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香港玉手箱 ふるまいよしこ 石風社 香港 北京 広東語 中国語 ロック 写真 返還
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香港玉手箱
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香港玉手箱

転がりつづける町・香港から目を離すな! 香港在住10年の音楽や絵画・写真に造詣の深い著者がつづる熱烈歓迎辛口定点観測。

書評

立ち上がる「弾丸都市」の姿

飯沢耕太郎
写真評論家

 「この人はいったい何者?」というのが彼女と最初に会ったときの第一印象だった。一九九四年二月、香港芸術センターで開催された「中、港、台當代撮影展」のシンポジウム会場でのことである。
 中国、香港、台湾の写真評論家、雑誌編集者たちがはじめて顔をあわせ、熱っぽい討論を繰り広げていた会場を、彼女──ふるまいよしこさんは颯爽と動き回っていた。広東語、北京語を鮮やかに使いこなし、滑らかにその場の空気に溶けこんでいる。なにしろ、こちらは言葉がまったくわからないので、初対面の彼女の通訳で多くの写真関係者と知り合うことができた。
 その後、九六年に横浜、京都、福岡で開催した「香港変奏──香港写真の現在」展でも、現地コーディネーターとしてお世話になり、なんとか企画を成功させることができた。彼女の粘り強い交渉力と、筋を通すポジティブな実行力がなかったら、尖閣諸島(釣魚台)の問題で微妙な状況にあった展示自体が空中分解していたかもしれない。
 その彼女が『西日本新聞』に連載していたコラム(「香港交差点」=九四年十一月──九八年三月の文章をまとめた本書を読むと、いつも元気に飛び回っているように見える彼女も、けっこういろいろな矛盾や問題に直面し、それらをひとつひとつ、せいいっぱい体を張って切り抜けてきたことが分かる。「とにかく好むと好まざるとにかかわらずびゅんびゅんと前へ向かって走り続ける『弾丸列車』に乗って生活を続けているような感じなのだ」と彼女は書いているが、たしかに香港では時間が日本の二、三倍の速度で進むように感じられる。特に九七年の「中国返還」前後の時期の加速は凄いもので、その右往左往ぶりは本書からもいきいきと伝わってきた。
 僕にとって嬉しいのは、高 志 強、謝 至 徳、茫〓〓という三人の香港人写真家の作品が、文章の間にたっぷり使われていること。彼らの写真から、現在形の香港の姿が立ち上がってくる。

  • 239頁 四六判並製
  • 4-88344-039-7
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 1999/03/20発行
バーサンスレン・ボロルマー  ぼくのうちはゲル 石風社 絵本 モンゴル ゲル 野間 国際 コンクール グランプリ 長野ヒデ子 遊牧民 宿営地
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ぼくのうちはゲル
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ぼくのうちはゲル

モンゴル・遊牧民の四季


「ぼくの さいしょのうちは まあるい かあさんの おなかのなか。このうちは かあさんのやさしさで いっぱい。ぼくが どんどん おおきくなり おなかのなかが きゅうくつになった」そして宿営地のゲルで生まれた男の子ジル。家族や家畜とともに、春夏秋冬と宿営地をめぐる、モンゴル遊牧民の四季と生活の絵本。野間国際絵本原画コンクール・グランプリ受賞作。

書評

さながら民族博物館で本物を見ているよう

平井妙子

 モンゴル遊牧民の男の子ジルの最初のうちは、まあるいかあさんのおなか、二番目のうちはとうさんの作ってくれたまあるいゆりかご、三番目のうちもまあるいゲル。このゲルで、四季の土地を巡る遊牧民の暮らしを、ジルの最初の一年間の成長に重ねた絵本である。
 作者ボロルマーは、1982年生まれの若い女性。モンゴル美術大学を卒業しウランバートル在住。十代から数多くの児童書・教科書に挿絵を描き、高く評価され、日本では04年に『モンゴルの黒い髪』で注目をあびた。なるほど、絵が素晴らしい。ゲルの中の様子、家具、生活雑具、民族衣装、髪型、そして家畜との暮らし等、頁をめくる毎に、さながら民族博物館で本物を見ている様な錯覚に陥る程、細かく丹念に描いてあり、圧巻といえる。
 さて、ジルの四番目のうちは、見渡す限りまあるく広がる大草原である大地。作者のモンゴルの文化や自然と共にある生活に対する愛情が画面から溢れる一冊。

