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ヨーロッパを読む 阿部謹也 石風社 中世 阿部 謹也 ヨーロッパ 賤民 宇宙 世間 個人 デューラー 歴史 西洋史 個 中世史 社会学 近代 知識 智 史学 日常 ポリフォニック
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ヨーロッパを読む
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ヨーロッパを読む

「死者の社会史」から「世間論」まで、ヨーロッパにおける「近代の成立」を鋭く解明しながら、世間的日常と近代的個に分裂して生きる日本知識人の問題に迫る、阿部史学の刺激的エッセンス

書評

キリスト教的な宇宙観とのずれ

高橋義人
京都大学教授

 農村部の日本人は今日でも自分の家や村を小宇宙、その外側に拡がる山や海、さらにはそのなかに潜む霊や死を大宇宙と捉えている。そしてこの小宇宙と大宇宙とは同心円をなしていると信じている。本書によると興味深いことに、中世までのヨーロッパ人も同じような宇宙観を有していた。このような宇宙観の下では、時間は円環をなしていた。一年は春に始まり、夏、秋、冬を経てふたたび春に戻る。同じく人は死んで「あの世」に行ってからも輪廻転生によって「この世」に甦る。
 ところが中世になってキリスト教が次第に普及してくるとこうした普遍的な宇宙観、時間観は否定されるようになった。そこに賤民身分というものが成立するにいたったと著者は言う。
 大宇宙の要素である火とか水とか性などと関わる職業は本来は神聖な仕事であり、畏敬されこそすれ、賤視されることはありえなかった。彼らは小宇宙と大宇宙のいわば「間」に暮らしている人々だった。彼らが「賤民」となったのは、キリスト教が二つの宇宙の存在を否定したときから始まる。
 日本について同じ問題を論じた網野善彦氏の仕事とともに、本書は新しい見方を呈示してくれている。
 キリスト教はさらに直線的な時間観(救済史観)を導入した。歴史はアダムとエヴァに始まり、救世主イエス・キリストの登場を経て、ついには終焉(最後の審判)を迎えるのだ、と。しかしクリスチャンであるにもかかわらず、日本人と同じように今でも輪廻転生や円環的な時間を信じている西欧人はかなりいる。このように西欧人の心の深層に流れている古代的な宇宙観や時間観と、西欧人の建前をなすキリスト教的なそれとの間には明らかなずれがある。このずれを読むこと、それが「ヨーロッパを読む」ことなのだ。
 その他、死者の見方、ボスやデューラーの絵の解釈、交響曲の成立、娼婦論など話題は多岐にわたっている。
 今年、これほど興奮して読んだ本、教えられることの多かった本はない。

キリスト教が西欧を変えた根源の解説へ

芹沢俊介
評論家

 私にとってこの本の面白さは、キリスト教がヨーロッパに与えた根底的で巨大な影響について、日本との比較で明らかにしてみせてくれたことにある。ヨーロッパを読むことは同時に、日本を読むことなのである。
 ヨーロッパが現在のヨーロッパになったのは、キリスト教の浸透以後のことであり、それ以前のヨーロッパ、つまり十、十一世紀以前のヨーロッパは今の我々と同じであったというように阿部は述べている。つまり今の日本は一千年前のヨーロッパだと言うのである。阿部はそのことをさまざまな角度からとらえて行くのだが、この認識には目を洗われたような新鮮な驚きがあった。たとえばこんな箇所がある。見知らぬ者どうしが団体を組んだ場合、その会の幹事の決め方は日本ではまずくじ引きかジャンケンである。ヨーロッパでは決してそうはならない。必ず誰かが自発的に手をあげる。この違いについて阿部は、日本人は日常生活であらゆる機会にこのようなかたちで神判=神の意志(呪術、迷信などを含む)に頼るのだが、なぜこうなるかと言えば聖と俗、大宇宙と小宇宙、死後と現世といったものの境界があいまいなためだというふうに説明する。ヨーロッパにおいてこの境界を明確に分離したのがキリスト教であった。
 この点に関連してさらに二つの点で日本はキリスト教と無縁であった。日本には無償の贈与という考え方が現実に根付いていないという点が一つ。「タダより高いものはない」という互酬性の論理が生きて力をふるっている。ヨーロッパにおいてはその相互贈与の慣行のなかにキリスト教によって無償の贈与という観念が持ち込まれたとき、大きな転換点を迎えた。もう一つは個人という観念が現実に根付いていないという点で。
 第一のポイントについて阿部の主張はおおよそこうなる。それまでの習いでは、ヨーロッパにおいてもモノを贈られたら必ずモノでお返しをしなくてはならなかった。この互酬関係をキリスト教が壊した。教会はモノを贈られても現世では返さない。天国(死後の世界)で返すという回路をつけた。これは正確には相互贈与の慣習を壊したというよりも、その習慣が成立する時間・空間を現世から天国にまで拡張して、一元化したことを意味した──このことはさらに二つの宇宙、家を中心とした世界(世間)である小宇宙とその外に広がる大宇宙を、キリスト教が一元化したことをも告げていた──。また、天国(地獄)という観念を持ち込むことによって、現世の生の世界と死後の世界を分離した。現世では一度死んだら、死にきりという考え方はキリスト教が入ってきて以後に生まれた。そうしておいて死後の幸福は、生前の善行(教会への贈与である寄進を主とする)いかんにかかっているという考え方を生み出して行く。善行を積むことが天国への切符になるという発 想を断ち切るにはルターの登場を待たねばならなかった。ルターは人間が救われるか否かは生前の善行とはまるで関係がない、救いにかかわるのは信仰だけだと主張した。
 個人という観念についてはこう述べられている。日本人とヨーロッパ人の決定的に違う点は罪の意識の問題である。阿部は罪の意識が出てきたということと個人の形成とは深い関係にあること。具体的に言えば、キリスト教の権力によって、成人男女全員が罪の告解というものが強制されたこと、それによってヨーロッパの人は自分が自分(の罪)について語らざるを得なくなり、そかも告解された罪はその個人が自己の責任として引き受けなければならなくなったこと、このことが重要な契機になったと指摘している。キリスト教は告解制度が作られたときとほぼ並行して神判に関与するのをやめた。これに対して日本では罪の意識はいまも、世間という現世共同体との関係のなかでしか存在しないのである。日本人のほぼ全員が世間の中で生きているゆえに、社会を構成する個人としてよりも、自己決定を避け、世間に対して受け身にふるまうのである。なるほど、だからくじ引きをしたりジャンケンをしたりするのか!
 この本は一九八三年から十年間にわたる連続講演の記録で、読みながら私はしばしばキリスト教の根付かなかった国に生まれた幸と不幸をこもごも味わったのである。

