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ムツゴロウの遺言

防災と農地造成の旗印の下、世界有数の「生命の海」が危機に瀕している。死に行く干潟は何を警告しているのか。──海を殺す公共事業。その矛盾と欺瞞の干拓事業を検証する。

書評

いのちの思想をつなぎ戻せるか

米田綱路
図書新聞編集

「生態系の食物連鎖の中でしか生きられず、しかも生態系の頂点に立つ人間という生き物が生存できるかどうかは、地球とそこに生きている生物たちと共存する以外に方法はないことを知るべきだ。戦後の繁栄に目が眩み『自然を捨てた日本人』に未来はない」。
 長崎県諫早市に住み、昨年七月に亡くなられた「諫早干拓緊急救済本部」代表の山下弘文氏は、本紙一九九九年一月一日号への寄稿にこう記された。すでにその時点で、九七年四月一四日に行なわれた潮受け堤防一二〇〇メートル区間の閉め切りから、早くも二年近くが経過していた。山下氏はここで、乾燥し干上がった干潟の水辺で生き延びている生物たち、そのいのちの姿を伝えている。冬眠に入っている、前年に生まれた三センチ位のムツゴロウの幼魚。深い穴を穿って生き延びている、特産種のアリアケガニなどのカニ類。「こうした生き物たちを目にすると、そのしたたかさに感動するとともに、人間のあさはかさを見る思いがする」。山下氏はこう記していた。
 潮受け堤防の閉め切りに際して執り行われた「記念式典」では、長崎県知事や県議、諫早市長など一一人が、紅白の幕のなかで一斉にボタンを押し、鋼板二九三枚が次々に下ろされたという。ボタンが押されてから「閉め切り完了」まで、その間わずか四五秒。潮流を遮断するために落とされた鋼板は、あたかも「ギロチン」の如くに、干潟というかけがえのない生命の宇宙上に打ち落とされた。本書『ムツゴロウの遺言』によれば、水圧装置を作動させる一一個のボタンにはダミーも含まれていたという。著者はこう書いている。「死刑執行の際もだれのが決め手になったか分からなくするためにダミーが用意されるそうだが、潮受け堤防の仮閉め切りの場合も、形は死刑執行と似ていて責任逃れのように見えた」。
 わずか四五秒で「ギロチン」に閉め切られた水域の面積は、過去六〇〇年間に積み重ねられた干拓地の広さと同じになるという。著者は、この二つの時間の違いにさまざま問題が隠されている、と指摘する。人間が長い時間をかけ、少しずつ営々と広げてきた干拓地、それに対し一瞬にして自然の風景と生命のいとなみを激変させ、一挙に進められていく「干拓事業」。そこには人間と自然の関わり合いの、あまりに大きな位相の変化が浮き彫りになってはいないか。
 戦後初期に計画された食糧増産を目指す干拓事業が、国の減反政策や海外からの食糧輸入急増によってその目的の変更を余儀なくされ、また干潟を生業の場とする漁民の反対と抵抗で事業化が宙に浮くなかで、干拓の名目は「防災対策」「優良農地造成」へと掛け替えられた。つまりそれは「洪水や高潮から住民の暮らしを守り、収益性の高い農業を営む優良農地の確保を目指す」というものだ。しかし、名目と唱えられたお題目の変化とは裏腹に、この「事業」を通して変わらぬ人間のすがたが本書にはリアルに描き出されている。果たして、この干拓で得られるものはいったい何なのか。その「成果」は、住民のみならず、後の世を生きる世代に届くのか。そうした問いを増幅させながら、私はそこに、干拓事業のみならず、二〇世紀の人類が生み出してしまった取り返しようのない「倒錯」を映し見たのであった。
