書評

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バーサンスレン・ボロルマー  ぼくのうちはゲル 石風社 絵本 モンゴル ゲル 野間 国際 コンクール グランプリ 長野ヒデ子 遊牧民 宿営地
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ぼくのうちはゲル
zeikomi
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ぼくのうちはゲル

モンゴル・遊牧民の四季


「ぼくの さいしょのうちは まあるい かあさんの おなかのなか。このうちは かあさんのやさしさで いっぱい。ぼくが どんどん おおきくなり おなかのなかが きゅうくつになった」そして宿営地のゲルで生まれた男の子ジル。家族や家畜とともに、春夏秋冬と宿営地をめぐる、モンゴル遊牧民の四季と生活の絵本。野間国際絵本原画コンクール・グランプリ受賞作。

書評

さながら民族博物館で本物を見ているよう

平井妙子

 モンゴル遊牧民の男の子ジルの最初のうちは、まあるいかあさんのおなか、二番目のうちはとうさんの作ってくれたまあるいゆりかご、三番目のうちもまあるいゲル。このゲルで、四季の土地を巡る遊牧民の暮らしを、ジルの最初の一年間の成長に重ねた絵本である。
 作者ボロルマーは、1982年生まれの若い女性。モンゴル美術大学を卒業しウランバートル在住。十代から数多くの児童書・教科書に挿絵を描き、高く評価され、日本では04年に『モンゴルの黒い髪』で注目をあびた。なるほど、絵が素晴らしい。ゲルの中の様子、家具、生活雑具、民族衣装、髪型、そして家畜との暮らし等、頁をめくる毎に、さながら民族博物館で本物を見ている様な錯覚に陥る程、細かく丹念に描いてあり、圧巻といえる。
 さて、ジルの四番目のうちは、見渡す限りまあるく広がる大草原である大地。作者のモンゴルの文化や自然と共にある生活に対する愛情が画面から溢れる一冊。

  • 32頁 A4判上製
  • 4-88344-134-2
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2006/04/30発行
左官礼讃 小林澄夫 鏝 漆喰 左官 小林 澄夫 藤田 洋三 壁 日本 庭 建築 写真 泥 風景 職人 技 バイブル
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左官礼讃 Ⅱ
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左官礼讃 Ⅱ

左官職人の『バイブル』第2弾!


私達は戦後、眼に見える〈物〉を大切にするばかり、それらの〈物〉を生みだす眼にみえない過程(プロセス)をないがしろにすることで、成果や結果だけを求める拝物主義、拝金主義に陥ってしまった。職人の技術は、眼にみえないプロセスであり、身体とともにある眼にみえないフォルム(形)である。……(本文より)
懐かしい風景と、未来の風景のため。
〈泥の壁は美しい夢を見る──〉

書評

泥の壁は美しい夢をみる

瀬尾真志
エッセイスト

 黒銀杏。切大葉。本海苔。仙台。晒海藻。アラビアゴム粉末。三千本膠。極上稀飛切一本生濱。純白特雪生濱。改良白生濱。油苆。雪晒硝赤。硝赤ツタ。本生麻。カナリヤ。朱赤間石。大磯。国華石。熊野那智。茶根岸。松サビ。九條土。耐水プラスター。秋田産アスファルト。土佐水化純白粉灰。鹿児島産純良仲貝灰。……ナグラ、言葉の大群だ。素材性、季節感、時代性、地方色、国際色、化学……いろいろな世界とのつながりを感じる。出典は左官材料カタログ集『境屋商報』だ。発行元の酒井茂平衛商店は江戸時代から浅草蔵前橋に店を構えていた老舗の左官材料店だった。埼玉の本庄市の店じまいした建材屋の棚の奥からこの小冊子が見つかり、巡り巡って著者の手元へたどり着いた。本書の中で「昭和十三年の左官材料」という随想で紹介されている。
 本書は、土の文化誌・月刊「左官教室」を中心に、月刊「さかん」、「チルチンびと」季刊「東北学」、季刊「銀花」などに書いた文章を集めたものだ。土のあるくらしを愛する多くの人々の期待に、福岡の出版社が応えた。2001年に一巻目、このたび待望の続編が上梓された。著者が生まれてから、子ども時代、学生時代、社会人……未来のはなしが綴られている。編集者のセンスがいい。記憶、音、風景、人、巡のテーマで新たな文章群が生まれ、鮮やかな作品となった。夜に、田舎の少年時代をおもう。コンクリートがいっぱいの風景を嘆く。著者の風景論がおもしろい。「風景は私のむこうにあるものではなくて私の内にも外にもあって私を包んでいるもの。私が生まれる前にもあって、私の死の後にもあるもの。私たちがデザインしたりつくったりできないなにか。かつて魂と呼ばれたものの全てではなかろうか」
 心洗われるフレーズがある。「西行する」という言葉だ。左官の世界では知られた言葉だという。著者の随想や詩文の中で、肌身に染みる言葉となってひときわ輝きを増している。「西行するとは、鏝一本持って仕事を求め諸国を旅することである。それは、左官にとっては修行の旅であり、地方地方のその土地の材料や仕事を学んだり、すぐれた技能を持った職人の仕事を習ったり、一緒に仕事をしながらそれを盗み取る旅でもある。流れ流れてその土地土地の左官の親方のところにワラジをぬぎ、みずからの腕を売りこみ、助っ人として長逗留したり、一宿一飯の恩義で旅銭をもらって次へと旅立っていくといった風である」
 著者は、左官専門誌編集者と紹介される。広い視野で今を敏感に生き、左官の現場にひたすら通う。取材を通して、職人と語り、土を触り、壁を撫で、現場で文を書く。カメラを構える。左官ジャーナリストである。まさに、現代を凝視する泥のジャーナリストだ。風景とは何か、歓待とは何か、世界を見つめている詩人である。本書は左官風土記、左官歳時記のような書物である。22世紀に伝えたい本である。詩人は旅をし続ける。
 今、左官の技が見直されている。丸の内のカフェに泥壁画がある。銀座の書店に大津磨きの壁が見られる。有楽町の酒肆で竃がシンボルになっている。日比谷の最高級ホテルのロビーに土壁が使われた。左官という仕事、左官職人という生き様が注目されている。本書は、左官の世界を広く知るための格好の基本書であろう。

