博多バブル前後(14)

booktitle
博多バブル前後(14)
zeikomi
¥0円

「留学生」

 私の行きつけの飲み屋の大将は、留学生のバイト先を親身になって世話していた。ところが留学生は、友人たちの情報をもとに、時給が少しでも高いと次々とバイト先を変えてゆく。大将は、「紹介したところは、店の人間も理解があってよかとこなんやけどな」とためいきをつく。

 大学の教師をしている私の知人からは、つぎのような話を聞かされた。

 酒の席でのことだが、アジアからの留学生が、(日本人から見ると)自分に都合のいい主張ばかりする上に、日本人の悪口ばかり言うものだから、たまりかねてつい禁句を吐いてしまった。

「そんなにこの国がいやなら、自分の国に帰ったらいいじゃないか」

 一瞬座がしーんとしてしまったそうだが、その留学生は次のように答えたという。

「あなたは私の国のことを知らないから、私にそんなことが言えるのだ。一度来てどんなにひどいところか見てから言いなさい」

 心ないことをいっているように聞こえるかも知れないが、私は留学生をおとしめようとしているのではない。今福岡には、アジアの留学生・修学生が千の単位で学んでいる。日本人の優越意識から、入居条件やアルバイト、子どもの学校などでいろいろと差別があることも知っている。一部を除けば、かなり苦しい経済的条件の中で、働きながら必死に学んでいるはずだ。

 また、よほどのエリートでない限り、日本で学んで帰っても、いい職に就けるとは限らない。まして日本企業はなかなか雇ってくれない。そういう彼らが日本でなりふりかまわず稼ごうとしたり、出来るだけ日本にとどまろうと考えるのは、当然である。そういう中でも卑屈にならずに言いたいことは言うという態度は、それなりに立派である。

 今日本は国をあげて国際化を唱(とな)えている。中でも福岡市は、「アジアの拠点都市」を標榜している。その主眼は、もちろん経済的な活性化だろうが、「エコノミックアニマル」というふうにも言われたくない。だから「文化的」な装置を作り、「文化的」なイベントを行い、出来るだけ円滑な関係の中で経済活動が行えるようバックアップする。そして何かイベントがあるたびに、留学生たちは「国際交流」のシンボルとして担ぎ出され、お国自慢の料理をつくらされたりする。しかしいつまでも「エスニック料理の試食会」でいいのだろうか。

 私たちにとって、互いの文化はそれぞれに異文化である。私たちが日本の尺度で彼らの言動を測ってはならないように、彼らにも日本と日本人を深く理解してもらいたいと思うのも人情である。

 お互いが都合のいいところや浅いところで早わかりして、その実そっぽを向き合っていたのでは不幸だ。対等に悪口も言い合い摩擦を繰り返しながらも努力をすれば、どんなに異質に見える文化でも、理解可能な共通性が見えてくるはずだ。

 世の中の流れが、あらゆる面で均質化をめざしている時、異質なもの同士が、人間くさいレベルで深く交流しあえるようになってこそ、この町はもっと豊かにもおもしろくもなるような気がする。
 
 

1995・8〜12
(石風社刊 『出版屋の考え休むににたり』 
「博多 バブル前後 1990年代」より再録)