いのち、緑の海へ 上

重松博昭
2018/05/30

 春といっしょに一匹のカエルが軒下の元タライの水の中に現れた。手の平にちょうど乗るくらい、全体に緑がかった土色。翌日には姿を消したが、何日かして、ノンが微笑を浮かべながら「オタマジャクシがたくさん」。タライの底のほうにメダカの上半分がぷっくり膨れたようなのがうようよ。

 今年は半月くらい新緑が早い。3月上旬に植えたじゃが芋の芽が3月下旬に出、みるみる伸びた。4月上旬と中旬と土寄せ、追い肥に木灰(薪ストーブの、冬の間にためていた)をまいた。こんなにまじめなのは何十年ぶりだろう。

 じゃが芋だけではなく玉ねぎ、にんにく、ピース、そら豆、ネギ、ニラ、ゴボウと草取りを早めにひんぱんに。毎朝、鶏小屋に生きのいい青草を放り込む。

 結局、自然農法(畑を起こさず、草は取らずに刈って畑に敷いていく。基本的に肥料は入れない)は数年でやめた。理にかなっているのだが私の現実に合わない。なまけものには向かない。野菜だけではなく、草の一本一本、虫、土くれ……土の宇宙とたゆまなく付合う覚悟がなければ。それも長期的視野で。いつのまにか自然農ではなくほったらかし農になり畑は草の林になってしまう。

 考えてみれば有機農業とやらも本気でやったことはほとんどなく、米は田んぼができない(水がない)から仕方ないとしても、野菜もろくにできないことのほうが多い。よくこんなんで生きてこれたと自分でも呆れるくらいだ。もう一度基本からやり直してみようと思った。幸い、この40数年に鶏小屋で蓄積され熟成した最良の肥料が大量にある。それに青菜は鶏さんたちの貴重な食べ物になるので草取りが苦にならない。おまけにここ数年、ウーファー(助っ人)さんがけっこう頻繁にやってきて、草取りや肥料運びなどにせっせと汗を流し、おいしいおいしいとうちの野菜中心の手料理を食べてくれる。

 4月16日、晴れ、暑いくらい、新緑満開。昼前、JR筑前大分駅、ホームから巨大なリュックを背負った大男二人が現れた。ひょろ長いMr.ティボー(フランス、22歳)は天井に頭がつかえてお辞儀しているよう。都会人らしくそつなく流暢にしゃべるが、どこか素朴な表情・笑顔。太めのMr.カリッド(フランス、22歳)はアラブ系か、一見、苦みばしったハードな男、少しゆるむとどこか気弱で繊細なまるで少年。昼食の用意をする時間がないので、即席ラーメンでもと駅前のスーパーに飛び込んだが、豚骨ラーメンはもちろん、チキンラーメン、醤油ラーメン……皿うどんにもポークエキスが入っている。カリッドが豚肉はだめなのだ。結局、一時間遅れで肉なしゴマ・ネギを効かし卵たっぷりの炒飯を。

 食後、タバコを吸っていいかと聞くので、ノンが外でというと(全部英語、日本語はあいさつから教えなければならなかった。カリッドは英語もほとんどしゃべらない)、わざわざ雑草園を出て通りへ。園内のどこか適当なところでとノン言い直す。仕事はまず茶摘みを、ところがこれがまるでガリバー二人が小人の国の小さな小さな桑の実か野イチゴでも摘んでいるよう。一時間かかって手の平に一杯くらい。バカバカしくなって丸太小屋の前の草取りに変更。まあよくしゃべる。流れるようにとめどなく(もちろんフランス語で)。その分エネルギーが手足には回らないよう。

 翌朝、雨、意外にきっちり8時前に起きてきて、玄米飯と味噌汁をたっぷりきれいに平らげた。午前中は鶏小屋の肥料入れ、午後は薪割り・丸太挽き。一気に仕事は進んだ。鋸の刃が折れたのは想定内。翌日からは晴れ、夏のような暑さ、草取りや竹伐り(キウリやトマト、インゲン等を支えるための)など、まじめに集中して丁寧、なにしろ力強い。

 その分、食も進む。豚肉が使えないハンデイにめげず、連日ノンは奮闘した。トリや魚の揚げ物、豆料理やキャベツ巻きやピザ、お好み焼き(いずれも鶏肉使用)、自家製パン……もちろん毎食、山のような野菜。3月初めにまいたサラダ菜、ちしゃ、チマサンチュはまだ幼いが隙間なく茂り、間引き菜がどっさり。冬を越したほうれん草は芯がすっくと伸び花が咲きかけているが、葉は食べられる。厳寒期の溶けるような歯触りと甘みはないが。あとカツオ菜がしぶとい。いつまでも柔らか。

 カレーライスのとき、カリッドは山盛り二杯目にゆで卵3個をぐしゃぐしゃに混ぜワサワサと食べた。フランスではそうやるのかと私が日本語と英語のチャンポンで聞くと、彼「ノー、オンリーミー」。皆どっと笑った。一つには卵が肉の代わりというか、肉が食べたくてしかたなかったみたい。以前滞在したモンゴルでは連日ヤクを食べたとか。彼は鶏肉はうちのかと聞く。そうじゃない。それにいつもはほとんど食べない。毎日食べるためには日常的にヒヨコを入れ、育て、殺さなければ。

 私たちはどこか別世界で毎日毎日殺される動物たちのことをこれっぽっちも考えずに、毎日たらふく肉を食っている。それが文明の進歩か。生命の現場から離れれば離れるほど、より進歩したのか。何だろう、この苛立たしさは。もちろんカリッドに対してではない。かといって、かなしいほどに腐敗しきった現政府・官僚組織に対してだけでもない。現代物質文明の病根とでも言うしかないか。まるで地球全体がコンクリートジャングルになったような。何百年何千年前からずっと食べ物はスーパーやコンビニにふってわいて並んでいたような。食べ物だけではなくすべてが手に入る。心さえも……命より大切なカネさえあれば……。

 このコンクリートジャングルのそのまた狭い狭い「密室」で、人間だけが、自分たちだけが生きているような。自分たちだけの「密室」社会がすべてで、唯一絶対であるような。        

     つづく

     2018年5月20日

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