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20世紀の記憶既刊
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大正・昭和を生きて
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大正・昭和を生きて

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大正・昭和を生きて
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海軍軍医を父として、大正時代に生まれ、関東大震災、昭和の戦争の時代を生き抜いたひとりの個性的な人物が、等身大で体験した日々の記憶を記す

  • 四六版上製125頁
  • 978-4-88344-238-6
  • 定価:本体価格1200円+税
  • 2013/11/04発行
9784883442201
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ペンと兵隊
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ペンと兵隊

北九州・若松の沖仲仕頭領・玉井金五郎の長男として生を受け、文学を志し上京。帰郷後、労働者の組合運動に身を投じ、芥川賞受賞の「糞尿譚」や従軍小説「麦と兵隊」などで一躍、国民作家の地位を確立するも、戦後、連合軍により公職追放――。激動の時代とともに葛藤しつつ揺れ動いた文学者たちが背負った思想的課題を、葦平作品に内在する振幅の中から問い直す評論集。

  • 四六判 上製 240頁
  • 978-4-88344-220-1
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2012/11/30発行
昭和二十年八さいの日記 佐木隆三 黒田征太郎 石風社 原爆 平和 ヒロシマ ナガサキ ピカドン PIKADON PROJECT  広島 長崎 誕生日 ポツダム宣言 8月15日 敗戦 終戦 戦争 平和 命 いのち 赤いリンゴ
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昭和二十年八さいの日記
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昭和二十年八さいの日記

「ぼく、キノコ雲を見たんだ」


その少年は、「おくにのために」死ぬ覚悟だった。八歳だった佐木隆三氏が少年の心象を書き、7歳だった黒田征太郎氏が渾身の気迫で絵を描いた。リアルなHIROSHIMAとNAGASAKI。そして平和と命への希求が描かれた〈イノチの絵本〉

  • A4判上製カラー 32頁
  • 978-4-88344-196-9
  • 定価:本体価格1300円+税
  • 2011/07/07発行
十五歳の義勇軍 満州・シベリアの七年 宮崎静夫 石風社 十五歳 戦争 満州 シベリア 抑留 満蒙 義勇軍 開拓 中国 美術 宮崎 静夫 海老原 喜之助 ドラム缶 死者 西日本文化賞 みゆき画廊 俘虜
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十五歳の義勇軍
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十五歳の義勇軍

十五歳で満蒙開拓青少年義勇軍に志願、十七歳で関東軍に志願、自爆間際で敗戦、四年間のシベリア抑留を経て帰国、炭焼き、土工をしつつ、絵描きを志した著者による感動のエッセイ集。
阿蘇の山村を出たひとりの少年が、満州・シベリアでの過酷な体験を経て、一個の画家となった――。

書評

苛酷な体験から明澄な世界へ

久野啓介
元熊本近代文学館長

 第2次大戦中に国策として推し進められた満蒙開拓青少年義勇軍に、高等小学校を出たばかりの15歳で志願し、さらに17歳で関東軍に志願入隊、敗戦と同時にソ連の捕虜となり、4年間のシベリア抑留。帰国後、画家となり、「死者のために」シリーズなど鎮魂と反戦の絵を描き続けてきた著者が、折りにふれて新聞・雑誌に書いた120編のエッセーを集めたものである。
「満州・シベリアの七年」と副題されているが、「その七年が私の青春の総てであった。人はそれを苦難の歳月とも云うが、私にしてみれば濃密な学びの場であり、己れを視つめ、確かめることのできた得難い日々としても忘れることはない」と「あとがき」に書くところに、並みの人ではない著者のしたたかな資質をうかがい知ることができる。
 また帰国から50年後、中国東北部を再訪して見たものが、熱烈歓迎とは裏腹に、「植民地満州の時代の日本人(軍)の所業であり、まぎれもなく浮かぶ東洋鬼(トンヤンクイ)の姿は、否定しようもなかった」(『シベリア再び』)と、かつて加害者側の尖兵であった自分を見つめることにやぶさかでないことも、特記しておかねばならないだろう。
 そして民族間の加害と被害、収容所煉獄の苦難と学び、異郷と故郷など、幾重にも錯綜した苛酷な体験の末に、著者がたどり着いた境地は、意外と明澄な世界であったようだ。例えば「ツワの花」と題する掌編がある。 
 ツワの花の季節に、研ぎ屋の老夫婦がやって来る。鋸(のこぎり)の目立てを頼むと、元は大工だったという老人は、確かな手つきでやすりを動かしながら、「齢をとると、高い所がいけまっせんけんなあ……」などと言う。普通なら楽隠居のはずなのに、身につけた手仕事で二人が支えあって生きる姿には、老いの哀愁があった。ひと仕事終えた二人は、淹れた茶を飲み、振りだした雨の中を、寄り添って帰って行く。
 それだけの話だが、書き手の目線の低さとデッサン力の確かさで、静かな感動がじんわりと胸にしみた。滋味あふれる一文である。