人々の顔や気持が見える歴史学

樋口伸子
詩人

■庶民の心性にまで省察
 私達にとってヨーロッパとは何だろうか。日本の近代化はヨーロッパを手本として進められた。本、映画、芸術などから憧憬を交えて影響を受けた人も多い。駆け足旅行であれ、行けば随所で中世にできた建造物や町並みを見ることができる。〝まるで中世を旅するような〟という旅行者のうたい文句そのままに、西欧の歴史に触れた気になるが、あくまでも表面を撫でただけという思いが残る。それらの町にどんな生活があったのか知りたいと思う時に、「ヨーロッパを読む」は当時の人々の暮らしにまで分け入り西欧中世の深層に読者を伴い、そこから現在を逆に照らし出してくれる。
 第一章「死者の社会史」から「アルブレヒト・デューラーの自画像について」までの八章からなり、各章が一冊の本になる程に密度濃く多岐にわたる内容をもっている。どの章でも読者を引きつけるのは歴史学者としての著者の視点のせいである。その視線は為政者の歴史にでなく、常にその時代の庶民の暮らしや、人の心の動きに向けられており、時間・空間・モノという三つの枠の中での人と人との関係の歴史が説明される。
 不勉強にして私は人の心性にまで省察を及ばした歴史家をこれまで知らない。また歴史はあったことの叙述であり、なべて事例の列挙に終わる教科書歴史に魅力がないのは、歴史が想像を許さないせいだと思っていた。
■幾何学の証明にも似る
 氏は若い時にドイツ農村の史料を調べ、村の風景は目に浮かぶが、そこの道を歩く農民の顔と気持が見えてこないのに愕然としたという。当時の農民の顔や気持が見えるまでに歴史を掘り起こす。氏の魅力的で斬新な歴史研究の基本はここにあると思う。
 膨大で広範囲な記録史料が縦横に駆使され、資料は想像と発見を伴って読み取られていく。一見意表をつく仮説とみえることでも、細部まで論証する氏の明晰さは幾何学の命題を証明する鮮やかさに似ている。どこにどんな補助線を引くかが想像力の問題だ。
 この人の補助線は神話・伝説、伝承、グリム童話から文学作品にまで及ぶ。その方法が特に生彩を放つのは「笛吹き男は何故差別されたか 中世絵画にみる音の世界」の章である。ここで用いられるのは十五世紀の画家ヒエロニムス・ボスの絵である。
■中世世界に新しい視点
 前章の「中世賤民成立」では、迷信俗習が生きていた古ゲルマンの世界をキリスト教が一元化して取り込む過程で、差別された職業と差別を生む畏怖という心の動きが二つの宇宙という新しい視点から論じられた。その各論として差別された放浪音楽師をあげて、キリスト教が音楽をどう捉え器楽を排除したかが「最後の審判」、「音楽地獄」などの怪奇な絵から読み解かれる。またボスの皮肉な教会観も描かれている。
 ボスの細密で百鬼夜行的な地獄・天国の絵の中には、差別の発端となった人間狼、大宇宙と小宇宙、動物との関係、男女の性愛、これまで著者が中世世界を開けた際の鍵がびっしりと描かれていて刺激的である。
 「ヨーロッパ中世における男と女」の章では、牧師と姦通した女性を描いたホーソンの小説『緋文字』と、中世フランスの神学者アベラールとエロイーズの往復書簡集があげられる。ここにはキリスト教の説く聖性の規制に縛られず、欲望からの交わりも神聖な行為であるという、「愛の誇りのために生き」る女性がいた。著者はエロイーズに十二世紀ヨーロッパ社会のなかでようやく姿を現わした個人をみる。宗教をもたない私達が〈個〉を考える上で深い示唆にとむ章である。
■真摯で開かれた学究
 これはヨーロッパ礼賛の本でもないし、学会に囲い込まれた歴史書でもない。謎にみちた中世ヨーロッパ史から、私達が生きる世間論にまでわたる本書は福岡市の出版社・石風社で行われた著者の講演記録集である。
 つとに知られた一人の歴史学者が十余年にわたってほぼ毎年、目下研究中の初穂を百人内外の一般聴衆に披瀝する。公開講座は多いが、このような例は稀有なことだろう。石風社レクチャーのなりたちは人々の縁であるが、それが続いたのは阿部氏の真摯で開かれた学究の魅力のせいである。
阿部史学という言葉があるならこれまでのその流れが辿られる貴重な一冊といえよう。読者その河の支流で足を止めたり、また本流に戻ったりしつつ、ヨーロッパを遠く近く感じながらいま自分が生きる河口に導かれるのである。

  • 507頁 四六判上製
  • 4-88344-005-2
  • 定価:本体価格3500円+税
  • 1995/10/01発行
ティンサ 石風社 根本 百合子 ビルマ バ モオ モウ 女性
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ティンサ
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ティンサ

ビルマの初代首相バ・モオを父に、反政府活動家を夫に、波瀾に富んだ人生をおくったティンサとその一族の物語。大英帝国の植民地、さらに日本軍政下、時代の理不尽に翻弄されながらも清くたくましく生きたビルマの女性達へのオマージュ。

書評

政治に翻弄された一家の苦難の道のり描く

詩音

 1962年、著者の根本百合子さんは、外交官である夫と共に赴いたビルマ(現・ミャンマー)で、一人の女性と運命的な出会いをする。
「素顔の美しさと身だしなみのセンスのよさには会うたび見とれていたが、奥ゆかしさの中に毅然とした強い筋が一本通っている性格に大きい魅力を感じた」という。太平洋戦争下のビルマで、国家元首を務めたバ・モオ元首相の長女、ドオ・ティンサ・モオ・ナインである。
 本書は、ティンサへのインタビューを通し、モオ家一族の半世紀におよぶ苦難の道をたどるノンフィクションだ。
 ビルマの戦後は厳しい。英国からの独立運動があり、クーデターによる革命政府の樹立、反政府運動、そして民主化運動への武力弾圧は今も続く。
 一家は、激動する政治の波にのみ込まれ、運命を大きく変えられていく。
 カンボジアへの脱出と帰国。戦後日本に亡命した父、15年間地下にもぐり反政府運動を指導した夫、ティンサ自身やティンサの弟、妹も投獄され、息子を二人失うという悲劇にも見舞われる。
 しかし、ティンサは「良い時も、悪い時も、冷静な判断とたゆみない生きる努力を忘れなければ、必ず満足のゆく一生が送れます」との強い信念で困難を乗り越え、生き抜いてゆく。
 息子二人と娘一人を失うが、四男七女に恵まれ、孫を加えた大家族を切り盛りするティンサの知恵と行動力は、力強く清々しい。
 著者によると、最近の政情悪化で連絡が一方通行になり、近況がつかめないという。80歳を超えたティンサの余生が穏やかな日々であることを祈らずにはいられない。
 60余年前の日本の侵攻から、現在に至るビルマの近現代史を理解するうえでも貴重な一冊である。

  • 四六判上製247頁
  • 978-4-88344-149-5
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2007/07/20発行
いのち