 干上がった土地に累々と転がる生命の亡骸、その凄惨な光景を象徴として、私たちが喪失したものは何か、本書はその意味を読む者に問うている。それはムツゴロウやカニ、貝などの生き物たちだけに止まらない。人類を生かしていたはずの「いのちの思想」もまた、そこで喪われたのだ。私は本書を読み、人類が自らの幸福を標榜して二〇世紀犯した「自然へのジェノサイド」、それが引き起こした果てしない喪失の前に、一瞬気が遠のく。人々の暮らしの利便と生活の向上を、自らもその内に抱かれているはずの自然に結びつけることに失敗し果てた二〇世紀の「倒錯」を、私たちはこの先、取り返せるのか。いのちの営みを切り刻んだその「倒錯の光景」を、私は干上がった干潟に累々と転がる生き物の亡骸と、その背景で進む「事業」の行く末に見ざるを得ないのである。
 干拓工事が始まり、潮受け堤防外側の漁場は激変した。いや、それ以前から、有明海の漁場は人間の身勝手さに抗するかの如く、変化し始めていたのだ。魚は死に、不漁が続き、漁民の暮らしは逼迫して、干拓事業の工事現場で働かなければならないという皮肉な構図がそこにはできた。しかし国の出先機関は、干拓工事と魚の死との「因果関係は不明」との態度を変えていない。さらには潮止め後も、大雨によって諫早市街が度重なる水害に見舞われた。「防災」という名目は、それではいったい何だったのか。それは「不測の事態」として処理される類のものか。
「防災」は新たな、自然のみならず人間の生命系をも蝕んでいく「人災」を生んだのだ。本書に記された、潮受け堤防のすぐ側の小長井町漁協の理事の言葉に、私は干潟とともに人間が何を喪ったかを聞く思いがした。「干拓事業の影響で人間関係も壊れてしまった。生活の形態が変わってしまった。干拓工事に行く方がいいみたいになり、組合員数もそちらが多く漁業で飯を食う人の力がなくなってきた。少数意見で動くわけにもいかない。漁を続けるか、迷っている」。
 諫早湾奥部の広大な干潟、それ自体が天然の「下水処理場」であったと著者は言う。そこにはゴカイや貝、カニ、それを餌にする渡り鳥たち、ムツゴロウなどの多くの生き物が、水質の浄化を助ける浄化槽を生み出していたのだ。だが、「ギロチン」によってこの天然の「下水処理場」は破壊された。閉め切られた堤防内部には下水道が流れ込み、生命は殺され水質が悪化していく。渡り鳥の飛来する干潟は、こうして潰されていった。動いた行政は水質浄化策に乗り出すが、天然の「下水処理場」である生命の宇宙、すなわち干潟を潰し、人口の水質浄化策のために巨費の税金を投入するという発想の転倒と、そこに立ち現れる「倒錯の光景」に、私は山下弘文氏のいう「人間のあさはかさ」の実態を感じないわけにはいかなかった。
 干拓事業については、諫早平野の農家などで推進論が根強いという。名目に掲げられた「防災対策」「優良農地造成」が必要だというのがその理由だ。干拓事業の見直しを求める自然保護運動に対し、行政は「一度決まったら、見直し中断は無理」との姿勢を崩さない。さらには、「地元のことによそ者が口出しするな」という意識の根強さを本書は伝えている。こうして、死にゆく干潟をよそに、地域利害が絡み人間関係の軋轢や住民の利害対立が続いていく。そして、生命系の破壊と「不測の事態」が打ち続いて、さらにはますます事業費が膨らみ、干拓という公共事業に依存する住民が増え、「地域振興」の旗印のもと自然環境保護の施策は抑制され、のちの世代に干潟という生命の豊饒さを語り継ごうとする取り組みは阻止される。住民には、経済的のみばかりではなく精神的にも、さらには生命的にさえ、負担、負荷が増し続けるのだ。
 去る八月二八日、農水相は干拓縮小と一部に干潟を「再生」させると発表した。しかし、人間の身勝手さをよそに、いったい自然の、そして人間の何が「再生」されるというのか。
「大切なのは住民の立場でいまの時代に何をなすべきかを考えることだ」。本書はそう問いかける。なぜ干拓地をつくるのか、つくることそれ自体が目的化していないか──。それは人類の、自然に内包された生命に対する想像力を試される問いである。それを問い切り、いのちの思想を日々の生活に繋ぎ戻すKとはできるか。これからの時代へ向けて、私たちを包む生命系を回復する未来が、そこにこそ賭けられているのである。