  • 四六判上製 278頁
  • 4-88344-192-1
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2010/11/10発行
白いなす 黒瀬圭子 宮崎耕平 石風社 絵本 戦争 平和 食糧 小さい旗
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白いなす
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白いなす

そのころ、日本は世界の国々と戦争をしていました。海峡の町にくらす少女の家族から、戦争はかけがえのないものを奪いさった。少女の父も兄たちも二度ともどらなかった。戦争と平和を考える絵本。

書評

戦争の記憶・体験 歌い継いで

穂満建一郎
朝日新聞

 山口県下関市在住の児童文学者、黒瀬圭子さん(77)が、関門海峡を舞台に戦争の悲惨さと平和の尊さを描いた自作の絵本『白いなす』を合唱組曲用に書き直し、出版した。1945年6月29日の関門空襲から65年。黒瀬さんは「物語が歌い継がれ、戦争の記憶が風化しませんように」と願っている。

 黒瀬さんは北九州市門司区の出身で、自宅は、関門海峡が見下ろせる風師山(かざしやま)の麓にあった。戦争中、門司の港から兵隊を乗せた軍用船が戦地に向かうのを縁側から日の丸の小旗を振って見送った。
 「白いなす」の物語は「関門の美しい海が、何千何万の兵隊さんを戦場に送った悲しい海峡であったと気がついた時に生まれた」と振り返る。
 初出版は91年。今回は下関市民合唱団から「創立55周年を記念してオリジナルの合唱組曲を」と頼まれ、メロディーに乗りやすいよう、文章を歌詞風に書き直した。文字数は旧作から半減。絵も新たに茨城県在住の宮崎耕平さんが描いた。山口県立大の田村洋教授が曲を付け、5月30日の記念演奏会当日に出版。演奏会では混声合唱組曲として歌われた。会場で聴いた黒瀬さんは「物語の情景を伝える音楽の力に感動した」という。
 閉会後、聴きに来ていた80代の男性が「私も歌に出て来るような船で戦地に行った。この時代を生きた人間として心を動かされた」と、涙ながらに話してくれたという。
 「白いなす」は、海峡の街で暮らす少女の家族の物語だ。一家は両親と4男3女の9人家族。父さんは軍楽隊のラッパに送られて下関の港から戦争に行った。母さんは家族の無事を祈り、実をつけ始めた七つのナスに紙袋をかぶせ、火のついた線香で袋に子どもたちの名前を刻んだ。「たろう」「じろう」「かずこ」「さぶろう」「いつこ」「しろう」「なおこ」と。
 ある日、袋からナスを取り出すと、日光を浴びた部分だけ紫の文字が浮き出た白いナスが顔を出した。「あっ わたしのなす」。子どもたちの笑顔がはじけた。だが、今度は、たろう兄さんが歓呼の声に送られて戦場へ……。
 物語は実体験に基づく。黒瀬さんも4男3女の兄弟姉妹だった。戦争中、物語のように長兄はシベリアに出征。次兄は防空壕で病死。三兄は学徒動員のセメント工場で積み荷の下敷きになって亡くなった。3人とも10代だった。
「昭和20年6月29日、空襲警報が鳴って、(略)黒い煙におおわれた門司の街が、炎の柱をあげてメラメラと燃えはじめました。昨日まで立ち並んでいた海峡の街が、一夜のうちに消えてしまいました」。黒瀬さんは演奏会の案内チラシにも自身の戦争体験を寄せている。
 黒瀬さんは「事故死や病死ではなく、戦争のため家族から引き離されて死んでいった人たちの悲しさを伝えたい。戦争の記憶も風化し、体験した語り部も減ってきた。物語が音楽になって歌い継がれるよう期待したい」と話している。

