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海の子の夢をのせて 倉掛 晴美 いのうえしんぢ 石風社 れいんぼうらぶ 直江津 フェリー 児童書
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海の子の夢をのせて
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海の子の夢をのせて

お神楽の里・島根県平田市の小学校の、たった一人の6年生・優たちと、沖をゆくフェリー交流をつづる、実話から生まれた物語。映画「白い船」は、この一冊からはじまった。(小学校低学年より)

書評

夢を叶えた児童たちの実話

野口芳宏
北海道教育大学教授

 子どもをめぐる暗いニュースが多い昨今だが、そんな気分を吹っ飛ばしてくれるような明るい話題の本が出た。「海の子の夢をのせて」という書名の通り、子どもの夢が現実のものになっていうというほのぼのとした物語である。
 物語といってもフィクションではない。現実も現実、地名も登場人物もすべてが実名で登場するというすてきな海の子どものお話だ。
 舞台は島根県平田市の塩津小学校で全校児童は十九人。物語の主人公は、たった一人の男子六年生の優と二人の五年生綾子としおり、それに担任の本田亜希先生である。二階の教室に三つの机を並べた複式学級からこの話は始まる。この教室から、豪華で大きな白い船が毎日見えるようになる。「あの船、どこ行くだぁか……」と、授業中に優が呟いたことから、学校中がこの船に心を奪われる。やがて、それは大型のフェリーボート『れいんぼう・らぶ』だと分かり、いよいよ関心が高まってきた。そして、本田先生はこの船長さんにみんなで手紙を出そうよと促す。返事がくる。イルカのキーホルダーまで添えられて──。
 夢はどんどんふくらんで一度でいいから乗ってみたいと子どもたちは胸を熱くする。交流が深まって「海の子レインボー新聞」が子どもの手によって生まれ、地方新聞に「沖ゆく船と交流」と大きく紹介される。
 そして、ついに、子どもたちはこの船に招かれて夢がかなえられる! 文章も挿画も、子どもも先生も、地域もみんなみんな光っている。

  • A5判上製135頁
  • 4-88344-067-2
  • 定価:本体価格1300円+税
  • 2000/10/31発行
ドラキュラ 屋敷 さぶろっく 石風社 前田美代子 いのうえしんぢ 児童書 戦争 平和 小学生 高学年
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ドラキュラ屋敷 さぶろっく
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ドラキュラ屋敷 さぶろっく

戦後間もない片田舎の村。戦争の影をそれぞれにをひきずる子供達が、あるひと夏の奇妙な出来事を通し、未来に向けて歩み出す……へっぴり腰の少年たちがドラキュラ屋敷で見たものは……(児童書/戦争と平和/小学校中学年以上)

  • A5判173頁
  • 4-88344-062-1
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2000/09/30発行
雪原のうさぎ

中国東北部のきびしい自然の村。一人の少年がいのちと向き合い、歩み出す、成長の翻訳絵本。

  • A4判上製33頁カラー
  • 4-88344-061-3
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2000/09/01発行
ふしぎとうれしい 長野ヒデ子 ながのひでこ 長野 ヒデ子 絵本 長 新太 エッセイ 鎌倉
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ふしぎとうれしい
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ふしぎとうれしい

「生きのいいタイがはねている。そんなふうな本なのよ」長新太氏


「生きのいいタイがはねている。そんなふうな本なのよ」長新太氏
絵本作家・長野ヒデ子さんの初めてのエッセイ集。使いこんだ布のように、やわらかな言葉が、人について、絵本についていきいきと紡がれる。長野さんの絵のふしぎの秘密もわかります!

書評

ほんわかと暖かい読後感

村島光子

 絵本作家長野ヒデ子さんの初めてのエッセイ集である。長野さんは一九七八年第一回日本の絵本賞を受賞。以来、たくさんの賞を受賞し、子どもから大人まで多くのファンをもっている絵本作家である。
 この本の中には、長野さんが二十年の間に、新聞や児童文学誌などに書いたエッセイが、長野さんいわく、おもちゃ箱のようにあれこれぎっしり入っている。本の帯に「使いこんだ布のようなやわらかい言葉で」とあったが、まさにそのとおりで、文章の一行一行に長野さんの人柄がにじみでている。
 ひょんなことから、鎌倉にアトリエをかまえた話、そこで出会った人や自然と付き合うこと、出身地である愛媛県の海のことや同じ愛媛出身の児童文学者古田足日氏の講演会での出来事、秋野亥左牟氏が住む小浜島のようすなどなど、楽しくて読み始めたら止まらない。ほんわかと暖かい読後感が心地よい。
 そして、忘れてはならないのは、家族の一員であった猫のサラダのことだ。どんなにサラダを愛していたか、このエッセイ集や長野さんの絵本を見ればよくわかる。