  • 四六半並製285頁
  • 4-88344-070-2
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2001/05/01発行
麦の穂との約束

1945年6月19日の「福岡大空襲」は、福岡市の3分の1の家屋が罹災し、死者1000人を超えるという大惨事になりました。そして同夜、福岡市を空襲した編隊の1機が飛来し、背振山の山裾に位置する糸島郡雷山村に焼夷弾を落としたことで、8人の方が犠牲になりました。平和のために語り継ぐ戦争紙芝居。

  • 紙芝居。386×268ミリ、12場面
  • 978-4-88344-189-1
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2010/08/15発行
水俣病事件と法 富樫貞夫 石風社 水俣 水俣病 公害 法律 証言 裁判 チッソ 熊本 熊本大学
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水俣病事件と法
zeikomi
¥0円
水俣病事件と法

水俣病事件における企業・行政の犯罪に対して、安全性の考えに基づく新たな過失論で裁判理論を構築。工業化社会の帰結である未曾有の公害事件の法的責任を糾す。──水俣病事件と共に生きてきた一法律学者の二十五年におよぶ渾身の証言集。

書評

徹底した被害者の視点

原田正純
熊本大学医学部助教授

「最初の水俣訪問でもっとも深い印象を与えられたのは、植物人間の状態で入院中の松永久美子さんと、同じように重篤な胎児性患者である上村智子さんの無言の姿であった。二人の無残な生きざまに接して、はじめて水俣病の重い現実を見たという思いがした」
 最近出版された『水俣病事件と法』の中で、富樫貞夫さんは水俣病との出会いをこう述べている。それがその後の彼の行動を決定づけた。ここにも出会いを大切に、見たことによって責任を背負った学者がいる。
 四大公害裁判の中で水俣病事件ほど多種多様な裁判をしたものはない。損害賠償請求訴訟だけでも第一次、第二次、第三次と続き、さらに福岡、大阪、京都、東京地裁と地域的な拡がりをもみせた。原告は二千人を超えた。ほかに棄却取り消し、不作為違法確認、待たせ賃などの訴訟、水俣湾ヘドロ仮処分、救済仮処分など行政に対する訴訟や請求があり、さらにわが国初の公訴棄却となった川本事件や暴圧裁判など水俣病被害者が起訴された事件、チッソの元幹部が被告となった刑事事件など驚くほど多くの事件が法廷に持ち込まれた。
『水俣病事件と法』はその時々の裁判の争点や判決について富樫さんが加えた解説と批判の論文集である。最初の論文が一九六九年十一月、最新のものが九五年十月に書かれているから、実に二十六年間の考察の集積ということになる。
 論文ではあるが、患者支援の機関誌や新聞、一般の雑誌に掲載されたものが主であるので難解さはない。それでいて質は高い。これを読むと富樫さんが寄り添うように被害者の側に立ち、冷静だが熱情をもった眼差しで被害者を見つめているのを感じる。そして明確に被害者の側に立ってみると、司法が必ずしも被害者の側に立っているとは限らないことが見えてくる。
 そうした司法の判断に対し富樫さんは「裁判所に課せられた任務はこれまでの事件の経過、認定に必要な基礎的データが欠落した事情、されには疫学的条件を含めた医学的知見などを総合的に判断して原告らが救済の対象とすべき水俣病の被害者であるかどうかを裁判所の責任において認定することである。しかし、大阪地裁は実にあっさりとこうした任務を放棄してしまった」、「本件の特質を考え合わせつつ、法の趣旨を探究し、慎重に利益考量を行うという姿勢が微塵もない。これはまさに官僚法学的思考の典型といってもよい。このような法解釈はおよそ説得力を持ち得ない」と厳しい調子で批判を加えていく。
 水俣病に関しては医学をはじめあらゆる学問がその狭い概念だけでは捉えきれないところがあった。この本からも既存の法概念の枠組みから抜け出そうとする試みが読み取れる。その典型が第一次訴訟の時に論理構成された「安全性の考え方」である。既存の法概念からではなく原子物理学者、武谷三男氏の放射線の安全性に対する考え方からヒントを得て組み立てられたものだ。
「どんな微量の放射能でも有害は有害だが、それをどこまで我慢するかというのが許容量という概念だということ。それは自然科学的概念ではなく、むしろ社会的ないし社会科学的概念である。有害の証明はないというがむしろ有害と証明された時はもう手遅れである。したがって、無害と証明されない限り安全ではない」「既成の法論理をわれわれの観点からどうとらえ返していくかということが問題になる」「この考え方は安全性が問題になるあらゆる場合に適用されるべきだ」……。現在問題になっているエイズ薬害なども、ここでいう安全無視の最も悲劇的な典型例であろう。誤りは繰り返されたのである。
 認定をめぐっては、医学に対しても厳しい目を向ける。例えば「認定制度に関する医師は患者に対して大変疑い深い態度をもって臨んでおられます。認定申請をする患者のなかには嘘をつく者がいるといわんばかりの態度です」「先生は感覚障害というのは自覚的なものだから患者が感覚が鈍いといえばそれが嘘だと見抜かない限りそのまま信用するしかないし、ここに問題があるといわれます。そのため、感覚障害だけの所見で水俣病だと認定するのは問題だと考えておられるのではないでしょうか。先生をはじめとして水俣病認定に関わる医師たちは、なぜこれほどまでに患者を疑ってかかられるのでしょうか。私にはどうしても分かりません」(T教授への公開書簡より)
この本の特徴は徹底して現場の被害者の視点に立って法律を捉えていること、そして、ほとんどの水俣病に関する裁判の中身が実にコンパクトにわかりやすくまとめられていて事典的機能を持っていることである。この一冊で水俣病に関わる法的な問題点はわかるといっても過言ではない。
 水俣病が発見されて四十年目の今年、国の責任も、ニセ患者よばわりされた被害者たちを水俣病と認めるかどうかも曖昧なまま決着がはかられようとしている。私たちは医学や法律が果してきた功罪をこの機会に検証しなければならないと考えている。いいタイミングの出版である。

被害者たちの闘いの軌跡

最首 悟
恵泉女学園大講師

「法」とは、物ごとを処理するときの「ルール」である。「ルール」は必要だ。このことはみんなわかっている。でも、そもそも「ルール」なるものを初めてつくったり、「ルール」を追加するときはどうするんだろう。その状態を想像したり、考えようとすると、だんだん頭が痛くなってくる。