  • 33頁 A4判変型上製カラー
  • 978-4-88344-187-7
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2010/05/30発行
サイパン 俘虜 憂国 望郷 石風社 松尾正巳 収容所
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サイパン俘虜記
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サイパン俘虜記

1944年8月、4万人を超える犠牲者を出したサイパン島の戦いで捕虜となり、アメリカでの収容所生活を送ることになった一人の元陸軍中尉が遺した記録。サイパン島上陸から九死に一生を得た玉砕戦の実相、そして一年以上にわたる捕虜生活を経て帰国するまでの葛藤の日々を綴った貴重な手記。

  • 四六判上製192頁
  • 978-4-88344-179-2
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2009/10/10発行
外国航路 石炭夫 大恐慌 最底辺 日記 石風社 広野八郎 プロレタリア 労働者 葉山嘉樹
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外国航路石炭夫日記
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外国航路石炭夫日記

葉山嘉樹「これはきみの傑作だ。たいせつにとっておきたまい」。


葉山嘉樹「これはきみの傑作だ。たいせつにとっておきたまい」。
1928年(昭和3)から4年にわたり、インド/欧州航路の石炭夫として大恐慌下を生き抜いたひとりの労働者が、華氏140度の船底で最底辺の世界を克明に記した記録。葉山嘉樹が「これはきみの傑作だ。大切にとっておきたまい」と評した、プロレタリア文学、もうひとつの金字塔。

書評

「青春の碑」の労働日記

荒俣 宏
作家

『外国航路石炭夫日記』を読んで、じつに楽しくおもしろかった、と感想を述べれば、不謹慎のそしりを免れぬかもしれない。でも、非常に興味ぶかい内容なのである。本書の副題、「世界恐慌下を最低辺で生きる」というコピーを読むかぎり、残虐ホラー小説のような小林多喜二の『蟹工船』や、外国映画みたいにパワフルな葉山嘉樹の『海に生くる人々』といった暗黒のプロレタリア文学を連想しがちである。実際、この日記には冒頭から、耐え難いほど激しい船酔い、船底で缶(かま)に石炭をくべつづける労働の苦痛、陸へ上がれば女郎屋と酒屋で有り金を使い果たし、高利の借金のみが残る不毛な日常を、描いてはいる。しかし、そうした過酷な労働実態を告発するだけでなく、外国船で東南アジアからフランス、ベルギーなど西欧諸国までを巡る海外見聞体験が、ことのほかおもしろいのだ。じつは著者、広野八郎は、石炭夫見習いとはいえ養成所を経て日本郵船に採用された社員であり、航海中に勉強する本を持参したり、人気作家だった葉山嘉樹の家を直に訪問するほどの熱意ある人物だった。
 その広野が、インドのカルカッタでは、難破船の乗客を救助し、インド人たちの大げさな感謝の仕草を観察したり、フランスのマルセイユでは男女の痴態を扱ったおぞましい映画を見せる「店」の下品さに辟易し、またアントワープでは、たまたま開催中の万博を見物、日本館の展示を見て、雑貨商店の品揃えと同程度の粗製品にがっかりする。この日本館では、振袖の娘がサービスする茶だけが人気であったとも書く。にもかかわらず、実家では家族が送金を待って居ることを重々承知の上で、港に着けば性欲に屈して女郎屋へ行ってしまう自分。日本一大きな海員組合に属しながら、会社のいいなりに動く組織と自分。それらを、上質の青春小説のように記述した日記なのである。一人の下級船員が体験した魂の修行時代、その舞台が国際世界を包む規模と深遠さとを備えていた事実に、驚くばかりだった。

過酷な労働克明に描く 『外国航路石炭夫日記』が復刊

白山誠

『外国航路石炭夫日記』は、約30年ぶりに復刊された本だ。小林多喜二の小説「蟹工船」(1929年発表)と同時代に、下級船員が体験した過酷な労働や、船員を食い物にする船幹部の姿が克明に描かれており、近年注目を浴びるこの小説の世界を思い起こさせる。