壁を養う暮らしを慈しむ

塩野米松
作家

 左官という仕事が忘れられてしまった。
 法隆寺が創建当時の姿を保ち、世界最古の木造建築として現存している理由は木の癖を活かし、飛鳥の大工以来の伝統を受け継ぐ工人たちがいたからであるが、忘れてならないのは壁の力である。
 建物は柱や梁だけで持つものではない。柱の間を埋め、補強する壁があってのことである。
 その美しく、丈夫な壁をつくり続けてきたのが日本の左官である。木舞という芯にスサというワラや麻糸、和紙などを刻んで、泥に混ぜ合わせ塗り込み、壁を築いていく。
 水で練られた土は乾けば縮む。縮めば柱や貫の間に隙間が出来る。当然である。時間をかけ、十分に縮めてから、隙間を埋め、じっくりと壁を養生していく。自然素材で家を造るというのはそういうものなのである。
 施主もそれを知っていたから急がなかった。五、六年も先の祝言に間に合うように左官を頼むのである。壁を作りながら人はそこで暮らすのである。不自由はない。祝いの日の直前に漆喰を塗り、仕上げをする。
 手間を惜しまず作ったから壁は強くしたたかである。そういう技と思想があったから、日本の建造物は美しく、自然の中に風景としてとけ込み、長い時間のヤスリに耐えたのだ。
 その左官の仕事を見続けてきた著者は、同名の前著で、左官の仕事の美しさと職人たちを称えながら、消えていくことを嘆いた。時間をかける左官の仕事の良さがわからない時代になったのだ。
 続巻のこの本では嘆きは悲しみの歌に変わっている。日本の壁の美しさ、三和土(たたき)のすばらしさは過去の物になってしまったのか。嘆きは散文にすれば愚痴になる。美しく見送ろうとすれば、目は心の内を向き、言葉は詩になる。慈しみの目は悲しみつつ、先の世に夢を託している。左官に新たな目を、それが日本の美の再興につながるはず。

土壁を通して時代を見つめる

久保智祥

「土壁のような人」と形容したら失礼だろうか。長い年月、風雨にさらされた土壁に独特の風合いが生まれるように、40年以上も左官専門誌の編集者として土壁や左官を見続けてきたその人の風貌や話す内容、文章には、不思議なぬくもりと一抹の寂しさが漂う。
 68年。就職した出版社でたまたま配属されたのが月刊誌「左官教室」だった。時代は高度成長期。工事現場で左官はコンクリにモルタルを塗る作業に追いやられ、非人間的な現場は「取材していても楽しくなかった」という。
 だがある時、奈良の古道、山辺の道にたたずむ泥壁の納屋の美しさに魅せられる。「心が開かれていき、ホッとしました。塀に囲まれた東京の現場から逃げたかったんですね」
 それから、全国に残る伝統的な土壁や左官の普請現場を訪ね歩いた。
 左官は、土や、わら、水などの自然素材を、その土地の気候や天候に応じて混ぜ合わせ壁を塗る。人間が制御できない自然をそのまま受け入れる存在だ。そして、自然素材で塗られた壁も、外部の自然と連続していて内との間に壁をつくらない。「左官は人を値踏みしないんです。左官も土壁も、壁をつくらずに来るものを受け入れる〝歓待の精神〟があって、僕に多くのことを教えてくれた」
 そんな現場で教わり、見つめた土壁の多様な美しさと左官たちの仕事の豊かさをコラムにまとめたのが1冊目の『左官礼讃』(01年)になった。その後、07年に「左官教室」が廃刊するまでの文章を主にまとめたのが本書だ。
 現在は月刊誌「さかん」の編集長として執筆を続けているが、本書で取り上げた昔気質の職人はどんどん亡くなり、建築の工業化は止まらない。漂う寂しさは、土壁を通して見えた現代の風景──歓待の精神が失われ、殺伐とした時代ゆえなのかもしれない。

  • 272頁 四六判上製
  • 978-4-88344-171-6
  • 定価:本体価格2200円+税
  • 2009/05発行
生命の風物語 シルクロードをめぐる12の短篇 甲斐大策 シャリマール 灼熱 太陽 屈辱 報復 復讐 エロス 流転 無常 画 シルクロード アフガン アフガニスタン 甲斐 大策 中上 健次 小説 生命 ペシャワール エロス 死 神 泥
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生命の風物語
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生命の風物語

中上健次氏絶賛!


苛烈なアフガニスタンの大地に生きる人々、生と死、神と人が灼熱に融和する世界を描き切る神話的短編小説集。「読者はこの短編小説集に興奮する私をわかってくれるだろうか」(中上健次氏)

