書籍

20世紀の記憶既刊
発行日▼50音順▼
 (48件中) 1〜10件目
アジア回廊 甲斐大策 甲斐巳八郎 満洲 アフガニスタン アフガン 石風社 中国 絵画 水墨画
booktitle
アジア回廊
zeikomi
¥0円
アジア回廊

満洲──アフガニスタン。茫茫たる中国大陸に生きる中国民衆の強靭な生を畏れとともに描いた巳八郎。深々としたアフガンの人と風土に魅入られ、その深奥を描かんと彷徨する大策。強烈な個性をもつ画家父子によるアジア回廊巡り。

書評

アフガンに見る人間の魂

小林清人
読売新聞文化部

〈パシュトゥンってどんな人たちだ?
「おれがパシュトゥンじゃないか。つまりアフガンだ。あんたはよく知ってるじゃないか」〉
 福岡市の石風社から出た「アジア回廊」は、父は戦前の中国を、息子は戦後のアフガニスタンを中心にアジア大陸を放浪した九州出身のともに絵かきの親子がこれまでに新聞や雑誌などに発表した文章を集めている。約250ページのほぼ前半分が息子の大策氏に、後半分が父巳八郎氏に充てられ、二人の絵画作品の図版も豊富だ。
 冒頭に引用した部分は大策氏とアフガンの〈兄弟〉ハジとのやりとりだが、「おれがアフガンだ」というきっぱりとした答え方が新鮮に感じられる。このように明快に確固とした自己確認のできる日本人は少ないのではないか。「殺すか兄弟になるか」の選択を迫られるのが、「血を支払い合う中で人間の心を知ってきた」アフガンの人々の人間関係だという。人々の魂は単純で、深い。
「毎年十万人失っても、今百二十万人戦える者がいるから十年はもつだろう。その間に子供達が育って、新たな百二十万人が出てくるよ」
アフガン戦争下でのこの長老の言葉にも圧倒される。人々は長大な時空の中で生きている。ここでの生活の美しさは「悠久の時間をぬって多くの民族と文化が交流し破壊し、そのつど、ほんの少しずつ厳選された美が残り、人々の生活にキラキラとちりばめられていった」ようなものとしてある。音楽もまた「民族興亡の数千年が練り上げた旋律」なのだ。
 ペシャワールでは、「毎夜、仇討ちのために、少なくとも二人以上の死人がでる」。ハジがみずから描き出すように彼らは「正直で、ウソつきで、盗っ人で人殺し」だが、日本人の〝兄弟〟を見送るために十時間をバスに揺られ、別れ際には「涙を浮かべ力いっぱい私を抱きしめ」るような人間でもある。
「泥と血の匂いとともに、無限の優しさを漂わせる」人々は、異国趣味で眺める分には尽きない魅力をたたえて見えるが、隣人として付き合うとなると、どうだろう。現代文明が失ってしまった何かに郷愁を感じてばかりもいられなくなるはずである。
 彼らの生活態度がさし示すももを「西欧近代の知と思考によって解きほぐすのは不可能である」と大策氏も指摘する。私たち日本人の多くにとっても事情は同じだろう。イスラムに改宗し、彼らと〝兄弟〟になったはずの大策氏自身、「結局のところ私は見物人だ」と書く。そうつぶやくしかないような遠い距離が彼らと私たちの間には横たわっているようである。
 巳八郎氏も画家らしい丹念さで人々の暮しを記述している。戦前の日本人で、対等の人間としての目線で中国人を眺めることのできた人はそう多くはないのかもしれない。売春婦や賭博者に向けるまなざしにも、余儀ない人生を生きる人々への共感やいたわりの気持ちが感じられる。

  • A5判並製254頁
  • 4-88344-017-6
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 1996/11/30発行
穴が開いちゃったりして

町田康氏「自分の師です」。


深く、自由に生きるために、世界の表皮を裏返し、全身全霊で世紀末を駆け抜けたカルトの怪人・隅田川乱一。「JAM」をはじめとするさまざまな雑誌に遺した、プロレス・ドラッグ・パンク・イスラム・神秘学にまつわるディープな知力が甦る。

書評

ダイナミズムとリズム 文章のなかに音楽がある

近田春夫
ミュージシャン

 隅田川乱一は、一九五一年生まれで、タコという日本ロック史上でも意味のあるバンドのメンバーであり、また、雑誌編集や文章にも独特の境地を見出した、なかなか他にいないタイプの男である。
 世代はまったく一緒で、していることに共通点がない訳でもない。しかし会ったことは一度もなかった。文章も、多分読んでいなかったと思う。
 何でそう思うかというと、この人の文章は魅力がある。だから読んだら忘れられない。読んでいたら覚えていると思うのだ。
 あるいは面白いと感じるだけの力がなかったか。いずれにせよ、この人の文章は、きっと雑誌のなかで読むより、こうして一冊の本になったものを読むのがふさわしい。ダイナミズム、そしてリズムを、より強く実感することが出来るからだ。
 格闘技、ドラッグ、宗教、そして音楽、更にその他もろもろ。守備範囲はひろい。しかし、観点はひとつだけである。読み進むほどにそのことに気付かされる。この観点がディープなのだ。そして、先にも書いた通り、ダイナミズムとリズムを持っている。本の推薦を書く町田康が《明るくてポップで、でも主張が明快で》というように、その文章は、硬質なものだけが持つしなやかさで、読み手の神経を覚醒させる。難解な内容があっても、この本は人をリラックスさせるのだ。
 つまり、文体ということか。文体に普通と違うバランスを感じる。文章のなかに音楽がある、と私は思った。だから読んでいると、自然と身をゆだねたくなる。
 この品格が実に得難いと思うのである。たとえばタイトルになった《穴が開いちゃったりして》の、バリ島の暑い夏の夜の描写。ここにただよう空気の濃密さである。いちいち質感がどこか上等なのだ。それで安心して身をゆだねられる。
 そういう意味でいうと、大きくスタイルはふたつに分けられる。筋道は通っているが話としてはねじれているものと、話も筋道の通ったものになっているもののふたつだ。この《穴が…》は前者である。町田康が好きな作品として挙げた《報道関係者に告ぐ/おまえらの報道の基準は何処にあるのだ》は後者だろう。そのどちらも奥の方でつながっている気がして、大きなうねりのなかにリアルというものが力強く何かを貫いているイメージが、いつしか湧いてきた。
 この本は、分野としては批評、評論に属すると思うが、とにかくこれだけはいえる。隅田川乱一は物書きである以前に音楽家だった。そして文章から察するに音も良い手触りだったのだろうなァと思ってしまう。
 読んでいたら、一ヶ所私の名前があった。春男になっていたのでちょっとガクっと来たが、ほぼ原文のまま載せているので、こういうこともある、と凡例としてあとに書いてあった。夫人によるあとがきも凛として良い。

