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20世紀の記憶既刊
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わが内なる樺太 工藤信彦 外地であり内地であった「植民地」をめぐって 樺太 国境 ソ連 石風社 工藤 信彦 詩人 歴史 サハリン 豊原 ロシア 植民 北海道 外地 内地 朝鮮 国家 北方 領土
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わが内なる樺太
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わが内なる樺太

十四歳で樺太から疎開した少年の魂が、樺太四十年の歴史を通して「国家」を問う。1945年8月9日、ソ連軍樺太に侵攻、8月15日の後も戦闘と空爆は継続、幾多の民衆が犠牲となった。──忘れられた樺太の四十年が詩人の眼を通して綴られた──

書評

樺太にかかる歴史の霧をあざやかに晴らす

テッサ・モーリス=スズキ
豪州国立大学教授(翻訳・大川正彦)

 樺太は「日本の忘れられた植民地」と言ってよい。過去の植民地の歴史への関心の高まりがあるにもかかわらず、いまだに、植民地樺太の歴史については、ほんの一握りの学術研究しかない。そればかりか、著者・工藤信彦が本書で指摘するように、『岩波講座 近代日本と植民地』全八巻(一九九二年刊)のような仕事でさえ、この歴史をほとんど黙殺している。
 このように長きにわたる当惑せざるをえない黙殺という文脈のなかでは、工藤の『わが内なる樺太』の刊行はとりわけ喜ばしい。戦前・戦中に樺太に生まれ育った著者は、教育と日本文学の著述に人生を費やし、教師としての身を退いたのち、日本の歴史・記憶・文化における樺太の在り処に関心をむけた。本書に収められたエッセイ群をとおして、樺太の植民史にかかわる著者の丹念な研究と、工藤自身の個人的な記憶、そして植民地樺太における教育生活・文学生活におけるひときわ優れた人物である父の記憶とがひとつに結びあわされる。
 ひょっとすると、いま述べた植民地という語には引用符が付されるべきかもしれない。それというのも、本書の中心テーマは日本の植民史における樺太の奇妙で両義的な位置そのものでもあるのだから。樺太は日本の唯一の真の「入植者植民地」であった。ここでは、「内地」からの移民の数が、先住民や、日露戦争での日本の勝利の後に残った数少ないロシア人の数をはるかに上回っていた。したがって、帝国秩序における樺太の在り処は、朝鮮や台湾といった他の主要な植民地の場合とは異なっていた。工藤が強調するように、樺太の日本人入植居留民たちは自分たちが植民地で生活していけるとはけっしてみなさず、むしろ日本の他地域から北海道(これもまた同様に、「植民地化される」と同時に「植民地化する」ものとみてよい島である)に移り住んだひとたちと類似した地位をもつと考えていた。
 樺太の場合、この地位は次の事実によってことさらに混乱させられる。すなわち、日本が支配した樺太の南部は、公式には三十年のあいだ「外地」として遇されていたが、一九四三年には、拓務省から内務省に移管され、こうして公式には「内地」の一部になった、という事実である。このように配置替えがあったにもかかわらず、日本はアジア太平洋戦争の終結時にポツダム宣言を受諾したとき、樺太は侵攻するソビエト軍に対して放棄された。今日でさえ、日本の検定教科書や公式の出版物では、この島は樺太と名づけられ、北緯五十度の線に沿って国境が引かれ分断されている。とはいえ、他の争点が浮かぶ実際上では、「ロシア・サハリン」と認定されているようである。つまり、『わが内なる樺太』があざやかに示すように、樺太は、日本の植民史の重要な局面を(今日ですら)包みこんでいる、両義性と忘却という奇妙で、公式に作られた濃霧のもっとも鮮明な具体例となっている。
 工藤信彦によるこの本を繙くなら、樺太史にかかわり文書史資料にもとづいた研究と、工藤個人とその家族にかかわる個々具体的な記憶とが織り込まれていることで、そのような濃霧は消え去り、この霧がかくも長きにわたって覆ってきた魅力あふれる歴史が明らかにされるだろう。『わが内なる樺太』は樺太史にかかわる数少ない既存の学術研究を綿密に分析しているばかりではない。植民地樺太の創出、樺太の教育システムと文化制度の展開、アジア太平洋戦争での日本の敗北の後に同島から大量に帰還した入植者たちに関する豊富な情報を提供している。
 しかし、本書はたんなる歴史物語りをはるかに越えるものでもある。熱情と詩情あふれる感受力によって綴られ、なんといっても、自らが探査する歴史にによって全実存そのものが形づくられてきた人物の手になるものである。『わが内なる樺太』は、国家・国民、植民地主義、アイデンティティということの意味への洞察に充ち溢れている。読者が本書から息吹を受けとり、戦前・戦中の樺太という目を瞠るけれども、あまりに長く無視されてきた物語を探究されるよう、評者はつよく希望する。

国境 忘れられた「存在」

岩下明裕
北大教授・ユーラシア国境政治

 国境とは何か。本来、それは国家の権力が物理的に及ぶ空間の境界(ライン)であると同時に、その空間に暮らす人々が心のなかで一体感を共有する認識の境界でもある。
 しかし、現実には物理的なラインとこの認識上のラインは往々にして一致しない。それでも「領土問題」として国境をめぐる係争が顕在化している境界は、多数の国民に意識される。北方領土と竹島。例えば、政治化した境界をめぐるこのズレの問題は、係争の当事者からみれば、不十分に感じられるとしても、それは確かに「存在している」。
 国境をめぐる問題の真の所在は、その「存在」が認識されていないところにある、と評者は考える。国家が支配する権力空間のなかで、多くの国民に忘れ去られている境界に近い島嶼(とうしょ)。今では、与那国、対馬、小笠原など国境島嶼の存在がそれだ。その存在がメディアや国民の注目を浴びるのは、せいぜい、外国の「脅威」が強調されるシーンにおいてに過ぎない。国境地域の現実に普段は関心も興味ももたない人々の過剰な国境への想像力とロマンは、しばしば現地に暮らす人々を傷つける。
 この「内地」の人々の国境地域に対する無自覚ぶりを反転させた象徴的な事例が、樺太をめぐる問題といえる。工藤信彦は本書で、日本国家が喪失した領土、樺太の存在にかかわる議論を整理し、その意味を読者に突きつける。工藤によれば、「樺太」問題の真の悲しみとは、戦後にその物理的存在が喪失したことにあるのではない。ソ連との間に北方領土問題を抱えるがゆえに、日本国は樺太の喪失を追認することができず、存在はあえて「空白」とされ続けた。そして今日、「空白」としての存在もまた忘却の彼方にある。
「存在」耐えられない軽さ。「平穏」な国家にとって、国境問題とは重荷でしかないのだろう。

  • 四六判上製・311頁
  • 978-4-88344-170-9
  • 定価:本体価格2500円+税
  • 2008/11/20発行
ローン・ハート・マウンテン ハート・マウンテン 日系人 強制 収容所 エステル 石郷 古川暢朗 アカデミー賞 待ちわびる日々
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ローン・ハート・マウンテン
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ローン・ハート・マウンテン