書評

物語を読む歓び

樋口伸子
詩人

 暑い夏に熱い本を読み、知らずに負った火傷の跡が秋風の頃になってひりひりとする。
 画家として知られる甲斐大策氏が、シルクロードをめぐる本を出した。『生命の風物語』『シャリマール』という愛の物語集。いずれにも、本来〈物語〉が持つべき活力(マナ)が溢れている。生命だけでなく、死にさえも。
 舞台はアフガニスタンを中心とするイスラム圏。根強く残る内外の紛争に加えて、その風土は苛酷なまでに熱く乾き、人々の営みは私達の日常から大きく隔たっている。
「ドゥシュマンダール」という一篇は、パシュトゥン部族社会の掟の一つである報復を背景にする。ある夏の宿場町で妻をからかわれた夫が手斧を二人の男に叩き込んだ。
 白い埃に覆われた並木の街道筋、驟雨前のよどんだ空気と不穏な空模様の変化、苛立った心理が招いた一瞬の惨劇まで、駒落としの画面を見るようだ。血しぶきのあと、「泥色の街は完全に雨脚の中に煙ってしまった」。簡潔で引き締まった文体に魅了される。
 この事件は、以後三十年の間に双方から十八人ずつの死者を出して決着したかに見えたが、さらに二十年経ち、別の事件を機に報復が蒸し返され、五人の若者たちの仇討ちの物語が始まる。非情な事件にもかかわらず、清涼感が流れるのは著者の繊細な眼差しが背後の民族性や風土、義や掟に拠る心の揺らぎにまでいき渡っているからだろう。とまれ、このようなドゥシュマンダール(仇討ち)の話が一九七〇年代末のことと聞けば血が逆流する。
 さて、風は坩堝の中に渦巻くだけでなく、地を掃き、谷から谷へたゆたい流れる。「パシャイ」は寄るべなき心に添う風のような話である。厳しいヒンドゥクシ山脈の谷々にパシャイと呼ばれる男達がいる。蚊のようなという意味で、「妻も子もなく、盗まず乞わず、五、六人の群れとなってパシャイ達は谷から街道、間道から尾根筋へと漂って歩く」。
 山岳事故で自分の名前さえ忘れたジャミールは、叔父に誘われ初めて下界に降りた。十日目、叔父は少年にたっぷり食わせ、必要最小の物を身につけてやると、カーブル河の対岸を見ながら怒鳴るようにいって去った。「お前はパシャイになったのだ。パシャイ達に会ったら従いて行くんだ。神のお恵みを!」
 少年は雪を被った山に向かって歩いた。子供達にはやされ犬に吠えられ、怯えながらもパシャイと呼ばれると心が安らぎ、自分でもそうだと信じた。四日目の夜明け、五人の男達が太陽とともにゆっくり丘の上に現われ、横に並んでしゃがんだ。近くに寄ると皆がジャミールに微笑んだ。男達は金髪と肩衣をなびかせ滑るように丘を下り始め、少年も後に従った。悲哀を超越して輝く光景である。
 この短編に限らず、境遇の転変や厳しい出自のせいで小さな社会からずり落ちていく人々が出てくる。それを悲惨と言い不幸と見るのは私たちの脆弱な精神であり、彼らはむしろ自ら下降することで、解き放たれた魂の安堵を得ようとしている感がある。私の好きな「髭婆」、寒山拾得のの拾得を彷彿とさせる「大地を掃く男」など揺れ止まぬ陽炎のような余韻を残している。
 運命や死に対する彼らの恬淡さともみえるものを、諦観という私達の感覚に置き換えることはできない。愛や悲しみ、幸も不幸も私達の湿り気を帯びた感度で測るのは危険だ。一切が脱水され天火に乾かされ砂よりも細かな粒子となり、漂彷と風の舞い去っていく。
そのほか、騎馬民族らしい勇猛果敢な男達やはかない女達を描いたこの巻を〈熱風・千夜一夜物語〉と呼ぶなら『シャリマール』は、白銀の月光にふさわしい愛の物語集である。
 戦火の街での清清しい少年「ナフディ・ジャンの恋」を別にすれば、いずれも禁欲と官能と聖性の境で神秘的に冴え渡る。
 癩に怯えながらの超俗の愛を描いた「花園」の終章は息を呑むほどに美しい。一度も肌を重ねることなく成就する逃避行の果て水中に崩れ落ちる女を、すでに同じ病に侵された男は救うこともできない。水辺に漂う花々と仰向けに浮かぶ女はまさに数々の〈水底の女〉の一人であり、ラファエル前派の絵画〈オフェーリア〉に勝イメージを与える。
 無駄のない文で風景がくっきりと浮かぶのは、画家である著者の眼の確かさによるものか。そうして、富貴であれ貧者であれ、漂う品格は彼の地の民に寄せる思いの深さに負う。氏はシルクロード各地を歴訪して滞在、回教徒でもある。読み返したくなるのは、この二巻が単なる異国趣味に彩られた現代の奇譚集ではないからだ。アフガンの聖戦士(ムジャヒディン)にも似た氏の風格の奥にあるものを想う時、その精神の膂力(りょりょく)に感嘆せざるをえない。
 本を閉じ一夜明ければ、私達の世界は底の浅い豊かさの中で卑小な優劣の差と意地や見栄、薄っぺらな自尊と気落ちに満ちている。目覚めてもどる場所がそこだとは、よく解っている。だからこそ、幾夜もこの本に手がのびる。これを、物語を読む歓びといわずに何といえようか。

「眩暈」に陥るが如き魅力

中上健次
作家

 アフガニスタンのカブール、カンダハル、さらに昔から蓮の花の都とされたパキスタンのペシャワール、この近辺に近代国家が定めた国境を国境と認めないように幾多の遊牧の部族が住んでいる。宗派は色々あるが、何れも敬虔なイスラム教徒であり、敵には勇猛果敢な聖戦士(ムジャヒディン)である。当然のことながら友情厚く誇り高い。農耕定住の日本から旅すれば、ことごとくが違い、たちまち眩暈(げんうん)に陥る。
 甲斐大策『千夜一夜物語』の趣のある短編小説集は、この眩暈の魅力を伝えて余りある。無駄のない文体が遊牧の若者の武器を持つ肉体に似て、力がみなぎり、古代と中世、現代が混交した部族に生きる若者を現出させる。若者の昂り。屈辱。肉体。歓喜。エロス。これらどれをとってみても、日本の近代、現代小説から失せたものである。農耕定住の日本の若者は「心理」「気分」しかないのである。
 読者はこの短編小説集に興奮する私をわかってくれるだろうか。乾いた土を乾いた土として描くこと、太陽を太陽として描くことは生半可な経験や修練でできるものではない。だがこの乾いた土がある。太陽がある。ペシャワールのものとものがぶつかって立ち上がる音があり、匂いがあり、何よりも今、この今、生きている聖戦士でもある、若者らが在る。
 この短編集の第2巻目を、さらに長編小説集を続けて読みたい、と衝動にかられる1冊である。

  • 270頁 四六判上製
  • 4-88344-038-9
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 1999/03発行
シャリマール シルクロードをめぐる愛の物語 石風社 甲斐大策 灼熱 太陽 屈辱 報復 復讐 エロス 流転 無常 画 シルクロード アフガン アフガニスタン 甲斐 大策 中上 健次 小説 生命 ペシャワール エロス 死 神 泥 シャリマール
booktitle
シャリマール
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¥0円
シャリマール

イスラムの愛の物語


イスラム教徒でもある著者による、美しいイスラムの愛の物語集。玲瓏たる月の光の下、禁欲と官能と聖性、そして生と死の深い哀しみにあふれる世界が繰り広げられる。それは墜落感にも似た、未知の快楽へと読み手を誘う。