 著者は広野八郎さん(1907-96年)。長崎県萱瀬市(現・大村市)の出身で、1928年、欧州航路の貨物船、貨客船に乗務した。その頃、プロレタリア文学作家の葉山嘉樹(福岡県出身)と知り合い、同人誌「文芸戦線」に参加。船員のほか、戦後にかけて炭鉱や工事現場で働いた体験記などを書き続けた。
『日記』は28年11月から、船員をやめた直後の31年6月まで続く。広野さんは、汽船の石炭庫から火炉まで石炭を運んだり、かまの中の燃えかすを取り除いたりする作業に従事。欧州航路の貨客船では、室温が約60度(カ氏140度)にも達する所で働いた。当番は昼と夜に4時間ずつ。しかし、それを終えても様々な仕事を命じられ、休息する間はない過酷な日々だったという。
〈蒸し風呂同然だ。二〇分とはいっていたら、息がとまりそうだ。(中略)あまりのくるしさに、私たちはぶっ倒れそうになって、倒れぬうちにどうにかデッキにはってでた〉
 同僚が倒れる場面にも遭遇した。〈川野は、キイーッと言う声とともに歯を食いしばって仰向けにふんぞり返った。両股から、すね、両腕は、まるで石のようにかたく筋がつっている〉
 卒倒したり、病気にかかったりして体調を崩しても休めない。上司の火夫長からどなられ、仕事を強いられた。閉じられた職場で火夫長やその取り巻きは下級船員を酷使し、時には暴力もふるった。
 この火夫長は、部下を相手に月2割の高利で金貸しもしていた。給料はすべて差し押さえられ、さらに借金を重ね、船員をやめるにやめられぬ者も多数いたようだ。本書解説によると、当時の日本の船舶には職長による「高利貸し制度」が、普通にあったようだ。
「蟹工船」では、労働者は団結して抵抗するが、現実はそうはならなかった。その頃は世界恐慌の中で、船員らは不平を漏らしても、職を失うのを恐れ、ひどい扱いにますます甘んじるようになった。
〈船内のかれらはなかなか動かない。しっかり現在の仕事にかじりついて、はなれまいと必死である。海上労働のあらゆる不合理をなげきながら、かれらは職を失うことをおそれてかじりついているのだ〉
 不当な待遇に耐えて、いくら働いても悲惨な状態から脱出できない。『日記』の記述から、ワーキングプアとも言われる現代の問題が浮かんでくるようだ。
 最初の刊行は78年。タイトルは『華氏一四〇度の船底から 外国航路の下級船員日記』(太平出版社)だった。今回の復刊にあたり、船員用語の注釈などをつけた。

「佐賀新聞」有明抄

園田寛

 ある会合で海外によく出掛けるという人と、自殺者数の話題になった。「ブラジルはもっと失業率も高く、貧困家庭も多いけど自殺することはない」。この11年間、日本の自殺者は毎年3万人を超す。率にすると先進国の中ではトップクラスという。
 自殺の理由はそれぞれで一概には言えないが、日本人の生き抜こうとする力が弱まっているのではないか。高度成長時代は、高校、大学、就職とベルトコンベヤーに乗れば、生涯が保障された。ところがコンベヤーから振り落とされると、自分の全人格が否定されたと思い、悲観的になりすぎてしまう。
 佐賀市出身のプロレタリア文学作家、故広野八郎さんの『外国航路石炭夫日記』が復刻された。1928(昭和3)年から4年間、インド、欧州に向かう大型貨物船の石炭夫体験を書いている。悲惨な状況ながらも広野さんの生命力はたくましい。
 華氏140度(摂氏60度)の船底で石炭をたく仕事は苦難を極めた。火夫長の機嫌を損ねればさらにきつい労働を命ぜられる。それでも広野さんはへこたれず、マルセイユやナポリの街を楽しむ余裕も見せる。不払い賃金の支払いを要求し直談判も行った。
 広野さんは「海に生くる人々」で知られるプロレタリア作家葉山嘉樹の門をたたき、生涯、最底辺の労働者の世界を描き続けた。福岡市に住む広野さんの長男でイラストレーターの司さんは、日記の文字に乱れがない父の文学に対する思いの強さを感じたという。
 当時は世界大恐慌が起こり、日本でも労働争議が増えた。今の時代とよく似ている。体はくたくたになりながらも、冷静な目で観察し続けた広野さんの日記には、これからの時代を生き抜くヒントがある。