  • 278頁 四六判並製
  • 4-88344-064-8
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2000/08/20発行
ヒロシマ ナガサキ 絆 原爆 中村 尚樹
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名前を探る旅
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名前を探る旅

松下竜一氏称賛!


原爆により、長崎三菱工場の六千人以上、広島市女の女生徒七百名近くが、一瞬のうちに命を落とした。その生死を分けたのは、ある偶然であったにせよ、生き残った者にとっても、この世は煉獄であった──死者への思いと行き場のない憤怒が、終りなき鎮魂の旅へ駆り立てる。二人の被爆者の記録。

書評

人間として在ることの意味を問うた一書

 「本書は名もなき被爆者二人の記録である」。あとがきにはそう記されている。長崎と広島に投下された原爆が、さまざまな生ある人びとを一瞬のうちに焼き尽くし、「無名」の死骸に変えてしまったこと、そして生き残った名もなき者が長い沈黙ののち、「名前を探る旅」に出立するまでの葛藤を本書に知るとき、この記録がどれほどに重い意味を持つものであるかを、一読するものは見出すことだろう。中村尚樹著『名前を探る旅──ヒロシマ・ナガサキの絆』は、二人の被爆者の人生を追いながら、人間として在ることの意味を問うた一書である。
 「ナガサキの絆──人間の論理」で綴られるのは、原爆で亡くなった会社の同僚の名簿づくりに取り組む一人の被爆者、原圭三さんの姿である。原爆が炸裂したとき、防空壕堀りをしていた原さんは奇跡的に生き残った。だが、三菱重工長崎造船所の同僚の多くは原爆の犠牲となった。そして自らも原爆の後遺症を抱え、死の影を引きずりながら戦後を生きてきた。「自分が死んでしまえば、自分の記憶の中にある原爆で死んでいった同僚たちのことはどうなるのだ。誰も振り返る人がいなくなってします。彼らの名前をいま、取り戻さなければ、永遠に失われてしまう」。亡くなった同僚だけでも、彼らの名前や死亡状況などを記録した名簿を残さなければならない。生き残った自らの務めとして、原さんは被爆から二九年、長い沈黙を経て名簿作りを決心したのだった。
 こうして、原さんの「名前を探る旅」が始まった。しかしそれは、単に名前だけを記載した名簿作りではなかった。その旅は、名前を持つ一人一人がどのような人生をたどってきたのかを確認する作業なのだと、本書には記されている。死者たちは、もう言葉を発することもできない。その無念さが、原さんを突き動かし続けた。「原の名簿は、原と彼らを結ぶ絆の証なのだ」、本書のなかで著者はそう述べている。
 「あらゆる手がかりを懸命に探せば、その人の名前から、その人の人生が見えてくる。そして彼らは、原爆で無惨にも断ち切られてしまったおのおのの人生について語りかけてくる」。原さんは本書のなかでそう語る。そして「名前を探る旅」は、無縁物をもたどって続けられ、少しずつその名前と身元が明らかになってゆく。名前を探る原さんの作業には、原爆投下の後、遺体を次々に焼け跡で荼毘に付した光景が二重写しになる。名前を一字たりとも間違うわけにはいかない、企業や行政に任すわけにはいかない。原さんの旅は、無念仏のふるさとを訪ね、身元を探す旅へと続けられていった。「名前を探る旅」は、著者のいうように「名前と共に生きる旅」として原さんを駆り立てたのであった。
 「六年という歳月は、恐らく多くの僕たちの記憶を忘却の渕に沈めて行く力を持っているに違いありません。……この文集は、被爆の体験については何も語りたくないという痛切な沈黙の心理と、誰かに向かってこの体験を訴えずには居られない強い衝動との交錯の中から生まれてきたものであります」。一九五一年、京都で「綜合原爆展」が開かれたのに合わせて、冊子『原爆体験記』が作られた。この文章は、当時京大の学生であった宮川裕行さんが序文にしたためたものであった。彼は高橋和巳たちと交友を結び、一時は作家を志し、断念する。そして郷里の広島に帰り、長年高校の教師を務めた。本書の「ヒロシマの絆──父から子へ」は、彼の「名前を探る旅」の記録である。