書評

物語を読む歓び

樋口伸子
詩人

 暑い夏に熱い本を読み、知らずに負った火傷の跡が秋風の頃になってひりひりとする。
 画家として知られる甲斐大策氏が、シルクロードをめぐる本を出した。『生命の風物語』『シャリマール』という愛の物語集。いずれにも、本来〈物語〉が持つべき活力(マナ)が溢れている。生命だけでなく、死にさえも。
 舞台はアフガニスタンを中心とするイスラム圏。根強く残る内外の紛争に加えて、その風土は苛酷なまでに熱く乾き、人々の営みは私達の日常から大きく隔たっている。
「ドゥシュマンダール」という一篇は、パシュトゥン部族社会の掟の一つである報復を背景にする。ある夏の宿場町で妻をからかわれた夫が手斧を二人の男に叩き込んだ。
 白い埃に覆われた並木の街道筋、驟雨前のよどんだ空気と不穏な空模様の変化、苛立った心理が招いた一瞬の惨劇まで、駒落としの画面を見るようだ。血しぶきのあと、「泥色の街は完全に雨脚の中に煙ってしまった」。簡潔で引き締まった文体に魅了される。
 この事件は、以後三十年の間に双方から十八人ずつの死者を出して決着したかに見えたが、さらに二十年経ち、別の事件を機に報復が蒸し返され、五人の若者たちの仇討ちの物語が始まる。非情な事件にもかかわらず、清涼感が流れるのは著者の繊細な眼差しが背後の民族性や風土、義や掟に拠る心の揺らぎにまでいき渡っているからだろう。とまれ、このようなドゥシュマンダール(仇討ち)の話が一九七〇年代末のことと聞けば血が逆流する。
 さて、風は坩堝の中に渦巻くだけでなく、地を掃き、谷から谷へたゆたい流れる。「パシャイ」は寄るべなき心に添う風のような話である。厳しいヒンドゥクシ山脈の谷々にパシャイと呼ばれる男達がいる。蚊のようなという意味で、「妻も子もなく、盗まず乞わず、五、六人の群れとなってパシャイ達は谷から街道、間道から尾根筋へと漂って歩く」。
 山岳事故で自分の名前さえ忘れたジャミールは、叔父に誘われ初めて下界に降りた。十日目、叔父は少年にたっぷり食わせ、必要最小の物を身につけてやると、カーブル河の対岸を見ながら怒鳴るようにいって去った。「お前はパシャイになったのだ。パシャイ達に会ったら従いて行くんだ。神のお恵みを!」
 少年は雪を被った山に向かって歩いた。子供達にはやされ犬に吠えられ、怯えながらもパシャイと呼ばれると心が安らぎ、自分でもそうだと信じた。四日目の夜明け、五人の男達が太陽とともにゆっくり丘の上に現われ、横に並んでしゃがんだ。近くに寄ると皆がジャミールに微笑んだ。男達は金髪と肩衣をなびかせ滑るように丘を下り始め、少年も後に従った。悲哀を超越して輝く光景である。
 この短編に限らず、境遇の転変や厳しい出自のせいで小さな社会からずり落ちていく人々が出てくる。それを悲惨と言い不幸と見るのは私たちの脆弱な精神であり、彼らはむしろ自ら下降することで、解き放たれた魂の安堵を得ようとしている感がある。私の好きな「髭婆」、寒山拾得のの拾得を彷彿とさせる「大地を掃く男」など揺れ止まぬ陽炎のような余韻を残している。
 運命や死に対する彼らの恬淡さともみえるものを、諦観という私達の感覚に置き換えることはできない。愛や悲しみ、幸も不幸も私達の湿り気を帯びた感度で測るのは危険だ。一切が脱水され天火に乾かされ砂よりも細かな粒子となり、漂彷と風の舞い去っていく。
そのほか、騎馬民族らしい勇猛果敢な男達やはかない女達を描いたこの巻を〈熱風・千夜一夜物語〉と呼ぶなら『シャリマール』は、白銀の月光にふさわしい愛の物語集である。
 戦火の街での清清しい少年「ナフディ・ジャンの恋」を別にすれば、いずれも禁欲と官能と聖性の境で神秘的に冴え渡る。
 癩に怯えながらの超俗の愛を描いた「花園」の終章は息を呑むほどに美しい。一度も肌を重ねることなく成就する逃避行の果て水中に崩れ落ちる女を、すでに同じ病に侵された男は救うこともできない。水辺に漂う花々と仰向けに浮かぶ女はまさに数々の〈水底の女〉の一人であり、ラファエル前派の絵画〈オフェーリア〉に勝イメージを与える。
 無駄のない文で風景がくっきりと浮かぶのは、画家である著者の眼の確かさによるものか。そうして、富貴であれ貧者であれ、漂う品格は彼の地の民に寄せる思いの深さに負う。氏はシルクロード各地を歴訪して滞在、回教徒でもある。読み返したくなるのは、この二巻が単なる異国趣味に彩られた現代の奇譚集ではないからだ。アフガンの聖戦士(ムジャヒディン)にも似た氏の風格の奥にあるものを想う時、その精神の膂力(りょりょく)に感嘆せざるをえない。
 本を閉じ一夜明ければ、私達の世界は底の浅い豊かさの中で卑小な優劣の差と意地や見栄、薄っぺらな自尊と気落ちに満ちている。目覚めてもどる場所がそこだとは、よく解っている。だからこそ、幾夜もこの本に手がのびる。これを、物語を読む歓びといわずに何といえようか。

  • 271頁 四六判上製
  • 4-88344-037-0
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 1999/03発行
世間遺産 藁塚 左官 鏝絵放浪記 藤田洋三 鏝 放浪 左官 壁 泥 石灰 こて 漆喰 建築 土 大分 安心院 別府 旅
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鏝絵放浪記
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鏝絵放浪記

鏝絵(こてえ)という職人技に魅せられた一人の写真家が、故郷大分を振り出しに日本全国を駆け巡り、中国・アフリカまで歩き続けた、25年の旅の記録。(鏝絵=左官職人が鏝を使い、漆喰をレリーフ状に盛り上げ、民家の戸袋や壁、土蔵を塗り出したもの)