  • 32頁 A4判上製
  • 4-88344-134-2
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2006/04/30発行
北欧やすらぎ散歩 ティンドラ ドロッペ スケッチ 旅行 デンマーク スウェーデン 石風社
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北欧やすらぎ散歩
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北欧やすらぎ散歩

人びとが満ち足りて暮す国デンマークに、雑貨の仕入れで6年通った著者が描く、街の見どころ、かわいいもの、素朴な暮らし。「いま、誰もがなんとなく、でも確かに感じている〝一番大切な何か〟にきっと気付く」(山村光春氏・BOOKLUCK/ブックディレクター)
*オールカラー/イラスト満載!

  • A5版並製函入カラー144頁
  • 978-4-88344-209-6
  • 定価:本体価格1900円+税
  • 2011/12/30発行
フンザにくらして

パキスタン北部フンザ地方の小さな村に暮らすこと8年。その四季を哀切な文章と細密なペン画で綴った珠玉の滞在記。杏の花が咲き乱れ、原初の神がラカポシから見下ろす最後の桃源郷・フンザ。

  • 171頁 四六判上製
  • 4-88344-079-6
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2001/10/10発行
ビザンティンの庭 田代桂子 石風社 バルカン半島 画文集 ヨーロッパ ビザンティン イスタンブール クロアチア ギリシャ
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ビザンティンの庭
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ビザンティンの庭

複雑な歴史を背景にしながら、大地のように揺るぎなく生きる人々の土地、バルカン半島。風のように軽やかにビザンティンを描く旅。

  • 120頁 A4判上製カラー
  • 4-88344-087-7
  • 定価:本体価格5000円+税
  • 2002/10/10発行
HIGAN 島田有子 写真 熊本 島田美術館 島田有子写真集 彼岸 石風社 泥 木村伊兵衛 普賢岳 埋立地 
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HIGAN
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HIGAN

木村伊兵衛写真賞候補作


泥が乾き、風が吹き、鳥が騒ぐ──。普賢岳を対岸に見る埋立地。そこで展開された生と死のアンビバレントな世界に息をのみ、魅せられ、撮り続けた黙示録的風景。(解説・浜田知明)。木村伊兵衛写真賞候補作。

書評

残酷なまでに美しく、深い祈りが漂う

五木寛之
作家

 最近の出版物の氾濫は空恐ろしいくらいのものだ。よくもこれほどの本が世の中にあふれかえっているものだと、思わずため息が出てしまう。
 とはいうものの、自分自身もその大量消費現象の一翼を担って、日々無駄な活字を送り出している一人なのだから、ときには言いようもない自己嫌悪にかられたりするのも当然だろう。
 しかし、そんな洪水のような印刷物の奔流のなかにも、思わずふと目を惹かれ、なにげなくページをめくっているうちに、つい時のたつのを忘れてしまうといった本もあるというのは、有難いことでもあり、また一方で困惑する気分もどこかにないわけではない。困惑、というのは勝手な言い草だが、「こんないい本が隠れているんだから、やっぱり数限りない出版物にも根気よく目を通さなきゃならんのだよなあ」といった気持ちと説明すればわかっていただけるだろうか。本当のところは、もう本は沢山、と、お遍路にでも出て山や川を眺めながら歩き続けたいような心境なのだ。
 さて、このところ縁あって手にとらせてもらった本のなかで、ことに忘れがたい鮮明な印象が心に残ったのは、一冊の写真集だった。
『HIGAN』(島田有子写真集)という大判の本がそれである。
 私は写真に関しては素人だが、この本のページをなにげなく開いたとき、ああ、と息がとまるような感じがした。こんなふうに写真を見るという経験は何年ぶりだろう。あまりにも日々の暮しのなかに写真が氾濫しすぎていて、ほとんど不感性になってしまっている自分の目の乾いたウロコが、一瞬、音を立ててばらばら落ちるような感じだった。
 この写真集はすごい。どうすごいかは、文章におき換えることが断じて不可能であるという点においてすごいのである。それはこの写真集を自分でさがし出して、そして自分の目で確かめてもらえばはっきりするだろう。それ以外の書評だの、解説だの、ブックレビューだのといったかたちでは、決して伝わらないすごさなのだ。定価八〇〇〇円のこの写真集が、私にとっては八〇万円でも安いと感じられたのだから。
 普賢岳をはるかにのぞむ人工の埋立地を、この写真家は「私の彼岸」と感じたという。彼岸は此岸であり、地獄はそのまま浄土でもある。この写真集の作品には、どれも残酷なまでに美しく、同時にどこか深い祈りの感覚が漂っているようだ。すごい作品を見た、と思った。