丸山豊記念現代詩賞受賞


みずみずしいこどもの魂をもって、生きとし生きるものへの愛と共感をうたいつづけた詩人・みずかみかずよの全詩業。心があったかくなる生命(いのち)への讃歌。

書評

みずかみかずよ全詩集『いのち』に思う

森崎和江
作家

 第5回丸山豊記念現代詩賞は、みずかみかずよ全詩集『いのち』に贈られる。現在、詩を対象とした賞は全国に数多い。しかし、それぞれ故人の詩集や、全詩集、訳詩集を対象からはずしているのだが、丸山豊記念現代詩賞にはそのような規定はない。
 みずかみかずよさんは一九八八年に亡くなっておられる。『いのち』は、かずよさんが生涯書き続けた詩作品の集成で、夫の水上平吉氏によって編まれた大冊である。選考委員のひとりとして私は、この全詩集が受賞詩集として決定したことを、心からうれしく思っている。そして、同時代を生きたものとして、詩人みずかみ数よさんの生涯かけての精進に、深くお礼を申し上げたい。
 かずよさんの詩作品にはこれまでも折にふれて接してきた。けれども、面識を私は持たない。経歴によれば三五年に八幡市で生まれておられる。そして終生、北九州市で過ごされたご様子である。私は戦後、福岡県内の筑後、筑豊、筑前で暮らしてきた。が、わが心身ひとつさえ、持てあまし、たえまなく心は放浪を続けていて、とうとうお会いする折を持たなかった。
 それでも、こうして全詩集に接していると、その心の軌跡は手にとるように伝わる。そして、没後の今、この詩精神がどのように切実に待たれていたかを、痛切に思わせられるのである。
         ■
 一読いただければ、今日を生きる老若男女のだれの心にも届く大切なものがあることを、感じとってもらえると思う。戦後五十年、繁栄を求め、平和を願いつつ私たちは努力してきた。目を見張るほど一般の生活は向上し安定してきた。敗戦直後、筑後に引き揚げ者として身を寄せた私には、戦後の姿は心に焼きついていて、あの空虚をその後の歳月でよくぞここまで、と思うほどである。
 そして、昨今、ふとこの繁栄の、その影に気がついているのだ。それは思いがけない形でやってきた。大人の私たちの背を、刺すような鋭さで。私たちが、明日を築いてくれる人々として何よりも大切に思っている、少年、少女。子どもたち。まだ幼稚園へも通わぬ幼い魂。その叫び声!
 子どもの心も身体も自然をより求めているのに、大人はそのことにあまり気がついていない。伝えるには未熟な言葉の内側に、せいいっぱいの悲痛をこめて、朝夕子らのまなざしがうったえかける。その視線に、私は、どうこたえているのか。それは子どもどうしのいじめなどへと押しこめてすませられる問題ではないのである。
 詩を書くということは、言葉の発生基盤に深くかかわることを、私は戦後久しく続いた私自身の心身不調によって、肝に銘ずるように知らせられた。私はかつての植民地朝鮮で生まれ育った。子どものころから、詩や絵を楽しんでいた。つまり、朝鮮の風土や自然や人びとのしぐさや生活の様子などにしみとおっている歴史と文化とが、たまたまその大地と青空の間に生み放された心と体に、これがお前の生の時空なのだよと、輝きを放っていたのだ。そこには、風が吹き、光が射し、木が繁り、多くのいのちが互いに生きていた。人間だけではないのである。言葉もまだ持たぬころから、人の魂は、生の環境としての世界を感じとるのである。
 そのことに対する私個人の、他国侵食の痛みのはねかえりについては、これは今日までの彷徨に反映しているわけだが、しかし、五十年後の今、戦後を生きてきたひとりとして、私もまた、幼いいのちたちをしっかりと受けとめてきたのか、と自問するのである。
 詩とは、世界を受けとめる力であり、見えない明日への祈りである。それは言葉の技術ではなく、言葉の魂である。心を耕し耕し、土や水や風や時間を耕し耕し、ようやく、したたってくる明日への祈り。あるいは、エロス。いのちのみなもとなのだ。
         ■
 みずかみかずよさんは童話作家でもある。その作品はみな、自分を捨てず、他者を受けとめる努力の果てに見えてくるものを求める。それは生誕した瞬間、身に映じた宇宙の姿なのかもしれないのだが、悲しいかな、人間は人間の限界を背負って生きるしかない。そのことに対して、まことに誠実で勇気ある詩人である。
  胃を きりとられて/あまり/かるくなったので
  季節の かわりめの/風に ふかれると/とばされそうです
  点滴の ビニールのくだで/しっかり/つながれてはいますが
  いま/とばされたなら/わたしは紙風船
  その手に/うけてくれますか
  自由に/とばせてくれますか
「窓の外へ」という詩である。

  • A5判上製512頁
  • 定価:本体価格3500円+税
  • 1995/07/30発行
淵上毛錢詩集

熊本は水俣が生んだ夭折の詩人が伝説の海から鮮烈に甦る。二十歳で発病、死の床に十五年。死を見すえつつ生のみずみずしさをうたう……。

書評

詩の贈りもの

猫柳

 現代詩は抒情の否定といわれることがある。本当に、そうかな。これは、安易な感傷に流れる詩作への戒めであって、やはり詩の根底は抒情だと思う。現代詩人たちも、ひょっとしたら存分に叙情詩を書きたいと思うことがないだろうか。私なら、ある。
 時折、こういう思いに駆られていたところ、「詩は抒情よ」と言いたくなるような詩集に出会った。しかも、上等の抒情である。日ごろは口にしない詩の原点に連れ戻される。
『淵上毛錢詩集』を手にして、とても懐かしく、うれしく思った。実は、わが十代の終り頃、図書館で日本詩人全集を読み、好きな詩をノートに書き写した。その時、毛錢の詩を知った。そして、長い間忘れていた。
 変色したノートを出してみると、『猫柳』という題の詩を写していた。「猫柳の/ねるの玉を/握りしめて/小径に/屈み込んでしまった/このまま/このまま/日が暮れなければいい」。あっと思った。私のペンネームは、子ども時代の原風景である貧弱な一株の猫柳からつけたものだったからだ。
 この本は、詩のことだけでなく多くのことを改めて考えさせてくれた。編者の前山光則氏は散文系の方である。だから逆に、詩と詩人を深いところから温かに甦らせることができたのかもしれない。詩を読むよろこびを久々に贈られた気がする。

伝記的事実捨て去る真骨頂

山本哲也
詩人

 詩が、精神とか人生とかをふりかざすようになったらだいなしである。人生訓まがいの行分け散文が、本物の詩集より売れる時代、この詩集の刊行はありがたい。
 毛錢の詩は、淵上毛錢という人間の素(す)でできている。集中に「もう題なんかいらない」というタイトルの詩があるが、そうなのだ、もう題なんかいらない。形式も、詩の方法論もいらない。毛錢は、カリエスという不治の病の運命を見すえて、過剰な言葉を削り、感傷を削って、生の原型、詩の原型そのものを書き残した。
 毛錢の詩集がこうして一冊なること、現在の出版事情からすれば、これは稀有のことであろう。編者の前山光則氏が「五十回忌を迎えるにあたって、催しや石碑だけでなく、毛錢の詩が手頃なかたちで読めるように」というように、収録作品七十四編が「風土と抒情」「雲よ、風よ」「スッケンギョーで きやー渡れ」「生と死の間」の四パートにわかれて編まれているところに、編者がこの一冊にこめた意図が透けてみえる。水俣方言のフレーズには、その詩の末尾に脚注がつき、作品を裏打ちするように、巻末に編者前山光則氏の「淵上毛錢小伝」がくる。七〇年代に国文社から出た?巻本『淵上毛錢全集』以後、はじめての毛錢詩集である。
「小伝」を読めば、毛錢という詩人の、天衣無縫ともいうべき無頼、三十五歳の死に至るまで十五年間のカリエスで寝たきりの生の酷薄さ、それらはみえすぎるほどみえる。だが、毛錢の詩の真骨頂は、そのような伝記的事実を捨て去ったところにあるのだ。
 自閉的になりがちな対象を扱いながら、毛錢の詩はつねに、言葉の底に開放感がある。「ぼくが/死んでからでも/十二時がきたら十二/鳴るのかい/苦労するなあ/まあいいや/しっかり鳴って/おくれ」(「柱時計」)この健康なユーモア。これが毛錢詩の「素」なのである。

