山々よ

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山々よ
zeikomi
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 12月初めの寒さには恐怖さえ覚えた。認めたくはないが老いを感じた。寒さに追い立てられるように一日中動けるうちはいい。ドブロクをあおり朝まで眠り続ける体力が、若さがあるうちはいい。雪見酒と称して朝から飲み、眠り、また飲んでいた昔が懐かしい。 
 朝5時過ぎには起きざるを得ない。夜の7時前から布団に潜り込んでいれば身体じゅうが痛くもなる。熱い茶になんとか生気がよみがえってくる。今まではほとんど使っていなかったが、コタツは必須だ。貴重な静寂の中、書くことに集中しているうちに7時前、グオーンと山の西の奥から重機の始動の音、外はかすかに明け始めている。
 待ち構えていたハッサンと西の雑木林へと登る。重機の音がだんだんに大きくなる。登りつめ、その音を背に尾根を北に向かう。鮮やかな褐色の木の葉がフカフカと地面を覆っている。左右は鈍い緑の木々の群れ、見上げると所々でクヌギの黄葉が淡い光を放っている。
 折り返して、南西に。重機の轟音が近づいてくる。産業廃棄物処分場だ。かつては小山の群れや牧草地、見晴らし最高の丘や「ツクシの野」など、絶好の散歩コースだった。もうこの先には行けない。それどころか今歩いてきた山林でさえどうなることか。処分場の拡張は着々と進んでいる。
 もうひとつ気を重くすることがある。野生動物、特に鹿の被害だ。先日も囲いの海苔網が破られ、チンゲンサイ等それにラッキョウの葉まで食われてしまった。妻が精魂こめて世話していた花木やブルーベリーなども。身体じゅうガタがきて私よりはるかに寒さがこたえる彼女は一層落ち込んでしまった。つくづく申し訳ないと思う。まずは思い切った寒さ対策をこうじなければ。
 それでも今は日々の営みをなんとか続けていくしかない。夜が明けたら外に出、鶏に餌を、青草(寒さに縮みあがってしまった)をやり、山から薪を運び、切り、割り、ストーブを焚き(時々その前に煙突を掃除し)朝飯を食べる。このところ豆腐をあまり食べない。うちの大豆で作る呉汁が身も心も温めてくれる。畑もガックリと勢いが落ち、黄色にしおれた葉が目立つが、その寒のおかげで野菜の滋味が深まる。ねぎと味噌とがよく合う。その香が呉汁を豊かに引き締める。彦島菜のシャキッと柔らかな歯触りも、かつお菜の独特の香と甘みもいい。
 元旦の未明は布団の中で暑苦しいほどだった。風と戸がざわめいていた。いくつかの断片的な夢に酔ったような疲れたような気分で、いつものように暗い朝、目覚めた。
 白々と明けるその白がまるで氷の光のようだった。明るくなるにつれ急激に冷えた。空は重く、風はにび色、すっかり葉の落ちた木々が激しくしなり、黄土色の茅の茂みが波を打つ。ハッサンは寒さなどものともせず風に乗って走る。この解放感はなんだろう。荒々しい空白の心地よさはどうだ。数日前から重機の音がない。それにようやく寒さを遊ぶ気力がわき起こってきた。
 散歩の最後、雑草園を回り、囲いを点検する。日課になった。破られたら即補修、強化する。竹、海苔網、ホームセンターで買った目の細かい網、トタン、ビニールシート、金網……総動員で鹿や猪等と根競べだ。ヒヨドリか、大空に無数に浮かぶ熟した野柿を賑やかについばんでいる。
 2日朝、少し寒さは緩んだ。一面うっすらと雪。日中、意外に本格的に降り始め、午後、みるみる積っていく。さらさらと流れるような美しい粉雪だ。正月だからとゆっくりしていられない。ぽかぽかの密室がない。しないですめば何もしない私のような無精者には、これくらいの緊張感がいいのかも。それに雪の山は好きだ。空気がひんやりと乾いている。澄みきった静寂がいい。立ったままの枯れ木が湿ってなくて薪には一番だ。鋸で切り倒し、雪の上を滑らせて下る。
 風呂を焚いているとき、にわかに暗い灰色の世界に。間断なく密に落ちる雪が空(くう)を埋め尽くす。どっかと座り、濃い橙色の炎を見つめ、茶碗のドブロクをぐっと一口ふくみ飲み下す。雪と炎はどうしてこう酒の味を深くするのだろう。
 風呂のぬくもりも。こんな日の我が家の風呂は露天ぶろ同然、まさに寒さとの遊び、冒険だ。一大決心で裸になり寒風を走り釜に飛び込む。ぐつぐつと煮えとろける里芋になったような気分。
 夕方早目に4人と1匹、薪ストーブとおせち料理を囲む。一年ぶりに長女と長男が帰ってきた。二男夫婦は5日の予定。長男の連れ合いに子が宿ったとか。そのお祝いと無事の出産を祈って乾杯。
 4日の深夜、目覚め、色々と頭を巡らすうちに珍しく眠れなくなった。呼吸に集中した後、眠ったふり、いつのまにか浅い眠りに漂っていた。5時、起きた。起きなければならない。
 案の定7時前、重機の音、1週間ぶりだ。まだ暗いがハッサンと山を登った。懸命に自身に言い聞かす。この音は私にとって行(ぎょう)なのだ。これがなければ、そして「私達の山」が破壊されなければ、産廃問題など見向きもせず、自身の世界にこもっていただろう。毎日毎日をこの地で生きることが、弱く脆い私にとって祈りなのだ。自身への。山々への。
 家に戻ると、ラジオから音楽が流れていた。あまりに天国的すぎていつもは退屈なモーツァルトが、なぜかこのときは堪らなく人間くさくいとおしいものに思われた。
       2015   1・5朝