書評

楽しく読めて、左官の歴史や文化がわかる本

辻孝二郎

 今や左官の語り部(「左官教室」編集長・小林さん談)である藤田洋三氏。物言わぬ世界、沈黙の左官を色彩豊かに語り出した唯一の人である。彼の語る世界は色濃く、深く厚い。彼の関心は鏝絵から始まったものの、「しゃかん」の職人さんを初め、関係の人々に触れ、その技術に触れ、その歴史に触れ、石灰に触れ、世界中の泥壁に広がっている。鏝絵は入口であったけれども、内容は左官のすべてに広がっている。
 物言わぬ左官の世界で、一番饒舌な鏝絵との出会いが藤田氏の出発点である。彼は色とカタチ・素材を執拗に追い求めるカメラマンである。幸いなことに、野に埋もれていた鏝絵は彼の目で掘り起こされた。彼も性格色濃く、饒舌、サービス精神に富んでいる。彼と鏝絵との出会いは、そういう面で必然性を帯びているように思う。
 最近は、顔も鏝絵になってきた。歩く姿も鏝絵っぽい。彼の出現の仕方は、フラッシュを浴びた鏝絵のようでもある。突然、野の闇から浮かび上がってくる。現在が生み出した鏝絵、藤田さんはそういう人なのかもしれない。
 鏝絵の何たるかを知らない時に、鏝絵の町大分県安心院(あじむ)町をご案内いただいたことがあった。保存会の人だったか地元の人に会い、藤田さんの話が広がった。話はなんとも時代離れして、五十年前、百年前のこと、何世代も前の施主や故人となった左官屋さんの話、九州全体のこと、全国のことなどが、とめどなく流れてくる。名前も知らずぼうぜんと聞き流していたことを覚えている。この本を読んであの一瞬の会話の意味が見えてきた。藤田さん自身が時空を超え、泥や石灰の世界、あるいは人々の営みをあのつぶらなとも言える鋭くも可愛い目で見続けていたのだということを。
 鏝絵が施主への感謝を込めた無償の行為であるとしたら、この本も今の時代や左官の人々への無償の行為である。「鏝絵としての出版行為」、この本はそんな意味を持っている。野の饒舌、野の美意識、野の豊かさを今一度味わうことができるのは至福と思う。
 彼と同じ時代の空気を共有できることを、心から感謝したい。

近代化の遺産のように

塩田芳久

 鏝絵(こてえ)。壁や戸袋など、漆喰を塗った上に鏝で風景や肖像などを描き出した絵のことだ。写真家としても知られる著者が、この伝統の職人芸に魅せられて地元大分から九州各県、日本全国、果ては中国、アフリカへと旅して回り、鏝絵を撮影し続けた「放浪」の記録が、豊富なエピソードと美しい写真とともにつづられている。
 前半は、軽いフットワークで駆け抜けた鏝絵紀行が楽しい。招福の思いを込めた大分県内の七福神、胸部が手あかで黒ずんだ佐賀市の裸婦像、高さ約二メートルもの新潟・佐渡の大ムカデ︱︱。職人達の技の妙を伝える鏝絵が、その土地の風土まで映していることに気が付く。また「謎」の鏝絵師を追ったり、中国まで「ルーツ」を訪ねたりするくだりは、スリリングな冒険譚の趣すらある。
 「鏝絵にひかれたのは二十五年ほど前。地方の時代といわれたころで、大分の文化の源流を追い掛けるのが目的。しかし全国を巡るうちに、鏝絵と、それが描かれた家屋を近代化遺産として接するようになりました」
 後半部になると、著者の興味は鏝絵にとどまらず、キャンバスになった漆喰から、その原料の石灰、そして壁そのものを作る泥とわらへと向けられる。食べられる石灰を求めて台湾へ渡り、泥でできたモスクがある聞けばアフリカへと向かう。
 「『お石灰探偵団』と称して、海からの視点、経済の視点など多角的にこれらの素材を調べました。だれもやったことのないことなので、本当に面白かった」
 そうしてあぶり出したのが、石灰が支えた日本の近代化であり、多様な衣食住の文化であり、農業をはじめ日本の産業の歩みだった。著者の好奇心は鏝絵を入り口に、人間の営み全体をつかみ取ろうとしているようだ。
 「かつて美しかったものが形を変え、いまだに美しいまま存在している好例が鏝絵です。今後も、人の手が生み出した美しいものたちを注目し続けたい」

  • 306頁 四六判並製
  • 4-88344-069-9
  • 定価:本体価格2200円+税
  • 2001/01発行
少年時代 ジミー・カーター ジミー カーター 大統領 アメリカ 黒人 差別 ピーナッツ 南部 人生 記録 少年
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少年時代
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¥0円
少年時代

米国ディープサウス(深南部)の小さな町。人種差別と大恐慌の時代。家族の愛に抱かれたピーナッツ農園の少年が、黒人小作農や大地の深い愛情に育まれつつ、その子供たちと共にたくましく成長する。
──このアメリカには「希望」があった──

書評

米国 もうひとつの核心

龍 秀美
詩人

 普通日本人はアメリカという国をなんとなく「知っている」つもりでいるが、政治・経済の中心地としての北部や東部の表面的な情報に偏り、精神的風土や歴史、特にあまり語られない南部のもつ、農業国としての重要性については理解が十分ではない。
 この本はジミー・カーター元アメリカ大統領が、少年時代を過ごしたジョージア州の田舎町での生活を綴ったものだ。
 カーター氏は文中で「自分の楽しみのために」書いたと言っているが本当にそうだろう。そして楽しく書かれた著作が持つ良質の情報を私たちはたっぷりエンジョイできる。このくっきりした輪郭の素朴派絵画を見るような書物には、今アメリカと共に私たちが陥っている迷路を解きほぐしてくれるヒントが満ちているのである。
 ここでは六十数年前のアメリカ南部の農家のさまざまな作業や生活の仕方が実に詳細に描かれていてこれだけでも貴重な博物誌だが、カーター氏の驚くべき記憶力と理解力は、彼を取り巻く人々の言動や身近な事件から当時の世相をありありと感じさせ、読者は楽しみながら自然にこの国のもうひとつの核心に触れることになる。
 やがてカーター氏は海軍士官学校を出てエリート軍人の道を歩き始めるのだが、父の死にあたって農場を継ぐ決心をする。戦争と平和を象徴する海軍と農業との究極の選択が、後の平和主義者カーター大統領を生むことになるのは運命の不思議と言えよう。
 そしてこの選択の背後には、南北戦争、人種差別問題、大恐慌などを含む長いアメリカの歴史が横たわっていることに私たちは気づかされる。
 営々と大地を耕す農業は平和を願う。この真理が後のカーター氏の身命を賭した平和運動になり、昨年のノーベル平和賞とも繋がっていったのではないだろうか。
 カーター氏の人道活動に注目し研究を重ねてきた飼牛万里氏(中村学園大学教授)による翻訳は、言外の意味にも行き届いた配慮が感じられ読みやすい。