70年代アングラカルチャーの世界

永江 朗
ライター

 かつて雑誌とは、私に「悪い」世界を教えてくれるものだった。黒々として危険な匂いがして、とても魅力的だった。『ヘヴン』(『ジャム』から改称)や『ウィークエンドスーパー』『ロック・マガジン』などがそうで、小ぎれいな大型書店では手に入らない。
 そこで健筆をふるっていたのが隅田川乱一(本名・美沢真之助、九八年、四十六歳で病没)だ。彼が四半世紀の間、さまざまな雑誌に書いたコラムと未発表原稿を集めたのが、この奇妙な表題の本である。
 本を開くと、たちまち七〇年代アングラカルチャーの世界に連れていかれる。扱われているのは大麻やドラッグの話であり、プロレスであり、パンクロック、現代文学、そしてオカルトや精神世界だ。彼がサブカルチャーを追究したのは、自由に生きるためだった。ストレートな熱気が伝わってくる。ああ、いまのポップ文化のほとんどは、すでに隅田川らによって先取りされていたのだなと思い、感動する。

  • 245頁 A5判上製
  • 4-88344-091-5
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2003/01/31発行
井上岩夫 詩集 鹿児島 詩人 石風社 豊田伸治 島尾敏雄 全集 1 
booktitle
井上岩夫著作集[1]全詩集
zeikomi
¥0円
井上岩夫著作集[1]全詩集

「ああまだこの世に詩人が生き残っていた」島尾敏雄(作家)


戦争と土俗とモダニズムを引き連れて孤高の詩精神が甦る。苦いユーモアとともに、世界の核心に垂鉛を降ろす。──「私の前にはまぎれもない詩人・井上岩夫が居た。ああまだこの世に詩人が生き残っていた、という強烈な衝撃を私は受けたのだった。」(島尾敏雄・作家)

書評

人は「そのた」でしかない

廣瀬晋也
鹿児島大学教授

 井上岩夫の「荒天用意」(一九七四年)は、「あとがき」によれば、著者三十年にわたる詩業のなかから選んだ新旧の作品で構成した詩集である。序詩以下、長短七十七編の詩が収録されている。この中に、「そのた」(一九七二年)と題する一編がある。
〈そのた/そのほかではない そのた/備考でもない 備忘でもない/いちばん右はしの/あろうがなかろうがどうでもよい そのた/空白のままがよいところにもあるそのた/(中略)/そのた そこに在っても所詮/在らされている そのた/どのような項目にも属さず あらゆる項目を包括する/自在な隷属の残忍なよび名/人々とひとびとの間を埋め/野次馬とヤジウマの断れ目をつなぐ/等身大のただの空間/空間の中のただのチェックマーク〉
 押さえたつぶやきから伝わってくるものは、独自性などとは無縁の、なにものでもない「そのた」であることへの怒りといらだちだが、それだけではない。永井龍男の小説「一個」の主人公が思い起こされる。定年退職を間近にひかえた彼は、自分は代替可能の「一個」にすぎないという意識にとらわれ、将来への不安から錯乱に陥る。これに対して、井上の「そのた」には、「そのた」であることをひきうける者の覚悟がうかがえる。この「そのほかではない そのた」だと語る人物が不敵な面構えをしていることは確かである。
 人が「そのた」であり、「そのた」でしかないという思いを、井上はその長い軍隊生活からひきずっているのであろう。「荒天用意」には、「戦争」「照門は見た」「止まるな丸田」など、戦地の体験に基づく作品がある。井上と同年、一九一七(大正六)年生まれの島尾敏雄は、詩集末尾に「井上岩夫さんの詩集に添って」という一文を寄せている。島尾は「『後列の後尾にしか並んではいけない』『そのた』としての不動の位置が、彼の詩にたじろぎのない強さを与え」たと評する。
 井上は同詩集中「声」(一九六四年)においても、人が戦後社会を生きるなかで置き忘れてしまったことを問い、執着や断念や失意が交錯する日常を冷徹に見つめ、耐える。
〈はげしい雑踏の流れの中で/ふと くびすをかえす男がある/釘をうってしまった棺桶の蓋を/もう一度明けねばならない女がある/何度も確かめた空家の戸をどやしつけ/そのまま佇ちつくす男がある/聞きそびれたものは何なのか/撃ち落した山鳩のまだあたたかい胸に/耳をあてがう老いた猟人がある〉
 井上岩夫は復員後、鹿児島市で印刷工房を経営するかたわら、相次いで詩誌を創刊し、また「南日詩壇」の選者をつとめるなど、鹿児島詩壇の中核にあって詩活動をつづけた。

透きとおった抒情の絶唱

岡田哲也
詩人

 作家井上岩夫といっても、知る人は少ないだろう。彼は一九一七年、鹿児島県の片田舎に生まれ、応召されて大陸に渡り、捕虜となり、帰還して来た。その後、鹿児島市でガリ版による印刷所を始め、そのかたわら詩を書き、さらに小説を書き、一九九三年亡くなった。詩集に「荒天用意」や「しょぼくれ熊襲」などがあり、小説に「カキサウルスの鬚」や「車椅子の旅」などがある。
 鹿児島県の北部、出水市に住むわたしは、年に一、二度彼と会うことがあった。酔えば誰にでも突っ掛かってゆく彼と焼酎を飲みながら、私も生意気なのだが、やるせなくまたやりきれなくなることが幾度かあった。田舎わたらいをしながら、いたずらに〈中央〉にこびず、〈地方〉をあなどらず、師にもつかず師ともならぬ人の生き方とはこんなものか、と思う時もあった。
 しかし、奥様に先立たれたあと、晩年はひっそりとしたものだった。見るにしのびなかった。
 その井上岩夫の著作集全三巻のうち、詩集を収めた第一巻が刊行された。版元もだが、ここまでこぎつけた編集者の豊田伸治氏の情熱と執念に、ただ脱帽のほかない。なつかしさに駆られて読みながら、わたしはいつしか素直に、その作品を味わっていた。戦後間もない頃の作品に、「作品2」というのがある。
「こんこんと眠るのはかなしい。屈辱は死にまで垂れている。不逞くされて、白眼をむいて/ごうごうと眠るのもかなしい。生は脚光によごれ/死は苦役によごれている。」
 戦争によって彼が見たものは、化けの皮がはがされた時代であり人間であり、そして自分自身であった。
 彼の詩は、その化けの皮をはがす行為そのものであり、彼の小説は、はがされたあとの自分をしゅうねく注視しつづける行為であった。
 戦後、彼の人生は、脚光に汚れた生よりも、苦役によごれた死よりも、シャバの苦労とインキと焼酎にまみれた人生だった。ただそのなかから上澄みのようにしみあがってくる透きとおった抒情があった。酔っぱらったら、「かなわないな」と思わせるところがあったが、次のような作品にも、遙かに「かなわないな」と思わせるところがあった。
「海がふと黙りこむ/臆病なヤドカリが/こっそり殻を脱ぎかえているのです//地球の足どりがふと鈍る/いちじくの葉っぱのカタツムリが/むきをかえているのです//雨はいつだってふっています/カタツムリの葉っぱに ヤドカリの海に/ひっそり やさしく 降っています/だが人々の心にまでは届かない/そこは遠すぎる砂漠なのです」(雨)
 説明も解釈も不用な絶唱だと思う。月並みな言葉だが、良いものは良い。いつ読んでも、その時その時の味わいがある。
 あるいは彼は、作品「岩」のなかで「君は荒海をみたことがあるか/あの底知れぬ静謐に対峙したことがあるか/アラナミでもドトウでもない/あれは ふと絶句したり吃ったりする(中略)きれぎれの痛む記憶を渚にうちあげる/あれは 許し続ける怒りの本質だ」と書く。
 井上岩夫は、なにを許し続けたのだろうか。そして、なにに怒り続けたのだろうか。
 おそらく、ひんむいた時代や自分の化けの皮に裏うちされていたものが、許し続ける怒りの本質であったのだろう。
 島尾敏雄と交友があった彼は、同年ということも手伝ってか、特攻隊長としての彼と、その他大勢の一兵卒としての自分を、面白おかしく語ることがあった。「島尾さんは高貴、俺は卑小」、そんなことを口走ったが、むろん誰も信じていなかった。戦後の社会も、またぞろ顔や看板や毛並みがもてはやされるようになって来たが、彼はそういう後ろだてがない所で、良く頑張ったと私は思っている。
 だから、井上岩夫の現代的意義などと言われても、困るのだ。私は好きですが、あなたも読んでみませんか、ということにつきる。

