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眼からウロコのノンフィクション既刊
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おばさんシングルズが行く 宮地六美 石風社 フェミニズム アメリカ 英語 老後 エッセイ
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おばさんシングルズが行く
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おばさんシングルズが行く

「このおばさんは義のために遊んでいる。
……いいねえ、こういうおばさん」
(高島俊男氏)


人生、遊びが最も大切でございます。教育・政治・結婚・老後……。「ずいぶん良くなってきましたけれど、ニッポンにはおかしなコトがまだたくさんゴザイマスヨ」と、ミヤチ教授は今日も快気炎!

書評

「人生、遊びが最も大切でございます」

高島俊男
中国文学者

 このおばさん、年は六十、夫君は十五年前になくなって現在「未亡人」、娘が二人あっていずれもアメリカ在住、ハーフ孫が一人。
 御当人は九州福岡でひとりぐらし、職業は大学の地質学の先生。陽気で、爽快で、純情。遊ぶのが大好きで、釣り、水泳、ピアノ、絵を楽しみ(どれもウデは大したことない)、ドームへ出かけてダイエーを応援する。加えて痛快で元気のよい文章を書く。大学教師なんかさせておくのはまことにもったいない才媛(?)である。
 誰しも考えることは同じと見えて、地元の新聞がこのおばさんに目をつけ、連載エッセイを書かせた。それを二年分まとめたのがこの本である。
 まず、自己紹介部分をご紹介申そう。
 ──〝未亡人〟というものを、私は十五年間やらせていただいとるのでございますが、この〝未亡人〟という言葉は、まっこて意地の悪か言葉でございますな。(……)
 でもねえ、〝未亡人〟になっても、私、寂しくないのでございます。やりたいことが余りにも多いからでございましょうか。〝未亡人〟になってよかったことの一つに、外出の自由がございます。
「明後日、ジャズ聴きにいかない?」「行く、行く」。ジャズは楽しかったですよ。
 癖になりそー。「絵のモチーフ探しに、パリ行かない?」「行く、行く」。海外旅行はよろしゅうございますよ。命の洗濯出来ましてよ。「明日、釣りに行かない?」「行く、行く」。赤と黒の鯛はまっこて美味しゅうございました。
〝未亡人〟は亭主の許しをもらうというチェックポイントがありませんので、話が早いのです。即断、即決で、どこへでも出かけて行くことが出来ます。だれに気がねすることなく、やりたいことが何でも出来る〝未亡人〟という地位(?)に、私は今、大変満足しているのでございます。派手な服装をして、バッチリ化粧して、どこまでも遊びにでかけます。人生、遊びが最も大切でございますよ。──
 いいねえ、こういうおばさん。
 でも大学の先生だからそういうことが許されるのよ、という声があるかもしれない。
 そう、おばさんは選手なのだ。ノーテンキな若い娘の遊びとちがって、このおばさんのばあいは、選手の自覚がある。太宰流に言えば、義のために遊んでいる、というおもむきがある。それが、楽しく愉快なこの本に、切実、というスジを一本通しているのだ。
 で、話題は、弱者の観点から、というのが多い。女、その上「未亡人」、というのはまさしく弱者。それを逆手にとるのがおばさんの戦略であるのは上に見た通りである。
 だから、とかく陰気になりがちなセクハラの話もこのおばさんだとおもしろいよ。
 ──私の職場でも、歓迎会や忘年会など、一年に何度か宴会がございます。(……)
 ある日、二次会で、隣りに座っていたうちの若いもんに例のように声、かけたんですわ。「踊ろう」って。
 彼は立ち上がり、私の肩に手を掛け踊り始めたのですが、私の体とは何と一メートルも間隔を空けておるのです。チーク・ダンスにならんのですわ。「もう少し、くっつけ」と私が注文付けましたらね、彼は一言「せんせ、セクハラです」──

  • 四六判並製
  • 4-88344-001-X
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 1994/06/10発行
絵を描く俘虜

十五歳で満蒙開拓青少年義勇軍に志願、十七歳で関東軍に志願、敗戦でシベリア抑留。二十二歳で帰国。土工をしつつ画家を志す。──満洲シベリア体験を核に魂の深奥を折々に綴った一画家の軌跡。

  • 265頁 四六判上製
  • 4-88344-043-5
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 1999/07/30発行
医は国境を越えて 中村哲 国際化 石風社 イスラム ペシャワール アフガン アフガニスタン らい ハンセン NGO 中村 哲
booktitle
医は国境を越えて
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医は国境を越えて

アジア太平洋賞〈特別賞〉受賞


貧困・戦争・民族の対立・近代化──世界のあらゆる矛盾が噴き出す文明の十字路で、ハンセン病の治療と、峻険な山岳地帯の無医村診療を15年にわたって続ける一人の日本人医師の苦闘の記録。

