「一病‘即’災」下

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「一病‘即’災」下
zeikomi
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 どうにも鬱陶しい同居人が「帯状疱疹」と判明して一カ月と少しの十月下旬、ストーンとだるさが抜けて行った。病気が身体に同居していないことはこんなにも軽々とした気持ちのいいものだったのか。私の65年の人生のなかでこんなにも爽快な日々があったっけ。この状態を少しでも続けたい。できたらずっと。生まれ変わりたいと思った。少々の難事は苦にせず、一日じゅう楽々と土にまみれる……
 秋晴れが延々と続いていた。山が濃い緑から黄緑へと染まっていた。野に溢れていたミゾソバが早くも枯れ始め、白・ピンクの花々はソバを小さくした黒い実に変わりつつある。イヌタデの花も種をつけ始め、赤黒い粒が野や畑のあちこちに浮き上がっている。大豆のサヤは茶に、落花生・生姜・菊芋の葉は黄緑に、収穫間近だ。大根・カブの葉は勢いよく2、30センチに伸び、間引きが遅れて窮屈そう。人参畑は畑というより固い地面、間引きもできない。彦島菜・かつお菜は移植しなければ。
 ピース・ソラマメの種まきと玉ねぎの植え付けも。草を取り、畳2枚ほどの菊芋と天道生え(掘り残しにトウが立ち種が落ち自生したもの)のゴボウ数本を掘った。菊芋は根が生姜そっくりだが、四方に広く伸び収量はずっと多い。素直な上品な味、生でも煮ても焼いても揚げても。ゴボウは固い地中を苦労して這い進んだようで、4つ5つに枝分かれしてゴツゴツとデコボコ、なぜかすんなりと育った市販のゴボウとは次元の違う緻密な柔らかさ、奥ゆかしい甘みと香。テンプラが絶品だが、散らしずし、豚汁、すき焼き……少しでも入ると世界が豊かに引き締まる。
 空家になった鶏小屋から、数年寝かした肥料(鶏フン・米ぬか・腐葉土・草等々混然一体となったもの)を入れ、耕運機をかける。平鍬で畝を立て、大事に冷蔵庫に保管していた赤ソラマメを全部播いた。この豆は色が小豆そっくりで赤飯でも煮豆でも。味がしっかりしていて食べごたえがある。畑のすみではオクラが2メートル強にのび、幾つか残したサヤが茶色になり(種ができ)かけている。その足元にピースを蒔いた。ここはひんぱんに草を刈り敷いたので、耕さなくても土はまあフカフカ。
 一気に寒くなった。まだ10月というのに12月なみとか。薪ストーブ稼働開始。この冬は少しでも暖かく過ごすため一日中じんわりと燃やし続けたい。そのためよく乾いた太い古材を、あの元気のいい若者たちに40センチほどに切ってもらったが、まだまだ足りない。一方、五右衛門風呂用に雑木林から倒木を下し、屋根だけ残った元鶏小屋に積んでいった。
 柄にもなく真面目にやり過ぎて、疲れが太ももから腰へとたまり始めた。そんな10月も押し迫った朝、いつものように鶏の餌を運んでいる時、畑を囲う柵のトタンが1枚反り返り隙間ができていることに気付いた。ソラマメ畑が掘り返されている。蒔いた豆ではなく土の中のミミズが目当てだったよう。散らばっていた豆を植えなおす。明らかに鹿ではないし、猪だったらこの程度ではすまない。アナグマだろう。トタンにつっかい棒で応急処置をした。
 その夜、ハッサンが土間で吠えたので外に出した。1時間くらいで帰ってきた。翌朝、例のトタンの下に穴。またソラマメ畑が荒らされ、今度は大豆畑に空になったサヤが……幸いわずかしか食われていない。ハッサンのおかげだろう。穴を埋めた。
 夜になり、久しぶりの雨、慈雨ではあった。侵入者にとっても。音をかき消してしまう。ハッサンは静かに眠っていた。翌朝、また穴が掘られトタンがずりあげられていた。他にも二か所、トタンが破られていた。敵は複数だったのかもしれない。ソラマメ、ホウレン草、ブロッコリー、キャベツ……と掘り返され、倒され、踏みにじられていた。大豆も食われていた。小豆も踏まれ土にまみれていたが、なぜか食べていない。落花生畑も足跡はあるがまだ掘られていない。食べはじめたら止まらないだろう。
 またまた自身の甘さを痛切に思い知らされた。連中、一度味をしめたらとことんやってくる。雑草園全体が彼らの巣になってしまう。覚悟を定めて徹底的にやるしかない。とはいえ百パーセントは不可能、手間もカネもかかる。有合わせの材料、限られた時間で防ぐためには相手を知らねばならない。まず何が欲しいのか、本気になったら少々の障害などものともしない。少し早かったが大豆と落花生を一粒残らず畑から引き揚げた。
 アナグマは名の通り下から穴を掘って入るのがほとんど、ただしトタンは苦手。今回はそのトタンが弱すぎた。頑丈な古トタンをしっかりと杭を打ち地面との隙間なく囲う。さらに幅約2メートルの海苔網と約1メートルのビニール製の細かい網(ホームセンターにある)をぴったりと重ねて張る。鹿と猪もある程度防げる。後は毎日の点検、わずかでも兆候があれば、倍返しどころか10倍でも100倍でも強固にして、相手の気を完全にそぐ。心理作戦こそ最も肝要なのだ。今回は1週間でどうやら収まったが、まだ小競り合いは続いている。
 
 例の病気もだが、あの軽々とした爽快感も消え、振り出しに戻ったような。それなりに休めただけでも災い転じて福としなければ。健康の有難味を再認識できただけでも。
 季節も春というか梅雨に戻ったよう。野菜たちは水ぶくれで重そう、とろけそう。
 それでも、季(とき)は確実に夏至ではなく冬至に向かっている。
 早朝の闇の、長靴のつめたさ

         完   2015年11月20日