書籍

戦記既刊
発行日▼50音順▲
 (21件中) 1〜10件目
ローン・ハート・マウンテン ハート・マウンテン 日系人 強制 収容所 エステル 石郷 古川暢朗 アカデミー賞 待ちわびる日々
booktitle
ローン・ハート・マウンテン
zeikomi
¥0円
ローン・ハート・マウンテン

「パール・ハーバー」に対する報復として、日系人11万人が強制収容所に抑留された。収容から50年、アメリカを内部から静かに告発する本書は、紆余曲折を経て、日本と日本人にとっても両刃の剣として甦る。──もう一つのアメリカ。アカデミー賞受賞作品「待ちわびる日々」原作。

書評

アメリカの収容所に入れられた日本人たち

「朝日新聞」天声人語

 さきの大戦中に、米国は、日本人の血が流れているものを強制収容所に入れた。そして一昨年、それについて大統領が謝罪し、補償を始めた。そのことは、広く知られている。
 あまり知られていないことだが、収容所に入った白人の米国人女性が、その生活を何百枚もの絵に描き詳細な文につづっていた。日系二世、アーサー・シゲハル・石郷さんの妻エステルさんである。その絵と文をまとめた本が訳された。古川暢朗訳『ローン・ハート・マウンテン』だ。
 エステルさんは、夫とともに収容所に赴いた。最初はカリフォルニア州ポモナ、ついでワイオミング州ハート・マウンテン。三年四ヶ月に及ぶ、苦しい日夜である。一家族が一室の原則。水道も便所も食堂も離れた棟にある。老人や幼児には大変な生活だ。
 女性用便所の前にはドアがない。男性用には横の仕切りもない。男性の浴室はシャワーだけだ。人々は板を拾い集め、シャワーの下に湯船を組み立てる。絵が伝える情景が生々しい。音楽や演劇の好きな人々がショーを開く。特技を生かした勉強のクラスもできる。
 医療経験者が、にわか仕立ての病院もつくった。肩を寄せ、助け合う生活を線画が的確にとらえている。この政策は間違いだとエステルさんは確信していた。当時、一世には市民権を得るすべはなかった。「十年もすればみんな死んでしまう」と当局者が軽く言う。
 戦争が終わる。収容所を去る日、凍った土から亀を掘り出して荷物に入れる子がいた。石郷夫妻はカリフォルニア州にもどる。夫は五七年に、妻は九〇年に亡くなった。「敵意と危険の中に置かれた時、愛する者と一緒にいたいとだれでも思う」とエステルさんは言っていた。
「山々と海原が幾重にも横たわってお前たちを隔てようとも、この空のもと、大地の上では、人間は皆同じなのだ」と本は結ばれている。

収容生活通して描かれた人間への信頼感

石川 好
作家

 北米大陸への日本人移民上、最大の事件は、1941年12月に開始された日米戦争と、それによってもたらされた、日本人および日系米人の強制収容であろう。その強制収容より今年は数えて50年に当たり、去る2月全米の日系人は、大々的にこれを取り上げ、各地で記念(?)式典が催された。
 アメリカに生まれながら、正当な法的手続きを経ずして収容された日系米人と、祖国日本と生活しているアメリカが戦争に突入するという一大事に出合った日本人移民の物語は、古くは藤島泰輔が『忠誠登録』で、そして山崎豊子が『二つの祖国』で、また日本人写真家の宮武東洋の写真集でなど、これまでにも多く紹介されてきた。
 全米10カ所に収容された日本人および日系米人は合わせて11万強。この中には、同じ東洋人の顔をしていたのでは日本人と間違えられるおそれがある。それなら収容されていた方が安全だと、韓国人で日本語の話せる人も入っていたとの話もあるが、全ては日本人及び日系米人であると思われていた。
 ところが、ここに紹介する著書の作者エステル・石郷さんは、れっきとした白人女性である。主人が日系二世であったため、ラストネームが石郷だったにすぎない。1920年代当時カリフォルニア州では異人種間の結婚が州法で認められていなかったので、2世の石郷氏、著者エステルさんはメキシコのティワナにまで出かけ結婚している。そうしたことまでして結婚した二人であるがゆえにか、日米開戦となり、主人の石郷氏が強制収容された時、エステルさんも(アメリカ人女性である彼女はその必要はなかったのだが)収容所に同行する決意をする。かくして、ここに、白人女性で、唯一日系人強制収容所を体験することになる人間が現われることになる。
 これだけの話なら、歴史は彼女の存在を世に伝えることはなかったはずだが、エステルさんは絵描きであったため、アメリカ史上、まれなこの体験を、絵筆にして残しておいたのである。それが、今回、刊行された、本書である。
 エステルさん夫婦が収容されたのはワイオミング州のハートマウンテン収容所。夏は暑く、冬は寒い砂漠地帯で、エステルさんのスケッチは見事なまでに、ワイオミングの荒涼とした風景を描き、同時にそれに収容された人々の日常生活のディテールをも描き込んで、資料的な価値も十二分にある。収容された人々の生活をこれほどよく描いたものは他になく、著者の人間に対する信頼感が伝わってくる。告発の書である以上に、これは画家の作品集となっている。彼女をテーマにした映画で日系3世の監督スティーブン・岡崎がアカデミー賞を受賞したことは記憶に新しいだろう。