 やはり教師であった宮川さんの父は、原爆で多くの生徒を死なせてしまったという思いを抱えて戦後を生きた。そして宮川さんは三〇年以上にわたって、自らの被爆体験について沈黙したまま、教師生活を続けてきた。その彼に沈黙を破らせた最大の動機について、著者はそれを「原爆で亡くなった人々に対する鎮魂」であったと書き記している。自分の家族は生き残ったが、原爆で亡くなった人々や家族を失った人々に対して言い訳ができない。その気持が、宮川さんの原点にはあったという。自分は原爆の最も悲惨なところを見てはいない、そうした思いが、彼の長き沈黙と鎮魂、そして被爆体験を語る原点にあったのである。
 「自分だけ生き残ったという罪の意識」。それを抱えながら、戦後を宮川さんは広島で生きた。そして、亡くなった人々に対するつぐないとして、被爆体験を語る彼の姿があった。著者は本書に記している。「宮川の重荷となっていた被爆の体験、即ち両親以外のまわりの人を誰も助けることができなかったこと、たくさんの生徒を死なせてしまったという父の思い、そうしたたくさんの気持を、否定するのではなく、そのまま受け止めてくれる人々がいる──それが死者への贖罪へとつながってゆく。それが、ヒロシマの絆ではないだろうか」。
 一九九四年、広島市立第一高等女学校の生徒たちが原爆投下の一九四五年正月に書いた、書き初め三五枚が発見された。「端正簡素優雅」と楷書でしたためられたその一枚一枚に「昭和二十年元旦」という文字と学年、組、そして筆者の名前が添えられている。その「文の林」に分け入った著者は、書き初めを遺族らに返す宮川さんの作業を描いている。「あの時、みんなと一緒に死んだ方がよかった」という気持を抱きつつ、宮川さんはつぐないとして、彼の「名前を探る旅」を始めたのだった。
 被爆体験を語る宮川さんの旅は、海を越えて被「曝」者となったチェルノブイリの人たち、ロシアのキエフにまで及んだ。そして韓国人被爆者との交流とともに、彼らが被爆手帳を取得するために、その世話や証人探しを手伝う仕事が続く。本書からは、残っている名簿などから見出された彼らの名前が「創氏改名」による日本名であることに、現在も続く戦争の爪痕が浮き上がってくる。宮川さんたちに投げられた、一人の在韓被爆者の「だますなよ!」という言葉に、原爆とともに、日本の植民地支配がもたらした一人一人のなかの「戦争」が明らかになるのだった。
 長崎と広島に生きる二人の「名前を探る旅」。そしてその二人の名前に込められた人生をたどる、ジャーナリストとしての著者自身の「名前を探る旅」が本書に実を結んでいる。

蒼氓という言葉がある。

松下竜一
作家

 蒼氓という言葉がある。無名の庶民一人ひとりをさしていう言葉だが、重く寂しい影を曳いている。本書を読みつつしきりに浮かび来るのが蒼氓という言葉だった。
 本書ナガサキ篇の主人公原圭三は、三菱重工長崎造船所に勤務していて被爆しかろうじて生き残った一人である。〈原の働いていた浜口町工場では、動員学徒や食堂員などを含めて三百四十八人の作業員の内、九九%以上が亡くなった。〉
 自分だけが生き残ってしまったという心疚しさは、戦後が遠くなっても原の心から消えることはなく、被爆後二十九年目にせめて〈三菱造船所で亡くなった同僚だけでも、正確な名前と被爆した場所や当時の状況についてきちんと一覧出来る名簿をまとめようと決心〉する。四十九歳であった。本来は国や県や市や会社がしていなければならないことが、なされていなかったのだ。
 まぎれもなく一九四五年八月に生きていながら、原爆によって一瞬の内にかき消され名前すら記録にとどめられない蒼氓一人ひとりを、原は執念をもって生き返らせていくのである。その作業の困難さにもう止めようとすると、夢に黒焦げの男たちが押し寄せて「俺もおる、俺もおる」と叫ぶのだという。自らも癌と闘いつつ、原が二十年がかりでまとめた名簿には六千二百九十四人の名が並んでいた。名前が明かされることで、一人ひとりの生が復権されたのだ。原圭三氏がなしとげたことの尊さに頭を垂れずにはいられない。
 著者は長崎の放送局に勤務中に、「被爆地ナガサキ」の話題のひとこまにはなるだろうというくらいの気持ちで原圭三の取材を始めたが、その執念の重さに惹きこまれてゆく。ついには放送局をやめフリーライターとして、最初のドキュメントとなる本書をまとめることになる。ヒロシマ篇まで紹介できなかったが、戦後五十余年を経てもなお掘り起こすに足る蒼氓の記録が埋もれていることを証したのは、著者の手柄といっていい。