「パール・ハーバー」に対する報復として、日系人11万人が強制収容所に抑留された。収容から50年、アメリカを内部から静かに告発する本書は、紆余曲折を経て、日本と日本人にとっても両刃の剣として甦る。──もう一つのアメリカ。アカデミー賞受賞作品「待ちわびる日々」原作。

書評

アメリカの収容所に入れられた日本人たち

「朝日新聞」天声人語

 さきの大戦中に、米国は、日本人の血が流れているものを強制収容所に入れた。そして一昨年、それについて大統領が謝罪し、補償を始めた。そのことは、広く知られている。
 あまり知られていないことだが、収容所に入った白人の米国人女性が、その生活を何百枚もの絵に描き詳細な文につづっていた。日系二世、アーサー・シゲハル・石郷さんの妻エステルさんである。その絵と文をまとめた本が訳された。古川暢朗訳『ローン・ハート・マウンテン』だ。
 エステルさんは、夫とともに収容所に赴いた。最初はカリフォルニア州ポモナ、ついでワイオミング州ハート・マウンテン。三年四ヶ月に及ぶ、苦しい日夜である。一家族が一室の原則。水道も便所も食堂も離れた棟にある。老人や幼児には大変な生活だ。
 女性用便所の前にはドアがない。男性用には横の仕切りもない。男性の浴室はシャワーだけだ。人々は板を拾い集め、シャワーの下に湯船を組み立てる。絵が伝える情景が生々しい。音楽や演劇の好きな人々がショーを開く。特技を生かした勉強のクラスもできる。
 医療経験者が、にわか仕立ての病院もつくった。肩を寄せ、助け合う生活を線画が的確にとらえている。この政策は間違いだとエステルさんは確信していた。当時、一世には市民権を得るすべはなかった。「十年もすればみんな死んでしまう」と当局者が軽く言う。
 戦争が終わる。収容所を去る日、凍った土から亀を掘り出して荷物に入れる子がいた。石郷夫妻はカリフォルニア州にもどる。夫は五七年に、妻は九〇年に亡くなった。「敵意と危険の中に置かれた時、愛する者と一緒にいたいとだれでも思う」とエステルさんは言っていた。
「山々と海原が幾重にも横たわってお前たちを隔てようとも、この空のもと、大地の上では、人間は皆同じなのだ」と本は結ばれている。

収容生活通して描かれた人間への信頼感

石川 好
作家

 北米大陸への日本人移民上、最大の事件は、1941年12月に開始された日米戦争と、それによってもたらされた、日本人および日系米人の強制収容であろう。その強制収容より今年は数えて50年に当たり、去る2月全米の日系人は、大々的にこれを取り上げ、各地で記念(?)式典が催された。
 アメリカに生まれながら、正当な法的手続きを経ずして収容された日系米人と、祖国日本と生活しているアメリカが戦争に突入するという一大事に出合った日本人移民の物語は、古くは藤島泰輔が『忠誠登録』で、そして山崎豊子が『二つの祖国』で、また日本人写真家の宮武東洋の写真集でなど、これまでにも多く紹介されてきた。
 全米10カ所に収容された日本人および日系米人は合わせて11万強。この中には、同じ東洋人の顔をしていたのでは日本人と間違えられるおそれがある。それなら収容されていた方が安全だと、韓国人で日本語の話せる人も入っていたとの話もあるが、全ては日本人及び日系米人であると思われていた。
 ところが、ここに紹介する著書の作者エステル・石郷さんは、れっきとした白人女性である。主人が日系二世であったため、ラストネームが石郷だったにすぎない。1920年代当時カリフォルニア州では異人種間の結婚が州法で認められていなかったので、2世の石郷氏、著者エステルさんはメキシコのティワナにまで出かけ結婚している。そうしたことまでして結婚した二人であるがゆえにか、日米開戦となり、主人の石郷氏が強制収容された時、エステルさんも(アメリカ人女性である彼女はその必要はなかったのだが)収容所に同行する決意をする。かくして、ここに、白人女性で、唯一日系人強制収容所を体験することになる人間が現われることになる。
 これだけの話なら、歴史は彼女の存在を世に伝えることはなかったはずだが、エステルさんは絵描きであったため、アメリカ史上、まれなこの体験を、絵筆にして残しておいたのである。それが、今回、刊行された、本書である。
 エステルさん夫婦が収容されたのはワイオミング州のハートマウンテン収容所。夏は暑く、冬は寒い砂漠地帯で、エステルさんのスケッチは見事なまでに、ワイオミングの荒涼とした風景を描き、同時にそれに収容された人々の日常生活のディテールをも描き込んで、資料的な価値も十二分にある。収容された人々の生活をこれほどよく描いたものは他になく、著者の人間に対する信頼感が伝わってくる。告発の書である以上に、これは画家の作品集となっている。彼女をテーマにした映画で日系3世の監督スティーブン・岡崎がアカデミー賞を受賞したことは記憶に新しいだろう。

  • A4変型並製138頁
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 1992/08/15発行
理想は高く輝きて 卒業生たちの小倉高校青春録 石風社 毎日新聞 西部本社 小倉高校 創立 記念
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理想は高く輝きて
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理想は高く輝きて

小倉高校創立100周年記念出版。経済から文化・芸能・スポーツまで、各界を担う多彩な人材を輩出しつづける名門・小倉高校。現役OB・OGの51人が、それぞれの青春の原点となった〈倉高〉の日々を振り返ったインタビュー集。

  • 185頁 四六判並製
  • 978-4-88344-174-7
  • 定価:本体価格1300円+税
  • 2009/05/24発行
ラバウル日記

旧帝国陸軍の官僚制としぶとく闘いつづけた一予備役軍医の二千枚に及ぶ日記文学の傑作。──降伏時、総司令官から出された責任逃れの「極秘通達」に憤り、英訳して豪州軍に提出。裏切り者と指弾されながらも、同僚を死刑より救う。

  • 725頁 A5判上製
  • 4-88344-047-8
  • 定価:本体価格5800円+税
  • 1999/12/25発行
ヨーロッパを読む 阿部謹也 石風社 中世 阿部 謹也 ヨーロッパ 賤民 宇宙 世間 個人 デューラー 歴史 西洋史 個 中世史 社会学 近代 知識 智 史学 日常 ポリフォニック
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ヨーロッパを読む
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ヨーロッパを読む

「死者の社会史」から「世間論」まで、ヨーロッパにおける「近代の成立」を鋭く解明しながら、世間的日常と近代的個に分裂して生きる日本知識人の問題に迫る、阿部史学の刺激的エッセンス

