「野に出よう」 

山の暮らし
重松博昭
(しげまつ・ひろあき)
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重松博昭
zeikomi
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しげまつ・ひろあき

1950年福岡に生まれる。 1974年、大学中退、結婚したばかりの妻と新天地(約1ヘクタールの栗山)に移り住み、自給自足をめざして「シロウト農法」を営む。 現在、栗山は雑草園に、そこでくらす鶏達の卵で最低限の収入を得ている。3人の子はすでに巣立っている。 著書に『山羊と暮らした』(葦書房)『われら雑草家族』(石風社)がある。

コラム一覧

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「野に出よう」 
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 いやはやこの4月は何度も風邪をひいた。春というより夏のような生暖かな夜、半分眠りながら、やけに重く感じる布団や毛布を一枚、また一枚とはいで、目覚めた時は寒さにふるえ薄い布団一枚の中に潜り込んでいた。顔を出すと、すでに夜は明け始め、青白い冷気がまるで冬だ。

肩先に寒気が走り、背中から下腹にかけて生気が抜けていくよう。なんにもしたくない気分。

 風邪といっても私の場合、ほとんど熱は出ず無性にだるい。時に鼻づまりかのどの痛み。

これ幸いと仕事をサボって、私の大好きな休養とご馳走をとってもダラダラと治らない。

若い頃は友人たちと街に繰り出し、ホルモンと焼酎で夜が明け、二日酔いから解放される頃には風邪も消え去っていたのだが。

 鶏さん達も腹をすかして待っている。とにかく起きて動くしかない。三杯、四杯と緑茶を飲み、長靴をはく。山じゅうに、天界の雲のような淡い緑が漂っている。鶏小屋に急ぎ足で餌を運ぶ。むしろ普段より精力的に動き回る。勢いをつけてやらないと、だるさに負けてしまう。

急な坂はこたえる。重力が身体全体にのしかかってくる。太ももの付け根が重い。

 汗をかくと、少し身体が軽くなる。緑の風が秋のように爽やかだ。空は一面透き通った白、雲一つない。冷たい朝露に濡れたハコベ、ギシギシ、カラスノエンドウ等を鎌で刈り、鶏小屋に放り込む。最後に上の雑木林に登り、腐葉土を小さな鍬でかき集め袋に詰める。ふと見上げると、常緑樹の新芽が暖光を放ち萌え出ている。

 なんとか持ちこたえていた勢いがガクンと落ち、気分が悪くなるほどに身体が重くなった時、さっさと仕事をやめ、すぐに汗ぐっしょりの下着をかえ、布団の中に横になる。無理しない、

身体を冷やさないことが肝要。15分からせいぜい30分、ちょっとでもうつらうつらするだけで、ずいぶん回復する。茶を飲みながら読んだり書いたり。座り疲れたところで、また外に出る。

 ところで、腐葉土は米糠、生ゴミ、耳パン、どぶろくの粕等と混ぜて、鶏の主食である発酵飼料を作る。米糠が主なのだが、近頃めっぽう手に入りにくくなった。肥料・除草材として使われるようになったからだ。まずは食糧・飼料に回すべきではないのか。

 つい先日、ここ数年定期的に一定量を購入していた農協に行くと、「精米をやめましたので糠はありません」なんの予告もなしの突然の宣告だ。ほとほと困り果ててしまった。なにしろ鶏さんたちの毎日の主食なのだ。一人一人は信頼できる人が多いが、農協組織はまったく零細農民のことを考えていないことを再認識した。(それ以前に、売り手と買い手の最低限のモラルの問題なのだが)まして政府自民党・官僚・財界においてをや。

 戦後、日本農業を壊滅寸前にまで衰退させた、その反省のかけらもなく、またぞろ規模拡大、儲かる農業・・・。桁違いの規模のアメリカ、オーストラリアと同じ土俵で太刀打ちできるわけがない。だいいち規模が大きくなればなるほど、環境破壊(砂漠化・地下水の枯渇等)も大きい。大量の石油エネルギー・農薬・化学肥料が必要になる。安全性・質は低下する。単位面積当たりの収量は減り、無駄も多くなる。販売も難しい。

 その地、その季節に合った様々の作物を、存分に自然の力を生かし、農薬・化学肥料に頼らず健康に育て、その地域の人々に提供する。小農・地産地消こそ最も自然と人間の営みを豊かにする、半永久的に持続可能な道なのだ。

 今、全国各地で農地は放置され、空家も多い。余計なことはせずに、農業をやりたい人は誰でも自由にやれるしくみを作ったらどうか。自給農でも半農でも家庭菜園でもいいではないか。

山と菜園の中の日本料理屋も、卵・小麦からつくるケーキ屋もいい。自給自足のフリースクール、自由農塾、遊び塾、子ども農園・・・

 もったいないではないか。農とは、共生、共育、創造、芸術、遊び、癒し、祈り、宇宙・・・なのだ。

 大地こそ、すべての人々の生き、死ぬ場なのだ。

 4月も後半に入った朝、いや-、寒いのなんのって。一面、霜だ。幸い、風邪は治った。

実に身体が軽い。日が出ると、野や畑のいたるところに無数に浮かぶ小さな黄色い花(キツネノボタン)がみずみずしく輝いた。あちこちで緑が泉のように湧いている。栗、小楢、柿、はぜ等々はくっきりとした葉を伸びやかに茂らせ、その緑の中を滝のように山藤の紫が流れている。この2、3週間のうちに、例年になく早く一気に新緑は飽和状態に達しようとしている。

 忙しくなった。米糠を求めてあちこちに。その代用に腐葉土や青草をこれまでの倍以上。

 卵屋をやめるとなると、当然収入は減る。できる限り自給したい。南瓜、キウリ、ピーマン、ナス、トマト、ニガウリ、オクラ・・・ゴマ、生姜、大豆、小豆、ピーナッツ、トウモロコシ、里芋、山芋、ヤーコン・・・今年は無理だが、キビ、アワ、そば、麦・・・

 さすがに六十を過ぎると、無理がきかない。腰がだるくなり、膝をついて鍬を打つ。

たびたび手を休め、空を見る。ホトトギスの幼いリズミカルな響き。緑の匂い。連なる山々を眺める。

 しかしこの山じゅうに湧き返る新緑の力感はどうだ。まるで様々の草色の羊たちが山を埋め尽くしモコモコと踊り戯れているようだ。

                  2013年4月末



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