虚実一如の世界

光岡明
作家

 私は比較的活字を読みなれているだろう。読みながら立ち止まって考えこむことはあ っても、理解できればどんどん先へ進む。しかしこの島田有子写真集『HIGAN』のページを繰りながら、次第にその手が遅くなり、間遠になって、三分の二ぐらいのところで止まってしまうという初めての経験をした。残り三分の一は日を改めて見直したのである。
 そのとき私は写真を見ているのは確かに私だが、同時に明らかに写真から見返されており、見ている私と見返されている私とが一体となって、どこかの宙空で浮遊している、と思ったのである。これは後からの解釈であって、その時は放心していたのに違いない。
 写されているのは長崎県の普賢岳を遠くに望む有明海の熊本側にある埋め立て地である。海はほとんど見えない。動くものと言えば、風にそよぐ自生した雑草、群れる鳥たち、泥を吐く埋め立てパイプ、バスで、八割までが埋め立て地全景である。そこに人影はなく、櫓、柵、電柱、クレーン、大型ユンボなど、工事用機材は労働時間外の静止のなかにある。全景のほとんどが夕方であり、無音の世界である。埋め立て地はまだ水を貯めていたり、どろりと液状のものから、乾いて団子状の塊の連続から砂塵を巻き上げんばかりのものまである。こう書き連ねても当然そうあるであろうなんの変哲もない埋め立て地の風景である。
 その変哲もない風景が島田有子によって切り取られると、なぜ人を宙空に浮遊させるのだろうか。
 私たちは新古今和歌集の「三夕」の和歌が持つ「秋の夕暮」観の残滓を引きずっている。書くまでもないことだろうが「三夕」とは「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮 西行」「さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮 寂連」「み渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕ぐれ 定家」の和歌
のことだ。この悲哀、感傷、寂寥、寂寞の感覚は、「故郷(ふるさと)」「旅愁」「赤とんぼ」「夕焼小焼」の童謡、唱歌にまでつながり、私たち日本人の心情の基礎を作ってきた。しかしこの『HIGAN』にはその残滓がまったくない。あるのは夕日
に直面する島田有子の伝統から切れた孤絶感である。島田有子はあとがきで「HIGAN」は「彼岸」だと書いている。島田有子に仏教者的感性があるかどうか、私はそこまで確かめていないが、「彼岸」だとしても「此岸」は島田有子にあるのだろうか。
 島田有子にとって埋め立て地は「此岸」の一角であるだろう。開発の名のもとに海が埋め立てられ、相貌を変えていく。道路が作られ、上下水道が引かれ、人が住む街ができることはわかる。生態系、気象系、おのずからあった眺望を押し潰して、新しい「人の世」が自然にとってかわってできるだろう。しかし人は人が作ったものを壊すことがある。あるいは放棄することがある。そのとき再び埋め立て地が現前しないか。現前しないとはだれも保証できない。きちんとした「此岸」はあるのだろうか。
 島田有子の「此岸」を見る眼は喜びや悲しみ、怒り、不安、あるいは批判からもほど遠い。伝統的な思考、感性から切れ、孤絶した地点で見る。だからこそ埋め立て地は埋め立て地の単独のことばを語り出す。そのことばを私は残念ながら文章にできない。しかし埋め立て地自身が語っているとわかるのである。その状態は外から見れば、多分茫然自失として見入っているだけのことだろう。そのとき私たちは宙空という虚の世界にいる。虚そのものは写真でもことばでも現せないが、実際は一種の擬似世界を作って、その照り返しがひとつの真実の世界となって写し出されるのだろう。もし『HIGAN』が仏教的色彩でこれほど力強く現した写真集はないと思う。

