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アジアと向き合う既刊
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 (69件中) 31〜40件目
ティンサ 石風社 根本 百合子 ビルマ バ モオ モウ 女性
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ティンサ
zeikomi
¥0円
ティンサ

ビルマの初代首相バ・モオを父に、反政府活動家を夫に、波瀾に富んだ人生をおくったティンサとその一族の物語。大英帝国の植民地、さらに日本軍政下、時代の理不尽に翻弄されながらも清くたくましく生きたビルマの女性達へのオマージュ。

書評

政治に翻弄された一家の苦難の道のり描く

詩音

 1962年、著者の根本百合子さんは、外交官である夫と共に赴いたビルマ(現・ミャンマー)で、一人の女性と運命的な出会いをする。
「素顔の美しさと身だしなみのセンスのよさには会うたび見とれていたが、奥ゆかしさの中に毅然とした強い筋が一本通っている性格に大きい魅力を感じた」という。太平洋戦争下のビルマで、国家元首を務めたバ・モオ元首相の長女、ドオ・ティンサ・モオ・ナインである。
 本書は、ティンサへのインタビューを通し、モオ家一族の半世紀におよぶ苦難の道をたどるノンフィクションだ。
 ビルマの戦後は厳しい。英国からの独立運動があり、クーデターによる革命政府の樹立、反政府運動、そして民主化運動への武力弾圧は今も続く。
 一家は、激動する政治の波にのみ込まれ、運命を大きく変えられていく。
 カンボジアへの脱出と帰国。戦後日本に亡命した父、15年間地下にもぐり反政府運動を指導した夫、ティンサ自身やティンサの弟、妹も投獄され、息子を二人失うという悲劇にも見舞われる。
 しかし、ティンサは「良い時も、悪い時も、冷静な判断とたゆみない生きる努力を忘れなければ、必ず満足のゆく一生が送れます」との強い信念で困難を乗り越え、生き抜いてゆく。
 息子二人と娘一人を失うが、四男七女に恵まれ、孫を加えた大家族を切り盛りするティンサの知恵と行動力は、力強く清々しい。
 著者によると、最近の政情悪化で連絡が一方通行になり、近況がつかめないという。80歳を超えたティンサの余生が穏やかな日々であることを祈らずにはいられない。
 60余年前の日本の侵攻から、現在に至るビルマの近現代史を理解するうえでも貴重な一冊である。

  • 四六判上製247頁
  • 978-4-88344-149-5
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2007/07/20発行
ダラエヌールの子供たち

現地に行かなければ、何も始まらない──


アフガニスタンのダラエヌール渓谷、その小さな村で青年はくらしていた。長い戦乱と、終わりのない旱魃。村人は黙々と畑を耕し、子供たちは微笑を失わなかった。──青年は、農作業の傍ら、村人と子供たちの写真を撮り続けた。──それは、沈黙する大地の啓示のように遺された。

  • 117頁 255×245ミリ
  • 978-4-88344-178-5
  • 定価:本体価格2500円+税
  • 2009/09/10発行
ダラエ・ヌールへの道 中村哲 ペシャワール 中村 哲 ダラエ アフガニスタン 石風社 アフガン らい イスラム ハンセン病 NGO 国際化
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ダラエ・ヌールへの道
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¥0円
ダラエ・ヌールへの道

アフガニスタンの山岳地帯の村々に診療所建設を展開するひとりの日本人医師が、現地との軋轢、日本人ボランティアの挫折、自らの内面の検証等、血の噴き出す苦闘を通してニッポンとは何か、「国際化」とは何かを根底的に問い直す渾身のメッセージ

書評

一知半解の事情通に対する痛烈な批判

山内昌之
東京大学教授、歴史学

「アフガニスタン──それは光と影です」
 一九八四年以来、アフガン難民の医療に従事する筆者の指摘には、ずっしりとした重みがある。前著の『ペシャワールにて』に続く、アフガニスタンやパキスタン現地の人との交友と診察の貴重な記録である。最新のアフガニスタン情勢の紹介にもなっている。
 欧米や日本から来た論客やボランティアのなかには、アフガン人の難民キャンプ生活を見て、「イスラムの後進性」や「男による女性虐待に金切り声を上げる」者が多いという。こうした外国人の解釈や異文化論こそ、アフガン人の言動より「さらに解らない」というのが著者の感想である。これは、一知半解の事情通に対する痛烈な批判になっている。
「日本︱アフガン医療サービス」の主宰者であり、アフガン国内ダラエ・ヌールにつくった新診療所で文字通り生命を賭して診療を続ける中村氏には、とくにアフガン社会の解放とか救済といった気負いはない。むしろ、戦火の恐怖で言語も失った人びとの病を癒し、高熱と全身の痛みで耐えられなくなった患者に少しでも「人間」としての誇りを取り戻させる。
 中村医師の医療活動の信念は明快である。「べたべたと優しくするよりも、泣き叫びを放置して思い切り心の膿を出させる方がよい。事実と結果が最も雄弁である」。
 しかし、こうした考えは時にスタッフに大きな忍耐力を強いる。ある外国人がやってきて、「病棟の無秩序と悲惨な女性患者の境遇」を嘆いたそうである。
 しかし、中村氏は「即座にその意味が分からなかった」という。それは、「瀕死の野良犬が人間に立ち直るのを大きな希望で見てきたからである」。それでも、せっかく治癒したこのハンセン氏病患者が気管切開をして失語状態になってしまう。極限状態を経験するのは患者だけではないのだ。
 各種の会議にありがちは「無駄口と議論」への嫌悪と出席拒否も、著者ほどの体験を重ねるとまるで自然な振る舞いに思えてくる。
 どんなにつらい環境にあっても、ユーモアや余裕を忘れない中村氏の姿が随所に見いだされる。アフガン難民の治療にあたる日本人医師やレントゲン技師があまりといえばあまりの現地民の対応に怒りはじめると、唐の高僧・玄奘が仏典を求めてペシャワールあたりに来た時の言辞をさりげなく紹介する。「この地は人情が頗る悪い」と『大唐西域記』が記録しているというのだ。高僧でさえこの調子だから、「偉くもない我々凡人が簡単に解るものではない」。
仏教でいう「悪智」に陥らず、観念の格闘で終わらないようにしよう、という中村医師の勧めは、広くわれわれにもあてはまる素晴らしい警句ではないか。
 それでも、「率直さ」だけは忘れないようにしたい、というのも著者らしい。玄奘も「悪智」こそもたなかったが、率直に悪口を末代まで記している、という指摘には思わず喝采を送りたくなる。クリスマスの日、ペシャワールに出た医師は患者五〇人に「見たこともない高級の洋菓子」を土産に買って帰る。一週間の食事代にもなるケーキを暖かいストーブの側で食べながら、談笑する光景は感動的である。久しぶりに笑顔が戻った患者を温顔で見守る中村氏のシルエットが、ストーブの明かりに照らされて浮かぶようである。