  • A5判並製376頁
  • 978-4-88344-175-4
  • 定価:本体価格2800円+税
  • 2009/06/15発行
理想は高く輝きて 卒業生たちの小倉高校青春録 石風社 毎日新聞 西部本社 小倉高校 創立 記念
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理想は高く輝きて
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理想は高く輝きて

小倉高校創立100周年記念出版。経済から文化・芸能・スポーツまで、各界を担う多彩な人材を輩出しつづける名門・小倉高校。現役OB・OGの51人が、それぞれの青春の原点となった〈倉高〉の日々を振り返ったインタビュー集。

  • 185頁 四六判並製
  • 978-4-88344-174-7
  • 定価:本体価格1300円+税
  • 2009/05/24発行
わが内なる樺太 工藤信彦 外地であり内地であった「植民地」をめぐって 樺太 国境 ソ連 石風社 工藤 信彦 詩人 歴史 サハリン 豊原 ロシア 植民 北海道 外地 内地 朝鮮 国家 北方 領土
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わが内なる樺太
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わが内なる樺太

十四歳で樺太から疎開した少年の魂が、樺太四十年の歴史を通して「国家」を問う。1945年8月9日、ソ連軍樺太に侵攻、8月15日の後も戦闘と空爆は継続、幾多の民衆が犠牲となった。──忘れられた樺太の四十年が詩人の眼を通して綴られた──

書評

樺太にかかる歴史の霧をあざやかに晴らす

テッサ・モーリス=スズキ
豪州国立大学教授(翻訳・大川正彦)

 樺太は「日本の忘れられた植民地」と言ってよい。過去の植民地の歴史への関心の高まりがあるにもかかわらず、いまだに、植民地樺太の歴史については、ほんの一握りの学術研究しかない。そればかりか、著者・工藤信彦が本書で指摘するように、『岩波講座 近代日本と植民地』全八巻(一九九二年刊)のような仕事でさえ、この歴史をほとんど黙殺している。
 このように長きにわたる当惑せざるをえない黙殺という文脈のなかでは、工藤の『わが内なる樺太』の刊行はとりわけ喜ばしい。戦前・戦中に樺太に生まれ育った著者は、教育と日本文学の著述に人生を費やし、教師としての身を退いたのち、日本の歴史・記憶・文化における樺太の在り処に関心をむけた。本書に収められたエッセイ群をとおして、樺太の植民史にかかわる著者の丹念な研究と、工藤自身の個人的な記憶、そして植民地樺太における教育生活・文学生活におけるひときわ優れた人物である父の記憶とがひとつに結びあわされる。
 ひょっとすると、いま述べた植民地という語には引用符が付されるべきかもしれない。それというのも、本書の中心テーマは日本の植民史における樺太の奇妙で両義的な位置そのものでもあるのだから。樺太は日本の唯一の真の「入植者植民地」であった。ここでは、「内地」からの移民の数が、先住民や、日露戦争での日本の勝利の後に残った数少ないロシア人の数をはるかに上回っていた。したがって、帝国秩序における樺太の在り処は、朝鮮や台湾といった他の主要な植民地の場合とは異なっていた。工藤が強調するように、樺太の日本人入植居留民たちは自分たちが植民地で生活していけるとはけっしてみなさず、むしろ日本の他地域から北海道(これもまた同様に、「植民地化される」と同時に「植民地化する」ものとみてよい島である)に移り住んだひとたちと類似した地位をもつと考えていた。
 樺太の場合、この地位は次の事実によってことさらに混乱させられる。すなわち、日本が支配した樺太の南部は、公式には三十年のあいだ「外地」として遇されていたが、一九四三年には、拓務省から内務省に移管され、こうして公式には「内地」の一部になった、という事実である。このように配置替えがあったにもかかわらず、日本はアジア太平洋戦争の終結時にポツダム宣言を受諾したとき、樺太は侵攻するソビエト軍に対して放棄された。今日でさえ、日本の検定教科書や公式の出版物では、この島は樺太と名づけられ、北緯五十度の線に沿って国境が引かれ分断されている。とはいえ、他の争点が浮かぶ実際上では、「ロシア・サハリン」と認定されているようである。つまり、『わが内なる樺太』があざやかに示すように、樺太は、日本の植民史の重要な局面を(今日ですら)包みこんでいる、両義性と忘却という奇妙で、公式に作られた濃霧のもっとも鮮明な具体例となっている。
 工藤信彦によるこの本を繙くなら、樺太史にかかわり文書史資料にもとづいた研究と、工藤個人とその家族にかかわる個々具体的な記憶とが織り込まれていることで、そのような濃霧は消え去り、この霧がかくも長きにわたって覆ってきた魅力あふれる歴史が明らかにされるだろう。『わが内なる樺太』は樺太史にかかわる数少ない既存の学術研究を綿密に分析しているばかりではない。植民地樺太の創出、樺太の教育システムと文化制度の展開、アジア太平洋戦争での日本の敗北の後に同島から大量に帰還した入植者たちに関する豊富な情報を提供している。
 しかし、本書はたんなる歴史物語りをはるかに越えるものでもある。熱情と詩情あふれる感受力によって綴られ、なんといっても、自らが探査する歴史にによって全実存そのものが形づくられてきた人物の手になるものである。『わが内なる樺太』は、国家・国民、植民地主義、アイデンティティということの意味への洞察に充ち溢れている。読者が本書から息吹を受けとり、戦前・戦中の樺太という目を瞠るけれども、あまりに長く無視されてきた物語を探究されるよう、評者はつよく希望する。