「三夕」の和歌と「HIGAN」

光岡明
作家

「夕焼け小焼けの赤とんぼ…」とか「夕焼け小焼けで日が暮れて山のお寺の鐘がなる…」と歌い継がれてきたように、夕暮れが持っているものさびしさ、もの悲しさ、泣きたいようなひとりぼっちの感情は、長く日本人全体の共有の財産だった。
 この共有財産化には、日本の和歌が果した役割が大きい。
 まず「古今集」が四季を確定し、つづいて「新古今集」がそれぞれの季の情趣を深めた。私たちは四季の変化はどんな太古のむかしでもあったことで、別に「古今集」や「新古今集」が「発見」したわけでもあるまい、と考えがちだが、四季があることとそれをはっきり意識することとは別物で、意識するにはことばの力を借らねばならないのである。そしてことばがもっとも精妙な力を発揮するのが「文学」である。例を引こう。
私たちは「秋の夕暮」について、「新古今集」の次の「三夕」の和歌を持っている。
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮 西行
さびしさは其の色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮 寂蓮
み渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕ぐれ 定家
 どの和歌も人口に膾炙している。あるいはしていた、か。この「三夕」の歌は「共通の性質として、一方では従来の悲哀寂寥の余情を継承しているとともに、他方では、中世的世界観と仏教者的感性の深い刻印を帯び」るだけでなく、「いたずらな感傷や興味本位の趣向など
をいっさい排し、すべての装飾や色彩を取り去ったあとに残る物の背後に、ほとんど無に等しい物の背後に、宇宙そのものの広大さを感じさせる」「これば日本の夕暮の通念化されたコノテーションとして、永くわれわれの脳裡に刻みつけられた」(川本皓嗣「日本詩歌の伝統」岩波書店)■■ちなみにコノテーションとはことばに付帯する言外の意味で、直接事物を指示するデノテーションに対する。
 しかし、いつの時代、どこの地方にも熊本で言うモッコスがいるもので、江戸前期の俳人向井去来の弟子の風国が、わたしは夕暮れに悲哀感も寂寥感もありませんといって、夕暮れの元気のいい句を作ったところ、お師匠さんから「一端遊興騒動の内」と切り捨てられ、これは「一己の私」だと叱られている。
 明治時代になって、歌、句の一大革新運動が起こった。革命児正岡子規の出現である。子規は写生を重んじた。この私の文章の文脈で言えば、デノテーションの精密化である。そこでは写生する人の「一己の私」が大切にされた。風国も明治以降に生まれておれば、なにもお師匠さんから叱られることはなかったのである。いっぽうで歌や句の持つコノテーションはばらばらに分解されていった。先に書いた「夕焼け小焼けの赤とんぼ」や「夕焼け小焼けで日が暮れる」まで辛うじてまとまりを持っていたと言えようか。
 ここに島田有子写真集「HIGAN」がある。普賢岳を対岸に見る熊本市郊外の埋め立て地の風景写真集である。ここに見る夕暮れの風景(それだけではないが)は、「三夕」のコノテーションをわずかながらも引きずっている私に、実にさまざまなことを考えさせる。
 この写真集を見終わってすぐ気がつくことは、島田有子本人の孤絶感である。西行、寂蓮、定家にも孤絶感はあった。「古今集」を超える新しい歌を作るという営為は、いまでこそ観念の操作に過ぎないと顧みられないが、本人たちにとってはまさに孤絶の作業であったはずだ。しかしこの三人には自然を歌いつづけてきた日本の和歌の伝統があった。彼らの孤絶感には何度でも立ち返ることのできる根拠があった。島田有子にあるだろうか。
 「HIGAN」は「彼岸」だとあとがきで島田有子自身が書いている。だからと言って「仏教者的感性の深い刻印」があるか。深層心理ではあるかもしれないが、その「彼岸」はあくまで本人だけのものであろう。立ち返るべき根拠のない、「此岸」のない「彼岸」。
 これは地球が自壊を起こしているという予感なのではないか。確かに写真にはクレーンが写り、ブルドーザ
 ーの跡が残り、電柱が立っている。人の手が自然を変えつつあることがわかる。人間は理性(技術)を活発に使うことによって、自然と異和なものを作りつづける。その先にあるのは地球の崩壊だ。
 島田有子の孤絶感はここで「三夕」の三人と完全に違ってくる。自分自身も理性を使う人間として、島田有子自身もあとがきのように口ごもらざるを得ない。帯にあるように、まさに神も伝統もない、理性が行き着くであろう先の「黙示録」である。