  • 378頁 四六判上製
  • 4-88344-099-0
  • 定価:本体価格2500円+税
  • 2003/08発行
左官礼讃 小林澄夫 左官 小林 澄夫 漆喰 鏝 職人 藤田 洋三 壁 日本 庭 建築 写真 泥 風景 職人 技
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左官礼讃
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左官礼讃

専門誌「左官教室」の編集長が綴る土壁と職人技へのオマージュ。左官という仕事への愛着と誇り、土と水と風が織りなす土壁の美しさとともに、打ちっ放しコンクリートに代表される殺伐たる現代文明への批判、そして潤いの文明へ向けての深い洞察を綴る

書評

結んでほどく──(午睡のあとで)

松本道介
文芸評論家

 着物をほどくという言葉があった。今の若い人は最早知らないだろうし、私とてずいぶん久しぶりに思い出したのだが、たしかに私の老母の世代は着物を洗濯に出すときや仕立て直すときには着物をほどいていたのである。
 しかし昔の人は、着物だけではなく建てものもまたほどいていたことを或る本によって教えられた。小林澄夫という職人さんが書かれた「左官礼讃」である。見開き二頁の奥ゆかしい随筆二百篇近くが並ぶなかに「結ぶこととほどくこと」という文章があった。
 昔の家には建てることは結ぶことだという考え方があり、結んだものはほどくことが出来た。したがってかつての民家はこわすのではなくほどいたのだという。〈屋根の瓦をはずし、木舞の土壁を落し、棟木や梁をはずし、柱を抜いてそれらは移築されたり、新しい民家の部材として再生されていった〉という。
 今でいえばリサイクルということだが、昔はリサイクルという発想はなかったし、リサイクルとはどこか違うと思う。〝結んだ人〟への敬意というか、素材への愛情というか、なにか温かい心がそこに感じられる。
 今の世の中から徹底して消えていくのはそうした温かい心である。家をほどくといった考え方はまったくなく、こわす時はひたすらこわす。〈パワーショベルで屋根を剥がし、ユンボで壁を押しつぶし、解体されてしまう。解体屋とはよくいったもので、半日もあれば民家は残材の山になってしまう。それは解体というよりも、破壊というにふさわしい〉
 日本式の民家はまだしも、鉄筋コンクリートのビルとなると、その構造からして解体=破壊しか方法がないにちがいない。ブルドーザーを用いての破壊をはじめ、何度かテレビのニュースでも見せられたごとく、爆薬を用いて一気に爆破する方が手間も省け、コストも安くて具合がいいのだろう。
 過去に栄えて滅んだ幾多の文明にくらべて近代西洋文明の格段にまさる点はその破壊力である。爆薬を中心にした破壊力によって他の文明を征服し自然をもほろぼしていったのであったし、そのひとコマをわれわれは今またアメリカのアフガニスタン空爆によって見せつけられた。
 西洋近代文明の発展に寄与した功労者に与えられる最高の賞がダイナマイトの発明者の得た巨万の富によってまかなわれているのは幾重にも象徴的なことだと私は思う。 

質感、安らぎ、塗り壁は天才である──著者に聞く

後藤喜一

 この本を読んで、塗り壁とは実に面白いものだと思った。泥をこねて塗ると、粘土の泥自体が持つ自硬性によって固まり、土の成分や時間の経過によって独特の美しい色や肌合いが生まれる。素材が泥であるがゆえに、室内の湿気を吸ったり吐いたりして温度を調節し、その厚みと質感が住む人に温かさや安らぎを与えてくれる。小林澄夫さん(五八)が〈塗り壁は天才である〉と書くゆえんである。
 このように美的にも機能的にも優れた塗り壁がなぜ、石膏ボードやクロス、ペンキの壁に押されて衰退してゆくのか。
「材料を水で溶かして鏝で塗るのが左官の仕事ですが、乾くまでに時間がかかるので工期が長くなるし、仕上がりにもばらつきがでる。その点、ボードを接着剤でとめ、クロスをはった方が手っ取り早い。また、かつてはオーナーが自分で大工や左官を選んで仕事を依頼していたのが、いまは工務店がすべてを仕切るようになった。工務店としては、左官に壁を塗らせるよりも自分でボードをはり付けた方がもうかるわけです」
 依頼主がよほど塗り壁の良さにこだわらないかぎり、漆喰の白壁も聚落の土壁も日本の住宅から消えていくのは自然の勢いということになる。
 小林さんは一九六八年に黒潮社に入って以来、ずっと左官職人向けの月刊誌「左官教室」の編集を担当。本書は八一年から二十年にわたって同誌に連載してきたエッセーをまとめたもので、繰り返し塗り壁の魅力を語り、その復権を唱えている。
「最初は建築のことも左官のことも全く知らなくて、このメーカーからこんな素晴らしい商品が出たというような話ばかり書いていた。そのうち、そういう工業製品が規格によって管理されているのに対し、左官の仕事は数値化できず、その日の職人の気分や天気によっても出来が変わってくるということが分かってきた。統一・画一よりも、そういう偶然性や多様性に惹かれて深入りしたんですね」
 本書は左官職人への熱烈な応援歌だが、小林さんは現在の職人に対しても「石灰や海藻のりは別として、昔の職人は土や苆などの材料を自分で集め、調合して使っていた。左官の表現のもとになる材料をメーカーに任せてしまっては技術の半分以上を捨てたことになる」と苦言を呈する。