■そんなバカなことが…
 それで、もっと簡単に、すでに決まっている「ルール」をあてはめる形で、ある物ごとの是非を判断する場合を考える。五十人の人を選び、半分ずつイエスとノーのグループに分ける。議論開始の合図で論戦を闘わし、イエスの組が勝った。つまり言い負かしたわけである。「じゃあ、立場を入れ替えて」という合図で、第二ラウンドの論戦に入る。イエスの組がやはり勝った。これはわかる。人によらずイエスに普遍妥当性があり、ひるがえって諸「ルール」はやはり普遍妥当性があったのだということになる。ところが、第二ラウンドでノーの組が勝ったとなると、さあ、困る。最初イエスで次に一転してノーの立場で、いずれも相手を言い負かしたとなると、単に口がうまいだけが勝負の分かれ道ということにならないか。現実はどうやらこっちの方で、そして法の専門家は「口がうまい」からなれたのではないか、というかんぐりをぬぐい去ることができないのである。
「法」はいかようにも使われてしまう。そのような術にたけている者を三百代言という。そしてその本質からして、三百代言は新しい「法」を必要としないだろう。そしてさらに、三百代言をいっぱい長期にわたって雇えるのは、金と力がある「法人」なのだ。しかも裁判では、「法人」と、金も力もなく病人であったり障害者であったり
する「私人」は全く同格に争うんだそうだ。そんなバカなことがあるか。
 水俣病加害という問題には、現代社会がかかえる問題は全て入っていると言われる。
 とりわけ裁判は、一九六九年から二十七年間にわたって、下級審、上級審をそれぞれ一つと数えると、三十を超える訴訟が争われ「法」の諸問題はことごとく露呈したといったも過言ではない。しかも現在、関西訴訟の控訴審がはじまったばかりという進行形であることも忘れてはならないことである。

■公訴棄却は政治的判断
 富樫貞夫氏(熊本大学教授)による『水俣病事件と法』(石風社)は、まさにそのような諸問題を、緊迫したスタイルで、そしてわかりやすく伝えてくれる。大著になってしまうことも納得される。結論からいうと「そんなバカなことがあるか」という私達の素朴な実感は、その通りだと諾(うべ)なわれる野である。そして、「バカなこと」が暴かれ、是正されるのは、ひとえに苦しむ人々の闘いによるということが、圧倒的に迫ってくる。
 典型例を挙げる。水俣病裁判では、日本の司法上、空前のことが二つ生じた。一つは胎児を人間と認めたこと、一つは公訴棄却がなされたことである。後者について述べる。チッソの回答を求めて、水俣病患者がチッソ東京本社前に一年半にわたって座り込んだ。その過程でリーダー格の川本輝夫さんが傷害罪で起訴されたのである。一審は有罪だったが、二審は公訴棄却の判決が出た。そもそも検察が川本さんを起訴したことそのものがいけないということである。
 そして最高裁は、本の一ページに納まるくらいの判決文で、起訴は妥当としながら、検察側の上告を退けた。つまり二審の公訴棄却を支持したのである。そんなバカな。まるっきり論理が通っていない。
 富樫さんはこの判決に対して、「法的判断というより政治的判断」と言いきる。川本さんは勝った。しかしそれは「弱々しい理屈」を並べた最高裁決定を手にしたからでなく、警察・検察の意図を「はね返し、逆に国家もまた加害者であることをあきらかにしえた」という意味で勝利なのだ、と富樫さんは説く。
 そこにいたるまで、水俣病の被害者たちはどれほどの闘いを強いられたのであろうか。

■いぜん責任認めない国
 今、ここに、「川本輝夫、この土気色にやつれ果てた人間をとらえて罰するだけでことがすむものでございましょうか」という最高裁長官にあてた昭和五十二年(一九七七年)七月十五日付の、石牟礼道子他一同の嘆願書がある。「国というものは奈辺にありや」という血を吐くような叫びがひびく。たしかに法の番人がゆらいだこともあった。しかし、そこに加害者としての姿を現わした国は、水俣病について、あいかわらず責任を認めていないのである。
 国が責任を認めざるをえないような「法」を私たちは生み出せていないのだ。そのことを私たちは苦く受け止める。しかし「法」や「法造り」は圧倒的に「法人」や「金持ち」に味方しているのだ。そのことをはっきり見据えて、私たちは行動しなければならないと思う。富樫さんの本を読んで、八分の苦汁と二分の活力剤を共に飲むようである。まことに若い人たちに薦めたい本である。

法と政治の無自覚を糾す

宇井 純
沖縄大教授(公害論)