「美しい空つぽ」を希求

岡田哲也
詩人

 淵上毛錢、本名淵上喬、法名十方院釈毛錢居士。彼は一九一五年、水俣に生まれた。かつての名門士族、淵上家の次男だった。彼をモデルにした小説『ある詩人の生涯』のなかで火野葦平は、「喬は一生名門の亡霊とたたかい通した」と描いているが、本物の喬も幼い頃から、知らぬ人なき悪童だった。
 家からはみだし、ふるさとからはみだし、と言うよりどこにいても所を得ないような人間はいるものだ。彼はやがて熊本市の九州学院から、東京の青山学院へと進む。そして養子に出される。さらに放蕩に拍車がかかる。
 世はまさに大正デモクラシーの嵐が吹き荒れていた。彼はこの頃、詩人山之口貘を知り、青山学院を退学する。寄席の下足番、新聞配達、港湾労働者、輸送トラック助手︱︱。彼の職歴の部分だ。まあこれは、労苦というより、青春の浪費のようなものだろう。
 しかし、三五年、はたちの時、結核つぎに股関節カリエスが発病し、以後十五年間ふるさと水俣でほとんど寝たきりの日々をすごすことになる。何という皮肉か。その病のすさびに書き始めたのが、詩だった。
 「来て見れば 来て見れば/誰もかれもが石垣の石に似てゐて/ほし魚のしつぽのやうな故里の/らちもない話といふものが/こんなにもこたへてくるものであらうか」(作品「流逝」)
 ところで、私は毛錢のふるさと水俣の隣町、鹿児島県出水で生まれた。彼のことを知ったのは、私が東京におさらばして出水に戻ってからのことだった。入りびたっていた居酒屋のおかみが、淵上一族の出だった。だが当時の私は、彼女から毛錢の話をされても、あまり乗らなかった。さして読んでいなかったこともある。それより、「人間どこに住んでも都であり、地獄である」と思いつめていた私は、どこへも行けなかった毛錢が、ベッドにくびかれた土着の囚人のように感じられたのだ。とんだ読まずぎらいというものだが、人は時として、あまりに卑近な同類を目のあたりにすると、思わず顔を背けるものらしい。
 「屋根といふものがなければ/暮しはできないものなのか/もの哀しい習俗のぐるりの/屋根屋根を濡らして/遙かなる狐の嫁入りが行く(略)僕はこのまんま/美しい空つぽになりたくて/ほそい山経に群れてゐる」(「眺望」)
 「じつと雨を見てゐると、/しまひには雨が自分のやうに思へてきて、/へまなぼくがさかんに/降つてゐるのであつた。」(「梅雨」)
 毛錢の作品では、この「美しい空つぽ」になるという思いが、まるで交響曲のテーマのようにくりかえし奏でられる。病の苦しみや生きる痛みが増せば増すほど、この美しい空つぽへの希求は、より大きなものとなって登場する。彼の作品には、方言を使った作品も少なからずあるが、それらは泥臭いどころか、はんなりとしたユーモアと味わいに昇華している。それは彼の資質にもよるのだろうが、私にはやはり業苦ともいえる不治の病が与えたフィルターで濾されたものにうつる。
 「ぼくが/死んでからでも/十二時がきたら 十二/鳴るのかい/苦労するなあ/まあいいや/しつかり鳴つて/おくれ」(「柱時計」)
 彼は寝たきりだったが、彼の精神は縦横無尽に、この世界を駈けつづけた。敗戦後、彼が、地元の水俣文化会議のリーダーとして、多忙な時を過ごしたのも、その表れのひとつだろう。むろん彼は、時局に便乗することもなく、地方で〈東京〉風を吹かしてのぼせることもなく、自足して腐ることもなかった。生きることに忙しかった彼は、とても威張るどころの騒ぎじゃ無かったのだろう。永眠したのは、五〇年三月九日だった。
 「貸し借りの片道さへも十万億土」
 これは彼の絶句だが、この度の詩集は、貸し借りなしに買える求めやすい一冊となった。三部構成の編集は、小気味良いし、新しく改められた年譜も有難い。編集の前山光則氏の毛氈への敬意が、それこそ「素朴な煮しめ」のような味わいを生んでいる。

  • 194頁 A5判並製
  • 4-88344-041-9
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 1999/05/01発行
上海 石風社 兵站病院 産婦人科医 麻生徹男 第一級資料 写真 戦線女人考 従軍慰安婦 慰安所 性病 花柳病 日記
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上海より上海へ
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上海より上海へ

従軍慰安婦・慰安所 第一級写真資料


兵站病院の軍医が克明に記した日記をもとに「残務整理」と称して綴った回想録。看護婦、宣教師、ダンサー、芸人、慰安婦、芸妓、女給……戦争の光と闇に生きた女性たちを、ひとりの人間の目を通して刻む。従軍慰安婦・慰安所第一級写真資料。重要資料「花柳病ノ積極的豫防法」兵士の性病対策レポート。