  • 323頁 四六判上製
  • 978-4-88344-051-1
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 1993/11発行
祖国 戦場 ビルマ 根本 百合子 ささやき 石風社 聞き書き
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祖国を戦場にされて
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祖国を戦場にされて

ビルマの人々が紡ぐひかえめな言葉の中から、日本軍と英印軍の姿が影のように浮かび上がる──。故郷の村を故なき戦場とされた人々は、その時何を見たのか? 六年の歳月をかけて綴る、ビルマが見たビルマ戦

  • 四六判上製324頁
  • 4-88344-060-5
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2000/07/01発行
仙厓百話

仙厓和尚の書画入り


扶桑最初善窟「聖福寺」の仙厓さんは、美濃のお生まれ、八十八歳までの五十年を博多でくらした高徳奇行のお坊さま。仙厓さんの嫌いなものは、俗物・成金・侍で、子供や貧乏庶民には心底温かい、軽妙洒脱で粋な方。軽妙辛辣な逸話の宝庫!

  • 188頁 四六判並製
  • 978-4-88344-145-7
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2007/05発行
雪原のうさぎ

中国東北部のきびしい自然の村。一人の少年がいのちと向き合い、歩み出す、成長の翻訳絵本。

  • A4判上製33頁カラー
  • 4-88344-061-3
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2000/09/01発行
世間遺産放浪記

痛快無比の「世間(せけん)遺産」247葉!


働き者の産業建築から、小屋、屋根、壁、近代建築、職人、奇祭、無意識過剰な迷建築まで、庶民の手と風土が生んだ「実用の美」の風景。沸騰する遺産ブームの中で、見過ごされてきたもうひとつのヘリテイジ(=遺産)を日本全国津々浦々に追った旅の記録。痛快無比、心に沁みるオールカラー247葉300ページ! 

(●荒俣宏氏(「サンデー毎日」7/27)、藤森照信氏(「毎日新聞」5/13)、松村洋氏(「読売ウィークリー」6/17)、飯田辰彦氏(「公明新聞」6/5)ほか各氏絶讃紹介!)