書評

キリスト教的な宇宙観とのずれ

高橋義人
京都大学教授

 農村部の日本人は今日でも自分の家や村を小宇宙、その外側に拡がる山や海、さらにはそのなかに潜む霊や死を大宇宙と捉えている。そしてこの小宇宙と大宇宙とは同心円をなしていると信じている。本書によると興味深いことに、中世までのヨーロッパ人も同じような宇宙観を有していた。このような宇宙観の下では、時間は円環をなしていた。一年は春に始まり、夏、秋、冬を経てふたたび春に戻る。同じく人は死んで「あの世」に行ってからも輪廻転生によって「この世」に甦る。
 ところが中世になってキリスト教が次第に普及してくるとこうした普遍的な宇宙観、時間観は否定されるようになった。そこに賤民身分というものが成立するにいたったと著者は言う。
 大宇宙の要素である火とか水とか性などと関わる職業は本来は神聖な仕事であり、畏敬されこそすれ、賤視されることはありえなかった。彼らは小宇宙と大宇宙のいわば「間」に暮らしている人々だった。彼らが「賤民」となったのは、キリスト教が二つの宇宙の存在を否定したときから始まる。
 日本について同じ問題を論じた網野善彦氏の仕事とともに、本書は新しい見方を呈示してくれている。
 キリスト教はさらに直線的な時間観(救済史観)を導入した。歴史はアダムとエヴァに始まり、救世主イエス・キリストの登場を経て、ついには終焉(最後の審判)を迎えるのだ、と。しかしクリスチャンであるにもかかわらず、日本人と同じように今でも輪廻転生や円環的な時間を信じている西欧人はかなりいる。このように西欧人の心の深層に流れている古代的な宇宙観や時間観と、西欧人の建前をなすキリスト教的なそれとの間には明らかなずれがある。このずれを読むこと、それが「ヨーロッパを読む」ことなのだ。
 その他、死者の見方、ボスやデューラーの絵の解釈、交響曲の成立、娼婦論など話題は多岐にわたっている。
 今年、これほど興奮して読んだ本、教えられることの多かった本はない。

キリスト教が西欧を変えた根源の解説へ

芹沢俊介
評論家

 私にとってこの本の面白さは、キリスト教がヨーロッパに与えた根底的で巨大な影響について、日本との比較で明らかにしてみせてくれたことにある。ヨーロッパを読むことは同時に、日本を読むことなのである。
 ヨーロッパが現在のヨーロッパになったのは、キリスト教の浸透以後のことであり、それ以前のヨーロッパ、つまり十、十一世紀以前のヨーロッパは今の我々と同じであったというように阿部は述べている。つまり今の日本は一千年前のヨーロッパだと言うのである。阿部はそのことをさまざまな角度からとらえて行くのだが、この認識には目を洗われたような新鮮な驚きがあった。たとえばこんな箇所がある。見知らぬ者どうしが団体を組んだ場合、その会の幹事の決め方は日本ではまずくじ引きかジャンケンである。ヨーロッパでは決してそうはならない。必ず誰かが自発的に手をあげる。この違いについて阿部は、日本人は日常生活であらゆる機会にこのようなかたちで神判=神の意志(呪術、迷信などを含む)に頼るのだが、なぜこうなるかと言えば聖と俗、大宇宙と小宇宙、死後と現世といったものの境界があいまいなためだというふうに説明する。ヨーロッパにおいてこの境界を明確に分離したのがキリスト教であった。
 この点に関連してさらに二つの点で日本はキリスト教と無縁であった。日本には無償の贈与という考え方が現実に根付いていないという点が一つ。「タダより高いものはない」という互酬性の論理が生きて力をふるっている。ヨーロッパにおいてはその相互贈与の慣行のなかにキリスト教によって無償の贈与という観念が持ち込まれたとき、大きな転換点を迎えた。もう一つは個人という観念が現実に根付いていないという点で。
 第一のポイントについて阿部の主張はおおよそこうなる。それまでの習いでは、ヨーロッパにおいてもモノを贈られたら必ずモノでお返しをしなくてはならなかった。この互酬関係をキリスト教が壊した。教会はモノを贈られても現世では返さない。天国(死後の世界)で返すという回路をつけた。これは正確には相互贈与の慣習を壊したというよりも、その習慣が成立する時間・空間を現世から天国にまで拡張して、一元化したことを意味した──このことはさらに二つの宇宙、家を中心とした世界(世間)である小宇宙とその外に広がる大宇宙を、キリスト教が一元化したことをも告げていた──。また、天国(地獄)という観念を持ち込むことによって、現世の生の世界と死後の世界を分離した。現世では一度死んだら、死にきりという考え方はキリスト教が入ってきて以後に生まれた。そうしておいて死後の幸福は、生前の善行(教会への贈与である寄進を主とする)いかんにかかっているという考え方を生み出して行く。善行を積むことが天国への切符になるという発 想を断ち切るにはルターの登場を待たねばならなかった。ルターは人間が救われるか否かは生前の善行とはまるで関係がない、救いにかかわるのは信仰だけだと主張した。
 個人という観念についてはこう述べられている。日本人とヨーロッパ人の決定的に違う点は罪の意識の問題である。阿部は罪の意識が出てきたということと個人の形成とは深い関係にあること。具体的に言えば、キリスト教の権力によって、成人男女全員が罪の告解というものが強制されたこと、それによってヨーロッパの人は自分が自分(の罪)について語らざるを得なくなり、そかも告解された罪はその個人が自己の責任として引き受けなければならなくなったこと、このことが重要な契機になったと指摘している。キリスト教は告解制度が作られたときとほぼ並行して神判に関与するのをやめた。これに対して日本では罪の意識はいまも、世間という現世共同体との関係のなかでしか存在しないのである。日本人のほぼ全員が世間の中で生きているゆえに、社会を構成する個人としてよりも、自己決定を避け、世間に対して受け身にふるまうのである。なるほど、だからくじ引きをしたりジャンケンをしたりするのか!
 この本は一九八三年から十年間にわたる連続講演の記録で、読みながら私はしばしばキリスト教の根付かなかった国に生まれた幸と不幸をこもごも味わったのである。