  • A4変型並製138頁
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 1992/08/15発行
ラバウル日記

旧帝国陸軍の官僚制としぶとく闘いつづけた一予備役軍医の二千枚に及ぶ日記文学の傑作。──降伏時、総司令官から出された責任逃れの「極秘通達」に憤り、英訳して豪州軍に提出。裏切り者と指弾されながらも、同僚を死刑より救う。

  • 725頁 A5判上製
  • 4-88344-047-8
  • 定価:本体価格5800円+税
  • 1999/12/25発行
麦の穂との約束

1945年6月19日の「福岡大空襲」は、福岡市の3分の1の家屋が罹災し、死者1000人を超えるという大惨事になりました。そして同夜、福岡市を空襲した編隊の1機が飛来し、背振山の山裾に位置する糸島郡雷山村に焼夷弾を落としたことで、8人の方が犠牲になりました。平和のために語り継ぐ戦争紙芝居。

  • 紙芝居。386×268ミリ、12場面
  • 978-4-88344-189-1
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2010/08/15発行
9784883442201
booktitle
ペンと兵隊
zeikomi
¥0円
ペンと兵隊

北九州・若松の沖仲仕頭領・玉井金五郎の長男として生を受け、文学を志し上京。帰郷後、労働者の組合運動に身を投じ、芥川賞受賞の「糞尿譚」や従軍小説「麦と兵隊」などで一躍、国民作家の地位を確立するも、戦後、連合軍により公職追放――。激動の時代とともに葛藤しつつ揺れ動いた文学者たちが背負った思想的課題を、葦平作品に内在する振幅の中から問い直す評論集。

  • 四六判 上製 240頁
  • 978-4-88344-220-1
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2012/11/30発行
北京籠城日記

明治三十三年、義和団の乱。清国兵・義和団五万の包囲のなか、柴五郎中佐のもと前線で防衛指揮した一大尉の日記。前線指揮官の克明な証言。

  • 201頁 四六判上製
  • 4-88344-101-6
  • 定価:本体価格2500円+税
  • 2003/09/01発行
ドラキュラ 屋敷 さぶろっく 石風社 前田美代子 いのうえしんぢ 児童書 戦争 平和 小学生 高学年
booktitle
ドラキュラ屋敷 さぶろっく
zeikomi
¥0円
ドラキュラ屋敷 さぶろっく

戦後間もない片田舎の村。戦争の影をそれぞれにをひきずる子供達が、あるひと夏の奇妙な出来事を通し、未来に向けて歩み出す……へっぴり腰の少年たちがドラキュラ屋敷で見たものは……(児童書/戦争と平和/小学校中学年以上)

  • A5判173頁
  • 4-88344-062-1
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2000/09/30発行
ティンサ 石風社 根本 百合子 ビルマ バ モオ モウ 女性
booktitle
ティンサ
zeikomi
¥0円
ティンサ

ビルマの初代首相バ・モオを父に、反政府活動家を夫に、波瀾に富んだ人生をおくったティンサとその一族の物語。大英帝国の植民地、さらに日本軍政下、時代の理不尽に翻弄されながらも清くたくましく生きたビルマの女性達へのオマージュ。

書評

政治に翻弄された一家の苦難の道のり描く

詩音

 1962年、著者の根本百合子さんは、外交官である夫と共に赴いたビルマ(現・ミャンマー)で、一人の女性と運命的な出会いをする。
「素顔の美しさと身だしなみのセンスのよさには会うたび見とれていたが、奥ゆかしさの中に毅然とした強い筋が一本通っている性格に大きい魅力を感じた」という。太平洋戦争下のビルマで、国家元首を務めたバ・モオ元首相の長女、ドオ・ティンサ・モオ・ナインである。
 本書は、ティンサへのインタビューを通し、モオ家一族の半世紀におよぶ苦難の道をたどるノンフィクションだ。
 ビルマの戦後は厳しい。英国からの独立運動があり、クーデターによる革命政府の樹立、反政府運動、そして民主化運動への武力弾圧は今も続く。
 一家は、激動する政治の波にのみ込まれ、運命を大きく変えられていく。
 カンボジアへの脱出と帰国。戦後日本に亡命した父、15年間地下にもぐり反政府運動を指導した夫、ティンサ自身やティンサの弟、妹も投獄され、息子を二人失うという悲劇にも見舞われる。
 しかし、ティンサは「良い時も、悪い時も、冷静な判断とたゆみない生きる努力を忘れなければ、必ず満足のゆく一生が送れます」との強い信念で困難を乗り越え、生き抜いてゆく。
 息子二人と娘一人を失うが、四男七女に恵まれ、孫を加えた大家族を切り盛りするティンサの知恵と行動力は、力強く清々しい。
 著者によると、最近の政情悪化で連絡が一方通行になり、近況がつかめないという。80歳を超えたティンサの余生が穏やかな日々であることを祈らずにはいられない。
 60余年前の日本の侵攻から、現在に至るビルマの近現代史を理解するうえでも貴重な一冊である。