書評

全国を訪ね歩き撮影した無名の造形

藤森照信
建築史家、建築家

 世間にはヘンな人がいっぱいいる。どうでもいいことにやたらうるさいとか、やる気が実力をしのいでカラ回りするとか、会社でも地域でも見回せば一人は見つかる。選挙公報なんか読んでいると、ヘンな人の鉱脈の露頭を見るようだ。
 ヘンな人と同じように、世間にはヘンな物がいっぱいある。人と同じで、さいわいそばの人しか知らないから、世間全体では話題にも迷惑にもならず隠れているが、近づいて眺めると放っておくにはおしい。
 藤田洋三は、そういうヘンな物を求めて全国を歩き、これまで〝鏝絵〟と〝藁塚〟の本を出してきた。前者はコテエと読み、伊豆長八に代表される左官職人が蔵の壁などにコテで描いた漆喰の絵。後者は、ワラヅカと読み、稲刈の後、田んぼに作られる保存用のワラの山。いずれも、放っておけば消えてゆく無名の造形。絶滅危惧種。
 人びとの間の無名の造形となると、柳宗悦の民芸ということになるが、柳は、なぜかというべきか当然というべきか、自分の体より大きな物には目を向けなかった。限界とかいうことではないが、民芸の視線からはみ出す体より大きな物の領分に民芸的視点を向け、正確にいうと、柳的・民芸的というより、今和次郎的・考現学的視点を向けてきたのが藤田洋三なのである。
 表紙の写真で、世間のヘンな物にはキャリアの私の目玉もまいってしまった。いったいこれは何なんだ。建物にはちがいないが、板壁の途中から塗られた土壁がそのまま屋根の棟の上までつづき、てっぺんで6本の筒(煙突?)となって突き出す。これだけでも用途不明、国籍不明、年齢未詳、意味不可解なのに、加えて、右端の筒は根元からポッキリ折れて、屋根上にころがっている。
 物もアヒルもいくつか並ぶだけで面白さが生れる。唐突に6本並ぶだけで十分面白いのに、加えて尻の1本がズッコケているのだ。元の建物は名作とはいえないが、写真は名作というしかない。
 建物は、外からみて中が分かる、という性格を持つが、この6本筒建築は想像もつかない。
 本を買ってページをめくるしかない。なかなか登場しない。「8 屋根もまた顔」の章に「176 鞘蔵 大分県中津市耶馬渓町」としてやっと登場。〝さやぐら〟なんて聞いたこともなり。刀の鞘の蔵とも思えないし。解説を読もう。
「屋根の突起物は竹で編んだ泥柱。この建物はお米や漆器を収納した泥の匣(はこ)。台風で飛ばされてしまったかつての藁屋根の天井の間に生まれる空間は、火事の時、屋根だけ燃やして種籾や家財を守る村人の知恵」
 分かりにくいが、この上に乗っていた草葺き屋根が台風で飛んだ後の姿なのである。屋根と倉を空間をはさんで切り離す防火の工夫を〝置き屋根〟というが、6本の泥の筒は置き屋根を支える支柱だった。それにしても、支柱を「竹で編んだ泥柱」で作ろうとは、燃えない柱を考えてのこととはいえ、ふつうの人のやることは専門家の想像を超えはしないが横にズレる。
 10分類247件の物が登場するのだが、何例かひろってみよう。
「建築は働く」分類は、牡蠣灰窯、製材用水車、ゴエモン風呂のキューポラ、釣瓶井戸ほか18件。釣瓶井戸や水車はある年以上の読者は思い浮かぶだろうが、他はむずかしいかもしれない。カキの貝殻を焼いて石灰を作るのが牡蠣灰窯。ヤジキタも入ったゴエモン風呂の大きな釜は、長州の防府が産地として名高かったそうだが、そのキューポラ(鉄を溶かす炉)。
「手の土木」分類は、ネーミングから内容がしのばれるように、村人の手でできるていどの土木構造物が19件。今ではほとんど見られない土橋がいい。土橋といっても丸太を渡して上に土を乗せ、草をはやして押さえた橋。高度成長前まで田舎では当り前だった。
「小屋は小宇宙」はこれはもう、「暮らしの中から生まれた、その土地にしか存在しない様々な小屋を求めて流浪(さすら)ってきた」という著者の独演会。ダイナマイト小屋にはじまり、洗濯小屋、杭小屋、真珠小屋、サクランボ小屋、ついには瓦屋根のバス停まで27件。
 こんな調子で〆(しめ)て247件なのである。
 どうして著者はこんな物を求め歩くのか。そうして採集された物を見て読んで、読者は何がうれしいのか。藤田洋三は「手の土木」のところで小さく答えている。「僕の精神安定剤」
 そうかもしれない。大ブームの世界遺産も、世界と国民の精神安定剤なのだろう。世界と国民向けの薬もいいが、自分のために自分で探した「僕の精神安定剤」のほうが効くと思う。誰でも探せます。

身の丈をじっと見つめ出合う

松尾孝司

 放浪することは、人生枯れてからするものではないのだ。好奇心のおもむくまま、出合いを求めて訪ね歩く。それが、世界遺産、近代化遺産とは対極にある「世間遺産」を世に送り出すことにつながった。
「鏝絵放浪記」「藁塚放浪記」に続く「放浪記シリーズ」の三冊目である。「ホンモノはわかりにくい。わかりやすいものはアブナイものが多いんです」
 川にかかっていた橋は、廃電柱と泥でできていた。「台風で流されて困っていた、ばあちゃんのために、おじさんが架けた橋」だったという。いくつもの手形の残った土壁もカメラの中に切り取った。温泉旅館の跡には大きな自然石を手彫りでくり抜いた岩風呂が残っていた。鋲で補強された門司港の建物はモダンアートそのものだ。
 左官職人の余技である鏝絵を追いかけているうちに出合った情景。人・モノ・暮らし、それに衣食住……生きた証しの残った現場の前で、いつも立ち尽くしていた。
「世界遺産は、お上のものですが、世間遺産は世間のもの」と笑い飛ばす。「上を見る前に、身の丈の世界を見つめよう」とのメッセージ、哲学である。
 モノだけではない。風景も切り取った。山の中の田んぼの横のタマネギ小屋は輝いていた。魚を干している風景を見つめ、ホタテ貝の山を照らした。人間の営みの風景である。
 二十五歳のころから六年間、ゲートボール新聞の取材で大分県内を駆け巡った。会った人はざっと六千人。人生を聞き続けたことが財産になった。
 雨の中、車で何ヵ所もの世間遺産へと案内してくれた。最後は遊園地の橋脚。別府の火山岩で造られたアーチ橋が連なり、その上をケーブルカーが走っていた。「庶民のための明日に架ける橋ですよ」
 手仕事にあこがれ東京綜合写真専門学校に学んだ。いまも一年のうち半分近くは八千円で買った中古のレンズをつけたカメラを手に外を飛び回る。コピーライターである妻の久美子さんの支えも大きな力だ。「放し飼いにしてくれましたから、ここまでこれました」
 大分県別府市在住。五十六歳。