洞の底の含羞 『井上岩夫著作集』刊行に寄せて

石牟礼道子
作家

 亡くなった鹿児島の井上岩夫氏の、分厚い詩集が世に出た。
『井上岩夫著作集1・全詩集』である。あと二巻が用意されていると聞く。
 いわゆる出版人ではない青年が京都で学習塾と営みながら、井上さんの詩にほれこみ、友人たちを尋ね、散逸していた詩稿を探し出して編集し、装幀も立派な本に仕上げた。
 出版までのいきさつを多少は知って、待っていた一人としては、今どき珍しい壮挙ではあるまいかと思う。
「九州一円では知られた詩人」だったが、「文学の世界もそれなりの根拠を持って東京を中心に動いてい」る中で「井上さんが一部の目の見える人たちを除いて『無名』だったのはある程度という保留付き」であり、死後ではあるが「新人」として世に問いたいのだと、資力をなげうってこの挙を成した、豊田伸治さんの編集後記にある。
 読み進むうちに背筋が伸びてくるのは、詩人とこの編者の、今どき希な古典的な矜持にうたれるからであろう。それに何より読者として心性の高いこの詩的事業に参画するよろこびを与えられる。
 生前、井上さんは、自分の没後こういう奇特な青年があらわれて、全集を編んでくれるとは、思われなかったのではないか。霊あらば羞かみ哭きをなさるのではあるまいか。
 自ら蟇左衛門と名乗っておられたにしては痩身であった。あたりはばからぬ狷介さを発揮しつつ、あと一杯、焼酎が足りないと書く人でもあった。胸底の洞(うろ)に處女のごとき含羞が隠れていて、生きることは業であるということを、これほどしんしんと悟らせる人も少ない。自分のことを詩人はこんなふうにいう。
  足の先の凶暴な靴
  の中からまた徐々に逼いのぼって帰る俺。
 素足の足の裏が知っている人間の現在について、わたしも記憶が戻ることがあるけれども、靴について、この人のように考えたことはなかった。
  あそこに
  やくざな靴が待っていて
  客を拾った
  歩きだした
  それがジンルイの疲労の
  はじまりだった
 それゆえこの靴は戦場にも行かされた。
 軍靴の中から戦後、「徐々に逼いのぼって帰る俺」の夢枕に、陸軍二等兵丸田四郎という「大飯くらい」が出てくる。要領の悪い二等兵が、戦場においていかに悲惨であるか。薩摩の旗印を俗に十の字というけれども、別名マルニギュウノジというこの兵隊の死を描き出して、「止まるな丸田」と題した長い一篇は、詩人の無念さを私たちも共有させられる。
  お前の軍靴が償った不毛の距離
  あの日落伍した俺の辿り残した道程に
  俺はたおやかな白い野菊を植えた
  蛍を放った
  雪を舞わせた
  三十五年!
  お前の死が償った中支江蘇省のまっかな落日の下に
  再び軍服を着た牛追いをお前は見ただろう
 それにして、消費物資並みにだぶついている文学とやらもセールで売られている。一行の詩語をかくとくするのに、この詩人が払っている人生の対価が、いかなる埋蔵量の中から掘り出されているのか、わたしたちは、ちらりとぐらいはおしはかることができる。
 たぶん焼酎も足りて機嫌のよい時、詩人の手つきも、あのこまやかなきりぎりすの「さわりひげ」に似てくるのだなと想像することもできる。次のような美しい一聯から、それを教えられる。
  草のやかたのきりぎりす
  露から生まれた時の天敵
  すり合わす翅で月を回して
  のこぎりの手でのこぎりの足で
  黒い鞠を回している
 ちなみにこのきりぎりすは、父父父父父、と鳴いているのだそうだ。父という字だけで三行もあるこの一聯を読みながら、わたしは生命の連続性を探ってゆくには、妣というのが糸口になるのかと考えていたのを少し補足した。こんなふうに音声化されたかぼそい虫の声は、やはり、妣に対応しているのかと思い出し、悪かったなあと立ち止ったのである。
 御魂あれば焼酎を献じて申し上げたい。
 蟇左衛門とは、自意識も過剰すぎると存じますが。

