死者のために
宮崎静夫作品集

大スキラ判 164頁
978-4-88344-254-6
税込価格2750円
2015/05/26発行
紹介

  十五歳で阿蘇の山村を出たひとりの少年が 満州・シベリアでの過酷な体験を経て 一個の画家となった

私の少年のときのもうひとつの夢、 絵を描くということは、 染みついた兵隊色を 生涯をかけてぬぐいとる作業かも知れない。

 

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版画家 浜田知明

なるべく解りやすく、自然に目に見えるかたちでというやり方は、現代の抽象主義、インスタレーション全盛の風潮の中では、一見古風に、時代に逆行するようにさえ感じられるかも知れない。新しき酒は新しき革袋にという考え方も、手っ取り早く行けば誰か現代の巨匠の手法を借用して、新しく装うこともできたであろうが、それをしなかったところが宮崎さんの意地であったろう。いずれにしても、新しかろうが古かろうが、宮崎さんにはこのような行き方しかできなかったのであり、もしも宮崎さんが描かなければ、われわれは遂に垣間見ることの出来ない世界であった。

 

島田美術館館長 島田真祐

『死者のために』シリーズは、むろん戦争画ではない。皮相な反戦画でもない。あえていえば、戦争という人間の宿命的な歴史社会現象の、愉悦も悲惨も内包する豊饒にして不幸な事件総体が、画家の生とたまたま、あるいは必然に重なり交叉した個的で深甚な傷の表出にすぎない。が、たまに人はそのようにして表現の主題に出合う。しかも、普遍に至る道は唯一つ、骨身に徹する体験の煮詰めの深度と火加減以外にはない。煮詰めの方はもちろん、火加減の方も心配ない。この画家は、「兵隊色との格闘」を、己れの表現の課題として見据えておられる。

 

美術評論家 針生一郎

わたしはないものねだりを承知でいうのだが、これまで旧満州・シベリアの戦争・抑留体験とそのなかでの死者たちをとりあげてきた宮崎静夫は、もう一歩トラウマをつきぬけて、彼にしか描けない個別的、具体的状況を描きだしてほしい。彼ならそれができるはずだし、それができたら彼は日本人の集合的記憶の追補者として歴史に名を残すことになるだろう。  

 

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 聲

雲を曳く

ドラム缶・男(聖者の憩い)

 

 

目次

兵隊色の絵
絵を描く俘虜
「宮崎静夫作品集」(1998年版)まえがき

 

死者のために Ⅰ 1970〜1998
死者のために Ⅱ 1999〜2011
シリーズ・ドラム缶 1961〜1968
初期作品と晩年の作品

 

宮崎静夫 人と作品 Ⅰ
     人と作品 Ⅱ

 

宮崎静夫年譜
宮崎静夫作品一覧(掲載順)
あとがきにかえて

著者

宮崎静夫

みやざき・しずお
みやざき・しずお

1927年、熊本県小国町に生まれる。1942年、15歳で満蒙開拓青少年義勇軍に志願、満州へわたる。
1945年、関東軍へ現役志願(17歳)。10月、関東軍捕虜としてシベリアへ抑留、4年間の俘虜生活をおくる。
1957年、海老原喜之助に師事。1961年、ドラム缶シリーズでシェル美術賞佳作、熊日賞など受賞。1968年、渡欧。約1年間遊学。1970年、「死者のために」を描き始める。
1974、78、91年、東京みゆき画廊で個展。1983年から島田美術館、上通りギャラリー、小国町、岩田屋、名古屋市、福岡市などで個展。1998年、熊本県立美術館分館と島田美術館で、回顧展を開く。
2008年、熊本県芸術功労者として顕彰される。2010年、第69回「西日本文化賞」受賞。
著書に『宮崎静夫作品集』『絵を描く俘虜』がある。

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