オモシロサは「無意識過剰」の力

南陀楼綾繁
ライター・編集者

 ぼくが住んでいる西日暮里は、山手線で最後に駅ができた場所というコトもあり、「駅前商店街」が存在しない。改札を出ると、道灌山通りという殺風景な大通りが広がっているだけである。
 道灌山通りの商店がこれまたイタくて、肉屋や魚屋、そば屋や寿司屋はひとつもないのに、花屋が三軒に靴屋が二軒(しかも向かいだ)あるというアンバランスぶり。あまりに寂しい街並みなので、「スサミ・ストリート」と命名したほどだ。
 このスサミ・ストリートにもときどきラーメン屋だの居酒屋だのができるのだが、次から次へと潰れていく。開業プランナーだかなんだかに入れ知恵されて、書き文字風の看板や揃いの作務衣に大金を投じた結果、三ヶ月で撤退するのだからお気の毒である。
 こういった「いまどき」っぽい店では、客は店のセンス(おおむね陳腐)を共有することを押し付けられる。小さな店なのにあわよくばチェーン化をというあさましさにウンザリする。それに較べて、「気がつけば何のテコ入れもせずに二十年……」という風情の靴屋のなんとすがすがしいコトか。
 前置きが長くなった上に強引なつなげかたで恐縮だが、昨今云われている「世界遺産」はいわば新規出店みたいなもので、「いろんなものをパッケージにして売ってやろう」という欲がギラギラしている。しかし、藤田洋三『世間遺産放浪記』で紹介されている二百四十七の物件は、時代を経ていい具合に風化したものばかりなのである。
「世間遺産」とは、無名の庶民がさまざまな目的でつくった建造物だ。タマネギ小屋、トタンの納屋、イモ貯蔵庫など田んぼに立つ不思議なカタチの小屋をはじめ、石や木を積んだ垣や橋、煙突や水車、井戸、屋根や壁など、病院や銭湯のように、「モダニズム」の文脈で評価される建築もあるが、大半は記録されることなく消えていく。
 しかし、これらの物件のなんと魅力的なことか! 魚の鏝絵(漆喰のレリーフ)のある左官小屋、泥と電柱でつくられた橋、土管が材料の壁、マツボックリの小屋など、奇妙なカタチに満ちている。
 たとえば、福岡県の「炭カル小屋」は、カルシウムを乾燥させるために、何段にも板が渡されている。骨組みがそのまま巨大な小屋になっているのだ。大分県の「焚き木積み」は、ひとつひとつが小さな小屋みたいになっていてカワイイ。
 田んぼで見かける「稲わら干し」は、土地によって呼び方やカタチ(物干し台型、ピラミッド型、トーテム型)が変わってくる。本書には島根県温泉津町の「ヨズクハデ」が紹介されているが、すぐ近くのぼくの田舎とはちょっとカタチが違う。
 古くからのやり方を踏襲しつつも、その場その場の瞬間的なアイデアがふんだんに盛り込まれているのもイイ。パワーショベルのタイヤでつくった祠なんて、よく思いついたmのだ。
 福岡県にある工場の倉庫(?)の壁が鋲で補強されている写真も、やたらとインパクトがある。モダンアートの作品のようだが、実用性を求めた結果であり、意図して生まれたものではない。
 著者は、高度成長期につくられたサクランボのカタチをした巨大看板や、国鉄の車掌小屋(ピンクに塗られている)、瓦屋根のバス停などにも眼を向けている。世間遺産とはたんに懐かしいもの、レトロなもののコレクションではないのだ。
「過去の出来事を過去のこととしてとらえるのではなく、これまでとは違う未来へ足をふみだすための物語を探す旅。『手で感じ、足で思い、指先で考える』のが世間遺産の流儀」なのだという。
 建造物だけでなく、炭焼きや鍛冶屋など職人たちの仕事の風景、「ひょうたん様」「河童楽」など地方で行われる奇祭も、同じく「手の仕事」ということで載っている。
 かつて赤瀬川原平は、意図せずして芸術となっている物件を〈超芸術〉とし、当時無用物扱いされていた巨人軍選手にちなんで「トマソン」と名づけた。「世間遺産」がトマソンと違うのは、あくまでも実用性を追究した結果こうなった、という点だ。本人たちにとってはアタリマエのものが、意外なオモシロサを生み出している。オビにあるように「無意識過剰」の力である。
 たとえば、広島県の「左官の城」は、神楽を奉納する舞方の家の壁面に龍や仮面、神楽のポスターなどが増殖している。これはトマソンというよりは、ミニコミ『畸人研究』が紹介している「オレの家」に近い。世間一般の感覚から振り切れてしまった方々の独特のセンスが爆発している点では、職人と畸人さんは意外と近い存在なのかもしれない。
 本書はオールカラーで二千三百円と、地方出版社の本にしてはずいぶん頑張った値段になっている。お買い得と云えるが、残念なことに、製本が甘い。書評を書くために本を広げたら、真ん中のページが取れてしまった。これも一種の世間遺産? なんて、シャレにもならんぞ。

  • 304頁/A5判変並製
  • 978-4-88344-146-4
  • 定価:本体価格2300円+税
  • 2007/04発行
青春の丘を越えて 詩人・島田芳文とその時代 松井義弘 石風社 島田芳文 古賀メロディー 詩人 評伝
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青春の丘を越えて
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青春の丘を越えて

歌謡曲「丘を越えて」の作詞者として一世を風靡した詩人・島田芳文の初めての評伝。プロレタリア文学運動に身を投じ、民謡詩を経て、古賀メロディー「丘を越えて」を初め多くの大衆歌謡を手がけた朗々たる詩精神の彷徨の軌跡。元豊前市立図書館長の著者が、波乱にとんだその人生を、青春時代に焦点を合わせ、豊前市在住の地の利を生かし、二十余年の歳月をかけた力作。