  • 四六版並製 298頁
  • 4-88344-063-X
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2000/08/15発行
祖国 戦場 ビルマ 根本 百合子 ささやき 石風社 聞き書き
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祖国を戦場にされて
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祖国を戦場にされて

ビルマの人々が紡ぐひかえめな言葉の中から、日本軍と英印軍の姿が影のように浮かび上がる──。故郷の村を故なき戦場とされた人々は、その時何を見たのか? 六年の歳月をかけて綴る、ビルマが見たビルマ戦

  • 四六判上製324頁
  • 4-88344-060-5
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2000/07/01発行
井上岩夫 詩人 鹿児島 小説 カキサウルス 石風社 豊田伸治 全集 宮内勝典
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井上岩夫著作集[2]小説集
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井上岩夫著作集[2]小説集

兵士にとっての「戦争」を、自意識の劇の過剰のなかに描き切る。──ひとりの詩人が、現実への深い拒絶と孤絶の果てに、知の狙撃兵となって「世界」を再創造する。「『カキサウルスの鬚』を読み、私は愕然とした。揺るぎない存在感にショックを受け、青ざめた。…小綺麗になった土地や時代の、その地層の最深部から、風化することを拒む一つの意思が恐竜のように起ち上ってくる気がしたのだ。」(宮内勝典・作家)

書評

「生き返った恐竜」に会う

宮内勝典
作家

 井上岩夫という詩人がいた。九州一円では知られているけれど、いわゆる中央詩壇とは無縁のまま、権威に対してひっそりと背を向けて生きつづけた詩人だった。古本屋、看板かき、印刷屋などを営みながら、市井の片隅にあって反時代的な姿勢をつらぬいた。

 作家・島尾敏雄は、彼についてこう記している。
 「目が鋭く光ってすべてに拒否的な気配が漂っていました。(中略)しかし彼の目の底では静かなやさしさが、表現の方法を見つけ得ずにはにかんでいることを隠せないのです。(中略)孤島の岩の上の俊寛のような彼の悲しげな目。しかし私の胸の中に焼きついているのは無口な彼の在りようです。薩摩の風土にまみれてその穴からじっと世界を伺っている目」
 まったくその通りで、これ以上つけ加えるべき言葉は何もいらない。ただ親子ほど歳のちがう者から見た印象だけを補足しようと思う。出会ったのは二十年ほど前、鹿児島市・天文館通り裏の居酒屋だった。世の中は明るく繁栄しているのに、戦時中の不発弾のようなものがそこにごろりと存在して、過去をそんなに簡単に忘れていいものかねと言わんばかりに、目を光らせている気配だった。しかも、生半可なインテリを毛嫌いしつつ、市井の片隅にひそんでいる狷介な初老の男……。
 初対面のその日、私たちはつかみかからんばかりの激しい口論となった。彼にとって私はチンピラの駆け出しであり、私のほうは屈強な父親世代に初めて全力で挑めるような高ぶりを感じていた。その出会い頭の喧嘩の後、私たちは知己となった。

