麹(こうじ)を創ってみた

booktitle
麹(こうじ)を創ってみた
zeikomi
¥0円

 久しぶりに夜の仕事をやった。コタツの守りをしながら酒を飲んだだけだが。9月24日朝8時、5kgの米を水に浸けた。

 この時期、珍しく私は多忙だった。栗が数年に1度の豊作。秋冬野菜の種まきにも苦労した。ポットに蒔いた白菜とキャベツの芽が出ない。廃屋になって数年の鶏小屋の土を使ったのだが、野菜作りの師の荻原さんに聞くと栄養過多、塩分が強すぎるとのこと。初歩の初歩だ。少雨、残暑で畑に種が蒔けない。遅れると太らないまま冬を迎える。

ぎりぎりの20日過ぎ、大根とかぶを蒔いた。芽は出たが、黒い点のような虫がわき、

かぶは全滅、大根はなんとか生き残っている。

 家の周りには、足の踏み場もないほどに、銀杏の黄土色の実が落ちた。食欲も仕事欲も私より旺盛な88になる義母が、黙々と銀杏拾いに集中した。そのあとの丹念な水洗いと日干し、そして栗の仕分け等は妻。なんでもたまることの嫌いな彼女はせっせとあちこちに配った。

 それらの作業の合間を縫って、丸太小屋を片付け、箒でチリを除き、固くしぼった

雑巾で板張りをふいた。洗いたての敷物にコタツを据え、ホームセンターから買ってきたビニールと清潔なタオルケットをかぶせた。あと広げた新聞紙を80枚重ねた上に下ろしたてのシーツ、これが床になる。それに米30kg用の新品の紙袋と温度計。

 午後2時、米を蒸し始める。3時半、湯気モワモワの蒸籠(せいろう)から米粒を取り出し、親指と人差し指でつぶす。芯がなくなっている。用意した床に蒸籠を返し、その米をならし、40度に冷めたところで、わずか5gの種麹をパラパラ、どこに入ったかもわからない。これでいいのかと心細い限りだが、とにかく冷めすぎないよう急いで混ぜ、紙袋に入れ、口を縛り、床ごとコタツに入れた。あとは30度から40度の温度管理。

 丸太小屋に一升瓶とつまみの煮干を持ち込み、随分久方ぶりに泊まり込んだ。ここはいわば半公共の場、「丸太小屋の会」、「山田市民塾」など多くの人々の協力でつくられた。わが掘っ立て小屋とは少し離れていて、周りは草原、電話もテレビもない。闇と静けさと虫の声が新鮮だ。ちょっと飲み過ぎかな。夜中、何度も用足しに起き、眠気眼だが紙袋の中の温度も確かめた。どうにか35度前後を維持。翌25日朝5時、菌が活動し始めるはずなのに温度が上がらない。昼前になっても芳(かんば)しくなく、川崎町安宅(あたか)の片桐さんに電話。まだ若く私の子供の世代だが、夫婦で都会から山里に移住、私たちよりずっと本格的に自給的農を営んでいる。無農薬化学肥料で大型機械も使わず、米は日干し。毎年もち米を分けてもらうが、自然な甘みと深いコクが最高だ。彼が今回の麹づくりの先生。温度が足りない。まだまだ3、4日かかるかも、とのこと。

 卵の配達を急いで済ませ、午後3時、ほとんど変化なし。そろそろ熱が出てくるかもしれないので、米を平にならし畝(うね)を立てた。夕方から寒くなる。毛布をかける。夜中、かすかに麹の匂い、所々に麹らしき白っぽい粒。

 翌朝7時、片桐先生に電話。そんなポロポロではだめ。湯気がどっと出て袋を破らなければならないほどでなきゃ。温度が足りない。どっと疲れと不安。まだまだのようだ。果たしてできるのだろうか。いつものことながら最初から甘かった。秋の夜長、独りでゆっくりと酒が飲めるわいとほくそ笑む、その魂胆がさもしい。鶏用にもらった古米とはいえ、食用可能な米5kg、我が家の十数日分の主食、ゆめ疎かには(おろそ)できない。種麹も貴重品だ。何より懇切丁寧に指導してくれた片桐さんに申し訳が立たない。

 その日中、なんとか38度前後を保った。暗くなって急に冷え始めたので、厚い布団をかぶせた。3晩めともなると酒も苦く、早々にこちらも布団に入った。9時過ぎ、本宅の土間にいるハッサンの太い吠え声で目覚め、外に出た。3、40m西の柿の下で何者かの気配、すぐ南上に栗がある。石を引っつかみ投げた。走り去るかすかな茂みの音。

このところキーンともグギャーともつかない歯の痛くなるような鹿の叫びが頻繁に響く。猪や穴熊は無言だが、昨夜も穴熊が柵のトタンの下を掘って侵入、畑の敷き草をひっくり返し、ミミズ等を漁(あさ)ったようだ。

 帰ってコタツを開けると、甘い麹の匂い、湯気が漏れ、水滴がビニールに。40度近いので布団をのけた。コタツの熱を下げても、さして麹の熱は落ちない。ようやく菌が活動を始めたようだ。翌朝、毛布ものけた。まだポロポロだが全体に白っぽくカビ状の

かたまりもある。午後、コタツを切った。

 その翌午前中、どぶろくを仕込んだ。できた(であろう)ばかりの麹2kgに蒸した米4升と水11.2リットル、天然酵母少々を瓶の中で混ぜた。夕方、待ちきれず瓶の中をのぞいた。まだ蒸した米のまま。夜中の12時になっても変化なし。うーん、麹になっていないのか。やはり米が硬すぎたか、水につける時間が足りなかったか。浅い眠りの中、糸田町の山本糀屋さんが精魂込めて創った作品の力を思った。どぶろくも甘酒も味噌もほとんど苦労せずによくできた。それが当たり前だと思っていた。失ってようやくわかる。今の世の中、最もかけがえのないものが急速に失われているのではないか。

 創ることは自由・自立、生きること。金・消費は創るからの自由、もっと言えば逃走ではないか。

 翌朝5時、覚悟を決め、失敗を確認しようと瓶の蓋をあけた。酒の匂いがする。液状になっていた。全面に発酵の泡粒。三日後、一応まともなどぶろくができた。ただし甘酒は失敗、麹の力が足りない。50点といったところか 。

 いつまでも夏が居座り続けた十月だった。が、イヌタデ、ミゾソバ、ススキ、アワダチソウ、ヤマアザミ等はすでに黒ずみ、種を宿している。柿やクヌギの葉は落ち始めた。

 黒土に伸びる小松菜、彦島菜等のどこまでも透き通った緑は、紛れもなく秋だ。

 もう一つ、秋をみつけた。赤黒い卵大、パクリと口を開け、アケビがクヌギの枝にぶら下がっていた。黒く小さい種ばかりだが、わずかの白い果肉の冷たい甘味が堪(こた)えられない。

                   2013.10.28



コメントは受け付けていません。