書評

ヒューマンな詩情の根源に迫る

津留 湊

「丘を越えて」(作曲者古賀政男/歌手藤山一郎)で一世を風靡した詩人・島田芳文の初めての本格的評伝。遺族からの聞き取りや未発掘の新資料を駆使して「作品が内包するヒューマンな詩情の根源」に迫る。
 島田芳文は1898年福岡県豊前市に生まれ、大分県立中津中(旧制)から早大政経学部を卒業。早大在学中は、浅沼稲次郎、三宅正一、稲村隆一らと建設者同盟の主力メンバーとして活躍し、民衆詩派の系譜に連なる詩人会(機関誌『新詩人』)に所属した。その後、野口雨情に師事して民謡詩を書き、歌謡界に進出する。戦時下には、師の雨情に習って軍歌の作詞を拒絶し、意識的な沈黙を守った。
 民謡集『郵便船』(詩人会)、詩集『農土思慕』(抒情詩社)の初期作品は、比較的よく知られているが、秋田雨雀が「序文」を寄せた第一創作集『愛光』(私家版)や、1924年創刊の個人誌『濁流』などは、本書で得た新たな知見であった。
 著者は、これらの諸作品を大正・昭和初期の時代思潮のなかに位置づけ、島田の自己形成と文学的成熟の過程を鮮やかに描き出している。
 本書が紹介する妻光子(『女人芸術』同人、深町瑠美子のペンネームで詩集『闇を裂く』がある)からの聞き取りによれば、「丘を越えて」というタイトルは、賀川豊彦『死線を越えて』より着想されたという。
 著者は「『丘を越えて』の向日性こそ、同時代のどの流行歌にもない独自性であり、まさに一点の曇りもない『青春賛歌』」と評する。
 島田芳文は大正期の学生運動より生まれ出た詩人である。

