蛇、空に踊る

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蛇、空に踊る
zeikomi
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 ようやく一歩踏み出すことができた。この地に移り住んで40年、ずっとやってみたいと思いながら、ズルズルと先延ばしにしていた。自然農法だ。畑を耕さず、肥料も入れず(農薬・化学肥料は無論)草を刈って敷いていくだけ。といっても例によって自分流で、元鶏小屋に数ヶ月放置していた鶏糞・米ヌカ・土等々の混じったもの、それに枯れ草を畑一面にまいた。
 胡麻、大豆、インゲン、ゴーヤ、らっきょう・・・と種まき、植え付けをしていった。畑を覆う枯れ草を手で分けると、小さな小さなてんとう虫、羽根虫、ゾウリムシ、カミキリムシ、蜘蛛、蚊のような折れ線の虫、イトミミズ・・・無数のアリたちがプチプチとした幼虫を担ぎ運んでいる。その幼虫が鯨の赤ん坊に、1cm程のダンゴムシが装甲車に、10cm弱のしまミミズが恐竜に、草が大木に思えてくる。風は流れ、日は注ぎ、スルスルと蜘蛛が宙を登るその彼方に雲は奔る。まさに小宇宙だ。
 様々の動・植物、細菌、ウイルス・・・土、水、空気、光・・・が織り成す宇宙の一員として、実は私達人間も日々生かされている。コンクリートジャングルの中で、自然から隔離された消費一辺倒の生を送るうちに、私達は人間だけが生きていると思い上がってしまった。コンクリートの上でしか生きられないと、クーラーが、コンビニがないと生きられないと、社会(会社)の歯車に、群れ固まる人間集団の一員にならなければ生きていけないと思い込んでしまった。「集団」って、なんだか重いよね。ベタベタの仲良しグループ? 「集団」の「外」は敵、敵にはどんな酷いことをしてもいい。
 実は私たち自身も一個の宇宙なのだ。私たち一人一人が、この大地の、それぞれがやはり宇宙である様々の生物、そして土、水、空気、光・・・と直接結びついている。私達は歯車でも部品でもない。一個の生命体、一個の世界なのだ。

 さて、ほどよく雨が降ってくれれば、普通農法の方がはるかに簡単だ。耕運機で起こす時に鶏小屋の肥料を入れておけば、草取り、中耕、土寄せ等をマニュアル通りやれば、そこそこ収穫は得られる。しかし土が露出しているだけに、雨が不足すれば、ガチガチに乾燥してしまう。この5月、6月の小雨はどうだ。まるで砂漠だ。畑はおろか野の緑さえカサカサと勢いがない。これが曲がりなりにも自然農法を始めるきっかけとなった。逆に大雨の時は普通農法だと土が流れてしまう。
 もう一つ、鶏に与える草の量ががっくりと減った。全盛期は山中の草を総動員しても足りないくらいだった(全盛期は800羽の鶏がいたが今は200羽足らず)。この大量の草を利用しないという手はない。
 ほとんど毎日、鎌を手に畑に足を運ぶ。何度か苦い経験があるからだ。自然農法を自然放任と勝手に解釈して、下の下の下農と称して、種をまくだけでほったらかしにした。結果はもちろん畑一面草の林だ。次が下の下農、これ以上放っておけば野菜は消滅するであろうと判断したとき初めて草を取る。これは草を取る手間だけバカバカしい。次は下農、ある程度生えたところで草を取る。これもほとんど意味がない。生えるか生えないかの時に中耕し、草を取ったほうがよほど楽だ。要するに草を適当に生やすということは楽どころか至難なのだ。
 トウモロコシ、ナス、ツルミドリ、オクラ、ピーマン、トマト、キウリ・・・と生育ぶりを眺め、草を刈り、あるいはちぎり、敷いていく。ナスは水不足とてんとう虫にやられ成長が止まってしまった。ツルミドリ、オクラは順調。キウリはようやく5、6本収穫できるほどに育った、はずだったのだが・・・つま先たって上から見ても、這いつくばって下から覗いても、気を静め四方八方から凝視しても1本しかない。妙な模様の雑巾の切れっ端みたいなのが落ちている。手に取ると、キウリの皮だった。内側に縦に歯で身をこすりとったような跡まである。鹿や山羊等の反芻動物は栗だって皮ごとバリバリと食べる。ウサギやネズミもそうだ。なにしろ歯が強い。テンやイタチは肉食だ。上に網を張っているのでカラスではない。猪だったら、キウリもろとも畑全体が掘り返されているだろう。となると穴熊か。
 ともかくキウリ畑をビニール製の網で囲った。下には石や瓦を敷いた。10aほどの畑全体を囲う柵の、地面とトタンの間、そしてトタンと網を点検し、あちこちに杭を打ち補強した。
 6月も終わりに近づき、ようやく雨が少し続いた。畑の草はともかく、野や山の緑は一気に濃密になった。大きな手の平のような葛の葉が山中を覆った。その緑の闇に浮き上がる紫陽花の妖艶な青と白。
 動物たちとの熾烈なお付き合いは続いた。またもやカラスだ。李が豊作なのだ。夜明けから日没まで何度も李の木の下に急足で向かった。すでにいくつもの実が落ちていた。カラスに一口二口食われた赤いの、虫にやられたところから熟れ始めているの、無傷の青白に赤みのさしたの・・・どれも2、3日で赤黒く熟れる。包丁で傷んだ部分を除いてかぶりつく。身と皮の間から湧く果汁のなんという爽やかな甘味、まさに生命の水だ。
 土間に帰ると、カサコソと紙の音、ゴミ箱が倒れている。生ゴミのバケツも。散乱する新聞紙に潜り込むように大きな蛇(青大将)がいた。このところしつこく卵を狙っている。つくづくうんざりした。ギュッと左足で胴体を踏みつけ身動きできないようにしてクシャクシャの新聞紙を軍手替わりに左手で引っつかみ外に出た。夏草が青々と波打つ茂みに放り投げた。彼(もしくは彼女)は盛夏の空を思わせる深い青に吸い込まれ次の瞬間緑の海に滑降していった。

              2014  6・30