書評

親子二代にわたる「祈りの書」

森崎和江
作家

 一九三七年の七夕の夜、中国との間で戦闘状態に入った。シナ事変と呼んだ日中戦争はやがて長期戦化詩、太平洋戦争へと拡大した。その三七年の晩秋に召集され、前線へと送られた一軍医の刻名な記録集が、今回遺族の手によって刊行された。麻生徹男著『上海より上海へ』である。副題に「兵站病院の産婦人科医」とある。
 当時著者は九州帝国大学を卒業して産婦人科医となって間もない、若い父親だった。その手記を刊行した天児都(くに)さんは著者の次女で父出征の折は二歳。現在福岡市在住の産婦人科医である。
 同書は私家本として著者が生前にまとめた『戦線女人考など』を中心にし、写真集「戦線女子考」をはじめ、「軍陣医学論文集」や陣中日誌その他加えたもので、日中戦争当時の占領地での陸軍の公私にわたる日常が、いきいきと描かれている。かつて私は私家本『戦線女人考など』を読む折を得て、ひどく感動し、この書の一般への刊行をひそかに願っていた。というのは、同書に朝鮮人従軍慰安婦のことが軍医である著者の体験を通して描かれている上に、写真もまた歴史資料としてこの上もなく貴重だ、ということもあった。けれどもそれ以上に、これら第一級の資料を残した著者の、日常性および非日常性にたいするあくことのない能動性に打たれたのだった。そうした姿勢なしには、戦場における性的慰安の対象である女たちのことも残らなかった。昭和の記録として、半世紀後の私たちの心をゆさぶる力となっている著者の情熱を、何よりも尊く思うのである。
 著者はその私家本の序文に記している。「私達日本人は中国にとって善き隣人ではなかった。わが国振りの国民皆兵を思い、又一九三七年の南京に思いを馳せるなら、一億の大和民族之れ皆戦犯である。私は此の大和民族の一員として一九三七年より四年間、中支の大陸に居た」と。三七年の南京とは、日本軍による中国民衆の虐殺事件である。その直後に著者たちは南京へ入っているのだ。関連の写真も、とっている。
 記録魔のように、こまやかに対象に接近して文章化し、一日も休むことなく日記をつけ、また留守宅に長文の便りを出し、趣味のカメラを多様に駆使して、時にスナップを、時に芸術化を、時に資料化をと、この一医師は軍隊の医師をはみ出して、何かに迫ろうとしつづけているのである。
 こうした生き方が脈々と流れていたからこそ、慰安に関する軍隊への提言も、占領地の民衆の表情も、傷ついた兵士のことも、後世に残していただいた。単に著者が産婦人科医だったから、性の記録が残ったわけではない。そして死を目前にして、当時の体験のありのままを書き記そうと努められた心の内に、先の序文の、「私は此の大和民族の一員として」中支にいたのだ、という痛切なことばが、あたかも時代的原罪のようにひびいていたことを思う。
 著者の体験から半世紀たって、やっと、私たち日本人は、一私人である自分の心の中をさしのぞきながら、当時の人間観がわが心の底にもこびりついていはしないか、と、反省するのである。そして、当時の一将兵が、この記録を残してくれたことの真意を、有難く思う。アジア諸民族の前に頭を垂れつつ、この記録にほっと救われた思いがする。
 そして刊行に踏み切ってくださった遺族の、短い文章が持っている現代文明への批判をふりかえる。天児都さんは、父上の遺稿や写真が、旧軍隊批判という美名にかくれた個人たちの売名行為によって、さまざまに利用されたことをさらりと附記した。それら行為は私には、他民族とか女たちの人格とかを無視して痛みを感ずることのなかった、かつての日本人の人権意識の生き残りのように思えてしまう。同書は、親子二代にわたって表現された日本文化への、祈りの如き書だと、その刊行の必然を思いみている。

多芸多才な軍医による戦時記録

高島俊男
中国文学者

 この本の著者、麻生徹男さんは、九州福岡の産婦人科のお医者さんである。明治四十三年生まれ。四年前になくなっている。
 昭和十二年の秋、二十七歳の時に軍医として大陸の戦線におもむき、三年あまりを上海・南京など長江ぞい各地で勤務した。この本は、麻生医師の手記、およびその間にとった写真を、没後娘さんがまとめたものである。
 この本がめっぽうおもしろいのは、このお医者さんが、おそろしく有能で、多芸で、にぎやかな人だからだ。
 その一々をかぞえあげるならば──
 まず戦場の軍医はふつうの医者よりよほどいそがしい。本職は産婦人科だから兵隊相手のばあい性病が専門であるが、それ以外に外科の手術もするし精神科も見る。重傷でかつぎこまれた兵隊が死ねばあとしまつもする。「人間一人を灰に作り上げるには驚く程の薪が必要であった」とあるように、とことんめんどうを見たのである。
 またレントゲン技師もやる。戦地のレントゲンだからまず電気を作り出すことから始めねばならぬ。したがって部隊の発電機担当者である。移動式X線装置の駆使に関しては国軍第一と陸軍省医務局長からおほめをたまわったそうだから半端な技師ではない。
 このことでもわかるように、このお医者さんは機械に強い。特に自動車が好きである。国産車の性能がうんと悪かった昔のこと、まして戦地だから、整備も修理もやれてはじめて自動車好きだ。そういう人はめったにいないから、この人は部隊の全車両の整備責任者である。あわせて兵器一切の補修担当者である。兵站部隊だから大した兵器はないのだろうが、それにしても便利な人だ。
 ずいぶんといそがしいだろうに、毎日丹念に四種類の日記をつける。英文日記、独文日記、陣中日記、業務に関する資料提出日誌。そのうえ留守宅あての通信。まめだねえ。
 自動車以上に好きなのが写真である。お母さんの家が写真屋だったので子供のころからカメラに親しみ、応召前は関西の写真作家集団に属するプロ級。戦地へは愛機スーパーイコンタを持参し、上海で新鋭機ローライコードU型を手に入れ、部隊の従軍写真帖作成担当者として陸軍報道部写真班の腕章を着用し、とった写真が千数百枚。そのうち精選六十数点を「戦線女人考」と題してまとめたのがこの本の巻頭にそっくりおさめられてあり、なお文中にも多数を配する。題を見てもわかるようにふつうの戦争写真ではない。
 たとえば、その名も高い日本陸軍専用衛生サック「突撃一番」の実物写真、あるいは慰安所および兵站司令部「慰安所規定」の写真など。当時の報道カメラマンでこの種の記録をのこしてくれた人はたんとはいまい。
 しかし何といってもこの人の最大の特徴は写真の題にもある「女人」だ。いつも女の人にかこまれているのである。生まれた時からそうなので、「私は父の経営する福岡産婆養成所の校舎の一部で産まれた。家の周りは色町で、何かにつけて女の多い所であった。初めての応召の時など、博多水茶屋券番の綺麗どころ一行が、紫の券番旗を翳して大挙、駅まで見送ってくれた」という人である。お父さんも婦人科医で、顧客の多い色街に居をかまえ、かねて学校の生徒はすべて助産婦志望の若い娘さんだから、まわりは女ばかりなのだ。
 戦地へ行ってもそうで、まわりはみんな看護婦さん。慰安所では「週二回も何十人もの慰安婦の局部のみ覗かねばならぬ」。占領地には福岡色街の店が多数進出していて、子供のころからなじみの芸者さんたちにたいへんにもてる。
 また非常なダンス好きで、軍務の余暇にはパリッと背広に着かえて、髪の毛だけは急に生えないから坊主頭で、せっせとホールに通う。最前線の武漢へ移動しても、「在った、有った。終に見つけたダンスホール。上海以来、夢の中に、寝ても覚めても忘れることの出来なかった、奇麗に磨かれたフロアと、スウィング・ミュージック」と、ちゃんと見つけてしまうのである。いいのかね、帝国軍人が。
 そしてどこでもナンバーワンの美人ダンサーと仲良くなる。この本も各地のダンサーたちとの交遊を書いた部分が多い。もちろんみな写真つき。
 この人の写真や記録は、日本軍が慰安所をやっていたことの動かせぬ証拠ばかりだから、写真が無断使用されたり、迷惑をこうむることも多かったらしい。娘さんが本を編んだのも、写真の著作権を主張し、あわせて「麻生軍医は朝鮮人慰安婦徴集の首唱者」との中傷に反駁する意図があるようだ。しかしそういう生々しいことを別にしても、一人の多芸多才の軍医の写真と文章による戦時記録として、貴重かつおもしろいものとわたしは思うのである。