  • 四六判上製247頁
  • 978-4-88344-149-5
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2007/07/20発行
祖国 戦場 ビルマ 根本 百合子 ささやき 石風社 聞き書き
booktitle
祖国を戦場にされて
zeikomi
¥0円
祖国を戦場にされて

ビルマの人々が紡ぐひかえめな言葉の中から、日本軍と英印軍の姿が影のように浮かび上がる──。故郷の村を故なき戦場とされた人々は、その時何を見たのか? 六年の歳月をかけて綴る、ビルマが見たビルマ戦

  • 四六判上製324頁
  • 4-88344-060-5
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2000/07/01発行
戦後誌 光と影 記憶 戦後 朝日新聞 西部本社 力道山 長崎 西鉄 九州
booktitle
戦後誌
zeikomi
¥0円
戦後誌

戦争直後から、がむしゃらに生き抜いてきた。ふりかえれば茫々たる光景。筑豊・水俣・海峡の力道山──

書評

事件と人々のいまを浮彫りにする書

松下竜一
作家

 戦後五十年目の今年、その半世紀をふりかえるさまざまな企画がマスコミを賑わせたが、本書もその一つといえる。朝日新聞西部本社が九州・沖縄・西中国の戦後の五十年からピックアップしたおおきなできごとを、記者の足で辿り直した記録である。本書構成の四本の柱として選んだのが〈炭鉱・水俣・原爆・沖縄〉で、そのいずれも重く深く西日本域に根を降ろしたテーマとなっている。
 このメインテーマにそって、さまざまなできごと、人物、場所が登場してくる。長崎原爆直後の報道。「長崎の鐘」の永井隆とその娘茅乃。敗戦直後の別府の町に生まれた野球チーム星野組。朝鮮人であることを最後まで秘した力道山。筑豊の子どもたち。三池闘争。炭塵爆発事故とCO中毒。水俣病。蜂の巣城攻防。指紋押捺拒否のチォエ・チャンホア、ソンヘ父娘。基地の島沖縄。基地の町佐世保。九大ファントム墜落事件。イエスの方舟。ライブハウス「照和」等々……。
 五十八歳の私にとってはどの項目をとってみても忘れ難く記憶に刻まれていることで、読みつつ「ああ、共に同時代史を生きてきたのだなあ」という感慨が尽きない。
 そんな感慨のままに私事をはさませてもらえば、私の処女作『豆腐屋の四季』は一九六九年四月に講談社から刊行されたが、石牟礼道子さんの『苦界浄土』はそれに先立つ三カ月前に、同じ編集者の手によって世に送り出されている。私は『苦界浄土』によって「水俣」と出逢い、おのが生き方を問い直されることになる。一九七〇年七月三日、東京の役者砂田明さんらが白装束で水俣へ向けての告発の巡礼行に出発するが、私が豆腐屋を廃業しペン一本の生活へと転身するのは七月九日である。小さな豆腐屋の暮らしに閉じこもっていた自分を解き放ち、おそまきながら社会へと踏み出していきたいという私の決意を促した”衝撃“の一つは「水俣」であったといっていい。やがて私は足元の周防灘開発に反対し豊前火力発電所建設反対運動へと没入していくが、それはまた孤立への道でもあった。そのとき私のすがるような眼に見えたのが、十余年前蜂の巣砦にたてこもって国家権力と対峙した室原知幸翁であった。自らを励ますために、私は蜂の巣城主の孤高の闘いの軌跡を辿って『砦に拠る』を書き始める……。
 同時代史を生きるということは、こんなふうに至るところで交錯し、意識的にも無意識的にも響き合っていくことなのだろう。
 本書の手柄は、できごとにかかわった人々のいまを記者が訪ねていることだろう。たとえば、一九六〇年の三池闘争の中で生まれた団結労働歌として著名な「がんばろう」の作詞者森田ヤエ子さんの現在を、私は本書で初めて知った。七〇歳に近い彼女が失対事業で働きつつ、いまも詩を作り「語り部」たらんとしていることを知らされるのだ。
 本書にとりあげられたできごとはいずれも大きく重く、それにかかわった者たちには一生の十字架となっていかざるをえない。いまを訪ねることで、そのことが浮彫りとなってくるのだ。
 きわめて個人的理由で、私は「再訪『出ニッポン記』」を興味深く読んだ。私が兄事した記録作家上野英信さんは、閉山の続く筑豊を捨てて南米へと移住した同朋のその後に心を痛めて、一九七四年に一人一人を探し訪ねて行く。その記録が『出ニッポン記』である。それから二十年を経て記者が再訪する。
 哀切なエピソードが語られている。塵肺を病む老人は、記者が土産に持参した石炭のかけらには手を触れず、「上野さんはお元気でしょうか」と問う。八年前に亡くなりましたと告げると、黙りこみせきこんだ彼は記者には何も答えず寝室に引きこもってしまう。様子をのぞきに行った家族が戻って来て、「上野さんが亡くなったと知って、よほどショックだったのでしょう。泣いていました」と告げる。私にも、こみあげるものがあった。