  • 139頁 B4判変型上製カラー
  • 4-88344-045-1
  • 定価:本体価格8000円+税
  • 1999/06/30発行
花の語らい_カバー_web
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花の語らい
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花の語らい

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花の語らい
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その日、その日目につく花を描いた 花は記憶を呼び覚まし、思い出は花とともにあった    幼い日、母親の実家で沈丁花の陰に隠れ、むせかえる香りに包まれたことがありました。病気の祖父を見舞う里帰りで、従兄たちと〝か …

  • 四六判変型上製カラー120頁
  • 978-4-88344-273-7
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2017年5月10日発行
粘土の花 くらしの中のギフト 黒田幸子 石風社 クレイアート 粘土 細工 ペーパーフラワー
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粘土の花 3
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粘土の花 3

造ることが大好き、粘土が大好き、そんな人達の気持ちを大切に、この本をつくりました。クレイアートの材料説明から作り方、作品例まで。

  • 72頁 A4判変型並製
  • 4-88344-066-4
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2000/11/15発行
日本人が見た'30年代のアフガン 尾崎三雄 アフガニスタン アフガン 農業 尾崎 三雄 日本人 昭和 明治 大正 写真 書簡 農夫 東大 農学部 カブール ジャララバッド カシミール
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日本人が見た'30年代のアフガン
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日本人が見た’30年代のアフガン

王政アフガニスタンで尽力した日本人たち


1935年(昭和10年)、熱砂のアフガニスタンで農業指導に奔走した日本人がいた。一人の明治人とその妻が、苛酷な日常を通じて異文化と真摯に向き合い、日々の生活と内面の葛藤を綴った貴重な記録。写真多数。

