雪の光

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雪の光
zeikomi
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 去年の12月8日から2週間、Mr.Tharald(サラルド、ノルウエー、25歳)が雑草園の寒い日々を共に過ごしてくれた。最初、あのプーチンを思い浮かべた。もちろんぐぐっと若く髪がふさふさの。そのあとすぐに人は表情によって、眼差しによって劇的に変わることを再認識した。かの大統領とは正反対で、まるで邪気がない、澄んでいる。しゃべり方はゴッドファーザーⅡのヴィトー・コルレオーネのよう。静かすぎてよく聞こえない。

 灰色の空、時おり雨雪の混じる風のなか、細身の長身をフル稼働させた。薪ストーブのための丸太の鋸ひき、でこぼこ道を一輪車を押して畑の肥料入れ、坂道沿いの雑木切り等々、一気に進んだ。妻のノンが作る玄麦パン、シチュー、味おこわ、水餃子(皮は彼が伸ばした)、おでん……何でもおいしそうに食べた。特にゴボウ天は大のお気に入りだった。ドブロクも毎夕、少々をゆっくりと味わって飲んだ。自分でも「カレー風味卵入り焼きめし」、「大豆とひき肉のトマト味」などなど、ある材料でほっとするような家庭料理を作ってくれた。

 よく三人で話した。大学の工学部のこと、科学とは? 技術とは? 進歩とは? これらを問うことは現代では無意味なのだろうか。巨大科学技術の暴走は、止めることのできない必然なのだろうか。

 16日(土)、ぐっと寒くなった。松本さん宅で夕食をごちそうに。翌日曜、美枝子  さんのお誘いで、彼は餅つきに。楽しく興味深い初体験になったよう。

 翌々日の昼、まるで風船がしぼむように彼は元気がなくなった。午後は一人で熊ヶ畑の温泉(沸かし湯)へ。丸二日半、休んだ。こんこんと眠ったとか。音に敏感でラジオも音楽もだめ。火が消えたように静かになった。ただ、律儀に夕食は作ってくれた。

 幸い、単なる風邪だったようで、22日には回復、予定通り翌朝、旅立っていった。

 

 年末から年始にかけて、帰省したノエと玄一と、やはり底冷えの日々を、薪ストーブを囲み過ごした。

 Mr.Timothy(ティモシー、アメリカ、19歳)が滞在した1月15日からの1週間は比較的暖かだった。見た目は日本人と同じ、ぽっちゃりと太めで、素直なおっとりとした大きな目。ちょっぴり日本語が通じる。豆と芋がダメと聞いてげんなり。どうも思い込みが激しいようで、実際にはバレイショ入りのシチューもオムレツも、大豆の呉汁もよく食べた。煮カボチャのドロリとした感触が嫌(甘ったれるなア)、辛いのも(食わず嫌いだろう)、強引にキムチを少し食べさせた。

 彼が製麺機で作ったパスタは特筆ものだった。水を入れた小麦粉を十分にこね、何度も製麺機に通して入念に薄く腰の強い麺を作った。茹でてすぐに、ノンの作ったミートソースをかけ、ぼくは箸で食べた。きしめんに似て、ツルツルと伸びがあり、ほどよい歯ごたえだった。

 仕事はゆっくりだが誠実。風呂焚きにも挑戦、すぐに太いのを放り込むので煙ばかり、細い枝から丁寧にと何度もやってみせる。三日目には自力で燃やせるようになった。

 大学では政治学専攻だとか。曰く「政治に哲学がなさすぎる。特にトランプ……」何より平気で嘘をつき、他を誹謗する。決して嘘を嘘と認めない。そのトランプと心中するつもり? 日本政府は。その政府の暴走にどこまでつきあうの? 私たち国民は。

 

 彼が去ったあとの1月下旬、そして2月上旬の、文字通り凍り付く寒さ。それを予感していたようにノンが、去年の暮れ、畳6枚ほどの部屋の増築を、家つくりのプロ、白金さんにお願いした。いつまでも腰を上げないぼくに業を煮やして。

 今更ながら思う。長年、特に年を取って、寒さに痛めつけられていた彼女への思いやりが、あまりにも欠けていたと。若いころはまだしも、せめて50を過ぎたときには、こじんまりと暖かい部屋を用意するべきだった。一日の大半を過ごす土間の、余りのだだっ広さ、天井の高さ……薪ストーブをガンガン炊いても外と変わらない。上の部屋もトタン屋根とベニヤ板の壁、隙間風も容赦ない。よくこれまで生きて来れたわねえと、ノンも笑う。

 実はぼくにとってこの40数年は、遊び、冒険、そして実験だったのです。人生を丸ごと遊んでみたかった。生きるという冒険をしたかった。できるだけカネやモノの世話にならず、ゼロから生を創っていきたかった。少なくとも60歳位までは、ぼくにとって、この掘立小屋の暮らしは、病気にさえならなければ最高でした。冬の寒さの中の薪の火、夏の木陰の風……。

 その実験も今、大きな転換を迎えているようです。誰だって年を取る、身体は弱ってくる。そして弱い人ほど、文明の恩恵をうけなければ。文明とは、進歩とは、まず弱者のためにあらねばならないのです。

 いかに弱り、死んでいくか。できるだけ土に根付き、大地の営みを破壊せず、いかに文明の利器を取り入れていくか。そして、でも、やはりシンプルに軽々と生き、死にたい。山羊や鶏たちのように。最後は空になって土に返っていきたい。

 あまりにもぜいたくな望みかもしれませんね。

 それにしても2月7日早朝の、暗い雪の、底知れぬ美しさ……。
 魂が吸い込まれていくような。

 

             2018年2月7日 昼

 

 追伸

    いやー何もかも凍り付きましたねえ。8日の未明から朝にかけて。
    お日様の輝きを浴びたときは、死から生へ蘇生する思い。
    もう一度、生きなおさなくては。

                   8日10時前



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