井上岩夫著作集を編集して──その詩を読み解く

豊田伸治
「井上岩夫著作集」編者

 どうして京都に住む私が、生前それほど交際があったわけでもない井上岩夫さんの「著作集」を出されたのですか、という趣旨のことを何度も聞かれます。埒があかないと『惚れた作家への情熱・傾倒』などという常套句が登場します。否定するわけではないのですが、何か面映ゆい気がします。そもそも傾倒する作家は大抵本になります。困難でも手に入るし、少なくとも図書館で読めるのに、井上さんだけがその全貌を見ることが出来ない、という事実に駆り立てられた、という側面はありました。それにしても、どうして私が駆り立てられたのかということになると、話は元に戻ってしまうことになるわけですが。井上さんの作品は纏まった形で残す価値があるし、誰もしないなら自分がするしかない、と自分で自分に言い聞かせたわけで、いわば道楽のようなものです。
■難解の裏にあるもの
 第一巻が「全詩集」なので、ここでは詩について書きます。平易だと言う人もいますが、難解だと言う人の方が多いようです。勿論平易なのもあれば、意味を探るより言葉の流れに身をゆだねていれば、胸を打つものもあります。ただ井上さんは詩はリズムの心地よさだけで歌おうとはしません。選び抜いた語句の配列と、綿密に計算された比喩の組み合わせが難解に見せているのです。そこをうまく見付けるのが理解の第一歩です。紙幅の都合があるので、できるだけ短い詩で、試してみましょう。
〈たてがみがかき分けていく/水晶空間/逸る四肢は馬腹に抱いて/反った雁列を跳び越える/ぴったり/半馬身おくれてついている/濡れたシャッター//瞼は/つねに置き去られる厩舎である/眼球のそら高く駆けぬけるたてがみを/えいごうと名づけてくしけずる/白内障の馬丁が立っている〉
「まばたき」という詩です。傍点を(この転載では太字で表記)つけた部分はタイトルからも、最後の「瞼」という部分からも、何の比喩かは明らかです。そこを「かき分けていく」馬は、見える対象物ということになります。一瞬一瞬に見えているものは、「半馬身おくれて」つまり後ろ姿しか見えていない、と書いてあります。人はものの本質は半分しか、然も過ぎてしまったものしか見えない。だからといって、『眼あきは不便なものだ』などという塙保己一の逸話のようなことが書いてあるわけではありません。見えているのは白内障の馬丁なのです。井上さんの作品には、時にこういう病や障害を背負わされた人物が主人公として出てくるのですが、この詩でそこまで読みとる必要はありません。でもただ見えているのではなく、「たてがみをくしけず」っていることは見ておかなければなりません。病(この詩では眼)に犯されたもののみが捉える本質とでも言うのでしょうか。それが「えいごう」です。この詩でその内実まで入り込む必要もありません。
 まだすべてに触れているわけではありませんが、このぐらいでよいでしょう。難解とされる詩はこのように比喩が響き合っています。そのあたりを読みとれば、読んだ感触が残ります。
■底に漂う「悲」
 一つの詩作品には、それなりの世界に対する一つの切り口があります。井上さんの作品はその切り口から見える世界が深いのです。その底には「悲」が漂っています。悲壮でも悲観でもありません。悲歌とでも言えばいいのでしょうか。勿論それが表立って登場することはないのです。それは恥ずかしげに身をよじり、韜晦し、時には戯画となって、時には嗔(いか)りとなって表現されます。また時には小さきものへの哀歌となります。それは資質と、戦争体験と、「薩摩」という土地に暮らすことになるモダンな精神が、くぐらなければならなかったものを暗示しています。その全貌はやはり小説やエッセイが揃って明らかになるのですが、少しずつでもかいま見ることが出来るのが詩の強みなのでしょう。
 井上さんにとっての未知の読者に届くことを願いながら。京都にて。

文学に映した戦争

松下純一郎
熊本日日新聞文化生活部記者

 井上岩夫。鹿児島に生きた詩人、作家。だが、その存在を知る人は少ない。今回、熱心な一読者の手で出版された著作集からは、詩への熱い情熱と、孤独を恐れぬ凄絶な生きざまが、重く伝わってくる。その根底にあるのは、紛れもなく戦争体験だった。
     ○
 著作集第一巻は全詩集。第二詩集「素描」(一九五四年)はじめ、「荒天用意」(七四年)「しょぼくれ熊襲」(七九年)などを収めた。いずれも推敲を重ね、余分な語句を削り落とした作品群。「捨てるだけ捨ててみると、残りは十二篇になっていた」 (「しょぼくれ熊襲」あとがき)と、言葉への厳しさと自戒がのぞく。
 生前交友のあった同世代の作家島尾敏雄さんは、昭和三十年代初め、井上さんの経営していた印刷所で出会う。島尾さんは、その時の印象をこう記した。「私のまえにはまぎれもない詩人・井上岩夫が居た。ああまだこの世に詩人が生き残っていたという衝撃を私は受けたのだった……」(「荒天用意」跋)
     ○
〈戦争について語ることも、書くことも、今は空しい。殺し合いの現場に行きもしない人々によって、戦争はあらかた語られ尽くしたようだ。唯一つ、これだけをつけ加えておこう。どうしても読解できない緊急作命によって一つの部隊が行動に移ることがあるということを。//わたしは覚えている。あの後尾の一人が誰であったか。あたりまえのように装具を着け、砲をひき出し、前の男が歩くとおり次々に歩いて消えていった、あの行く先を誰も知らない、そして誰かが知っていると信じている、長い縦隊の後尾の一人が誰であったかを。〉(「荒天用意」)
 「後尾の一人」とは誰か。評論家渡辺京二さん(六二・熊本市)が読み解いている。
 渡辺さんは昭和五十年代初め、井上さんの作品に触れて心動かされ、自ら編集していた文芸誌「暗河」を紹介。以後、井上さんは同誌に発表し続けた。「『後尾の一人』とは何の個性的特徴も持たぬ一個の無名者なのです。(略)戦争とは、行き先も知らぬ縦隊の後尾にたしかにひとりの男が歩いていたということなのだよ、と作者はいっています。作者が戦場から持ち帰ったのは、こういう『一人の実在』に関する譲渡できぬ思い込みでした」(「土俗としての戦争──井上岩夫論」=『暗河』二四号)
 出水市に住む詩人岡田哲也さんは、三十年の世代差を超え、「本物の詩人として見ていた」と言う。岡田さんの言う詩人とは「徒党を組まず、一人でその世界に立ち向かう人」。あたかもドン・キホーテ。「鹿児島も地方文化人みたいな人が跋扈している。井上さんはそれを拒んだ。偉そうなことを言ってなんだい、という生き方」「戦争を体験したことで、化けの皮をはがした人間の生身を見てしまったんだと思う 、自分の姿も含めて。この目で見たぞ、この耳で確かめたぞ、と」(岡田さん)
     ○
 井上さんは優れた小説も残した。渡辺さんが最初に触れたのも小説「カキサウルスの鬚」だった。入り組んだ手法、洗練された文章。モダニズムを踏襲する一方で強烈に「鹿児島」のにおいをふりまいていた。「鹿児島特有の階層感情、そして土俗せいがほとばしっていた。南米文学にも通じる前衛性を感じた」という。
 井上さんはその後、二度目の応召(昭和十八年)の後の体験を基にした小説「下痢と兵隊」を「暗河」に発表した。部隊の同僚や部下たちのこと、ささいな会話、心理の葛藤などが二百二十枚につづられた。締めくくりはこうだ。「何だ、これだけのことか、何もなかったじゃないかと舌うちする人もあるだろう、凄惨な死闘や飢餓や意表を衝く作戦などが出て来なければ人々はもうセンソウに出会ったとは思わないだろうから。そんな戦記や小説に比べればこれは屁のようなものには違いないが、ゴミでしかなかった一人の兵隊にもまたゴミなりのセンソウがあったことを観て戴ければそれでいいのである」
「後尾の一人」がここにいる。
     ○
 井上さんの生涯の友は酒(しょうちゅう)だった。三男の巨器(なおき)さん(五〇・鹿児島市)は父の家業を継ぎ同居していたら、夜もおちおち寝ていられなかったという。「夜になるとふらりと出掛け、どこそこで見知らぬ客に声を掛けてはけんかしていたようだ。夜中の二時、三時、飲みつぶれているから迎えに来てほしいと店から電話があるんです。それも知らない店から」一時は父を嫌悪していた巨器さんだが、「誇り高かった」父を今は許せる、という。
 厳しさは鹿児島の文学仲間にも容赦なく向けられた。その裏に、作品を理解してくれないもどかしさや憤りが、突き上げていたとも見られる。
 今回、企画編集した豊田伸治さんは熊本大在学中に「暗河」に参加、その後井上さんを知った。会ったのは一度きり。「作品や資料を散逸させたくなかったし、全国的には無名の詩人だが、その優れた仕事をまとめることで現代日本文学の中での位置を問いたかった」。著作集はこの語、小説集、エッセー集と続く。
 地方に生きた詩人の戦後が、やっと明らかになっていく。