  • A5判上製260頁
  • 定価:本体価格2500円+税
  • 1993/08/15発行
中村 哲 ペシャワール アフガン アフガニスタン 国際化 らい ハンセン病 NGO 北西辺境州 イスラム 石風社 辺境で診る辺境から見る 中村哲
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辺境で診る辺境から見る
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辺境で診る辺境から見る

「ペシャワール、この地名が世界認識を根底から変えるほどの意味を帯びて私たちに迫ってきたのは、中村哲の本によってである」(芹沢俊介氏「信濃毎日新聞」)
戦乱の中、診療所をつくり、千の井戸を掘り、緑の大地を拓く医師アフガニスタン・パキスタンで19年。時代の本流を尻目に黙々と歩む一医師の果敢な思考と実践の軌跡。戦乱の中、診療所をつくり千の井戸を掘り用水を拓く。時代の本流を尻目に、黙々と歩む一医師の、その果敢な思考と実践の軌跡のエッセンス。

書評

アフガン復興への現実的展望

芹沢俊介
評論家

 パキスタン北部の山岳地帯にある町ペシャワール、この地名が世界認識を根底から変えるほどの意味を帯びて私たちに迫ってきたのは、中村哲の本によってである。
 著者はペシャワール会の医者として、二十年にわたり現地で、ハンセン病コントロール計画をはじめとする医療活動に従事する一方、大旱魃にみまわれたアフガニスタンに数多くの井戸を掘ってきた。現地の人たちとともに、農民が土地を失って難民となる事態を防ごうとして懸命の努力を傾けてきた。
 素朴な疑問が浮かんでこよう。なぜパキスタンの町がアフガン復興の拠点となるのだろうか。著者は書いている。浮浪者、物乞い、泥棒、そして三百万人のアフガン難民たちを、ペシャワールは苦もなく受け入れると。著者はそうした姿に、著者のいう「平和・相互扶助の精神」を見たのだ。それこそが真の人類共通の文化遺産であると思ったに違いない。
 あの悪名高かったタリバン政権に関しても、現地の生活者の視点に立つとまったく違う像が描き出される。著者の目には、タリバンによる治安回復は驚くべきで、人々はおおむねこれを歓迎していたと映った。アフガニスタンの広大な国土の九割が、兵力わずか二万人のタリバン政権で支配され続けたのは、決して圧制のためではなく、世界でもっとも保守的なイスラム社会の住民たちの期待に応えたからだ、と著者は述べる。
 このような著者の目を通して見るとき、正義の米国対悪のタリバンという構図は虚偽であり、タリバン後の自由なアフガンという見通しもまるで根拠のない、非現実的なものだということがわかる。実際、タリバン政権崩壊後、治安は乱れ、貧しい人々の生活はいっそう悪化している。復興支援という名の西欧風の押し付けも完全に行き詰まっている。
 そうした現実をかたわらに、長期的展望に立つ著者はめげる気配もない。誇り高いアフガン気質は農村にこそ生きているという現実感覚を踏まえ、年間二〇万人を診察するという医療活動や、井戸掘りなど水源確保を目的とした作業地の拡大に尽くしている。農村復興の要がそこにあるというのだ。読後、人間愛についてつくづく考えこんでしまった。

魂の叫び……珠玉の文章

白垣詔男
西日本新聞編集局

 一九八四年からパキスタン、その後アフガニスタンでも難民らの診療を続けている福岡市出身の医師中村哲さんの初の時事評論と随筆集。「人間にとって一番大切な権利は生存権」と言い切る中村さんの「魂の叫び」が並ぶ。物質文明の中で生活する日本人が読むと心洗われ「人間とは何か」を考えさせてくれる魅力的な一冊だ。
 時事評論は、中村さんが本格的にアフガニスタンにかかわり始めた八九年から昨年秋まで、西日本新聞はじめ日本の新聞や、中村さんを支える非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(福岡市)会報に発表した中から厳選した。
 この間、アフガニスタンでは、軍事介入していた旧ソ連軍の撤退(八九年)、内戦(八九─九四年)、イスラム神学生の武装集団タリバン政権登場(九四年)、米国の空爆でタリバン政権崩壊(二〇〇一年十二月)、暫定政権発足(同)とめまぐるしい動きがあった。
 しかし、中村さんと現地病院、診療所スタッフらは、「幾多の戦乱と権力の変遷、現われては消える海外援助活動とは無縁に、患者や現地スタッフたちと泣き笑いを共にし、現地活動を継続してきた」。
 中村さんが現地代表を務める「ペシャワール会」の事業は、医療に加え飲料水確保、さらに農業土木工事まで広げる。すべて、現地の人々の命を守るためである。
 これらの資金は、同会が募集した「アフガンいのちの基金」(十億近く集まった)と急激に増えたペシャワール会会員の会費だった。同会は、米空爆が始まると会員が急増、八千人を超えた。
 本書には、二十年近く両国で医療活動など、現地の人々の立場で活動してきた中村さんの「珠玉の言葉」が並ぶ。それらは、光が当たるときだけ、にぎにぎしく動き回る大半のNGOの活動家らとは違う、大地に根ざし活動を継続してきた者だけが語り得る重たい響きを持つ。それは、湾岸戦争、米空爆などイスラム社会で「敵」を増やしている日本政府の愚行を、食い止める努力にもなっている。
 巻末には〇〇年七月から八月にかけて西日本新聞文化面に五十回連載した随筆「新ガリバー旅行記」を収録している。

  • 251頁四六判上製
  • 978-4-88344-095-5
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2003/05/20発行
医は国境を越えて 中村哲 国際化 石風社 イスラム ペシャワール アフガン アフガニスタン らい ハンセン NGO 中村 哲
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医は国境を越えて
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医は国境を越えて

アジア太平洋賞〈特別賞〉受賞


貧困・戦争・民族の対立・近代化──世界のあらゆる矛盾が噴き出す文明の十字路で、ハンセン病の治療と、峻険な山岳地帯の無医村診療を15年にわたって続ける一人の日本人医師の苦闘の記録。

書評

国際化とは、日本とは、人間とは。

 一九九三年、アフガニスタンの山岳地帯、ダラエ・ヌール渓谷一帯で悪性マラリアが大流行した。駆けつけた日本人チームは村民から大歓迎された。
 キニーネを点滴すると劇的に回復する。一人分二二〇円。資金が底をついた。これを報じた日本の新聞の「人の命が二二〇円」の見出しが波紋を広げ、五年分のマラリア・流行病予算ができたと中村哲さんは喜んだ。パキスタン北西部ペシャワルを拠点に医療活動を続ける人だ。
 渓谷に朝の薄明かりがさしはじめるころ、祈りの朗唱が響き、一日がはじまる。村によっては小学校もあるが、大半の村には一種の寺子屋があって、コーランを通じて読み書きを覚える。親が農業や牧畜で忙しいとき、子どもは放牧や水くみを手伝い、学校には行かない。
 ある団体が日本と協力して「恵まれない子どもたちのため」村に学校を建設する案を携えて相談にきた。中村さんは答えた。子どもたちは「哀れだ」とは思っていない。ヒツジを追い、たきぎを背負う労働も、家族のきずなを強め、共同体の中で必要な協力や生活の技術を学ぶ教育ではないだろうか。
 もちろん、暮らしをよくするための技術や、広く日本や世界を知る知恵を受けることは大切だろう。しかし、あの子どもたちを哀れと見る彼らは、学校にはない、日々の生活を通して自然に教えられる「教育」に気づいているとは言えないと思う。「私はこのての『国際協力』にある種の不信感を抱いている」と中村さんは『医は国境を越えて』に書いている。
 八四年にペシャワルの病院に赴任してから十六年、中村さんはパキスタンの辺境から日本を見続けてきた。国際化とは、日本とは、人間とは。その一言一言が重い。きょう、『医は国境を越えて』の中村さんに第十二回「アジア・太平洋賞」特別賞が贈られる。