書評

戦前日本アジア戦略の「布石」

布施裕之
編集委員

 ちょうど十五年前、アフガニスタンへ取材に行った際、地元の古老から「アフガンの低地部には日本のミカンのような果物がなる」という話を聞いた。その果物は、バザールに並ぶオレンジよりも小さく、皮の薄い柑橘類で、現地に伝わる話では、何十年も前に日本から種か苗木を取り寄せて育てたものだという。
 当時のアフガンはソ連軍の撤退が始まる直前で、現地入りした外国マスコミの回りには、「案内役」だの「地元住民」だのと称して、その実秘密警察にしか見えない怪しげな連中が取り巻いていた。だから、ミカンのことも、日本人記者の歓心を買うための「おとぎ話」だろうと高をくくって、本気にしなかった。
 ところが最近「日本人が見た‘30年代のアフガン」という本を読んで、この古老の話を突然、思い出した。戦前、アフガンで農業の技術指導をしていた日本人農業技師、故尾崎三雄氏の手紙や紀行、写真をまとめた本の中に、現地で「柑橘栽培」に取り組んでいる、というくだりを見つけたからである。
 尾崎氏は一九三五年(昭和十年)、勤務先の農林省の命でアフガンへ渡り、三年間にわたって、植林、灌漑、果樹栽培などの指導に当たった。「世界の最果て」への赴任だけに、子息によると、出発の際には「親兄弟と水盃の別れをして故郷を離れた」という。その尾崎氏が、アフガン各地の農業事情を視察した結果「最も望みあるもの」と見なしたのが、低地部・ジャララバードでの柑橘類の栽培だった。紀行や手紙からは、尾崎氏が、わざわざ地元種の標本を集めたり、日本から種子を送らせたり、現地の助手に調査を命じたりしていた様子がうかがえる。
 それにしても、この時期に日本からはるか辺境の南西アジアへ、外交官以外の人員が送られたというのは、それだけでも驚くに値する。なにしろ三五年と言えば、満州事変後の騒然とした時代で、翌年に二・二六事件、翌々年には盧溝橋事件が起きている。尾崎氏の派遣は、直接には三〇年のアフガンとの国交樹立を受けたものだが、その目的は果たしてありきたりの友好促進や人材交流にあったのだろうか。
 戦前の日本のアジア政策に詳しい山室信一・京大教授は、その背景には、英国とソ連がせめぎ合うこの地域に「人的布石」を打ち、「アジアへの影響力を扶植」するという戦略的な狙いがあったと指摘する。特に主眼がおかれたのは「対ソ包囲網の形成」で、それは三六年八月に決定された「帝国外交方針」が、「(ソ連に)隣接する欧州および亜細亜諸国ならびに回教諸民族」の「啓発に力(つと)むべし」と定めていることからも明らかだろいう。
 事実、山室教授によると、尾崎氏自身、帰国後の三九年、専門の農業問題とは別に「アフガンからソ連やイギリスなどの勢力を追放することが、日本がアジアの盟主としての地位を確立するために求められている」とする現地情勢報告を発表している。辺境の地に送られた農業技師は、少なくとも時の政府からみれば、アジア情報網の最前線としての使命をも担わされていたのである。
 日本のミカンがアフガンに移植されたという話の真偽は定かではない。現地で農業指導をしている国際協力事業団(JICA)でさえ「そんな話は聞いたことがない」と首をかしげるのだから、やはり怪しげな古老の「おとぎ話」に過ぎなかったのかもしれない。
 しかし、三〇年代にアフガンで行われた日本の農業指導が、当時の「アジア主義」の、スローガンにはとどまらない側面をかいま見せているのは間違いない。そして、現地情勢を正確にとらえた農業技師の紀行や手紙や写真の中に、戦前の日本人の戦略的な思考能力の高さをありありと思い浮かべるのである。

  • 312頁 四六判上製
  • 4-88344-100-8
  • 定価:本体価格2500円+税
  • 2003/08発行
尼僧のいる風景 内なる中国の旅 羽床正範 石風社 水墨画 中国 西安 尼寺 尼
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尼僧のいる風景
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尼僧のいる風景

西安美術学院に留学していた著者は、中国人学生とともに旅に出る。彼等は漂うように安宿や寺を泊まり歩き、ある時峩眉山の尼寺雷音寺に投宿する。──天安門を遥かに離れて、中国の内なる世界と著者の内面が渾融し、読む者は不思議の世界に誘われる。

書評

帆掛一輪車の記憶

松浦豊敏
「暗河の会」会員

M君
『尼僧のいる風景』をお送りいただき、大変有難うございました。いい文章で書かれた本の感想が拙い文章だったら全くのお笑いにしかなりません。『尼僧のいる風景』はそんな気持ちを起させる本です。お礼が遅れた言い訳です。

