました。グウタラの私にしてはマジメにやりすぎたような気もします。ま、そのおかげで40年近くもこの地で生き続けることができたのでしょうが。

 人生の最後、わが思うままに生きたい。何かのためや、何かよりではなく、ただ生き、死にたい。土に遊び、土を食らい、土にかへりたい。時には朝寝朝酒朝湯もいい。

 いままで支えてくださった皆様、どうかわがままをお許し下さい。気が向かれたら土・風と遊びにいらしてください。今、山桜が清新です。やがて次から次へと木々の緑が吹き出てきます。

 様々な意味で1つの時代が終わったようです。      2013年 3月末