  • 355頁四六判上製
  • 4-88344-049-4
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 1999/12発行
ダラエ・ヌールへの道 中村哲 ペシャワール 中村 哲 ダラエ アフガニスタン 石風社 アフガン らい イスラム ハンセン病 NGO 国際化
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ダラエ・ヌールへの道
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ダラエ・ヌールへの道

アフガニスタンの山岳地帯の村々に診療所建設を展開するひとりの日本人医師が、現地との軋轢、日本人ボランティアの挫折、自らの内面の検証等、血の噴き出す苦闘を通してニッポンとは何か、「国際化」とは何かを根底的に問い直す渾身のメッセージ

書評

一知半解の事情通に対する痛烈な批判

山内昌之
東京大学教授、歴史学

「アフガニスタン──それは光と影です」
 一九八四年以来、アフガン難民の医療に従事する筆者の指摘には、ずっしりとした重みがある。前著の『ペシャワールにて』に続く、アフガニスタンやパキスタン現地の人との交友と診察の貴重な記録である。最新のアフガニスタン情勢の紹介にもなっている。
 欧米や日本から来た論客やボランティアのなかには、アフガン人の難民キャンプ生活を見て、「イスラムの後進性」や「男による女性虐待に金切り声を上げる」者が多いという。こうした外国人の解釈や異文化論こそ、アフガン人の言動より「さらに解らない」というのが著者の感想である。これは、一知半解の事情通に対する痛烈な批判になっている。
「日本︱アフガン医療サービス」の主宰者であり、アフガン国内ダラエ・ヌールにつくった新診療所で文字通り生命を賭して診療を続ける中村氏には、とくにアフガン社会の解放とか救済といった気負いはない。むしろ、戦火の恐怖で言語も失った人びとの病を癒し、高熱と全身の痛みで耐えられなくなった患者に少しでも「人間」としての誇りを取り戻させる。
 中村医師の医療活動の信念は明快である。「べたべたと優しくするよりも、泣き叫びを放置して思い切り心の膿を出させる方がよい。事実と結果が最も雄弁である」。
 しかし、こうした考えは時にスタッフに大きな忍耐力を強いる。ある外国人がやってきて、「病棟の無秩序と悲惨な女性患者の境遇」を嘆いたそうである。
 しかし、中村氏は「即座にその意味が分からなかった」という。それは、「瀕死の野良犬が人間に立ち直るのを大きな希望で見てきたからである」。それでも、せっかく治癒したこのハンセン氏病患者が気管切開をして失語状態になってしまう。極限状態を経験するのは患者だけではないのだ。
 各種の会議にありがちは「無駄口と議論」への嫌悪と出席拒否も、著者ほどの体験を重ねるとまるで自然な振る舞いに思えてくる。
 どんなにつらい環境にあっても、ユーモアや余裕を忘れない中村氏の姿が随所に見いだされる。アフガン難民の治療にあたる日本人医師やレントゲン技師があまりといえばあまりの現地民の対応に怒りはじめると、唐の高僧・玄奘が仏典を求めてペシャワールあたりに来た時の言辞をさりげなく紹介する。「この地は人情が頗る悪い」と『大唐西域記』が記録しているというのだ。高僧でさえこの調子だから、「偉くもない我々凡人が簡単に解るものではない」。
仏教でいう「悪智」に陥らず、観念の格闘で終わらないようにしよう、という中村医師の勧めは、広くわれわれにもあてはまる素晴らしい警句ではないか。
 それでも、「率直さ」だけは忘れないようにしたい、というのも著者らしい。玄奘も「悪智」こそもたなかったが、率直に悪口を末代まで記している、という指摘には思わず喝采を送りたくなる。クリスマスの日、ペシャワールに出た医師は患者五〇人に「見たこともない高級の洋菓子」を土産に買って帰る。一週間の食事代にもなるケーキを暖かいストーブの側で食べながら、談笑する光景は感動的である。久しぶりに笑顔が戻った患者を温顔で見守る中村氏のシルエットが、ストーブの明かりに照らされて浮かぶようである。

  • 323頁 四六判上製
  • 978-4-88344-051-1
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 1993/11発行
アフガン農業支援奮闘記 旱魃 洪水 水不足 蕎麦 茶 アルファルファ 中村哲 高橋修 橋本康範 伊藤和也 進藤陽一郎 山口敦史 石風社 ペシャワール会 農業 さつまいも
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アフガン農業支援奮闘記
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アフガン農業支援奮闘記

「アフガニスタンに自給用の農作物を」。異なる文化、過酷な風土の中で悪戦苦闘しつつ積み重ねられた農業支援六年余りの克明な記録。小麦・米・トウモロコシ・アルファルファ・ソルゴー・さつまいも・茶・ぶどう・蕎麦など、失敗の数々といくつかの成功。その試行錯誤を克明に記すことで、次世代へと繋ぐ報告集。