よみがえる壁を塗る音、しぐさ

与那原恵
ノンフィクションライター

 子供のころ、建築現場をのぞくのが好きだった。完成してしまえば二度と見ることのできない骨組みに、ナルホドこうなっているのかと見とれていた。とくに魅了されたのは現場の「音」だ。木を削る音、カナヅチで叩く音。左官がシャクシャクと材料をこねてなめらかになったものをコテですくいとる、ザッという音は忘れられない。左官はたいてい近所に住む顔見知りだったから、その場に座り込んでいる私をじゃまにするでもなく、淡々と仕事をつづけているのだった。
 月刊「左官教室」という雑誌がある。左官の仕事の周辺や、土壁の文化を広く語る意欲的な雑誌だ。本書はその雑誌のコラムをあつめて編んだものだが、日本に伝わる壁の多種多様な美しさ、材料となる泥、そして何よりも左官の仕事の豊かさを端正な文章でつづいっている。一行読みすすめるごとに、幼いころ耳にした左官のゆったりとしてた「音」や繊細な手のしぐさがよみがえってくる。
 奈良の当麻寺の土塀に残る藁ぼうきの「あらし目」。それは、上に塗る材料のくっつきをよくするものだが、その模様の美しさは左官の「意図しない美意識」である。また左官仕事の傍らにある道具を洗う水。老左官は泥で汚れた水を畑にかえし、まだキレイなあがり水を草花の根にそそぐ。
「余分な水を使わないような理にあった水使い、水と土の複合である泥の生理への繊細な感性、簡素な無駄のない動作」
 かつて壁の材料は天然の素材の複合であった。その多様性を活かし「手の延長であるようなわずかな道具と手仕事でつくられた」壁の美があった。
 しかし左官の仕事は、近代化と工業化の果てに追いつめられているという。たしかな技術をもった左官がコンクリートの下地づくりをせざるを得ない現状を著者は嘆きつつも、さまざまな土地に眠る泥を探し、技術を語りつぐ左官の姿を愛情をこめて描いている。
 秋の陽を浴びた土壁を触ってみたくなった。

土と漆喰の建築文化を知る

藤森照信
建築史家

 戦後の日本の建築現場から追放された材料があるのをご存じだろうか。
 追放といって言いすぎなら、軽視され、すみに追いやられた材料。それが土と漆喰にほかならない。自然素材ゆえ、扱うのにカンと経験を要し、機械化、工業化も難しかったから、各種ボード類や壁紙類に置きかえられていった。
 しかし、このところ再生のきざしが著しい。理由の一つは、あまりに工業化、機械化した現代建築への反省で、自然素材の味わい深さを回復するには土と漆喰が一番いいし、手仕事の面白さを復活させるには土と漆喰のプロである左官職人が欠かせない。
 もう一つの理由は、工業化した材料から放出される化学物質の問題で、土と漆喰は自ら何も出さないばかりか、ほかから出た化学物質を吸着する力を持つ点が注目されている。
 二十一世紀は、もしかしたら、土と漆喰と左官の時代となるかもしれないが、そうした復活劇は一人の雑誌編集者の存在なしには語ることができない。それがこの本の著者の小林澄夫である。
 戦後、正確には大阪万博以後に始まった土と漆喰の暗黒時代に、土と漆喰を愛する者にとっての孤島の灯台の役を果たしたのが唯一の専門誌「月刊左官教室」だ。
 小林は、この雑誌の編集を担当するかたわら、全国各地の漆喰窯を訪れ、土を手にし、左官をたずね、古今のすぐれた左官仕事を探り、そうして得た知見を巻頭言として書き続けた。それが、各地方に根を下ろして黙々と壁を塗り続ける左官職をどれほど励ましたか分からない。
 そうした文を集めたこの一冊は、土と漆喰による日本の建築分かの全体像を知る格好の入門書であり、また、暗黒の時代から復活の世紀への導きの書の役を果たすにちがいない。
 左官という日本が誇る職人技術と、土と漆喰という世界共通の自然素材に関心がある人の座右に、ぜひ一冊。

  • 429頁 四六判上製
  • 978-4-88344-077-1
  • 定価:本体価格2800円+税
  • 2001/08発行
海の子の夢をのせて 倉掛 晴美 いのうえしんぢ 石風社 れいんぼうらぶ 直江津 フェリー 児童書
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海の子の夢をのせて
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海の子の夢をのせて

お神楽の里・島根県平田市の小学校の、たった一人の6年生・優たちと、沖をゆくフェリー交流をつづる、実話から生まれた物語。映画「白い船」は、この一冊からはじまった。(小学校低学年より)

書評

夢を叶えた児童たちの実話

野口芳宏
北海道教育大学教授

 子どもをめぐる暗いニュースが多い昨今だが、そんな気分を吹っ飛ばしてくれるような明るい話題の本が出た。「海の子の夢をのせて」という書名の通り、子どもの夢が現実のものになっていうというほのぼのとした物語である。
 物語といってもフィクションではない。現実も現実、地名も登場人物もすべてが実名で登場するというすてきな海の子どものお話だ。
 舞台は島根県平田市の塩津小学校で全校児童は十九人。物語の主人公は、たった一人の男子六年生の優と二人の五年生綾子としおり、それに担任の本田亜希先生である。二階の教室に三つの机を並べた複式学級からこの話は始まる。この教室から、豪華で大きな白い船が毎日見えるようになる。「あの船、どこ行くだぁか……」と、授業中に優が呟いたことから、学校中がこの船に心を奪われる。やがて、それは大型のフェリーボート『れいんぼう・らぶ』だと分かり、いよいよ関心が高まってきた。そして、本田先生はこの船長さんにみんなで手紙を出そうよと促す。返事がくる。イルカのキーホルダーまで添えられて──。
 夢はどんどんふくらんで一度でいいから乗ってみたいと子どもたちは胸を熱くする。交流が深まって「海の子レインボー新聞」が子どもの手によって生まれ、地方新聞に「沖ゆく船と交流」と大きく紹介される。
 そして、ついに、子どもたちはこの船に招かれて夢がかなえられる! 文章も挿画も、子どもも先生も、地域もみんなみんな光っている。

  • A5判上製135頁
  • 4-88344-067-2
  • 定価:本体価格1300円+税
  • 2000/10/31発行
詩集 ノヴァ スコティア ハーメルン 樋口 伸子 石風社 阿部謹也 あかるい天気予報
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詩集 ノヴァ・スコティア
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詩集 ノヴァ・スコティア

阿部謹也氏──「樋口さんの普段の姿に接していると、詩人であることを感じさせないがそれは私たちが詩人であることになんらかの印を見ようとするからである。……日常生活の中で樋口さんは詩人なのであり、それだから詩人くさくないのだ」