 彼の小説はぶっきらぼうで、ごつごつとして読みづらかった。だが戦中派の父たちの胸の奥底にどんな思いが秘められているのか、ついに納得できた。そして私は、こう記した。
 「『カキサウルスの鬚』を読み、私は愕然とした。揺るぎない存在感にショックを受け、青ざめた。上っ面だけのっぺり小綺麗になった土地や時代の、その地層の最深部から、風化することを拒む一つの意思が恐竜のように起(た)ち上がってくる気がしたのだった」
 決して、お世辞ではなかった。不発弾にひそむ、まだ湿っていない火薬をじかに舌で味わってしまったような狼狽を感じたのだ。そして私は『カキサウルスの鬚』の作者・井上岩夫を恐竜になぞらえて、心ひそかに「イワオサウルス」と名づけた。頑固親父め、と呟きたくなる困惑と、深い畏れを込めて。
 最後に会ったのは一九八二年、早世した息子の墓参りに帰郷したときだった。まったくの偶然だが、彼は、私の息子の墓がある鹿児島市の唐湊に住んでいた。
 桜島の噴煙が見える墓地の道を、妻と私は茫然としながら下り、竹林のような仮住まいを訪ねたのだった。そこは伴侶を失ったあとの彼の隠れ家であり、仕事場でもあった。いかにも隠者の住まいらしく、殺風景で何もなかった。ただ机の上に草稿が積まれていた。その日、彼は無口だが、たとえようもなく優しかった。黒々と光る目が、子を失ったばかりの若い夫婦を慈しんでいた。それでも私は、恐竜「イワオサウルス」がまぎれもなくそこに居ると感じて正座していた。

 その後、私はアメリカに移り住み、再会する機会もないまま年月が過ぎていった。訃報に接したとき、彼の仕事が埋もれてしまうのではないかと、歯ぎしりするような無念な思いがあった。
 だが、それは杞憂だった。没後五年たって、福岡市の石風社から『井上岩夫著作集』が刊行され始めたのだ。函入り大判で、五百ページを超える大著だった。壮挙だと思った。けれど出版不況の時代だから、第一巻だけで終わってしまうのではないかと危ぶんでいた。ところが二年後の今年、ついに第二巻の「小説集」が出た。私を身ぶるいさせた『カキサウルスの鬚』も収録されている。
 恐竜「イワオサウルス」は二〇〇〇年に生き返ってきたのだ。私は嬉しくてたまらず、二冊の本を重ね、その上に夏蜜柑を供えた。

生気に満ちた人間描く

前山光則
作家

 鹿児島市に住んで詩人・作家として活躍していた井上岩夫氏が亡くなって、七年経つ。早いものである。
 この著作集第二巻には長短編合わせて九編の小説が収められている。そのうち、「ごはんさんで」「衛門」「カキサウルスの鬚」「下痢と兵隊」「雁八界隈」は以前読んだことがある作品だが、以前も今回再読しても一番印象に残るのは「カキサウルスの鬚」である。
 大隅一人と小松松造という二人の男が物語の中心で、二人は互いに「カズトサア」「マッチャ」と呼び合う幼馴染み・親友だ。しかも、共に戦争で受けた心の傷や故郷での濃密な人間関係を引きずって日を送る。特にカズトサア大隅一人は、抱え込んでいる心の荷物が重すぎるがゆえに「カキサウルス」とか「デバマネキ」というグロテスクなものを幻視してしまうのだ。終いには、大隅一人は鹿児島での「荷物」の一切を振り捨てるようにして東京へ出て行く。良い歳した男が、である。人間たちはこんなにも深く心を通わせ、しかしながらすれ違い、一人一人生きるしかないものなのか、と溜め息が出てしまった。
 せまい町内での人間関係を描いた「葱」、軍馬に執着する男の話「さくら」、「餅菓子みたいなおばさん」が登場する「少佐の妻」、算数が天才的に得意な少年と言葉が喋れない母親とを物語った「四枚の銅貨」、この四編には初めて接した。それぞれ名品である。
 井上岩夫氏の小説には正直者、頑固者、ずる賢い奴、可愛い人、みっともない連中、等々、さまざまな人物たちが出てくるが、皆、人間としての輪郭をしっかり持ち、生気に満ちている。「報復から逃げおおせる為なら郷里も妻子も捨てる程の小心者である男に、鶴嘴を斜に振りかぶらせたのは何だったのか。わからんと言っても、わかると言っても嘘になる「(「カキサウルスの鬚」)、──「わからん」と「わかる」の間に身を屈(かが)め、人間に対する興味・関心を根強く持ち続けたからこそ、こうした読み応えある作品群を残し得たのではなかろうか。

