晩秋の光

重松博昭
2014/12/08

 香港からMsワイワン(42歳)、JR筑前大分駅、到着時間を30分過ぎても現れない。11月5日夕方の5時過ぎ、闇が深くなってきた。公衆電話で妻に確かめようとしたが話し中、電話ボックスから出た時、目の前に彼女がいた。メガネの奥が優しく澄んでいてまるで女学生、細身の中背、小鳥のさえずりのようなしゃべり方。英語の特にヒヤリングは私はさっぱり、彼女の日本語はあいさつ程度。それでも車中で、犬・猫・鶏相手は大丈夫、食べ物は何でもOK……くらいは了解した。英会話中級の妻にとってもワイワンの中国広東英語は聞きづらかったようだ。おまけに彼女は「Voice of America」の記者で、話の中身が硬派で広範、一旦話し出すと止まらない。当然話題は香港と中国本土に。
 香港がそれなりに独立を保つことができればいいが。今、中国は混沌として良くも悪くもエネルギーに溢れている。混沌と言えば世界全体がそうだが。こんな時こそ私達は徹底的に覚めた目で状況を見つめなければ。まずは生命より金(それもごく一部のための、刹那的、株というマネーゲームがその象徴)の暴走を止めなければ。今度の選挙はそれに尽きる。棄権イコールその独裁政治を支持することになってしまう。
 さて彼女は片付けも料理も極めて丁寧というか超スロー。聞けば家にはお手伝いさんがいて本人はおろか母親もほとんど家事をしなかったとか。そんなおじょうさんがよくウチに来たよね。農作業のほうは喜んで精を出してやってくれた。大豆・あずきの収穫、なすの引き上げ、春花苗の植え付け等。食べるほうも精力的。具を彼女が作ったギョウザは、あまりに食いっぷりがいいので、妻の口にはほとんど入らなかったほどだ。あちらはギョウザは主食はなんですよね。

 11月17日、今度はオーストラリアからMs.Rosie(20歳、幼稚園の先生)、中肉中背、容貌も声も透明感が際立っている。
 彼女は小麦アレルギー、いかに小麦が私達の食生活のすみずみにまで使われているか再認識した。我が家は普段の昼食はパンや麺類が多いのだが、彼女の要望で三食玄米にした。ついでに料理もやってもらった。ほとんどがオーストラリヤのというより彼女の創作料理。
 まずは「柿雑炊」、蜂蜜とシナモン入り、サイコロ状の柿を散らす。柿の葉は散り、実は旬。初体験、食文化の違いを感じる。
 畑のナスは終了、その最後の小さなのを炒め(塩少々)、梅ジュースを取った後の梅肉で「ナスの甘梅あえ」、与えられた食材をとことん生かす姿勢と組み合わせがいい。
 もうすぐ冬枯れになるニラもRosieはよく使った。「エビ、ヒラタケのマリネ」、エビは皮をむきヒラタケと炒めオリーブオイル・ニラ・にんにく・生姜・コショウ等に漬ける。ヒラタケはクルミの枝に自生したもの、今年は虫が付き出来が悪い。春から夏にかけての過湿と過乾のためか。「ハンバーグ」、小麦粉やパン粉を使わず、卵・いためた玉ねぎ・ニラ・パセリと豚ミンチで。
 人参は乾いた秋の気に青々と映え、その間引いた根の特に香が鮮やか、引きたてを洗い(もちろん皮はむかず)、切って、蜂蜜・ちぎってすぐのユズ・生姜につける。生姜は彼女が掘った。一割ほどしか芽が出なかったが、一株一株は結構大きくつやもいい。生き返るような香・風味だ。
 大根は葉は勢いがいいが、肝心の根が曲がったり、分かれたり、すが入ったり。土を耕さない自然農法の一年目、大根のほうが面くらっているのかも。それでも生ならシャキシャキとうまい。虫に食われながらも成長したチシャ、ルッコラ、玉ねぎを添えて。サラダオイル・ユズ・蜂蜜・塩・コショウのドレッシングで。
 白菜は虫に食われ散々だ。すぐ隣のキャベツはほとんど食われていないのが不思議。別の畑の白菜は伸び伸びと美しい。どこも連作していないし、完熟肥料しか入れていないはずなのだが。
 11月30日午後、ハッサンも乗せて妻と3時間かけて、福岡市の油山・福大方面を抜けて、二丈町へ。年来の友人・同志である猪城悦子さんのいわば山水の庵「さるひょう家」で、心づくしの御馳走を頂き、一泊した。水の流れと、風に揺れ触れ合う竹の響きが、山々の濃い赤茶と一体になっていた。
 翌朝、朝食後出発する頃から、急に空気が冷たくなってきた。
 昼すぎ、帰ってきた。刺すような寒さだ。とにかく動くしかない。薪拾いに山を登った。柿、クルミ、銀杏……と葉は散りつくしている。ハッサンがフカフカと積る茶褐色の落ち葉を蹴散らして駆け上っていった。
 見上げると、天にそびえるクヌギの黄葉が、突き抜ける冷気に冴え冴えと光っていた。

      2014  12・5

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