書評

自分と半歩、世間と三歩離れ

岡田哲也
詩人

 お祭り大好き人間のくせに私は群集や党派が嫌いでした。昔、学生活動家たちから「お前は右か左か」と詰めよられた時も、「俺は上だよ」と答えました。「右翼の右へならえ 左翼の左うちわ」と詩にも書いて、度し難い奴だと言われたりもしました。
 こんな枕を振ったのは、別段今の政局を思ってのことではありません。樋口伸子さん(福岡市)の詩集『ノヴァ・スコティア』の帯に、歴史家阿部謹也さんが書いた次のような件(くだり)があったからです。
「樋口さんの普段の姿に接していると、詩人であることを感じさせない(略)日常生活の中で樋口さんは詩人なのであり、それだから詩人くさくないのである」
 樋口さんには、いかにもゲージュツカといった風采や面体(めんてい)が感じられないのでしょう。詩を書くより、詩を生きることに多忙なのかもしれません。だからでしょうか、作品からも、ことさらの修辞やツヤ付けが感じられません。自然体です。しかし、奇も衒(てら)いもないけど、どこか異なのです。野球の投手に喩えれば、剛速球投手ではないが、緩急と内外角のボール一個の出し入れで勝負する、そんな感じです。
「わたしは夢の中までも迷っている/といっても/どこからが夢なのか分からない(略)ねじれた心をもてあまして/四月の魚がバカなら/三月の魚には毒がある(なんて)/無意味な台詞をつぶやいて/自分の声で目が覚める/その時わたしは笑っていたのだ/いや 怒っていたのだよ」(作品「夢から夢へ」)
「夏 バカが過ぎて辛い日が続いた/眠る前に小出しに泣いた/夜中に目覚めて心がよじれた/鍵をかけたまま秋になった」(作品「秋ふかく」)
 おっちょこちょいですっこけたような自分が、スキップするように歌われます。しかし作者は、手放しで自分をいとおしむのでなく、周到に自分とは半歩、世間とは三歩離れているのです。そのぶん言葉が、世間の湿気やあけすけな自虐趣味から免れています。サラリチクリの一冊です。

  • A5判変型上製
  • 978-4-88344-191-4
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2010/10/11発行
こんな風に過ぎて行くのなら 浅川マキ 石風社 浅川 マキ かもめ 東芝 夜が明けたら EMI 寺山 修司 アンダーグラウンド 歌手 ビリー ホリディ こんな 風に ジャズ 新宿PIT INN ロング・グッド・バイ
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こんな風に過ぎて行くのなら
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こんな風に過ぎて行くのなら

1972年~2003年にわたってつづられた浅川マキのエッセイ集


ディープにしみるアンダーグラウンド──。「夜が明けたら」「かこめ」で鮮烈にデビューを飾りながら、常に「反時代的」でありつづける歌手。その三十年の歳月を、時代を、そして気分を照らし出す、著者初めてのエッセイ集

書評

音楽が熱を振りまいていた頃

松原隆一郎
社会経済学者

 三十年近く前、大学に入学するため上京した。一人暮らしを始めた夜、渋谷にほど近い駅前で古びた「I」という名のスナックを見つけ、前途を一人で祝そうと扉を押した。先客はおらず、暗いカウンターの中には黒いロング・ドレスをまとい髪の長い女性がいた。「浅川マキみたいだな」と思った。
 ラックにLPレコードが並べてあるので指で繰ると、本当にマキのレコードがあった。『浅川マキの世界』。リクエストすると、暗い店内にマキの声が広がった。「夜が明けたら」や「ちっちゃな時から」。「かもめ」は寺山修司の作詞だ。
「ダルマ下さい」とボトルを注文した。すると女性が、「あなた学生さんでしょ? ウチは学生さんにはホワイト飲んでもらうの」と言う。大人にピシャリとはたかれたような気がした。お陰で今に至るまで、高い酒を飲むとなんだか居心地が悪くなる。もっともその「ふしあわせという名の猫」みたいな顔をしたママさんは、半年もしないうちに居なくなった。噂では、借金を踏み倒して姿を消したのだという。これも大人の世界か、と感心した。
 当時の私は大学の授業にはほとんど関心がもてなかった。それよりも、街で日々出会う出来事が刺激的で、目がくらむ思いがした。なかでも山下洋輔トリオには驚愕した。鮨屋の職人のような風貌の坂田明がアルトサックスから痙攣するように鋭角的な音をねじり出す。繊細にして爆弾のようなドラムスは森山威男。スティック捌きは早すぎて手首から先が見えない。嵐のように激しさを増す演奏を聞くたびに、自分は世界史的な事件に立ち会っていると感じた。
 そんなある日、新宿ピットインに浅川マキが出演した。ゲストは驚いたことに、山下トリオだった。楽器だけだと完全なフリーフォームなのにどう伴奏するのかと訝ると、案に相違して、「ジン・ハウス・ブルース」などフォービートのブルースを奏でた。
 日本のフリー・ジャズが、もっとも熱を帯びた時代だった。富樫雅彦が「パラジウム」から「スピリチュアル・ネイチャー」へと演奏スタイルを変え、阿部薫は狂気の演奏を繰り広げていた。昨年出版された副島輝人の名著、『日本フリージャズ史』(青土社)をひもとくと、八〇年代以降も梅津和時の「どくとる梅津バンド」や最近の不破大輔の「渋さ知らズ」まで盛り上がりが連続するかに書かれているが、彼らの演奏はパンク・ロックやダンス・演劇といった異分野と融合を果たしている。音楽が枠の中で純粋化を極め、そこからはみ出そうとする熱を振りまいていたのは、やはり八〇年代初頭までではなかったかと思う。
 私にとっての浅川マキは、そうした時期に、見えない虚の中心点として演奏者をつないだ歌い手だった。初期のフォーク調のマキが好きなファンは多いのだろうが、私はフリー・ジャズ奏者たちとの火花の散るステージが好きだった。「アケタの店」では、マキのステージの終わりに突然段ボール箱からラッパの近藤等則が現われ、「セントルイス・ブルース」を吹いたことがあった。だから今でも私が愛聴してやまないのは、近藤やつのだ☆ひろが参加した「CAT NAP」だ。
 マキの三十年間のエッセイを編んだ『こんな風に過ぎて行くのなら』を読むと、そうした日々が蘇ってきた。ロック出で生ギターを弾く萩原信義が端正なジャズを追求する今田勝との間で〈「今田さん おれ、イモですか」「イモだよ」〉などと火花散る会話を交わしていたと初めて知った。マキの周辺には様々なジャンルから一騎当千の演奏者が集まっていたのだから、そうした確執は日常のことだったのだろう。
 時は流れた。いつしか大学祭の仕切りを請け負っているプロダクションなるところから「ギャラはいくらなのか、一覧表にして広告する」といった電話がマキのところにかかってくるようになったという。音楽が、事件ではなく日常の仕事になってしまったのだ。

  • 212頁 四六判上製
  • 4-88344-098-2
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2003/07/15発行
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