  • A5判上製函入 487頁
  • 4-88344-030-3
  • 定価:本体価格5000円+税
  • 1998/07/30発行
井上岩夫 詩人 鹿児島 小説 カキサウルス 石風社 豊田伸治 全集 宮内勝典
booktitle
井上岩夫著作集[2]小説集
zeikomi
¥0円
井上岩夫著作集[2]小説集

兵士にとっての「戦争」を、自意識の劇の過剰のなかに描き切る。──ひとりの詩人が、現実への深い拒絶と孤絶の果てに、知の狙撃兵となって「世界」を再創造する。「『カキサウルスの鬚』を読み、私は愕然とした。揺るぎない存在感にショックを受け、青ざめた。…小綺麗になった土地や時代の、その地層の最深部から、風化することを拒む一つの意思が恐竜のように起ち上ってくる気がしたのだ。」(宮内勝典・作家)

書評

「生き返った恐竜」に会う

宮内勝典
作家

 井上岩夫という詩人がいた。九州一円では知られているけれど、いわゆる中央詩壇とは無縁のまま、権威に対してひっそりと背を向けて生きつづけた詩人だった。古本屋、看板かき、印刷屋などを営みながら、市井の片隅にあって反時代的な姿勢をつらぬいた。

 作家・島尾敏雄は、彼についてこう記している。
 「目が鋭く光ってすべてに拒否的な気配が漂っていました。(中略)しかし彼の目の底では静かなやさしさが、表現の方法を見つけ得ずにはにかんでいることを隠せないのです。(中略)孤島の岩の上の俊寛のような彼の悲しげな目。しかし私の胸の中に焼きついているのは無口な彼の在りようです。薩摩の風土にまみれてその穴からじっと世界を伺っている目」
 まったくその通りで、これ以上つけ加えるべき言葉は何もいらない。ただ親子ほど歳のちがう者から見た印象だけを補足しようと思う。出会ったのは二十年ほど前、鹿児島市・天文館通り裏の居酒屋だった。世の中は明るく繁栄しているのに、戦時中の不発弾のようなものがそこにごろりと存在して、過去をそんなに簡単に忘れていいものかねと言わんばかりに、目を光らせている気配だった。しかも、生半可なインテリを毛嫌いしつつ、市井の片隅にひそんでいる狷介な初老の男……。
 初対面のその日、私たちはつかみかからんばかりの激しい口論となった。彼にとって私はチンピラの駆け出しであり、私のほうは屈強な父親世代に初めて全力で挑めるような高ぶりを感じていた。その出会い頭の喧嘩の後、私たちは知己となった。

 彼の小説はぶっきらぼうで、ごつごつとして読みづらかった。だが戦中派の父たちの胸の奥底にどんな思いが秘められているのか、ついに納得できた。そして私は、こう記した。
 「『カキサウルスの鬚』を読み、私は愕然とした。揺るぎない存在感にショックを受け、青ざめた。上っ面だけのっぺり小綺麗になった土地や時代の、その地層の最深部から、風化することを拒む一つの意思が恐竜のように起(た)ち上がってくる気がしたのだった」
 決して、お世辞ではなかった。不発弾にひそむ、まだ湿っていない火薬をじかに舌で味わってしまったような狼狽を感じたのだ。そして私は『カキサウルスの鬚』の作者・井上岩夫を恐竜になぞらえて、心ひそかに「イワオサウルス」と名づけた。頑固親父め、と呟きたくなる困惑と、深い畏れを込めて。
 最後に会ったのは一九八二年、早世した息子の墓参りに帰郷したときだった。まったくの偶然だが、彼は、私の息子の墓がある鹿児島市の唐湊に住んでいた。
 桜島の噴煙が見える墓地の道を、妻と私は茫然としながら下り、竹林のような仮住まいを訪ねたのだった。そこは伴侶を失ったあとの彼の隠れ家であり、仕事場でもあった。いかにも隠者の住まいらしく、殺風景で何もなかった。ただ机の上に草稿が積まれていた。その日、彼は無口だが、たとえようもなく優しかった。黒々と光る目が、子を失ったばかりの若い夫婦を慈しんでいた。それでも私は、恐竜「イワオサウルス」がまぎれもなくそこに居ると感じて正座していた。

 その後、私はアメリカに移り住み、再会する機会もないまま年月が過ぎていった。訃報に接したとき、彼の仕事が埋もれてしまうのではないかと、歯ぎしりするような無念な思いがあった。
 だが、それは杞憂だった。没後五年たって、福岡市の石風社から『井上岩夫著作集』が刊行され始めたのだ。函入り大判で、五百ページを超える大著だった。壮挙だと思った。けれど出版不況の時代だから、第一巻だけで終わってしまうのではないかと危ぶんでいた。ところが二年後の今年、ついに第二巻の「小説集」が出た。私を身ぶるいさせた『カキサウルスの鬚』も収録されている。
 恐竜「イワオサウルス」は二〇〇〇年に生き返ってきたのだ。私は嬉しくてたまらず、二冊の本を重ね、その上に夏蜜柑を供えた。