時代思潮が照射する詩人

小正路淑泰
福岡県教育庁勤務

「丘を越えて」で一世を風靡した豊前市出身の詩人・島田芳文(本名義文、一八九八〜一九七五)の初めての本格的評伝である。本書の初出は季刊誌『邪馬台』一九八四年夏号〜八八年冬号というから、すでに二十年以上が経過しており、島田に関心を寄せる人々の間で待望されていた本書の刊行をまずは慶びたい。筆者はデビュー作『黒い谷間の青春──山本詞の人間と文学』(九州人文化の会、一九七六年)の脱稿後、『九州文学』の重鎮・劉寒吉より「松井君、豊前を掘りなさい」との激励を受けたという。 
 近年、ある児童文学研究者が「戦後歌謡と社会」というサブタイトルを付した著書で、「丘を越えて」を「脳天気」な歌であり、「ひたすら『丘を越えて』進軍する軍歌にすりかわってゆく」という、あまりに皮相な誤解、というより不当な評価を下した。地道に豊前を掘り続けた著者は、これに猛然と反論し、終章では、「『丘を越えて』の向日性こそ、同時代のどの流行歌にもない独自性であり、まさに一点の曇りもない『青春賛歌』」と結論づけている。
 かといって、対象に対する思い入れが強すぎるがために、たんなる顕彰に終わりかねないという陥穽にも陥らず、島田に注がれる著者の視線は透徹している。例えば、第七章「民謡詩人の時代」では、島田の第二作・民謡集『郵便船』(詩人会、一九二二年)を取り上げ、島田が師事した野口雨情との比較検討を通して、「島田が雨情のいう『自然詩』についてどの程度理解していたか」との疑念を呈し、「島田の情緒的で甘い体質」と仮借のない指摘がなされている。
 第十三章「結婚」では、島田の第三作・詩集『農土思慕』(抒情詩社、一九二七年)と渋谷定輔の『野良に叫ぶ』(万生閣、一九二六年)を比較。『農土思慕』には、「単なる自然への憧憬を唄う」のではなく、「社会的経済的に、苛酷なる重圧の下にある農民を匤救する為に民心を鼓舞したい」との「自序」があるものの、著者は、「『農土詩派』を名乗る島田の作品」に「相も変わらぬ観念性」、壺井繁治流に言えば、「田圃や農民をその詩の題材の中に取り入れながらも、ふところ手をして歌っているかのような観」を見出す。自小作農青年として「苛酷なる重圧」の真っ直中にあって、農民自治会という「もう一つの農民運動」を展開していた渋谷には、二十町歩を保有する中地主の長男であった島田のような「観念的な田園回帰」や「啓蒙主義的な発想」(第十一章「民衆詩派の人々」)は見られず、同時代評と同様、『野良に叫ぶ』に対する著者の評価は高い。
 本書では、主として「丘を越えて」以前の、島田の青春時代に焦点が当てられる。「島田メモ」と称する未発掘資料──島田(家)旧蔵の大学ノート、いわゆる書斎資料の一つ──から島田の行動を追い、妻の島田光子や島田と旧制中津中の同級生・歌人の大悟法利雄等、関係者からの聞き取りを随所に挿入。新資料とオーラルヒストリーを縦横に織りなすところに、評伝作家としての著者の力量が遺憾なく発揮されている。
 評者は、秋田雨雀が「序文」をよせた島田の第一創作集『愛光』(私家版、一九二一年)の存在や、島田光子が長谷川時雨主宰の『女人芸術』に関係し、深町瑠美子というペンネームで詩集『闇を裂く』を島田夫婦経営の秀芳閣出版部から刊行していたことは、初めて知った。また、島田が中津中在学中の習作期、地方紙『二豊新聞』や『中津新聞』の新聞記者歌人より啄木調の影響を受け、短歌や新体詩(自由詩)を書いていたことや、早大卒業後の一時期、門司新報築上支局主幹、九州新報主筆をしながら、一九二四年に個人誌『濁流』を創刊(未発掘)したことなども新たな知見であった。『濁流』という誌名は、無産政党の輝けるリーダーとなる東大新人会出身・麻生久の自伝的小説『濁流に泳ぐ』(新光社、一九二二)からの感化であったという。
 以上のように、本書の最大の特徴は、大正・昭和初期の時代思潮・精神を丹念に踏査しながら、島田の青春を照らし出すという手法であり、著者の試みは見事な成功を収めている。とりわけ、評者は、第五、第八、第九章の早大建設者同盟と島田に関する叙述が印象深かった。「ヴ・ナロード」(人民の中へ)を目指した初期建設者同盟の主力メンバーは三宅正一、浅沼稲次郎、稲村隆一など政治経済学部一九二三年卒業組、つまり島田と同学部の同級生たちである。島田は彼等の誘いで建設者同盟の同人となり、前年夏の九州遊説に参加して「人間苦とプロレタリア芸術」と題する演説を行っている。(第八章「父と子」)。
 三宅、浅沼、稲村等は、建設者同盟結成以前には、「支那協会」や「亜細亜学生会」という学内団体に加入し、壮大な大陸雄飛の夢を抱いていた。彼等の関心はあくまで「運動」や「政治」という外の世界に向けられ、彼等が志向したものは、ある意味では、黒土村長などの要職を歴任する島田の父碵之助と類似している。「妙に詩人的なところがある」(『雨雀日記』)と評された島田は、父との葛藤を繰り返し、三宅たちとも異なる道を歩むことになる。
 もっとも、三宅たちが、その後、農民運動指導者として活躍し、農村問題の解決に傾斜していくように、島田の詩集『農土思慕』もまた、建設者同盟時代の所産である。この時期、島田の脳裏から片時も離れなかったのは、「社会的経済的に、苛酷なる重圧」(序文)に喘ぐ郷里の小作農民達の姿ではなかったか。
 本書に通底するもう一つの分析視角は、「鄙と都会」との往還である。著者は、島田の「作品が内包するヒューマンな詩情の根源」には「大正時代の『鄙と社会』を結ぶ地下ケーブル」があり、「プチブルでありながら貧困層への温情を湛えた視線が光っている」と述べる。それ故に、「島田の歌謡詩にも、どこかに土着的な表現を残しながら、尚かつ都会の青年男女の自由闊達な心情をも抱き込んでゆく軽快なリズム感」を生み出すことができたのである。
 戦後、「学徒援護会」を定年退職したあとの晩年の島田は、「放浪詩人」(第十七章)という生き方を選び、「まるで執念のごとく、その詩謡世界を内面で掘り下げて行」った。著者は、晩年の作品に、「母ユクへの挽歌」や、「心魂から湧き出た『祖霊の声』」を読み取り、「雨情の涙を振り払ったところで、島田の詩は光り輝くことができた」と評する。

  • 264頁 四六判並製
  • 9788-4-88344-154-9
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2007/11/30発行
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聖愚者の物語
zeikomi
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聖愚者の物語

最も神に近い人々──愚かさと高貴に満ち、剛毅で嘘つきで裏切り、信じ、戦い、命で贖う……アフガンよ、正邪善悪、ここには全てがある。灼熱の大地に流離う男・女・老人・子供・難民・職人・族長…魂揺さぶる47篇の掌篇小説集

書評

アフガンへ匂い立つ愛

島田真祐
島田美術館館長

 本書の魅力を紹介するのに、月並みの讃や評ではいかにも心許ない。できうれば、むしろ集中の一話なりとそっくり掲載したいもの。もともと小篇小説は名手の仕事。それも、手先の利くだけの小才の凡手には成しがたい。まずは骨身を削って仕入れた大量の情報と精緻な知見、さらにそれらを正確に感取し、選択し、整合し、練り上げて凝縮する鋭敏にして円熟した感性と技法が必須なこと、言うまでもない。
 幸いにして作者は、すでに独自の画風で知られる画家であり、作家であり、それ以上に四十年近く中央アジアを中心に人類史の辺境を旅してきた練達の旅人。故中上健次をして「眩暈(げんうん)に陥るが如き」と評された『生命の風物語』を始め、『シャリマール』、『餃子ロード』、『神・泥・人』などの優れた物語、紀行、エッセイを持っておられる。つまり、小粒にして時に人を殺す毒ともなり、時に人を活かす滋味ともなる小篇佳品をものする諸条件を間違いなく備えた表現者といえよう。
 画家としての作者が長年にわたって『ペシャワール会報』の表紙絵に添えて連載されてきた文章の中から選ばれ、さらに磨きをかけられたものに、新作を加えた四十七篇、そのいずれからも、激烈にして豊饒、無惨にして悲しいまでに美しいアフガニスタンの風土と歴史が立ち上がり、そこに生き死にする人々への分の厚い愛情が匂い立つ。愛情という語が嫌らしければ、風物の変容も含めて底に流れる時間総体に対してにじり寄ろうとする理解と共感の真摯な態度とでも言えばよいか。そして、そのことこそ、残念なことに、読者である日本人の私共に等しく欠けている心性ではないだろうか。
「……全員がテレビを凝視していた。伯父は、両掌を天に向け、その手で顔を覆い、呟いていた。『バビリィの塔だ』。ブラウン管の中で、二つの巨塔が燃え、やがて崩れ去った……」(バビリィの塔)
 この描写の素材となる事件を私共は知っている。だが、その認識と理解の何という浅さ、軽さ。絶妙の挿絵と共に、輪郭も彫りも深い甲斐さんの文体が私共につきつけてくる刃の一つである。