人々の顔や気持が見える歴史学

樋口伸子
詩人

■庶民の心性にまで省察
 私達にとってヨーロッパとは何だろうか。日本の近代化はヨーロッパを手本として進められた。本、映画、芸術などから憧憬を交えて影響を受けた人も多い。駆け足旅行であれ、行けば随所で中世にできた建造物や町並みを見ることができる。〝まるで中世を旅するような〟という旅行者のうたい文句そのままに、西欧の歴史に触れた気になるが、あくまでも表面を撫でただけという思いが残る。それらの町にどんな生活があったのか知りたいと思う時に、「ヨーロッパを読む」は当時の人々の暮らしにまで分け入り西欧中世の深層に読者を伴い、そこから現在を逆に照らし出してくれる。
 第一章「死者の社会史」から「アルブレヒト・デューラーの自画像について」までの八章からなり、各章が一冊の本になる程に密度濃く多岐にわたる内容をもっている。どの章でも読者を引きつけるのは歴史学者としての著者の視点のせいである。その視線は為政者の歴史にでなく、常にその時代の庶民の暮らしや、人の心の動きに向けられており、時間・空間・モノという三つの枠の中での人と人との関係の歴史が説明される。
 不勉強にして私は人の心性にまで省察を及ばした歴史家をこれまで知らない。また歴史はあったことの叙述であり、なべて事例の列挙に終わる教科書歴史に魅力がないのは、歴史が想像を許さないせいだと思っていた。
■幾何学の証明にも似る
 氏は若い時にドイツ農村の史料を調べ、村の風景は目に浮かぶが、そこの道を歩く農民の顔と気持が見えてこないのに愕然としたという。当時の農民の顔や気持が見えるまでに歴史を掘り起こす。氏の魅力的で斬新な歴史研究の基本はここにあると思う。
 膨大で広範囲な記録史料が縦横に駆使され、資料は想像と発見を伴って読み取られていく。一見意表をつく仮説とみえることでも、細部まで論証する氏の明晰さは幾何学の命題を証明する鮮やかさに似ている。どこにどんな補助線を引くかが想像力の問題だ。
 この人の補助線は神話・伝説、伝承、グリム童話から文学作品にまで及ぶ。その方法が特に生彩を放つのは「笛吹き男は何故差別されたか 中世絵画にみる音の世界」の章である。ここで用いられるのは十五世紀の画家ヒエロニムス・ボスの絵である。
■中世世界に新しい視点
 前章の「中世賤民成立」では、迷信俗習が生きていた古ゲルマンの世界をキリスト教が一元化して取り込む過程で、差別された職業と差別を生む畏怖という心の動きが二つの宇宙という新しい視点から論じられた。その各論として差別された放浪音楽師をあげて、キリスト教が音楽をどう捉え器楽を排除したかが「最後の審判」、「音楽地獄」などの怪奇な絵から読み解かれる。またボスの皮肉な教会観も描かれている。
 ボスの細密で百鬼夜行的な地獄・天国の絵の中には、差別の発端となった人間狼、大宇宙と小宇宙、動物との関係、男女の性愛、これまで著者が中世世界を開けた際の鍵がびっしりと描かれていて刺激的である。
 「ヨーロッパ中世における男と女」の章では、牧師と姦通した女性を描いたホーソンの小説『緋文字』と、中世フランスの神学者アベラールとエロイーズの往復書簡集があげられる。ここにはキリスト教の説く聖性の規制に縛られず、欲望からの交わりも神聖な行為であるという、「愛の誇りのために生き」る女性がいた。著者はエロイーズに十二世紀ヨーロッパ社会のなかでようやく姿を現わした個人をみる。宗教をもたない私達が〈個〉を考える上で深い示唆にとむ章である。
■真摯で開かれた学究
 これはヨーロッパ礼賛の本でもないし、学会に囲い込まれた歴史書でもない。謎にみちた中世ヨーロッパ史から、私達が生きる世間論にまでわたる本書は福岡市の出版社・石風社で行われた著者の講演記録集である。
 つとに知られた一人の歴史学者が十余年にわたってほぼ毎年、目下研究中の初穂を百人内外の一般聴衆に披瀝する。公開講座は多いが、このような例は稀有なことだろう。石風社レクチャーのなりたちは人々の縁であるが、それが続いたのは阿部氏の真摯で開かれた学究の魅力のせいである。
阿部史学という言葉があるならこれまでのその流れが辿られる貴重な一冊といえよう。読者その河の支流で足を止めたり、また本流に戻ったりしつつ、ヨーロッパを遠く近く感じながらいま自分が生きる河口に導かれるのである。

  • 507頁 四六判上製
  • 4-88344-005-2
  • 定価:本体価格3500円+税
  • 1995/10/01発行
水俣病事件と法 富樫貞夫 石風社 水俣 水俣病 公害 法律 証言 裁判 チッソ 熊本 熊本大学
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水俣病事件と法
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水俣病事件と法

水俣病事件における企業・行政の犯罪に対して、安全性の考えに基づく新たな過失論で裁判理論を構築。工業化社会の帰結である未曾有の公害事件の法的責任を糾す。──水俣病事件と共に生きてきた一法律学者の二十五年におよぶ渾身の証言集。

書評

徹底した被害者の視点

原田正純
熊本大学医学部助教授

「最初の水俣訪問でもっとも深い印象を与えられたのは、植物人間の状態で入院中の松永久美子さんと、同じように重篤な胎児性患者である上村智子さんの無言の姿であった。二人の無残な生きざまに接して、はじめて水俣病の重い現実を見たという思いがした」
 最近出版された『水俣病事件と法』の中で、富樫貞夫さんは水俣病との出会いをこう述べている。それがその後の彼の行動を決定づけた。ここにも出会いを大切に、見たことによって責任を背負った学者がいる。
 四大公害裁判の中で水俣病事件ほど多種多様な裁判をしたものはない。損害賠償請求訴訟だけでも第一次、第二次、第三次と続き、さらに福岡、大阪、京都、東京地裁と地域的な拡がりをもみせた。原告は二千人を超えた。ほかに棄却取り消し、不作為違法確認、待たせ賃などの訴訟、水俣湾ヘドロ仮処分、救済仮処分など行政に対する訴訟や請求があり、さらにわが国初の公訴棄却となった川本事件や暴圧裁判など水俣病被害者が起訴された事件、チッソの元幹部が被告となった刑事事件など驚くほど多くの事件が法廷に持ち込まれた。
『水俣病事件と法』はその時々の裁判の争点や判決について富樫さんが加えた解説と批判の論文集である。最初の論文が一九六九年十一月、最新のものが九五年十月に書かれているから、実に二十六年間の考察の集積ということになる。
 論文ではあるが、患者支援の機関誌や新聞、一般の雑誌に掲載されたものが主であるので難解さはない。それでいて質は高い。これを読むと富樫さんが寄り添うように被害者の側に立ち、冷静だが熱情をもった眼差しで被害者を見つめているのを感じる。そして明確に被害者の側に立ってみると、司法が必ずしも被害者の側に立っているとは限らないことが見えてくる。
 そうした司法の判断に対し富樫さんは「裁判所に課せられた任務はこれまでの事件の経過、認定に必要な基礎的データが欠落した事情、されには疫学的条件を含めた医学的知見などを総合的に判断して原告らが救済の対象とすべき水俣病の被害者であるかどうかを裁判所の責任において認定することである。しかし、大阪地裁は実にあっさりとこうした任務を放棄してしまった」、「本件の特質を考え合わせつつ、法の趣旨を探究し、慎重に利益考量を行うという姿勢が微塵もない。これはまさに官僚法学的思考の典型といってもよい。このような法解釈はおよそ説得力を持ち得ない」と厳しい調子で批判を加えていく。
 水俣病に関しては医学をはじめあらゆる学問がその狭い概念だけでは捉えきれないところがあった。この本からも既存の法概念の枠組みから抜け出そうとする試みが読み取れる。その典型が第一次訴訟の時に論理構成された「安全性の考え方」である。既存の法概念からではなく原子物理学者、武谷三男氏の放射線の安全性に対する考え方からヒントを得て組み立てられたものだ。
「どんな微量の放射能でも有害は有害だが、それをどこまで我慢するかというのが許容量という概念だということ。それは自然科学的概念ではなく、むしろ社会的ないし社会科学的概念である。有害の証明はないというがむしろ有害と証明された時はもう手遅れである。したがって、無害と証明されない限り安全ではない」「既成の法論理をわれわれの観点からどうとらえ返していくかということが問題になる」「この考え方は安全性が問題になるあらゆる場合に適用されるべきだ」……。現在問題になっているエイズ薬害なども、ここでいう安全無視の最も悲劇的な典型例であろう。誤りは繰り返されたのである。
 認定をめぐっては、医学に対しても厳しい目を向ける。例えば「認定制度に関する医師は患者に対して大変疑い深い態度をもって臨んでおられます。認定申請をする患者のなかには嘘をつく者がいるといわんばかりの態度です」「先生は感覚障害というのは自覚的なものだから患者が感覚が鈍いといえばそれが嘘だと見抜かない限りそのまま信用するしかないし、ここに問題があるといわれます。そのため、感覚障害だけの所見で水俣病だと認定するのは問題だと考えておられるのではないでしょうか。先生をはじめとして水俣病認定に関わる医師たちは、なぜこれほどまでに患者を疑ってかかられるのでしょうか。私にはどうしても分かりません」(T教授への公開書簡より)
この本の特徴は徹底して現場の被害者の視点に立って法律を捉えていること、そして、ほとんどの水俣病に関する裁判の中身が実にコンパクトにわかりやすくまとめられていて事典的機能を持っていることである。この一冊で水俣病に関わる法的な問題点はわかるといっても過言ではない。
 水俣病が発見されて四十年目の今年、国の責任も、ニセ患者よばわりされた被害者たちを水俣病と認めるかどうかも曖昧なまま決着がはかられようとしている。私たちは医学や法律が果してきた功罪をこの機会に検証しなければならないと考えている。いいタイミングの出版である。