 世界の第一線に立っているインドの環境運動家でエンジニアでもあるアニル・アガルワルから一本の手紙を受け取って、私は返事に困ってしまった。「今日本から水俣病の和解による解決が進められていると聞くが、発見以来四十年近くもなぜ解決しないのか教えてほしい。われわれもボパールのユニオンカーバイト工場のガス爆発という困難を抱えているために参考にしたいのである」
 この、何とも説明のむずかしい問題を解く緒を与えてくれるのが、最近出版された富樫貞夫著『水俣病事件と法』である。富樫氏は水俣病患者の運動とともに歩んできた水俣病研究会の中心メンバーの一人として、法学者の立場から、時にはその立場をこえて一市民として、節目の折々に水俣病をいかに考えるべきかを鋭く指摘してきた。市民としての発言も、常に法学者としての論争に参加できる水準であることがその特徴である。水俣病をめぐる市民運動の中で、氏が常に運動と法学の世界の橋渡しを果たしてきたことは、水俣病の運動に関係した者には周知の事実だが、こうして二十五年の業績が一つの本にまとめられてみると、その重みには打たれるものがある。
 チッソ水俣工場の過失責任を第一次訴訟で立証するためには、武谷三男著『安全性の考え方』から導き出された工場の注意義務を、つきつめて考えた富樫氏の提案があって初めて、前途に光が見えてきたのであった。そしてだれの証言でそれを立証するか、この困難もまた「工場の全体がわかるのは工場長しか居ない」という氏の一言から解かれていった。この事実は本書にはさらりと間接的に書かれていて、行間から読みとるしかない。
 水俣病の歴史をこの本を前にして振り返ってみると、つくづく政治に振り回された四十年であると痛感させられる。初期の因果関係をめぐる論争も、そのあとずっとつづく認定制度も、たくさんの裁判の経過も、専門家と自称し、政治とは関係ないと主張する医師たちや、裁判官たちが、実はなまぐさい力関係の政治の世界で一定の役割を果たしてきた事実のあらわれであった。その事実を、豊富な実例とその精密な分析によって本書は繰り返し明らかにする。
 特に裁判の政治性が鮮明に表れるのは水俣病の行政責任をいかに判断するかの場面である。国の行政責任を認めた熊本第三次訴訟の第一審と、国には全く責任がないとする新潟第一審、関西第一審の対照的な判決をくらべてみると、同じ歴史を対象としてこれほど正反対の判決ができるものかと驚くほかはない。
 一九六〇年代の日本国には、公害問題を直視し、それと取り組む姿勢など、全くなかったのである。そのことを調べようとしなければ、そこに責任があることなど認められるはずがない。環境庁の担当者が、この時期の水俣病を調べていた私のところへ調べに来たことは一度もないし、今夏調べることがあって私が訪れた特殊疾病対策室でも、室長は在席しながらあいさつすらしなかったほど、日本の官僚は自分の仕事についてさえ怠慢なのである。このような組織が、自分の責任を自覚することなど、あり得ないではないか。裁判官がそのことに気づかないとすれば、それは明白な政治的姿勢である。
 認定制度と水俣病像論のからみ合った現状についても、
本書はそこに作用した政治的圧力による認定基準の動揺を詳しくたどっている。認定制度が最初から補償と結びついていたことが、認定審査会を補償処理の道具とし、患者をモノとして取り扱う状況をもたらした。この手詰まりから抜け出すために和解が求められているが、それは病像も責任も放り出すものとして批判的である。
 水俣病ほど裁判の多い公害はほかにない。ほかに打つ手のなかった被害者が最後に司法に期待をかけたからであったが、現在の司法の水準、その背後にある日本社会の人権思想の水準は、残念ながらこれまで期待にこたえたとは言えない。その重みを教える本として、法律家だけでなくジャーナリストにも読んでもらいたいと感ずる。

  • 483頁 A5判上製
  • 4-88344-008-7
  • 定価:本体価格5000円+税
  • 1995/11/30発行
宮原社宅_cover_web
booktitle
三池炭鉱 宮原社宅の少年
zeikomi
¥0円
三池炭鉱 宮原社宅の少年

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三池炭鉱 宮原社宅の少年
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¥0円

三池争議の吹き荒れた昭和三〇年代の大牟田   炭鉱社宅での日々を遊び盛りの少年の眼を通して生き生きと描く   ///////////////////////////////////////////// …

書評

のどかな暮らしの先に深い意味

斎藤美奈子
文芸評論家

 福岡県大牟田市宮原町二丁目。三井三池炭鉱で働く人々が住む「宮原社宅」があった場所である。
 高さ2㍍ほどのブロック塀に囲まれた社宅に住むのは200世帯ほど。塀の外を社宅の人々は「外(がい)」と呼んだ。長屋式の社宅が並ぶ一角には共同風呂があり、隣の講堂では映画が上映された。
 著者は敗戦の翌年、この宮原社宅で生まれ、高校を出るまでここで育った。ベビーブームの走りの時代で、小学校の児童数は2千人を超えていた。
 そんな社宅での子どもの暮らしを本書は克明に描き出す。生活排水が流れ込む川でフナやザリガニをとり、台車を暴走させ、馬跳びや馬乗りやコマやパチ(メンコ)やラムネン(ビー)玉に熱狂し……。が、のどかな自分史に見えた本書に、じつは深い意味が込められていたことを、私たちは終盤近くで知るのである。
 東京の大学に進学後、知り合った女学生は、自分も福岡県大牟田市宮原町二丁目の出身だといった。ただし、彼女が住んでいたのは生け垣に囲まれたお屋敷のような「職員住宅」。
 同じ住所に住んでいたのに互いを知らない。〈職員住宅の人たちからすれば、私たちの方が「外」と呼ばれる存在だったのだ〉〈私たちは分断され閉鎖された状況を、当たり前のように受け入れながら育ってきていたのだ〉
 三池炭鉱はかつて囚人労働や強制労働が行われた炭鉱でもあり、また三池闘争(1960年)の舞台としても知られている。
 闘争の最中、昇進を打診された父に農中少年はいった。〈お父(と)さんが係り員になって、給料が上がることは嬉しか。ばってんそれは、三池労組を出るということやろう〉〈それは、いやばい。考えられん〉
 三池炭鉱宮原坑跡は昨年、ユネスコ世界文化遺産のひとつに登録された。そのすぐ側にあった暮らしがいまはない。クラッとするような感覚に襲われる。(朝日新聞2016年8月14日)