  • 292頁、四六判上製
  • 4-88344-103-2
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2003/09発行
身世打鈴 シンセタリョン 姜琪東 大山 姜 差別 在日 韓国 朝鮮 俳句 石風社 俳句集 パンチョッパリ
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身世打鈴(シンセタリョン)
zeikomi
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身世打鈴(シンセタリョン)

燕帰る在日われは銭湯へ──「本書はいわゆる〈句集〉ではない。俳句という表現形式による一人の在日韓国人の自叙伝であり、パンチョッパリ(半日本人)と呼ばれる男の精いっぱいの抗いである。/考えてみれば、韓国人の私が日本語で考え、話し、書くという行為は決して自然な姿ではない。だが、この不自然な姿こそが私の姿そのものであり、私の俳句である」(本書あとがきより)

書評

折々のうた

大岡 信
詩人・評論家

  河豚の座の韓の悪口(あっこう)吾(あ)を知らず  姜琪東
『身世打鈴』(平九)所収。題名は身の上話の意味の韓国語。昭和十二年高知県生の韓国人。加藤楸邨に傾倒し「寒雷」同人となる。楸邨に最も信頼された門弟の一人。
 句はむろん在日韓国人として受けてきた屈辱の一こま。河豚に舌つづみをうちながら、韓国人がいるとも知らず韓国の悪口を言い合うありふれた日本人像。楸邨没後俳句への情熱も急速に冷え、思いたって句集二冊をまとめた中の一冊。

俳句で綴る「在日」の哀歓

姜琪東
俳人(自著を語る)

 在日韓国人が俳句という最も日本的な表現様式で己の生きざまを鮮烈に詠む。そのねじれの中に、その慟哭の中に、人間が存在する──『身世打鈴』の新聞広告のコピーである。「そのねじれ」とは、韓国人でありながら日本固有の文芸である俳句をつくることに対する私自身の複雑な心情をさしているのである。
「趣味は?」と訊かれて「俳句です」と答えると、たいていの人が驚いたような顔で私を見返す。口にこそ出しては言わないが「在日韓国人のあなたが、どうして?」という表情である。
 俳句を作るようになって二十六年。この間「よりによって、なぜ俳句なのか」という目に見えない詰問に取り囲まれてきた。先の広告文ではないが「最も日本的な表現様式である」俳句に深入りすることは、韓国人の魂を奪われることであり、民族的アイデンティティーを喪失することではないか、という自虐の念がいつも頭の片隅に潜在していた。

  ビール酌むにつぽん人の貌をして
  燕帰る在日われは銭湯へ
  草笛や韓の歌とは気づかれず

韓国人(朝鮮人)でありながら日本に生まれ、祖国の文化圏からへだたったまま■異国日本■の文化にどっぷり浸かって生きているのが〈在日〉なのである。日本のテレビを見、日本の新聞・雑誌を読み、年がら年中日本語の中で暮らしていて、それでも日本に同化しないで韓国人の矜持をたもちつづけることは、伝染病の病室に閉じこめられて感染するなと言われるようなものである。
 在日韓国人・朝鮮人社会では、日本に同化することをいさぎよしとしない風潮が根強く残っている。もしも在日の若い女性が日本の振り袖でも着ようものなら、一世の年寄りたちは「哀号!(アイゴウ)」と声を上げて嘆き、親のしつけが悪いと言ってののしることになるだろう。韓国人にとって日本への同化は屈服なのである。

  帰化せよと妻泣く夜の青葉木菟(あおばづく)
  帰化せぬと母の一徹火蛾狂ふ
  冬怒濤帰化は屈服と父の言

「なぜ俳句なのか」という設問にそろそろ結論を出さなければならない。在日をテーマとして書くとき、なぜ俳句でなければならないのか。私自身上手に説明できない。なぜ山に登るのかと問われるのと同じである。だが、詠むことで救われ励まされる私があり、俳句を通して新しい自分を発見することがあるのである。
 風土の中で人間性がつちかわれていくとき、その国の文化や慣習に感化されていくことは当然のなりゆきであろう。私が日本の俳句という詩形に巡り合ったこともまた同様である。そのことを日本社会への同化と非難するなら、私はその言葉を甘受する覚悟である。そもそも自分の思考形態が日本語で始まったことが、宿命の始まりなのである。

  迎火や路地の奥より身世打鈴  
  寒燈下母の哭くとき朝鮮語
  鳳仙花はじけて遠き父母のくに

 身世打鈴とは身の上話という意味である。韓国人は唄うように泣きながら、辛いことや悲しいことを延々と語る。泣き語ることで胸のうちを晴らすのである。
「本書はいわゆる■句集■ではない。俳句という表現形式による一人の在日韓国人の自叙伝であり、パンチョッパリ(半日本人)と呼ばれる男の精いっぱいの抗いの記である」とあとがきに書いた。私が、俳句で在日の姿を綴るということは、俳句という名の短刀(どす)を逆手にとって日本人の胸元に突きつけることなのである。