被害者たちの闘いの軌跡

最首 悟
恵泉女学園大講師

「法」とは、物ごとを処理するときの「ルール」である。「ルール」は必要だ。このことはみんなわかっている。でも、そもそも「ルール」なるものを初めてつくったり、「ルール」を追加するときはどうするんだろう。その状態を想像したり、考えようとすると、だんだん頭が痛くなってくる。

■そんなバカなことが…
 それで、もっと簡単に、すでに決まっている「ルール」をあてはめる形で、ある物ごとの是非を判断する場合を考える。五十人の人を選び、半分ずつイエスとノーのグループに分ける。議論開始の合図で論戦を闘わし、イエスの組が勝った。つまり言い負かしたわけである。「じゃあ、立場を入れ替えて」という合図で、第二ラウンドの論戦に入る。イエスの組がやはり勝った。これはわかる。人によらずイエスに普遍妥当性があり、ひるがえって諸「ルール」はやはり普遍妥当性があったのだということになる。ところが、第二ラウンドでノーの組が勝ったとなると、さあ、困る。最初イエスで次に一転してノーの立場で、いずれも相手を言い負かしたとなると、単に口がうまいだけが勝負の分かれ道ということにならないか。現実はどうやらこっちの方で、そして法の専門家は「口がうまい」からなれたのではないか、というかんぐりをぬぐい去ることができないのである。
「法」はいかようにも使われてしまう。そのような術にたけている者を三百代言という。そしてその本質からして、三百代言は新しい「法」を必要としないだろう。そしてさらに、三百代言をいっぱい長期にわたって雇えるのは、金と力がある「法人」なのだ。しかも裁判では、「法人」と、金も力もなく病人であったり障害者であったり
する「私人」は全く同格に争うんだそうだ。そんなバカなことがあるか。
 水俣病加害という問題には、現代社会がかかえる問題は全て入っていると言われる。
 とりわけ裁判は、一九六九年から二十七年間にわたって、下級審、上級審をそれぞれ一つと数えると、三十を超える訴訟が争われ「法」の諸問題はことごとく露呈したといったも過言ではない。しかも現在、関西訴訟の控訴審がはじまったばかりという進行形であることも忘れてはならないことである。

■公訴棄却は政治的判断
 富樫貞夫氏(熊本大学教授)による『水俣病事件と法』(石風社)は、まさにそのような諸問題を、緊迫したスタイルで、そしてわかりやすく伝えてくれる。大著になってしまうことも納得される。結論からいうと「そんなバカなことがあるか」という私達の素朴な実感は、その通りだと諾(うべ)なわれる野である。そして、「バカなこと」が暴かれ、是正されるのは、ひとえに苦しむ人々の闘いによるということが、圧倒的に迫ってくる。
 典型例を挙げる。水俣病裁判では、日本の司法上、空前のことが二つ生じた。一つは胎児を人間と認めたこと、一つは公訴棄却がなされたことである。後者について述べる。チッソの回答を求めて、水俣病患者がチッソ東京本社前に一年半にわたって座り込んだ。その過程でリーダー格の川本輝夫さんが傷害罪で起訴されたのである。一審は有罪だったが、二審は公訴棄却の判決が出た。そもそも検察が川本さんを起訴したことそのものがいけないということである。
 そして最高裁は、本の一ページに納まるくらいの判決文で、起訴は妥当としながら、検察側の上告を退けた。つまり二審の公訴棄却を支持したのである。そんなバカな。まるっきり論理が通っていない。
 富樫さんはこの判決に対して、「法的判断というより政治的判断」と言いきる。川本さんは勝った。しかしそれは「弱々しい理屈」を並べた最高裁決定を手にしたからでなく、警察・検察の意図を「はね返し、逆に国家もまた加害者であることをあきらかにしえた」という意味で勝利なのだ、と富樫さんは説く。
 そこにいたるまで、水俣病の被害者たちはどれほどの闘いを強いられたのであろうか。

■いぜん責任認めない国
 今、ここに、「川本輝夫、この土気色にやつれ果てた人間をとらえて罰するだけでことがすむものでございましょうか」という最高裁長官にあてた昭和五十二年(一九七七年)七月十五日付の、石牟礼道子他一同の嘆願書がある。「国というものは奈辺にありや」という血を吐くような叫びがひびく。たしかに法の番人がゆらいだこともあった。しかし、そこに加害者としての姿を現わした国は、水俣病について、あいかわらず責任を認めていないのである。
 国が責任を認めざるをえないような「法」を私たちは生み出せていないのだ。そのことを私たちは苦く受け止める。しかし「法」や「法造り」は圧倒的に「法人」や「金持ち」に味方しているのだ。そのことをはっきり見据えて、私たちは行動しなければならないと思う。富樫さんの本を読んで、八分の苦汁と二分の活力剤を共に飲むようである。まことに若い人たちに薦めたい本である。