生気に満ちた人間描く

前山光則
作家

 鹿児島市に住んで詩人・作家として活躍していた井上岩夫氏が亡くなって、七年経つ。早いものである。
 この著作集第二巻には長短編合わせて九編の小説が収められている。そのうち、「ごはんさんで」「衛門」「カキサウルスの鬚」「下痢と兵隊」「雁八界隈」は以前読んだことがある作品だが、以前も今回再読しても一番印象に残るのは「カキサウルスの鬚」である。
 大隅一人と小松松造という二人の男が物語の中心で、二人は互いに「カズトサア」「マッチャ」と呼び合う幼馴染み・親友だ。しかも、共に戦争で受けた心の傷や故郷での濃密な人間関係を引きずって日を送る。特にカズトサア大隅一人は、抱え込んでいる心の荷物が重すぎるがゆえに「カキサウルス」とか「デバマネキ」というグロテスクなものを幻視してしまうのだ。終いには、大隅一人は鹿児島での「荷物」の一切を振り捨てるようにして東京へ出て行く。良い歳した男が、である。人間たちはこんなにも深く心を通わせ、しかしながらすれ違い、一人一人生きるしかないものなのか、と溜め息が出てしまった。
 せまい町内での人間関係を描いた「葱」、軍馬に執着する男の話「さくら」、「餅菓子みたいなおばさん」が登場する「少佐の妻」、算数が天才的に得意な少年と言葉が喋れない母親とを物語った「四枚の銅貨」、この四編には初めて接した。それぞれ名品である。
 井上岩夫氏の小説には正直者、頑固者、ずる賢い奴、可愛い人、みっともない連中、等々、さまざまな人物たちが出てくるが、皆、人間としての輪郭をしっかり持ち、生気に満ちている。「報復から逃げおおせる為なら郷里も妻子も捨てる程の小心者である男に、鶴嘴を斜に振りかぶらせたのは何だったのか。わからんと言っても、わかると言っても嘘になる「(「カキサウルスの鬚」)、──「わからん」と「わかる」の間に身を屈(かが)め、人間に対する興味・関心を根強く持ち続けたからこそ、こうした読み応えある作品群を残し得たのではなかろうか。

鬼才の密度濃い「前衛」

渡辺京二
評論家

 歳月を重ねるにつれて、光芒を放つであろう小説集一巻がここに在る。
 著者は七年前に物故された鹿児島在住の詩人であるが、詩において、極度に凝縮された喩の切れ味と、時代を透視する思想的含蓄の深さによって、戦後詩史の一ページを飾るにたる業績を残されたばかりでない。氏は戦後どの作家も書くことがなかったような、高度に知的でしかもくるめくように豊醇な一群の小説の書き手でもあった。
 そのすべては鹿児島や熊本の雑誌に発表されたので、いまだ知られざる作家にとどまってはいるが、この一巻を読む者は、井上氏が戦後文学の中でも、ひときわ光彩を放つ一鬼才だったことをうべなわずにはおれぬだろう。
 氏の代表作は、かつて弓立社から一本として刊行された『カキサウルスの鬚』と『衛門』だろう。前者は七〇年代初頭の鹿児島を舞台として、悪夢のような戦争体験と屈折した土俗的情念をないまぜた力作であり、後者は日中戦争中の時代の暗鬱な照り返しを背景とする、近親相姦的恋愛の物語である。
 つまり氏の小説には、戦争と軍隊という日本人の巨大な経験が夢魔のようにのしかかっており、その意味では戦後文学的といっていよいし、そのような経験の処理のしかたが知的な屈折を極めている点では、昭和十年代の自意識の文学に系譜づけることもできる。
 しかし、氏の作品が戦後文学の主流をなす知識人文学にとどまるものでないのは、そのすべての隅々から、ムラの土俗のむせ返るような濃密な相貌が立ち現れることによって明かだろう。このようにムラの土俗が知的な格闘を通して思想的象徴にまで高められたのは、まさに氏のみがなしえた壮観であった。
 さらに氏の小説は仕掛けと謎にみちている点でも、まさに前衛的である。氏の小説においては、事実も筋も主題も幾重も目くらましをかけられていて、読者は密度の濃い言葉に酔わされながら、絶えず知的挑戦を受けることになる。すなわち小説読みにとって、この一巻は生涯幾度とは出会えぬ一壷の美酒なのである。

  • A5判上製函入517頁
  • 4-88344-065-6
  • 定価:本体価格5000円+税
  • 2000/06/30発行
井上岩夫 豊田伸治 石風社 著作集 エッセイ 拾遺 石牟礼道子 詩 
booktitle
井上岩夫著作集[3]エッセイ他拾遺
zeikomi
¥0円
井上岩夫著作集[3]エッセイ他拾遺

著作集完結!


戦後へ続く酔中夢。批評と諧謔が人間の実相を抉り出す。戦中と戦後を隔つクレバスの闇底で、人という業に対峙し、軍隊という夢魔を撃つ詩精神の実弾。「胸底の洞(うろ)に處女のごとき含羞が隠れていて、生きることは業であるということを、これほどしんしんと悟らせる人も少ない。」(石牟礼道子・作家)。全3巻完結。

書評

〈戦争〉文学的に昇華──完結して

豊田伸治
編集・出版人(予備校講師)

 井上岩夫を最初に知ったのは、熊本大学中退後京都に帰り、数年たったころだったかと思う。熊本の批評家渡辺京二さんから、大発見なので、ぜひ読んでみるように、という旨の手紙をいただいたのだった。薦められて読んだ「カキサウルスの鬚」と「衛門」は衝撃だった。このような〈戦争文学〉は初めてだった。私がそのジャンルにそれほど詳しいわけではない、という点を差し引いても、その二作は私の前に鮮烈な驚きとして表れた。勿論、それぞれ扱う情景も構図も異なっている。しかしどちらも、従来の、悲惨さを強調するものでも、知的高みから批判的精神で描くものでもなかった。全く違った視線で描かれていた。
 それはどのような視線かを簡潔に言うのは難しい。氏の作品はどれも入り組んだ構造をしていて、容易には正体を見せない謎めいた相貌をしているからだ。その謎を解きほぐし、受けた感銘の中身を確かめるというのも、井上作品の楽しみである。
 その二作品を読んですぐ、詩集『荒天用意』を注文した。この浩瀚(こうかん)な詩集も謎めいた相貌をしていた。以来、出版されるか、熊本の雑誌『暗河』に発表される作品すべてと付き合うことになった。
「井上作品の魅力を一言で言うと?」と質問されることがよくある。一言では無理なので、取材されるといつもその辺りが曖昧になる。だから、その質問への返答の代わりに(ならないかも知れないが)、私なりの謎解きを試してみよう。できるだけ短い詩で。
 〈たてがみがかき分けていく/水晶空間(4文字傍点)/逸る四肢は馬腹に抱いて/反った雁列を跳び越える/ぴったり/半馬身おくれてついている/濡れたシャッター(8文字傍点)//瞼は/つねに置き去られる廐舎である/眼球のそら高く駈けぬけるたてがみを/えいごうと名づけてくしけずる/白内障(そこひ)の馬丁が立っている〉
「まばたき」というタイトルが付いている。ここから、筆者が付した傍点部分が何の比喩かは明らかだろう。時が駈けぬける瞬間が描かれている。それも「逸(はや)る四肢は馬腹に抱いて」いるのだから、本当に瞬きの間のことだ。それでも現実は「半馬身おくれ」でないと捉えることができない。ただ見ていても眼は現実を十分には認識できない。残りの半馬身は「水晶空間」の隙間をすり抜けてyく。ところが、全貌が見えている者がいる。「白内障の馬丁」だ。しかもただ見えているのではなく、その本質に触れている。「たてがみ」を「くしけず」っているのだから。
 この作品に限るなら、ここまでで読んだ感触が残る。他の作品もイメージしながら、もう少し先まで行ってみよう。
 病む者、欠落を抱えた者、いらなくなった者、最後尾の者にだけ投影される現実がある。この世界の至る所に隙間があるからだ。日常生活の中にも、人間関係の中にも、その見えない隙間、存在をよろめかす隙間が、クレバスのように待ち構えている。氏は〈戦争〉でそれを見た。踏み込んでしまったと言ってもよい。人はそれぞれ戦争からつらい体験や消し難い苦悩を持ち帰っただろう。しかし、そういうものは、いかに痛烈であろうと、文学としては成立しない。氏が抱え込んだものが存在基盤の隙間だったからこそ、社会的戦後は終わったと白書が宣言しても、内面的戦後はまだ始まってもいない、と呟かずにはいられなかった。先の詩の視点の低さに注目してほしい。馬は「そら高く」「雁列を跳び越え」ても、視線は低い所から出ている。その足元の、サツマの土俗を引きつれて、〈戦争〉が文学的に昇華された時、戦争体験などない私のような世代にも訴えかける作品に結実したのである。
 井上氏は戦後文学の正当な位置を占めるべき作家である。あまりにも時間がかかったが、この著作集が再評価、あるいは新発見の引き金になればと思う。それが地元鹿児島で起こればなおうれしい。