  • 四六判並製403頁
  • 4-88344-007-9
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 1995/10/20発行
白いなす 黒瀬圭子 宮崎耕平 石風社 絵本 戦争 平和 食糧 小さい旗
booktitle
白いなす
zeikomi
¥0円
白いなす

そのころ、日本は世界の国々と戦争をしていました。海峡の町にくらす少女の家族から、戦争はかけがえのないものを奪いさった。少女の父も兄たちも二度ともどらなかった。戦争と平和を考える絵本。

書評

戦争の記憶・体験 歌い継いで

穂満建一郎
朝日新聞

 山口県下関市在住の児童文学者、黒瀬圭子さん(77)が、関門海峡を舞台に戦争の悲惨さと平和の尊さを描いた自作の絵本『白いなす』を合唱組曲用に書き直し、出版した。1945年6月29日の関門空襲から65年。黒瀬さんは「物語が歌い継がれ、戦争の記憶が風化しませんように」と願っている。

 黒瀬さんは北九州市門司区の出身で、自宅は、関門海峡が見下ろせる風師山(かざしやま)の麓にあった。戦争中、門司の港から兵隊を乗せた軍用船が戦地に向かうのを縁側から日の丸の小旗を振って見送った。
 「白いなす」の物語は「関門の美しい海が、何千何万の兵隊さんを戦場に送った悲しい海峡であったと気がついた時に生まれた」と振り返る。
 初出版は91年。今回は下関市民合唱団から「創立55周年を記念してオリジナルの合唱組曲を」と頼まれ、メロディーに乗りやすいよう、文章を歌詞風に書き直した。文字数は旧作から半減。絵も新たに茨城県在住の宮崎耕平さんが描いた。山口県立大の田村洋教授が曲を付け、5月30日の記念演奏会当日に出版。演奏会では混声合唱組曲として歌われた。会場で聴いた黒瀬さんは「物語の情景を伝える音楽の力に感動した」という。
 閉会後、聴きに来ていた80代の男性が「私も歌に出て来るような船で戦地に行った。この時代を生きた人間として心を動かされた」と、涙ながらに話してくれたという。
 「白いなす」は、海峡の街で暮らす少女の家族の物語だ。一家は両親と4男3女の9人家族。父さんは軍楽隊のラッパに送られて下関の港から戦争に行った。母さんは家族の無事を祈り、実をつけ始めた七つのナスに紙袋をかぶせ、火のついた線香で袋に子どもたちの名前を刻んだ。「たろう」「じろう」「かずこ」「さぶろう」「いつこ」「しろう」「なおこ」と。
 ある日、袋からナスを取り出すと、日光を浴びた部分だけ紫の文字が浮き出た白いナスが顔を出した。「あっ わたしのなす」。子どもたちの笑顔がはじけた。だが、今度は、たろう兄さんが歓呼の声に送られて戦場へ……。
 物語は実体験に基づく。黒瀬さんも4男3女の兄弟姉妹だった。戦争中、物語のように長兄はシベリアに出征。次兄は防空壕で病死。三兄は学徒動員のセメント工場で積み荷の下敷きになって亡くなった。3人とも10代だった。
「昭和20年6月29日、空襲警報が鳴って、(略)黒い煙におおわれた門司の街が、炎の柱をあげてメラメラと燃えはじめました。昨日まで立ち並んでいた海峡の街が、一夜のうちに消えてしまいました」。黒瀬さんは演奏会の案内チラシにも自身の戦争体験を寄せている。
 黒瀬さんは「事故死や病死ではなく、戦争のため家族から引き離されて死んでいった人たちの悲しさを伝えたい。戦争の記憶も風化し、体験した語り部も減ってきた。物語が音楽になって歌い継がれるよう期待したい」と話している。

  • 33頁 A4判変型上製カラー
  • 978-4-88344-187-7
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2010/05/30発行
 (21件中) 1〜10件目