法と政治の無自覚を糾す

宇井 純
沖縄大教授(公害論)

 世界の第一線に立っているインドの環境運動家でエンジニアでもあるアニル・アガルワルから一本の手紙を受け取って、私は返事に困ってしまった。「今日本から水俣病の和解による解決が進められていると聞くが、発見以来四十年近くもなぜ解決しないのか教えてほしい。われわれもボパールのユニオンカーバイト工場のガス爆発という困難を抱えているために参考にしたいのである」
 この、何とも説明のむずかしい問題を解く緒を与えてくれるのが、最近出版された富樫貞夫著『水俣病事件と法』である。富樫氏は水俣病患者の運動とともに歩んできた水俣病研究会の中心メンバーの一人として、法学者の立場から、時にはその立場をこえて一市民として、節目の折々に水俣病をいかに考えるべきかを鋭く指摘してきた。市民としての発言も、常に法学者としての論争に参加できる水準であることがその特徴である。水俣病をめぐる市民運動の中で、氏が常に運動と法学の世界の橋渡しを果たしてきたことは、水俣病の運動に関係した者には周知の事実だが、こうして二十五年の業績が一つの本にまとめられてみると、その重みには打たれるものがある。
 チッソ水俣工場の過失責任を第一次訴訟で立証するためには、武谷三男著『安全性の考え方』から導き出された工場の注意義務を、つきつめて考えた富樫氏の提案があって初めて、前途に光が見えてきたのであった。そしてだれの証言でそれを立証するか、この困難もまた「工場の全体がわかるのは工場長しか居ない」という氏の一言から解かれていった。この事実は本書にはさらりと間接的に書かれていて、行間から読みとるしかない。
 水俣病の歴史をこの本を前にして振り返ってみると、つくづく政治に振り回された四十年であると痛感させられる。初期の因果関係をめぐる論争も、そのあとずっとつづく認定制度も、たくさんの裁判の経過も、専門家と自称し、政治とは関係ないと主張する医師たちや、裁判官たちが、実はなまぐさい力関係の政治の世界で一定の役割を果たしてきた事実のあらわれであった。その事実を、豊富な実例とその精密な分析によって本書は繰り返し明らかにする。
 特に裁判の政治性が鮮明に表れるのは水俣病の行政責任をいかに判断するかの場面である。国の行政責任を認めた熊本第三次訴訟の第一審と、国には全く責任がないとする新潟第一審、関西第一審の対照的な判決をくらべてみると、同じ歴史を対象としてこれほど正反対の判決ができるものかと驚くほかはない。
 一九六〇年代の日本国には、公害問題を直視し、それと取り組む姿勢など、全くなかったのである。そのことを調べようとしなければ、そこに責任があることなど認められるはずがない。環境庁の担当者が、この時期の水俣病を調べていた私のところへ調べに来たことは一度もないし、今夏調べることがあって私が訪れた特殊疾病対策室でも、室長は在席しながらあいさつすらしなかったほど、日本の官僚は自分の仕事についてさえ怠慢なのである。このような組織が、自分の責任を自覚することなど、あり得ないではないか。裁判官がそのことに気づかないとすれば、それは明白な政治的姿勢である。
 認定制度と水俣病像論のからみ合った現状についても、
本書はそこに作用した政治的圧力による認定基準の動揺を詳しくたどっている。認定制度が最初から補償と結びついていたことが、認定審査会を補償処理の道具とし、患者をモノとして取り扱う状況をもたらした。この手詰まりから抜け出すために和解が求められているが、それは病像も責任も放り出すものとして批判的である。
 水俣病ほど裁判の多い公害はほかにない。ほかに打つ手のなかった被害者が最後に司法に期待をかけたからであったが、現在の司法の水準、その背後にある日本社会の人権思想の水準は、残念ながらこれまで期待にこたえたとは言えない。その重みを教える本として、法律家だけでなくジャーナリストにも読んでもらいたいと感ずる。

  • 483頁 A5判上製
  • 4-88344-008-7
  • 定価:本体価格5000円+税
  • 1995/11/30発行
9784883442201
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ペンと兵隊
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¥0円
ペンと兵隊

北九州・若松の沖仲仕頭領・玉井金五郎の長男として生を受け、文学を志し上京。帰郷後、労働者の組合運動に身を投じ、芥川賞受賞の「糞尿譚」や従軍小説「麦と兵隊」などで一躍、国民作家の地位を確立するも、戦後、連合軍により公職追放――。激動の時代とともに葛藤しつつ揺れ動いた文学者たちが背負った思想的課題を、葦平作品に内在する振幅の中から問い直す評論集。

  • 四六判 上製 240頁
  • 978-4-88344-220-1
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2012/11/30発行
別府華ホテル 観光王と娘の夢 佐和みずえ 石風社 別府 観光 温泉 油屋熊八 温泉旅館 旅館 繁盛
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別府華ホテル
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別府華ホテル

奇抜なアイディアと規格外の行動力で日本一の泉都を築いた観光王・油屋熊八をモデルに描かれた繁盛記。地獄巡りの開発、温泉マークの発明、観光バスガイドの創設、九州横断道路の提唱、はては富士山頂に「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」の柱を立てて別府観光の礎を築いた男の、とその娘の生涯を描く。

書評

涙、涙の「冒険譚」

中谷健太郎
地域生活圏研究所所長

 大正三年(一九一四)、三月下旬にカナダのバンクーバーを出港したアメリカ汽船コロラド号の、波おだやかな船上からこの物語は始まる。「グッモーニン、バロン。本日も仔牛のステーキになさいますか?」
「バロン」と呼ばれる、(背広のボタンが今にも弾けそうな…)「油屋熊八郎」と、(首筋から肩、肩から腰にかけて…小さな顔の中に、大きな涼しい目、先がツンと上を向いた鼻、笑うと白く健康な歯がこぼれる)少女「華乃」の、波瀾万丈の物語だ。
 時は日本近代の夜明け、年号は明治・大正・昭和に渉る。海を隔てた中国大陸に向き合って、登場人物たちの「江戸の名残の心意気」が九州・別府に炸裂する、と言いたいけれど、歴史の仕掛け舞台はちょっと甘い。炸裂するのは熱血「熊八郎」と元芸者「辰子」、それに、なんと言っても凛々「華乃」と逞しい漁師「襄一」の大恋愛物語である。それがなんとも劇画調でわかりやすく、私はあちこちのページで涙ぽろぽろだった。
 むろん当時の別府温泉が舞台である。目抜きの「流川通り」を埋立てて、その突端に「桟橋」を構築し、町の内外に乗り合いの「観光バス」を走らせ、地獄見物他の「遊覧ルート」を創設する。「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」。どれもが黎明期の別府に展開された実話の「冒険譚」である。しかしそれでもやっぱり、これは「夢物語」なのだ。登場人物は「そっくりさん」たち、懐かしい「教養小説」、そう、「主人公の人格形成、発展を中心として書かれた小説」(広辞苑)、もっと、えげつなく言えば「読んで賢くなる小説」である。
 涙の隙間に立ち止まって私はちょっとだけ賢くなった。二十八歳で由布院に帰り、自分で「旅館経営」を始めた頃の、眩しいばかりの「夢」と「緊張感」、日々の「苦労」と、返ってくる確かな「喜び」を、まざまざと思い出した。七十二歳の今、もう一度あの「煌めきに満ちた冒険の日々」に向き合ってみようと思い始めている。