国境 忘れられた「存在」

岩下明裕
北大教授・ユーラシア国境政治

 国境とは何か。本来、それは国家の権力が物理的に及ぶ空間の境界(ライン)であると同時に、その空間に暮らす人々が心のなかで一体感を共有する認識の境界でもある。
 しかし、現実には物理的なラインとこの認識上のラインは往々にして一致しない。それでも「領土問題」として国境をめぐる係争が顕在化している境界は、多数の国民に意識される。北方領土と竹島。例えば、政治化した境界をめぐるこのズレの問題は、係争の当事者からみれば、不十分に感じられるとしても、それは確かに「存在している」。
 国境をめぐる問題の真の所在は、その「存在」が認識されていないところにある、と評者は考える。国家が支配する権力空間のなかで、多くの国民に忘れ去られている境界に近い島嶼(とうしょ)。今では、与那国、対馬、小笠原など国境島嶼の存在がそれだ。その存在がメディアや国民の注目を浴びるのは、せいぜい、外国の「脅威」が強調されるシーンにおいてに過ぎない。国境地域の現実に普段は関心も興味ももたない人々の過剰な国境への想像力とロマンは、しばしば現地に暮らす人々を傷つける。
 この「内地」の人々の国境地域に対する無自覚ぶりを反転させた象徴的な事例が、樺太をめぐる問題といえる。工藤信彦は本書で、日本国家が喪失した領土、樺太の存在にかかわる議論を整理し、その意味を読者に突きつける。工藤によれば、「樺太」問題の真の悲しみとは、戦後にその物理的存在が喪失したことにあるのではない。ソ連との間に北方領土問題を抱えるがゆえに、日本国は樺太の喪失を追認することができず、存在はあえて「空白」とされ続けた。そして今日、「空白」としての存在もまた忘却の彼方にある。
「存在」耐えられない軽さ。「平穏」な国家にとって、国境問題とは重荷でしかないのだろう。

  • 四六判上製・311頁
  • 978-4-88344-170-9
  • 定価:本体価格2500円+税
  • 2008/11/20発行
井上岩夫 豊田伸治 石風社 著作集 エッセイ 拾遺 石牟礼道子 詩 
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井上岩夫著作集[3]エッセイ他拾遺
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井上岩夫著作集[3]エッセイ他拾遺

著作集完結!