  • 四六判上製 256頁
  • 978-4-88344-265-2
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2016/06/10発行
三池炭鉱 月の記憶 そして与論を出た人びと 与論 炭鉱 三池 塵肺 沖縄 井上佳子 石風社 三池労組 
booktitle
三池炭鉱「月の記憶」
zeikomi
¥0円
三池炭鉱「月の記憶」

三井三池炭鉱の108年の歴史。囚人労働に始まった炭鉱は、与論の人びとがその一端を担った。仕事を制限され、賃金は差別され、炭住は隔てられ……それでも彼らは懸命に働き、泣き、笑い、踊り、強靭に生き抜いた。そして中国人、朝鮮から連れてこられた人、炭塵爆発、三池労組。過酷な労働と差別によって成し遂げられた三池炭鉱を「影」の記憶をそして生き抜いた人びとの強さを追い求めた珠玉のノンフィクション。

  • 四六判上製255頁
  • 978-4-88344-197-6
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2011/07/20発行
丸腰のボランティア

異文化の中で、病院をつくり井戸を掘り、畑を耕し用水路を建設する。中村医師とともに汗を流す日本人ワーカーたちが綴る、パキスタン、アフガニスタンからの現場からの報告。──国境や国家の越え方にもいろいろある。グローバリズムに抗して……

書評

「世界」に向き合う日本人

与名原恵
ノンフィクションライター

「私でも何かの役に立つでしょうか」。
 現地ボランティアを希望する女性は、中村哲医師に尋ねたという。彼は、こう答えた。「いえ、役に立ちません」。そして言葉を続け、日本で身に付けた技術は現地では役に立たない。当初はじゃまになるくらいだ。けれども半年、一年とたつうちに現地の様子もわかり、何が必要かもわかってくるだろう。
 一九八四年からパキスタン・ペシャワールで診察を始めた中村医師のねばり強い活動とその成果は、よく知られるとおりだ。そして、この二十二年間でパキスタン、アフガニスタンへ五十人に及ぶ人びとが現地ボランティア・ワーカーとして赴いている。本書は、彼ら本人による活動報告をまとめたものだ。
 医療、農業、水源確保、用水路建設、植樹など、さまざまな分野で力を尽くしたいと現地で活動しているが、多くの苦難に直面する。あまりに過酷な現実、宗教、風習の違い。複雑な人間関係。そして、内戦、米国のアフガン攻撃、大地震……。
 夏は四〇度を超える現場だ。日本でやってきた方法論が一番正しいわけではない。不合理に思えても、そこには歴史と伝統に裏付けられた理由もある。そのなかで、彼らは悩み、苦しみ、自分ができることを見つけ出してゆく。悲しみも怒りもさらけだし、そして喜びの瞬間をかみしめる。「丸腰」ゆえに、人や土地を受け入れ、「命を預ける」関係を育んでゆくのだ。とりわけ、九〇年から現在まで看護師として働く女性の報告は、この時間の重さと深い意義を語っている。
 彼らの体験を通して、知ることが多くある。たとえば、国連やNGO(非政府組織)の活動の問題点。さらに、私たちが日本で得ている情報がいかにかたよったものなのか。目が開かれる思いだ。
「美しい国」をかかげる日本。けれども他国に対して「閉じて」いくのではないかという恐れを感じている。本書によって「世界」に向き合う態度を学んだ。

海外でやっていいことダメなこと

大谷猛夫
中学校教師

「自衛隊を海外に出すこと」が国際貢献だと考えているのが、自民党・公明党の連立内閣です。小泉前首相は憲法前文の中から「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」という一文を前後の脈絡なしに引用して、自衛隊を海外に出動させたがっていました。これを引き継いだ安倍内閣も同様です。
 日本国民が、海外で困っている人のところへ出かけていって援助する、というのは武装した軍隊がでかけていくことではありません。『丸腰のボランティア』の本では国際貢献という言葉はまったく使われていませんが、私たちができることは何なのか、してはいけないことは何なのかがはっきり示されています。
 二十年以上パキスタン辺境州でアフガニスタン・パキスタンの戦火にあわれた人たちの医療と生活の支援をしてきた中村哲さんを中心とする「ペシャワール会」のボランティアの人たちの思いが、この本では淡々と述べられています。医療関係の人はもちろん、農業や井戸掘り技術を持った人たちができることをしていく、というこれだけのことです。しかも日本の尺度ではなく、現地の物差しで「私たち協力者がしなければならなのは何も特別なことではなく、今まで地元の人たちがしてきた良いことはそのまま続けて、改善したらもっと良くなるようなことは改善して地元の人たちと一緒に仕事をしていく」という精神です。
 アフガニスタンの人が言います。「井戸の掘り方を教えてくれた。完成するまで手伝ってくれた。完成したら、道具まで置いていくという。後は我々でできる。学んだことは他の村人や子どもたちに教えていける」と。
 ペシャワール会は日本の国際ボランティアの草分け的存在です。この他にもベトナムのストリートチルドレン救済やフィリピンの人たちとフェアトレードに取り組む人たちもいます。現地の人の自立を助けています。