「大分合同新聞」東西南北

「大分合同新聞」東西南北

 一枚の写真から、その小説は生まれたという。そこには数々の奇抜なアイデアで別府温泉を有名にした油屋熊八が、一人の娘と一緒に並んで座っている。このほど、彼をモデルに描いた小説「別府華ホテル 観光王と娘の夢」が発刊された▼著者は劇画の原作や児童書などを手掛けている大分市在住の佐和みずえさん。写真の女性から架空の娘、華乃を登場させ、熊八が米国から帰国後、別府で活躍する生涯を描いた。物語は娘の恋もからみ、親子の涙ありの奮闘ぶりがまるでドラマを見るように展開する▼小説とはいえ、時代背景と熊八の功績は各所に織り込まれている。ホテルを経営する傍ら、地獄巡りを開発したり、全国で初めて観光バスガイドを導入したり。「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」と富士山頂に標柱まで立てた。彼の痛快な人生を物語を通して学ぶことができる▼佐和さんはかつて別府市に住んだ時、公園で見つけた記念碑で初めて熊八のことを知った。ユニークな名前。しかも自分と同郷の愛媛県宇和島市生まれだったことから、いつか小説にしたいと思ってきた。ここで出会ったのが一枚の写真。構想が一気に広がったという▼国内外に別府観光を知らしめた熊八。次々と繰り出した大胆な発想と行動力には驚くばかりだ。もてなしの心を大切にし、何事も前向きに他地域と連携するなど、彼の精神は忘れたくない▼架空の娘を配したことに「奇抜すぎるかもしれませんが」と佐和さん。「とにかく熊八のような快男児がいたということを知ってほしい。そして皆さんに元気を出してもらえればうれしい」と話している。

  • 337頁 四六判並製
  • 4-88344-141-5
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2006/11/30発行
北京籠城日記

明治三十三年、義和団の乱。清国兵・義和団五万の包囲のなか、柴五郎中佐のもと前線で防衛指揮した一大尉の日記。前線指揮官の克明な証言。

  • 201頁 四六判上製
  • 4-88344-101-6
  • 定価:本体価格2500円+税
  • 2003/09/01発行
HIGAN 島田有子 写真 熊本 島田美術館 島田有子写真集 彼岸 石風社 泥 木村伊兵衛 普賢岳 埋立地 
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HIGAN
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HIGAN

木村伊兵衛写真賞候補作


泥が乾き、風が吹き、鳥が騒ぐ──。普賢岳を対岸に見る埋立地。そこで展開された生と死のアンビバレントな世界に息をのみ、魅せられ、撮り続けた黙示録的風景。(解説・浜田知明)。木村伊兵衛写真賞候補作。

書評

残酷なまでに美しく、深い祈りが漂う

五木寛之
作家

 最近の出版物の氾濫は空恐ろしいくらいのものだ。よくもこれほどの本が世の中にあふれかえっているものだと、思わずため息が出てしまう。
 とはいうものの、自分自身もその大量消費現象の一翼を担って、日々無駄な活字を送り出している一人なのだから、ときには言いようもない自己嫌悪にかられたりするのも当然だろう。
 しかし、そんな洪水のような印刷物の奔流のなかにも、思わずふと目を惹かれ、なにげなくページをめくっているうちに、つい時のたつのを忘れてしまうといった本もあるというのは、有難いことでもあり、また一方で困惑する気分もどこかにないわけではない。困惑、というのは勝手な言い草だが、「こんないい本が隠れているんだから、やっぱり数限りない出版物にも根気よく目を通さなきゃならんのだよなあ」といった気持ちと説明すればわかっていただけるだろうか。本当のところは、もう本は沢山、と、お遍路にでも出て山や川を眺めながら歩き続けたいような心境なのだ。
 さて、このところ縁あって手にとらせてもらった本のなかで、ことに忘れがたい鮮明な印象が心に残ったのは、一冊の写真集だった。
『HIGAN』(島田有子写真集)という大判の本がそれである。
 私は写真に関しては素人だが、この本のページをなにげなく開いたとき、ああ、と息がとまるような感じがした。こんなふうに写真を見るという経験は何年ぶりだろう。あまりにも日々の暮しのなかに写真が氾濫しすぎていて、ほとんど不感性になってしまっている自分の目の乾いたウロコが、一瞬、音を立ててばらばら落ちるような感じだった。
 この写真集はすごい。どうすごいかは、文章におき換えることが断じて不可能であるという点においてすごいのである。それはこの写真集を自分でさがし出して、そして自分の目で確かめてもらえばはっきりするだろう。それ以外の書評だの、解説だの、ブックレビューだのといったかたちでは、決して伝わらないすごさなのだ。定価八〇〇〇円のこの写真集が、私にとっては八〇万円でも安いと感じられたのだから。
 普賢岳をはるかにのぞむ人工の埋立地を、この写真家は「私の彼岸」と感じたという。彼岸は此岸であり、地獄はそのまま浄土でもある。この写真集の作品には、どれも残酷なまでに美しく、同時にどこか深い祈りの感覚が漂っているようだ。すごい作品を見た、と思った。