戦後へ続く酔中夢。批評と諧謔が人間の実相を抉り出す。戦中と戦後を隔つクレバスの闇底で、人という業に対峙し、軍隊という夢魔を撃つ詩精神の実弾。「胸底の洞(うろ)に處女のごとき含羞が隠れていて、生きることは業であるということを、これほどしんしんと悟らせる人も少ない。」(石牟礼道子・作家)。全3巻完結。

書評

〈戦争〉文学的に昇華──完結して

豊田伸治
編集・出版人(予備校講師)

 井上岩夫を最初に知ったのは、熊本大学中退後京都に帰り、数年たったころだったかと思う。熊本の批評家渡辺京二さんから、大発見なので、ぜひ読んでみるように、という旨の手紙をいただいたのだった。薦められて読んだ「カキサウルスの鬚」と「衛門」は衝撃だった。このような〈戦争文学〉は初めてだった。私がそのジャンルにそれほど詳しいわけではない、という点を差し引いても、その二作は私の前に鮮烈な驚きとして表れた。勿論、それぞれ扱う情景も構図も異なっている。しかしどちらも、従来の、悲惨さを強調するものでも、知的高みから批判的精神で描くものでもなかった。全く違った視線で描かれていた。
 それはどのような視線かを簡潔に言うのは難しい。氏の作品はどれも入り組んだ構造をしていて、容易には正体を見せない謎めいた相貌をしているからだ。その謎を解きほぐし、受けた感銘の中身を確かめるというのも、井上作品の楽しみである。
 その二作品を読んですぐ、詩集『荒天用意』を注文した。この浩瀚(こうかん)な詩集も謎めいた相貌をしていた。以来、出版されるか、熊本の雑誌『暗河』に発表される作品すべてと付き合うことになった。
「井上作品の魅力を一言で言うと?」と質問されることがよくある。一言では無理なので、取材されるといつもその辺りが曖昧になる。だから、その質問への返答の代わりに(ならないかも知れないが)、私なりの謎解きを試してみよう。できるだけ短い詩で。
 〈たてがみがかき分けていく/水晶空間(4文字傍点)/逸る四肢は馬腹に抱いて/反った雁列を跳び越える/ぴったり/半馬身おくれてついている/濡れたシャッター(8文字傍点)//瞼は/つねに置き去られる廐舎である/眼球のそら高く駈けぬけるたてがみを/えいごうと名づけてくしけずる/白内障(そこひ)の馬丁が立っている〉
「まばたき」というタイトルが付いている。ここから、筆者が付した傍点部分が何の比喩かは明らかだろう。時が駈けぬける瞬間が描かれている。それも「逸(はや)る四肢は馬腹に抱いて」いるのだから、本当に瞬きの間のことだ。それでも現実は「半馬身おくれ」でないと捉えることができない。ただ見ていても眼は現実を十分には認識できない。残りの半馬身は「水晶空間」の隙間をすり抜けてyく。ところが、全貌が見えている者がいる。「白内障の馬丁」だ。しかもただ見えているのではなく、その本質に触れている。「たてがみ」を「くしけず」っているのだから。
 この作品に限るなら、ここまでで読んだ感触が残る。他の作品もイメージしながら、もう少し先まで行ってみよう。
 病む者、欠落を抱えた者、いらなくなった者、最後尾の者にだけ投影される現実がある。この世界の至る所に隙間があるからだ。日常生活の中にも、人間関係の中にも、その見えない隙間、存在をよろめかす隙間が、クレバスのように待ち構えている。氏は〈戦争〉でそれを見た。踏み込んでしまったと言ってもよい。人はそれぞれ戦争からつらい体験や消し難い苦悩を持ち帰っただろう。しかし、そういうものは、いかに痛烈であろうと、文学としては成立しない。氏が抱え込んだものが存在基盤の隙間だったからこそ、社会的戦後は終わったと白書が宣言しても、内面的戦後はまだ始まってもいない、と呟かずにはいられなかった。先の詩の視点の低さに注目してほしい。馬は「そら高く」「雁列を跳び越え」ても、視線は低い所から出ている。その足元の、サツマの土俗を引きつれて、〈戦争〉が文学的に昇華された時、戦争体験などない私のような世代にも訴えかける作品に結実したのである。
 井上氏は戦後文学の正当な位置を占めるべき作家である。あまりにも時間がかかったが、この著作集が再評価、あるいは新発見の引き金になればと思う。それが地元鹿児島で起こればなおうれしい。

  • A5判上製函入670頁
  • 978-4-88344-165-5
  • 定価:本体価格7000円+税
  • 2008/06/30発行
 (48件中) 1〜10件目