新しい自分の誕生記録

下嶋哲朗
ノンフィクション作家

 即、冒険に出られる。若いとはこの勢いをいう。今時の若者は、何年かすればかならず失うその勢いを行使しない。かわりに既成の社会や価値観に浸かり、ケータイ、ゲーム、テレビ等々カタカナ語の小道具の小さな世界に背を丸めて没我する。そこに実感はないから覇気がない。たとえ若者であっても未知の自分への挑戦を恐れ、自らを革新しない者は、早老人である。小道具に入れ込む無数の老いた若者を見るたびに「もったいない」と思う。
 そもそも冒険とはなんだろう。家を出、既成社会の構成員たるをやめ、庇護されるを拒否して現場に飛び込む勇気である。既成の小さな自分を捨て、新しく大きな自分を自ら生み出そうとの行動である。それは小道具を捨て現場へ出なければならないのだ。現場において「我」の存在を実感するとき、必然自らの精神を取り囲む狭小な垣根はたちまち朽ち果てる。新しい自分が広がり行くを実感する。存在する自信の獲得である。こうして勢いよく成長する「我」を実感する爽快な心地よさの体験が冒険なのだから、深い悩みこそあれそこには失敗とか後悔などは絶対にない。仮に脱落したとしても、それは己の限界を悟ったのである。迷わずほかの道を進めばいい。「我」の冒険は「我」だけができる唯一のものであるゆえに貴重なのだ。「すべて現場から学んだ」と副題を付けた本書に登場する数十名の若者たちが、この事実を熱く教えてくれる。
 医師・中村哲さんの設立による「ペシャワール会」はつとに知られるが、その活動を支える多数の日本人ボランティア、──若者たちの生の声はあまり知られていない。本書はその若者たち、異文化の中で病院を作り、医療に携わり、井戸を掘り、畑を耕し、用水路を建設した若者たち自らによる記録だが、意図せずして新しい自分の誕生記録となった。
 「会」の現地代表中村さんがパキスタン・ペシャワールで診療を始めたのは一九八四年。戦争、内戦、干魃が起こり人々は被災し死傷したり難民となった。医療器具もそろわない困難なところで日本人二〇名が働いている。日本で医者をしていれば金儲けもでき安楽な生活は保障されている。なのに命も危ない国へ「なぜ行くのか」と自問し「青春をなげうって行くんだね」と悲壮視する友人や家族たち日本人に「青春を求めに行くのだ」と内心思う。現場においては「日本の知識と常識を覆され」て我は何をする人か、我は何ものなりかと悩む悩みが自己探求を深めて、逃避への誘惑に打ち勝つ。そこから新しい自分が生まれ出る。「会」は集団活動である。しかし、日本を含む各国からのNGOが押し寄せては、サッと引いていくなか「あなたたちは絶対に逃げない。私達はあなた達日本人だけは信じることができるんです」と人々にいわせる信頼は、新しい自分の誕生によって生じたものだ。その代償は金銭などではない。「日本から八千キロも離れた小さな渓谷で、我々のことを心から信じてくれる人々がいます」との日本では体験し得なかった信頼される喜びである。
 アフガニスタンは一九七九年のソビエトの侵攻以来いまだに戦火が絶えない。そればかりか、二〇〇〇年からは大干魃に見舞われ人口の半分以上が被災し数百万人が飢餓線上にある。完全武装した民兵に護衛されて作業を続けている外国の企業などは、襲撃と拉致と殺害が繰り返されたが、非武装・丸腰の日本の若者たちが襲われたことは一度もないという。それが「日本人への信頼につながり、軍事によらない日本人の『安全保障』となる」、結びの言葉である。若者たちは現場において日本の平和を鍛えてもいる。

真の「国際援助」とは

多田茂治
ノンフィクション作家

 心のこもった真の「国際援助」とはどういうものか、本書を読めばよくわかる。
 福岡出身の医師中村哲氏のパキスタン・アフガニスタンの僻地医療活動を支えるペシャワール会が発足したのは一九八三年。翌年、中村医師はパキスタン北西部の拠点ペシャワールに着任。カイバル峠を越えればアフガンだ。この一帯はハンセン病の多発地帯であり、結核、白血病、マラリア、腸チフス、寄生虫などの患者も多かった。貧困地帯でもある。
 本書は、中村医師の活動に共鳴してペシャワールに馳せ参じた日本の若者たち(約五十名)の活動記録である。九八年にはペシャワールにPMS(ペシャワール会メディカル・サービス)基地病院が開設されて本格的な医療活動が始まるが、二〇〇〇年にはアフガンの乏しい「命の水」の水源確保事業も開始。寒暖の差が激しいなかでの井戸掘り(すでに一四〇〇本以上)、灌漑用水路工事、植樹、試験農場開設、野菜栽培と仕事は増える一方。現地スタッフも増えるが、なにしろ異文化(イスラム)と鼻つき合わせての日常なので、驚き、とまどい、怒り、ときには「参った!」の連続だが、中村先生作のウルドゥー語のテキストには「お互いが理解し合うには時間がかかる。ゆっくりゆっくり……」
 そんな日々を重ねて、みんな大きくなってゆく。〇一年十月、アメリカのアフガン空爆が始まると、中村医師は「私はこの狂気に断固反対する。PMSは決して撤退しない」と激怒し、また一つ仕事を増やした。難民キャンプへの食糧支援。みんな生き生きと大忙しだった。
 題名の「丸腰」がよく効いている。アメリカべったりの小泉政権はイラく戦争が始まるや、いちはやく自衛隊をサマワに派遣して日章旗を揚げさせたが、重装備の隊員はもっぱら砦の中にこもっていて、何程の事も成し得なかった。
 ペシャワール会の丸腰のボランティアたちは現地住民のなかに溶け込み、厚い信頼を得て、大きな仕事をいまも続けている。丸腰の熱意のほうが武力よりも強い。