虚実一如の世界

光岡明
作家

 私は比較的活字を読みなれているだろう。読みながら立ち止まって考えこむことはあ っても、理解できればどんどん先へ進む。しかしこの島田有子写真集『HIGAN』のページを繰りながら、次第にその手が遅くなり、間遠になって、三分の二ぐらいのところで止まってしまうという初めての経験をした。残り三分の一は日を改めて見直したのである。
 そのとき私は写真を見ているのは確かに私だが、同時に明らかに写真から見返されており、見ている私と見返されている私とが一体となって、どこかの宙空で浮遊している、と思ったのである。これは後からの解釈であって、その時は放心していたのに違いない。
 写されているのは長崎県の普賢岳を遠くに望む有明海の熊本側にある埋め立て地である。海はほとんど見えない。動くものと言えば、風にそよぐ自生した雑草、群れる鳥たち、泥を吐く埋め立てパイプ、バスで、八割までが埋め立て地全景である。そこに人影はなく、櫓、柵、電柱、クレーン、大型ユンボなど、工事用機材は労働時間外の静止のなかにある。全景のほとんどが夕方であり、無音の世界である。埋め立て地はまだ水を貯めていたり、どろりと液状のものから、乾いて団子状の塊の連続から砂塵を巻き上げんばかりのものまである。こう書き連ねても当然そうあるであろうなんの変哲もない埋め立て地の風景である。
 その変哲もない風景が島田有子によって切り取られると、なぜ人を宙空に浮遊させるのだろうか。
 私たちは新古今和歌集の「三夕」の和歌が持つ「秋の夕暮」観の残滓を引きずっている。書くまでもないことだろうが「三夕」とは「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮 西行」「さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮 寂連」「み渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕ぐれ 定家」の和歌
のことだ。この悲哀、感傷、寂寥、寂寞の感覚は、「故郷(ふるさと)」「旅愁」「赤とんぼ」「夕焼小焼」の童謡、唱歌にまでつながり、私たち日本人の心情の基礎を作ってきた。しかしこの『HIGAN』にはその残滓がまったくない。あるのは夕日
に直面する島田有子の伝統から切れた孤絶感である。島田有子はあとがきで「HIGAN」は「彼岸」だと書いている。島田有子に仏教者的感性があるかどうか、私はそこまで確かめていないが、「彼岸」だとしても「此岸」は島田有子にあるのだろうか。
 島田有子にとって埋め立て地は「此岸」の一角であるだろう。開発の名のもとに海が埋め立てられ、相貌を変えていく。道路が作られ、上下水道が引かれ、人が住む街ができることはわかる。生態系、気象系、おのずからあった眺望を押し潰して、新しい「人の世」が自然にとってかわってできるだろう。しかし人は人が作ったものを壊すことがある。あるいは放棄することがある。そのとき再び埋め立て地が現前しないか。現前しないとはだれも保証できない。きちんとした「此岸」はあるのだろうか。
 島田有子の「此岸」を見る眼は喜びや悲しみ、怒り、不安、あるいは批判からもほど遠い。伝統的な思考、感性から切れ、孤絶した地点で見る。だからこそ埋め立て地は埋め立て地の単独のことばを語り出す。そのことばを私は残念ながら文章にできない。しかし埋め立て地自身が語っているとわかるのである。その状態は外から見れば、多分茫然自失として見入っているだけのことだろう。そのとき私たちは宙空という虚の世界にいる。虚そのものは写真でもことばでも現せないが、実際は一種の擬似世界を作って、その照り返しがひとつの真実の世界となって写し出されるのだろう。もし『HIGAN』が仏教的色彩でこれほど力強く現した写真集はないと思う。

「三夕」の和歌と「HIGAN」

光岡明
作家

「夕焼け小焼けの赤とんぼ…」とか「夕焼け小焼けで日が暮れて山のお寺の鐘がなる…」と歌い継がれてきたように、夕暮れが持っているものさびしさ、もの悲しさ、泣きたいようなひとりぼっちの感情は、長く日本人全体の共有の財産だった。
 この共有財産化には、日本の和歌が果した役割が大きい。
 まず「古今集」が四季を確定し、つづいて「新古今集」がそれぞれの季の情趣を深めた。私たちは四季の変化はどんな太古のむかしでもあったことで、別に「古今集」や「新古今集」が「発見」したわけでもあるまい、と考えがちだが、四季があることとそれをはっきり意識することとは別物で、意識するにはことばの力を借らねばならないのである。そしてことばがもっとも精妙な力を発揮するのが「文学」である。例を引こう。
私たちは「秋の夕暮」について、「新古今集」の次の「三夕」の和歌を持っている。
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮 西行
さびしさは其の色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮 寂蓮
み渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕ぐれ 定家
 どの和歌も人口に膾炙している。あるいはしていた、か。この「三夕」の歌は「共通の性質として、一方では従来の悲哀寂寥の余情を継承しているとともに、他方では、中世的世界観と仏教者的感性の深い刻印を帯び」るだけでなく、「いたずらな感傷や興味本位の趣向など
をいっさい排し、すべての装飾や色彩を取り去ったあとに残る物の背後に、ほとんど無に等しい物の背後に、宇宙そのものの広大さを感じさせる」「これば日本の夕暮の通念化されたコノテーションとして、永くわれわれの脳裡に刻みつけられた」(川本皓嗣「日本詩歌の伝統」岩波書店)■■ちなみにコノテーションとはことばに付帯する言外の意味で、直接事物を指示するデノテーションに対する。
 しかし、いつの時代、どこの地方にも熊本で言うモッコスがいるもので、江戸前期の俳人向井去来の弟子の風国が、わたしは夕暮れに悲哀感も寂寥感もありませんといって、夕暮れの元気のいい句を作ったところ、お師匠さんから「一端遊興騒動の内」と切り捨てられ、これは「一己の私」だと叱られている。
 明治時代になって、歌、句の一大革新運動が起こった。革命児正岡子規の出現である。子規は写生を重んじた。この私の文章の文脈で言えば、デノテーションの精密化である。そこでは写生する人の「一己の私」が大切にされた。風国も明治以降に生まれておれば、なにもお師匠さんから叱られることはなかったのである。いっぽうで歌や句の持つコノテーションはばらばらに分解されていった。先に書いた「夕焼け小焼けの赤とんぼ」や「夕焼け小焼けで日が暮れる」まで辛うじてまとまりを持っていたと言えようか。
 ここに島田有子写真集「HIGAN」がある。普賢岳を対岸に見る熊本市郊外の埋め立て地の風景写真集である。ここに見る夕暮れの風景(それだけではないが)は、「三夕」のコノテーションをわずかながらも引きずっている私に、実にさまざまなことを考えさせる。
 この写真集を見終わってすぐ気がつくことは、島田有子本人の孤絶感である。西行、寂蓮、定家にも孤絶感はあった。「古今集」を超える新しい歌を作るという営為は、いまでこそ観念の操作に過ぎないと顧みられないが、本人たちにとってはまさに孤絶の作業であったはずだ。しかしこの三人には自然を歌いつづけてきた日本の和歌の伝統があった。彼らの孤絶感には何度でも立ち返ることのできる根拠があった。島田有子にあるだろうか。
 「HIGAN」は「彼岸」だとあとがきで島田有子自身が書いている。だからと言って「仏教者的感性の深い刻印」があるか。深層心理ではあるかもしれないが、その「彼岸」はあくまで本人だけのものであろう。立ち返るべき根拠のない、「此岸」のない「彼岸」。
 これは地球が自壊を起こしているという予感なのではないか。確かに写真にはクレーンが写り、ブルドーザ
 ーの跡が残り、電柱が立っている。人の手が自然を変えつつあることがわかる。人間は理性(技術)を活発に使うことによって、自然と異和なものを作りつづける。その先にあるのは地球の崩壊だ。
 島田有子の孤絶感はここで「三夕」の三人と完全に違ってくる。自分自身も理性を使う人間として、島田有子自身もあとがきのように口ごもらざるを得ない。帯にあるように、まさに神も伝統もない、理性が行き着くであろう先の「黙示録」である。

  • 139頁 B4判変型上製カラー
  • 4-88344-045-1
  • 定価:本体価格8000円+税
  • 1999/06/30発行
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