  • A5判上製函入670頁
  • 978-4-88344-165-5
  • 定価:本体価格7000円+税
  • 2008/06/30発行
インドの風のなかで 森崎和江 石風社 インド スケッチ 旅行 エッセイ 旅 アジア
booktitle
インドの風のなかで
zeikomi
¥0円
インドの風のなかで

潮のような時間と空間に心を遊ばせ、風が羽毛の中へ吹きこむように、もっとも原初的な感覚によって捉えられたインド。インドへの短い旅行のなかで描かれた22葉のスケッチがインドの風をつたえる──

  • A5判並製75頁
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 1986/02/10発行
絵を描く俘虜

十五歳で満蒙開拓青少年義勇軍に志願、十七歳で関東軍に志願、敗戦でシベリア抑留。二十二歳で帰国。土工をしつつ画家を志す。──満洲シベリア体験を核に魂の深奥を折々に綴った一画家の軌跡。

  • 265頁 四六判上製
  • 4-88344-043-5
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 1999/07/30発行
外国航路 石炭夫 大恐慌 最底辺 日記 石風社 広野八郎 プロレタリア 労働者 葉山嘉樹
booktitle
外国航路石炭夫日記
zeikomi
¥0円
外国航路石炭夫日記

葉山嘉樹「これはきみの傑作だ。たいせつにとっておきたまい」。


葉山嘉樹「これはきみの傑作だ。たいせつにとっておきたまい」。
1928年(昭和3)から4年にわたり、インド/欧州航路の石炭夫として大恐慌下を生き抜いたひとりの労働者が、華氏140度の船底で最底辺の世界を克明に記した記録。葉山嘉樹が「これはきみの傑作だ。大切にとっておきたまい」と評した、プロレタリア文学、もうひとつの金字塔。

書評

「青春の碑」の労働日記

荒俣 宏
作家

『外国航路石炭夫日記』を読んで、じつに楽しくおもしろかった、と感想を述べれば、不謹慎のそしりを免れぬかもしれない。でも、非常に興味ぶかい内容なのである。本書の副題、「世界恐慌下を最低辺で生きる」というコピーを読むかぎり、残虐ホラー小説のような小林多喜二の『蟹工船』や、外国映画みたいにパワフルな葉山嘉樹の『海に生くる人々』といった暗黒のプロレタリア文学を連想しがちである。実際、この日記には冒頭から、耐え難いほど激しい船酔い、船底で缶(かま)に石炭をくべつづける労働の苦痛、陸へ上がれば女郎屋と酒屋で有り金を使い果たし、高利の借金のみが残る不毛な日常を、描いてはいる。しかし、そうした過酷な労働実態を告発するだけでなく、外国船で東南アジアからフランス、ベルギーなど西欧諸国までを巡る海外見聞体験が、ことのほかおもしろいのだ。じつは著者、広野八郎は、石炭夫見習いとはいえ養成所を経て日本郵船に採用された社員であり、航海中に勉強する本を持参したり、人気作家だった葉山嘉樹の家を直に訪問するほどの熱意ある人物だった。
 その広野が、インドのカルカッタでは、難破船の乗客を救助し、インド人たちの大げさな感謝の仕草を観察したり、フランスのマルセイユでは男女の痴態を扱ったおぞましい映画を見せる「店」の下品さに辟易し、またアントワープでは、たまたま開催中の万博を見物、日本館の展示を見て、雑貨商店の品揃えと同程度の粗製品にがっかりする。この日本館では、振袖の娘がサービスする茶だけが人気であったとも書く。にもかかわらず、実家では家族が送金を待って居ることを重々承知の上で、港に着けば性欲に屈して女郎屋へ行ってしまう自分。日本一大きな海員組合に属しながら、会社のいいなりに動く組織と自分。それらを、上質の青春小説のように記述した日記なのである。一人の下級船員が体験した魂の修行時代、その舞台が国際世界を包む規模と深遠さとを備えていた事実に、驚くばかりだった。

過酷な労働克明に描く 『外国航路石炭夫日記』が復刊

白山誠

『外国航路石炭夫日記』は、約30年ぶりに復刊された本だ。小林多喜二の小説「蟹工船」(1929年発表)と同時代に、下級船員が体験した過酷な労働や、船員を食い物にする船幹部の姿が克明に描かれており、近年注目を浴びるこの小説の世界を思い起こさせる。