  • 400頁四六判並製
  • 978-4-88344-139-6
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2006/09/20発行
馬毛島漂流_カバー_web用
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馬毛島漂流
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馬毛島漂流

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馬毛島漂流
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石油備蓄基地誘致 全島民の離島 企業による土地買収 大規模な「滑走路」工事 日米安保の渦の中で、 〝漂流〟する島・馬毛島 種子島在住の元新聞記者が 島に渡り、歩き、喰い、 時には遭難して知った 馬毛島の今を、 短歌と写真 …

  • 四六判上製 218頁
  • 978-4-88344-257-7
  • 定価:本体価格1600円+税
  • 2015/10/20発行
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馬毛島異聞
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馬毛島異聞

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馬毛島異聞
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鉄砲伝来の島・種子島の西方12キロに浮かび野生鹿群れる小さな島の歴史物語。お家騒動から島の開拓・開発、そして実らぬ恋まで──。種子島家の支配のもとにあった島の歴史を史実と伝統を綴り合わせながら郷土史の泰斗が遺す。

  • A5判上製 101頁
  • 978-4-88344-236-2
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2013/09/01発行
香港玉手箱 ふるまいよしこ 石風社 香港 北京 広東語 中国語 ロック 写真 返還
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香港玉手箱
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香港玉手箱

転がりつづける町・香港から目を離すな! 香港在住10年の音楽や絵画・写真に造詣の深い著者がつづる熱烈歓迎辛口定点観測。

書評

立ち上がる「弾丸都市」の姿

飯沢耕太郎
写真評論家

 「この人はいったい何者?」というのが彼女と最初に会ったときの第一印象だった。一九九四年二月、香港芸術センターで開催された「中、港、台當代撮影展」のシンポジウム会場でのことである。
 中国、香港、台湾の写真評論家、雑誌編集者たちがはじめて顔をあわせ、熱っぽい討論を繰り広げていた会場を、彼女──ふるまいよしこさんは颯爽と動き回っていた。広東語、北京語を鮮やかに使いこなし、滑らかにその場の空気に溶けこんでいる。なにしろ、こちらは言葉がまったくわからないので、初対面の彼女の通訳で多くの写真関係者と知り合うことができた。
 その後、九六年に横浜、京都、福岡で開催した「香港変奏──香港写真の現在」展でも、現地コーディネーターとしてお世話になり、なんとか企画を成功させることができた。彼女の粘り強い交渉力と、筋を通すポジティブな実行力がなかったら、尖閣諸島(釣魚台)の問題で微妙な状況にあった展示自体が空中分解していたかもしれない。
 その彼女が『西日本新聞』に連載していたコラム(「香港交差点」=九四年十一月──九八年三月の文章をまとめた本書を読むと、いつも元気に飛び回っているように見える彼女も、けっこういろいろな矛盾や問題に直面し、それらをひとつひとつ、せいいっぱい体を張って切り抜けてきたことが分かる。「とにかく好むと好まざるとにかかわらずびゅんびゅんと前へ向かって走り続ける『弾丸列車』に乗って生活を続けているような感じなのだ」と彼女は書いているが、たしかに香港では時間が日本の二、三倍の速度で進むように感じられる。特に九七年の「中国返還」前後の時期の加速は凄いもので、その右往左往ぶりは本書からもいきいきと伝わってきた。
 僕にとって嬉しいのは、高 志 強、謝 至 徳、茫〓〓という三人の香港人写真家の作品が、文章の間にたっぷり使われていること。彼らの写真から、現在形の香港の姿が立ち上がってくる。

  • 239頁 四六判並製
  • 4-88344-039-7
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 1999/03/20発行
9784883442201
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ペンと兵隊
zeikomi
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ペンと兵隊

北九州・若松の沖仲仕頭領・玉井金五郎の長男として生を受け、文学を志し上京。帰郷後、労働者の組合運動に身を投じ、芥川賞受賞の「糞尿譚」や従軍小説「麦と兵隊」などで一躍、国民作家の地位を確立するも、戦後、連合軍により公職追放――。激動の時代とともに葛藤しつつ揺れ動いた文学者たちが背負った思想的課題を、葦平作品に内在する振幅の中から問い直す評論集。

  • 四六判 上製 240頁
  • 978-4-88344-220-1
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2012/11/30発行
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