  宿命や吾に国籍蚊に羽音
  韓の名は意地の砦よ冬銀河
  「恨(ハン)」と「怨(オン)」玄界灘に雪が降る

無限抱擁の優しさ

李 恢成
作家

 句集『身世打鈴』は、十七文字の中に凝縮された「在日」韓国人・朝鮮人の世界である。或いは、「在日」と「日本人」のはざまを生きる人間の情念が率直に告白されている精神世界だともいえるだろう。
 姜琪東氏のこの句から私は、氏が日本人の従来の俳句とはおのずと異なる境域に立っているのを感じたが、それは「身世打鈴」という、おおかたの日本人にはエキゾチックに響くかも知れないタイトルのせいでは勿論ない。この言葉にこめられた「恨」とか「怨」の感情領域が、日本語を活性化し異化しながら、その世界をおしひろげようとしているからに外ならない。こうした日本語は祝福されるべきものであろう。なぜならば、言語とは歴史の中で規範をこえ異域をひろげていく自己要求をもつものだから。まさにその意味でこの句集は、「在日」の生命力をバネにし、新境地に迫っているともいえる。
  河豚の座の毒も食らはむパンチョッパリ
 この一句には注記があり、
 「”パンチョッパリ“と嘲笑ふ者あり、それもよし。我は半日本人なり」とある。
 在日二世の、開き直った心境を披瀝したものであろう。「半日本人」であれば「半朝鮮人」でもあるわけだ が、こういう引き裂かれた人間の感覚を誰が笑いえようか。筆者もまた「在日百年」の歴史の落し子以外の何物でもない存在である。
  燕帰る在日われは銭湯へ
 この一句は、どう読みこまれるべきなのだろう。 徊趣味とか余裕派というたぐいのものではあるまい。これは、「在日」として生きる心を謳ったマニフェストなのだ。「銭湯へ」とは、平常心の表白であり、筆者が辿りついた心懐とみなされよう。「燕帰る」とはたんなる季語とはいえぬ政治的寓意をしのばせているものとも解される、鋭い季語だ。しかし、この句の本旨は、現実逃避におもむいてはいない。現実をありのままに受容し、あわてずうろたえず、むしろ楽しんでいこうとする自然体の心がにじんでいる。その澄んだ境地から「軽み」と「ユーモア」が感得できる質の高い作品となった。
 この句集は、個人史であるが同時に家族の形成と変容を詠みこんでいる。
  四十路より韓の名名のり盆支度
  帰化せよと妻泣く夜の青葉木莵
  帰化せぬと母の一徹火蛾狂ふ
  冬怒涛帰化は屈服と父の言
  韓の名はわが代までぞ魂祭
  孫生れなば 耶と名づけむ花木槿
 幾つかの句を任意にひろってみれば、この家族の肖像は「在日」の実態と深く結びつく。日本人を妻にもつ夫の両親は堅固な民族心の持主であり、わが子らは混血の新たな人生を持つ。家族三代にまたがる「血」と「地」の葛藤。「泣く妻」と「火蛾狂う」母と「屈服」せぬ父と子らのあいだで三竦みになる「夫」。「夫」は、わが子に添い寝しながら「帰化」すべきかどうか迷う。
 その「夫」にとって、「韓の名は意地の砦」であり、齢四十にして克ちとった人生の旗なのである。
 余談めくが、姜琪東氏は「四十路」までは「大山」という日本姓を使っていた。十数年前に私と会った時、青年時代は夜鳴きそばの屋台を引いていたと語った。その屋号は「大統領」であったとか。夜な夜なチャルメラを吹くこの無名の大山青年は、将来「大統領」になる夢を見ていたのだろうか。まさか、そんなことではないだろう。一国をたばねる大統領ほどの気概をもち、人生のあかしをもとめて生きてきた姿がほうふつとしてくる。その日本とは、根生いの地であるが、「指紋」を強制する「灼け地」であり、「永住」は許されても「韓の悪口」が「他国者」意識をかき立たせる「怨の国」なのだ。
 するどく醒めた感性が、強制送還される在日朝鮮人青年を救いたいと想うときに生まれる一句、
  血のやうな夕焼けの湾船来るな
 光州事件の虐殺(句の注記には「暴動」となっているが)に対しては、
  荒縄で柩縛りぬ梅雨に入る
 このような民族の血のたぎりもまたこの句集の一翼を占めている。
 けれども、「在日」のわが家とか「在日」そのものを問う心がこの句集の核心であることはまぎれもない。
  鳥帰るかなた韓国父祖の国
  チョゴリ着て羞ぢらふ妻や冬薔薇
  韓の歌妻に教へて磯涼み
  萌ゆるより踏まれて巷の草の芽よ
 日本というまほろばに生きる「在日」の多くは、日本人との新たな血縁の中で、抱擁家族としての知恵と愛をはぐくんでいる。この無限抱擁こそが人間の創造につうじ、「怨」と「恨」を愛の世界に誘うものなのだとこの歌人はいっているようだ。
 この句集は、従来の「身世打鈴」ではない。歴史の負の遺産を逆手にとって、明るみの世界に踏み込もうとする「在日」の心優しい男の試みとなっている。

  • 106頁 A5判上製
  • 4-88344-025-7
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 1997/10/05発行
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