書評

アフガニスタンにおける農業支援の詳細な実践の記録

岩島 史
京都大学大学院農学研究科博士課程

 本書は、アフガニスタンで活動するNGO「ペシャワール会」が、2002年に発足させた「緑の大地計画」のうち、ダラエヌール地区の試験農場を中心とする農業支援計画の記録である。「緑の大地計画」は「1飲料水源の確保、2農業用水路の建設、3乾燥に強い作物の研究・普及から成り、旱魃で荒廃したアフガン農村の復興を長期的な展望でめざ」すものであった。2007年8月、同会の試験農場で働いていた伊藤和也氏が拉致・殺害された事件以降、中断せざるをえなかった農業計画を「できるだけ正確に広く知っていただく」ことが、「責務」であるという同計画の責任者らによって上梓されている。
 1章では「ペシャワール会」が農業計画をはじめるまでの経緯、2章では計画に参加した日本人ワーカーそれぞれの意気込みや参加に至る経緯が書かれている。3章では実際に試験農場で栽培をはじめた作物について品種選びから作付けの時期や畝の立て方まで、数々の栽培試験をし、失敗と工夫を重ねたことが詳細に記録されている。4章では、試験農場で栽培に成功した作物を近隣農家へ普及する過程で経験した、現地の人に任せることの大切さと難しさについて述べている。5章では世界的な政治情勢が他人事ではない状況のなかで、現地の生活・文化に馴染んでいく様子や人びとととのふれあいが描かれ、マスメディアの中の「アフガニスタン」とは異なる等身大の人びとの姿が垣間見える。ただし、編著者が全員男性であるため、本書における「人びと」とはすべて「子どもと男性」である。最後の章では、伊藤氏の拉致・殺害事件と農業計画中断の決断にまつわるメンバー間のやりとりが記載されており、編著者らの「断腸の思い」が伝わってくる。巻末の資料も非常に充実しており、現地の気温や土壌phから施肥や水やりの方法など、アフガニスタンの厳しい気象条件の下で作物を実らせるための7年間のさまざまな工夫が詳細なデータの蓄積として残されている。農業計画の責任者であった高橋氏の栽培方針と現地農家からの提案との相違点も作物ごとにまとめてあり、非常に興味深い。
 本書を通じて一貫して語られるのは、編著者である高橋氏が京都府で農業改良普及員をしていたという経験にもとづく「現地主義」の理念である。「現地主義」の内容は「主役は農家」「現地の技術を改良しながら」「資機材は現地調達を基本として」の3点であるという。これは今や国際協力において必ず求められ、なおかつ議論も多い理念である。本書でもそれを実践することのむずかしさが試行錯誤する記録の中ににじみ出ており、農業支援の記録として貴重であるだけでなく、支援する人と現地の人とのかかわりの記録として、国際協力にかかわるすべての人にとっても示唆に富んだ書である。

アフガン、実った笑顔 ペシャワール会農業の記録出版

古田大輔
朝日新聞

 アフガニスタンとパキスタンで医療や農業の支援活動をしているNGO「ペシャワール会」(本部・福岡市)の農業分野の軌跡をまとめた『アフガン農業支援奮闘記』が出版される。2008年8月にアフガンで拉致・殺害された伊藤和也さん(当時31)らが旱魃と戦乱で荒廃した大地に挑んだ7年余の汗と涙、そして、現地に再び実りと笑顔をもたらした記録だ。

 アフガン東部での農業支援は01年6月、旱魃対策の井戸掘りから始まり、はがて、25キロにも及ぶ水路の建設とその周辺に農地を復活させる「緑の大地計画」に移る。
 京都府職員として長く農業の普及指導に努め、退職後は国際協力機構のもと、アジア各国で支援に飛び回ってきた高橋修さん(79)ら計6人の日本人職員が主に支援にあたった。その中に伊藤さんもいた。
 予想もしていなかった困難が相次いだ。異常な高温と乾燥。アルカリ性の土壌を改良しようと硫黄を持ち込んだら、テロリストと疑われた。せっかく育った作物を盗んでいく者もいた。「なんでもいいから種よこせ。アフガンの手助けに来たのだろう!」と居丈高に要求されたことも。成功の影にあるそんな苦難も本には記されている。
 作物は元々栽培が盛んだった小麦だけでなく、飢餓から農民を救うためのサツマイモや現地品種よりも収穫量が大きかった日本米、栄養価の高い大豆や換金作物としての茶などに広げていった。成功体験を重ねることで、現地の人たちからの信頼が高まり、活動も円滑に進むようになっていった。水路周辺には内戦で避難していた人たちが戻り、集落もできていった。
 職員を支えたのは飢餓と闘う決意と、アフガンの人々の温かさだった。「寂しいだろう」と手作りの伝統楽器で民謡を披露してくれたり、自分たちの食事を減らしてまでもてなしてくれたり。そんな心の交流も紹介している。
 伊藤さんの事件が発生し、日本人職員は現地代表の中村哲医師(63)を遺して全員帰国した。本では、日本人職員撤退後の09年2月に現地の農家からかかってきた国際電話が紹介されている。
「日本米の新米は中村先生のところに届けた。サツマイモもお茶にあう甘い芋がとれた。この冬のサツマイモの保存も去年やった通りに管理している。(中略)大丈夫だ。農業計画はちゃんと前進させているぞ」

  • 401頁 A5判並製
  • 978-4-88344-184-6
  • 定価:本体価格2500円+税
  • 2010/03/01発行
花咲か 江戸の植木職人 岩崎京子 石風社 桜 サクラ さくら ソメイヨシノ そめいよしの 植木 江戸 駒込 岩崎 京子 長野 ヒデ子 植樹 キク 菊
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花咲か
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花咲か

ソメイヨシノの始まり始まり


江戸の町にソメイヨシノがやってきた! 江戸・駒込の植木師にひろわれた少年が、小さな花々の命と向き合い、江戸の町にあでやかな新種の桜を植樹し、開花させるまでのひたむきな姿を、清々しい筆致で描いた長編。(表紙絵・長野ヒデ子)

書評

ひきついだ命を大切に

吉橋通夫
児童文学作家

 被災地の桜は、まだ「つぼみ固し」ではないでしょうか。一日も早く、満開の桜を楽しめる日々がもどってくることを願っています。
 いま日本で一番多く見かける桜は、ソメイヨシノという品種です。咲き始めは淡い紅色で、満開になれば白い大輪の花を咲かせます。
 江戸時代に染井村(いまの東京駒込)から広まったとされるソメイヨシノは、落ちた種から発芽することは、ほとんどないそうです。自分ひとりの力では増えていくことが出来ないので、人の手で接ぎ木や挿し木などをして増やしていきます。それに、肥料をやったり、根もとの草を刈ったり、からんだツタを切ったり、あれこれ世話をしてやらないと、きれいな花を咲かせてくれません。

 この本は、ソメイヨシノをひろげるために力を尽くした染井村の植木職人、常七の物語です。
 十三歳で弟子入りした常七が残した日記のようなメモをもとにして、物語が進んでいきます。
 そのメモは、「さつきとをか、あめすこしづつたびたび。おやかたより、あづきあんやきもち二ケおふるまひ。大きさこのくらゐ」と旧かなづかいで書いてあり、「このくらゐ」のあとには、もらった焼きもちの大きさが丸印でなぞってあります。
 旧かなづかいは読みづらいですが、この本では、ちゃんと新しいかなをつけてくれいるし、読み慣れると意味が分かってきます。速読しないで、じっくりかみしめながら読んでみてください。
 
 歴史ものは、今では使わないむずかしい言葉が出てくるので、苦手な人が多いようですね。でも、何百年も前に生きていた人たちの暮らしぶりや風俗を知るのも楽しいことですよ。その時代にタイムスリップすれば、歴史の中で暮らしていた人たちの息吹が伝わってきます。昔の人は、こんなふうに生きてきたんだ、現代に生きる自分も、彼らの人生の続きにいるんだ……と思えてきます。過去に生きていた人々と今の自分の人生が、とぎれることなくつながっていることの不思議さとおもしろさ。
 自分の命は、いきなりこの世に生まれたのではなくて、たくさんの人たちの夢や希望をひきついで、今ここにあるのですね。ひきついだ命を大切に生きていきましょう。
 作者の岩崎京子さんは、ことし八十九歳。今も徹底した取材をしながら勢力的に書き続けています。

  • 254頁 四六判並製
  • 978-4-88344-173-0
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2009/04発行
 (76件中) 11〜20件目