 著者は広野八郎さん(1907-96年)。長崎県萱瀬市(現・大村市)の出身で、1928年、欧州航路の貨物船、貨客船に乗務した。その頃、プロレタリア文学作家の葉山嘉樹(福岡県出身)と知り合い、同人誌「文芸戦線」に参加。船員のほか、戦後にかけて炭鉱や工事現場で働いた体験記などを書き続けた。
『日記』は28年11月から、船員をやめた直後の31年6月まで続く。広野さんは、汽船の石炭庫から火炉まで石炭を運んだり、かまの中の燃えかすを取り除いたりする作業に従事。欧州航路の貨客船では、室温が約60度(カ氏140度)にも達する所で働いた。当番は昼と夜に4時間ずつ。しかし、それを終えても様々な仕事を命じられ、休息する間はない過酷な日々だったという。
〈蒸し風呂同然だ。二〇分とはいっていたら、息がとまりそうだ。(中略)あまりのくるしさに、私たちはぶっ倒れそうになって、倒れぬうちにどうにかデッキにはってでた〉
 同僚が倒れる場面にも遭遇した。〈川野は、キイーッと言う声とともに歯を食いしばって仰向けにふんぞり返った。両股から、すね、両腕は、まるで石のようにかたく筋がつっている〉
 卒倒したり、病気にかかったりして体調を崩しても休めない。上司の火夫長からどなられ、仕事を強いられた。閉じられた職場で火夫長やその取り巻きは下級船員を酷使し、時には暴力もふるった。
 この火夫長は、部下を相手に月2割の高利で金貸しもしていた。給料はすべて差し押さえられ、さらに借金を重ね、船員をやめるにやめられぬ者も多数いたようだ。本書解説によると、当時の日本の船舶には職長による「高利貸し制度」が、普通にあったようだ。
「蟹工船」では、労働者は団結して抵抗するが、現実はそうはならなかった。その頃は世界恐慌の中で、船員らは不平を漏らしても、職を失うのを恐れ、ひどい扱いにますます甘んじるようになった。
〈船内のかれらはなかなか動かない。しっかり現在の仕事にかじりついて、はなれまいと必死である。海上労働のあらゆる不合理をなげきながら、かれらは職を失うことをおそれてかじりついているのだ〉
 不当な待遇に耐えて、いくら働いても悲惨な状態から脱出できない。『日記』の記述から、ワーキングプアとも言われる現代の問題が浮かんでくるようだ。
 最初の刊行は78年。タイトルは『華氏一四〇度の船底から 外国航路の下級船員日記』(太平出版社)だった。今回の復刊にあたり、船員用語の注釈などをつけた。

「佐賀新聞」有明抄

園田寛

 ある会合で海外によく出掛けるという人と、自殺者数の話題になった。「ブラジルはもっと失業率も高く、貧困家庭も多いけど自殺することはない」。この11年間、日本の自殺者は毎年3万人を超す。率にすると先進国の中ではトップクラスという。
 自殺の理由はそれぞれで一概には言えないが、日本人の生き抜こうとする力が弱まっているのではないか。高度成長時代は、高校、大学、就職とベルトコンベヤーに乗れば、生涯が保障された。ところがコンベヤーから振り落とされると、自分の全人格が否定されたと思い、悲観的になりすぎてしまう。
 佐賀市出身のプロレタリア文学作家、故広野八郎さんの『外国航路石炭夫日記』が復刻された。1928(昭和3)年から4年間、インド、欧州に向かう大型貨物船の石炭夫体験を書いている。悲惨な状況ながらも広野さんの生命力はたくましい。
 華氏140度(摂氏60度)の船底で石炭をたく仕事は苦難を極めた。火夫長の機嫌を損ねればさらにきつい労働を命ぜられる。それでも広野さんはへこたれず、マルセイユやナポリの街を楽しむ余裕も見せる。不払い賃金の支払いを要求し直談判も行った。
 広野さんは「海に生くる人々」で知られるプロレタリア作家葉山嘉樹の門をたたき、生涯、最底辺の労働者の世界を描き続けた。福岡市に住む広野さんの長男でイラストレーターの司さんは、日記の文字に乱れがない父の文学に対する思いの強さを感じたという。
 当時は世界大恐慌が起こり、日本でも労働争議が増えた。今の時代とよく似ている。体はくたくたになりながらも、冷静な目で観察し続けた広野さんの日記には、これからの時代を生き抜くヒントがある。

  • A5判並製376頁
  • 978-4-88344-175-4
  • 定価:本体価格2800円+税
  • 2009/06/15発行
加久藤越

敗戦直前に結成された独立歩兵大隊。その奇妙な行軍の一週間が、人間存在のやるせなさをあぶりだす──。「峠を越えて兵隊達は夫々の故地へと四散してゆきました。お互い二度と廻り会えることのない人達でした。独立編成部隊のサダメでした」(松浦豊敏氏)。

書評

軍隊の非情さ鋭く洞察

木村隆之
「詩と真実」同人

「加久藤越」「居場所」の二編を収める。
「加久藤越」は副題の通り独立歩兵七五四大隊の敗戦による始末記である。師範学校卒業生の短期現役(短現役)である「私」は、指宿の近郊ドーメキ谷の兵舎で敗戦になり、多良木までの部隊解散に向け、一週間の行軍をともにする。兵士たちは、進駐してくるアメリカ軍の影に怯え、道中些細なことで上官から殴られたりしながらも、それぞれの故郷へとひたすら歩いていく。宿泊地で兵士を迎える人々の反応もさまざまである。おおかたは好意的であるが、中には敗戦の責任を問う冷たい視線を浴びせられることもある。それらの様子が、やや煩わしく思われるほど丹念に描かれていく。
 実体験に負うところが多いと思うが、それを単なる記録の域にとどめず、文学として昇華させているのは、次のような個所である。
 四十歳に手の届こうという老兵の森二等兵は、娑婆では大学図書館の司書で、民俗学にも造形が深いが、軍隊では万事要領が悪く、入隊した朝、元気よく将校に挨拶したのに、傍にいた息子のように若い上等兵から殴られてしまう。作者は次のように描くのである。
「学問とか教養とかは軍隊という集団では何の役にも立たない──どころか、全くじゃまで兵は軍隊という巨大なマシーンの部品であり、油か雑巾でしかない。軍隊には娑婆での教養、技芸、学識は無用である」
 軍隊という非情な組織への鋭い洞察である。
「居場所」はその後の「私」の物語とでもいうべき作品で、師範学校卒業後、市内の中学校の美術教師となった倉橋の中途半端で、あやふやな立場と心の揺れを描いている。倉橋は金貸しをしていた父親に対する反発から、死去の知らせにもわざと遅れていったのに、始終負い目を持っている。組合運動に対してもどこかさめていて、組合のストにも参加せず、屈辱感を味わう。題名の「居場所」とは倉橋の不安定な居場所を象徴したものであろうか。

  • 303頁 四六判上製
  • 4-88344-081-8
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2001/12/10発行
風になるまで 前田美代子 いのうえしんぢ 石風社 戦争 平和 空襲 福岡
booktitle
風になるまで
zeikomi
¥0円
風になるまで

戦争が終わって十年。福岡近郊の町に、大阪から心に憂いを抱いた少女がやって来た──。少年、少女と、十年前の福岡・雷山空襲で死んだ子どもたちとの心の交流を通じて現在に平和を問いかける児童向け読み物。(戦争と平和/小学校中学年以上向け)

  • A5判上製153頁
  • 4-88344-127-X
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2005/08/15発行
 (48件中) 1〜10件目