 もう四十数年も前、私は中国山西省南部の田舎で、帆を掛けた一輪車を見たことがあります。帆掛一輪車は、黄土地帯の轍の跡を、少しばかりの袋のような荷物を積んで、車軸をがたつかせながら私たちの前を通り過ぎてゆきました。仕事のことで一緒に田舎回りをしていた先輩格の同僚が、すかさず、中国人はあんなふうに少しでも力を吝(おし)もうとするのだと説明してくれました。成程、と思いながらも先輩の穿ったような説明で、眼前の光景がすべて納得できたわけではありませんでした。
 齟齬の感じは、他にもいろいろと異を立てられる、そんな時限のものではなくて、報告と報告されるものとの間のちょっとした、それでいてなかなか越えられそうにない隙間、そんな感じだったような気がしています。
 近くは天安門のことがありました。新聞にはセンセーショナルな大きな活字が躍っていました。悲しむべき事件にショックを受けながら、それでもいま一つ、帆掛一輪車の時と同じような齟齬感に、気持ちがざらついてくるのがどうしようもありませんでした。
 送っていただいた『尼僧のいる風景』を読みながら、私はそんなことを思い出していたのです。たぶん、様式の違いなどというものではありません。著者の、しなわかで人の心にしみ入るような感性が、読む者に安堵感を与えるのです。それでその安堵感が、四十数年も前の、帆掛一輪車を前にしての隙間の感じを思い出させたのだろうと思います。
『尼僧のいる風景』は、サブタイトルにもあるように、中国の西安美術学院へ留学した著者の「内なる中国の旅」です。ハイライトはやはり後半の「峩眉山 雷音寺」一連にあると思いました。著者と同行者一名、散々な手違いを繰返しながら、やっと成都に近い雷音寺に辿り着いて何日か宿泊することになります。この間の、寺の尼僧達にしてみれば、殆ど日常茶飯の何ごとでもないことを綴ったものです。それでいてふと熱くなるような読後感は何なのでしょうか。
私は著者については何の知識もありません。しかし文章からすると、繊細で非常に抑制の利いた人柄のように思えます。著者は寺の若い尼僧に思わず年齢を尋ねてしまいます。そして自分の出過ぎた質問にうろたえてしまうのです。
 更には同じような抑制の利いた文章が本文の随所に光っています。「仏事」では、老師が土間にひれ伏して祈りをする場面があります。一個の布のかたまりのようだと記しています。己を全く空しくした祈りの姿に感動しているのです。老師はおそくに出家したと言いながら、まだ三十代の尼僧です。
 本には出家前の老師の生活や出家の動機については何もふれられていません。しかし読む者は、それらの祈りの場面の数行だけで、老師の過去も現在も、はては未来まで、すべてを理解出来たような気分になります。伝達と伝達されるものの間に一分の隙もないのです。真実というものだろうと思います。
『尼僧のいる風景』には、他にも現在の中国にとっては不都合な多くの社会事象が紹介されています。しかしそれらの報告も、決して意図的に書かれたものではないという安心感から、いずれもスムーズに納得出来るのです。

 好人不当兵(ハオレンブタンピン)。二年経ったら帰って来なさいよ。そう言って兵隊に行く私を送ってくれた人達がいました。この本に出てくる、雪の高台に立って、いつまでも目送(ムースン)していた法王寺の老人の姿が重なってきます。
 戦争のことは、またいずれかの機会にお話ししたいと思います。酷暑の折から御自愛下さい。

懐かしさ漂う深い静寂

吉田優子
「暗河」同人

 数年前、羽床正範氏の水墨画絵本を読んでその不思議な雰囲気に引き込まれたことがある。仕事に追われて余裕がなくなると、むしょうにその絵本の世界に触れたくなり、幾度か読み返したものだった。日常の時間から、深い静寂を湛えた空間へすっと入れる隙間がその童話には有った。
『尼僧のいる風景』にも同じような雰囲気が流れていた。
 この本には、一九八八年、当時四十八歳の作者が西安美術学院留学中、友人の中国人学生と旅して回ったときの事が語られている。二人は山あいにひっそりと在る古寺を捜して泊まり歩いた。──内なる中国の旅──という副題がつけられているが、作者自身の心の内に長い間抱き続けてきた奥深い中国へのイメージを捜し求め、出逢う旅でもあったように思える。
 旅の道すがら逢った老人、ひたすら歩き続けているような尼僧たち、山道、古寺などが作者とのかかわりを通して淡々と描き出され、読んだ後も印象に残っている。
 この本の中にも幾つか墨で描かれたお寺のデッサンがある。それぞれの絵は正面に一つずつ小さな入口を持っている。そこからお寺内部の仄暗い世界が一部のぞき、むかしむかしから在り続けてきたような時がひんやりと匂ってくる。
 旅人である作者は、その入口を越えて内部の世界に入っていった。そこには尼僧たちの居るお寺があった。明るく澄んだ文体が、尼僧たちの静かな生活、手作りの食べ物、濃い闇、仏事などを描き出し、読む者の想像をふくらませる。わたしらの周囲には決して見れない世界であるのに、遙かなむかし、どこかで知っているような深い懐かしさに包まれる。読手によって異なるだろうが、わたしには、幼年時代住んだことのある茅葺の大きな家屋の空気がぽっかり浮かび上がってきた。

  • A5判並製174頁
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 1990/06/30発行
 (51件中) 11〜20件目