鬼才の密度濃い「前衛」

渡辺京二
評論家

 歳月を重ねるにつれて、光芒を放つであろう小説集一巻がここに在る。
 著者は七年前に物故された鹿児島在住の詩人であるが、詩において、極度に凝縮された喩の切れ味と、時代を透視する思想的含蓄の深さによって、戦後詩史の一ページを飾るにたる業績を残されたばかりでない。氏は戦後どの作家も書くことがなかったような、高度に知的でしかもくるめくように豊醇な一群の小説の書き手でもあった。
 そのすべては鹿児島や熊本の雑誌に発表されたので、いまだ知られざる作家にとどまってはいるが、この一巻を読む者は、井上氏が戦後文学の中でも、ひときわ光彩を放つ一鬼才だったことをうべなわずにはおれぬだろう。
 氏の代表作は、かつて弓立社から一本として刊行された『カキサウルスの鬚』と『衛門』だろう。前者は七〇年代初頭の鹿児島を舞台として、悪夢のような戦争体験と屈折した土俗的情念をないまぜた力作であり、後者は日中戦争中の時代の暗鬱な照り返しを背景とする、近親相姦的恋愛の物語である。
 つまり氏の小説には、戦争と軍隊という日本人の巨大な経験が夢魔のようにのしかかっており、その意味では戦後文学的といっていよいし、そのような経験の処理のしかたが知的な屈折を極めている点では、昭和十年代の自意識の文学に系譜づけることもできる。
 しかし、氏の作品が戦後文学の主流をなす知識人文学にとどまるものでないのは、そのすべての隅々から、ムラの土俗のむせ返るような濃密な相貌が立ち現れることによって明かだろう。このようにムラの土俗が知的な格闘を通して思想的象徴にまで高められたのは、まさに氏のみがなしえた壮観であった。
 さらに氏の小説は仕掛けと謎にみちている点でも、まさに前衛的である。氏の小説においては、事実も筋も主題も幾重も目くらましをかけられていて、読者は密度の濃い言葉に酔わされながら、絶えず知的挑戦を受けることになる。すなわち小説読みにとって、この一巻は生涯幾度とは出会えぬ一壷の美酒なのである。

  • A5判上製函入517頁
  • 4-88344-065-6
  • 定価:本体価格5000円+税
  • 2000/06/30発行
海のかいじゅうスヌーグル ジミー・カーター 絵本 かいじゅう 障害者 障害 障碍 ジミー カーター エイミー 飼牛 万里 アメリカ 大統領
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海のかいじゅうスヌーグル
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海のかいじゅうスヌーグル

ジミー・カーター元アメリカ合衆国大統領が、若き日、幼い愛娘に語り聞かせたお話が、愛娘エイミーさん自身の絵によって絵本になった! 足の不自由な少年ジェレミーとちびっこかいじゅうスヌーグルの愛と勇気にみちた海辺のファンタジー絵本。

  • A4判変型 32頁
  • 4-88344-055-9
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2000/06発行
わたしの天職 北九州おもしろ人間帖 西尾秀巳 石風社 北九州 筑豊 京築 仕事 ライフワーク
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わたしの天職
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わたしの天職

──庶民、あなどるべからず──。不況も世間もどこ吹く風。今日もひたむきに、自らのライフワークを究めつづける、北九州・筑豊・京築の、一筋縄では行かぬ個性派84人の履歴書。「わしゃ、この仕事に誇りばもっちょるよ」

  • 194頁 四六判並製
  • 4-88344-058-3
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2000/04/30発行
古川嘉一詩集 古川嘉一 前山光則 石風社 詩集 熊本 八代 始終 淵上毛錢
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古川嘉一詩集
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古川嘉一詩集

熊本県球磨川の河口、不知火海の岸辺に発火した魂が、時を超え結実する。五十年後の処女詩集。復員後淵上毛錢を訪ね、毛錢と詩誌「始終」を刊行。死を目前にした2年間の詩作品50篇に生を結晶させる。

  • 100頁 A5判上製
  • 4-88344-057-5
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2000/04/20発行
 (271件中) 191〜200件目