書評

国際化とは、日本とは、人間とは。

 一九九三年、アフガニスタンの山岳地帯、ダラエ・ヌール渓谷一帯で悪性マラリアが大流行した。駆けつけた日本人チームは村民から大歓迎された。
 キニーネを点滴すると劇的に回復する。一人分二二〇円。資金が底をついた。これを報じた日本の新聞の「人の命が二二〇円」の見出しが波紋を広げ、五年分のマラリア・流行病予算ができたと中村哲さんは喜んだ。パキスタン北西部ペシャワルを拠点に医療活動を続ける人だ。
 渓谷に朝の薄明かりがさしはじめるころ、祈りの朗唱が響き、一日がはじまる。村によっては小学校もあるが、大半の村には一種の寺子屋があって、コーランを通じて読み書きを覚える。親が農業や牧畜で忙しいとき、子どもは放牧や水くみを手伝い、学校には行かない。
 ある団体が日本と協力して「恵まれない子どもたちのため」村に学校を建設する案を携えて相談にきた。中村さんは答えた。子どもたちは「哀れだ」とは思っていない。ヒツジを追い、たきぎを背負う労働も、家族のきずなを強め、共同体の中で必要な協力や生活の技術を学ぶ教育ではないだろうか。
 もちろん、暮らしをよくするための技術や、広く日本や世界を知る知恵を受けることは大切だろう。しかし、あの子どもたちを哀れと見る彼らは、学校にはない、日々の生活を通して自然に教えられる「教育」に気づいているとは言えないと思う。「私はこのての『国際協力』にある種の不信感を抱いている」と中村さんは『医は国境を越えて』に書いている。
 八四年にペシャワルの病院に赴任してから十六年、中村さんはパキスタンの辺境から日本を見続けてきた。国際化とは、日本とは、人間とは。その一言一言が重い。きょう、『医は国境を越えて』の中村さんに第十二回「アジア・太平洋賞」特別賞が贈られる。

  • 355頁四六判上製
  • 4-88344-049-4
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 1999/12発行
医者井戸を掘る 中村哲 井戸 石風社 イスラム ペシャワール アフガン アフガニスタン NGO 中村 国際化 井戸 旱魃
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医者 井戸を掘る
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医者 井戸を掘る

「とにかく生きておれ! 病気は後で治す」


【2002年日本ジャーナリスト会議賞受賞】
大仏破壊、同時テロ、そして報復。……混迷窮まるアフガニスタン。そこでは戦乱と大旱魃の中で400万人が餓死線上にあった。現地で六百本の井戸を掘り、大旱魃と闘い続ける一日本人医師の緊急レポート。
テロ事件・旱魃・大仏破壊……危機のアフガンに千の井戸を掘る!!

書評

アフガン旱ばつ──17年の闘い

森まゆみ

 この八月に、アフガニスタン国境地域で十七年、無償医療を続けている中村哲医師に出会い、話を聞いた。日本ではアフガンやパキスタンの情報はきわめて少ない。昨年夏から今年にかけての旱ばつで、百万人近くが餓死寸前、いまも数百万人が生死の境をさまよっているという。それはもう想像を絶する話だった。
 その報告が本書である。
 中村氏はカラコルムへ山登りにいってその自然の美しさと悲惨な医療環境に打たれ、ペシャワールに赴任し、らい(ハンセン病)のコントロール計画に携わった。そこを根城にアフガンにも入って巡回医療をし、診療所もつくっている。現地の人と協力してハンセン病のほか、コレラ、マラリア、結核などの感染症と闘ってきた。
 しかし未曾有の旱ばつで医療どころではない。戦乱も続く地にさらに今年一月、「国連制裁」が発動され、情況はさらに悪化した。
 中村さんたちは、医療よりもとりあえず水だ、と井戸掘りの専門家に来てもらい、枯れはてた水路(カレーズ)を修復し、井戸を掘りはじめた。地球温暖化によりヒンズークッシュ山脈に雪が降らなくなる。その雪解け水を生活用水としている人びとには死活問題だ。その雪は深く地中にしみ入り、地下水となって井戸に湧く。その水位もずっと低下しているという。日本を含む「先進国」が豊かな生活をし、CO2を空気中に排出し、めぐりめぐって雪が降らなくなるのだ。
 獅子奮迅の働きにより、数百の井戸が掘られ、カレーズに水が流れ、ダラエヌール渓谷のひびわれた土地が緑に覆われる。成功例ばかりではない。壁の崩落、酸素不足の事故、堕落したNGOの妨害、うまくいかぬ物資輸送。
 九月十一日のテロとアフガン空爆以降、中村氏は時の人となった。わき出た評論家と違い、長い地道な活動からの発言は重い。「人道的」に難民を救う方が派手だ。しかし「そこに生きておってくれ」、難民を出さないことが大事だ、と著者たちは井戸を掘りつづける。

欧米主導に代わる多元的支援を訴え

古田隆彦
現代社会研究所所長

 同時多発テロでアフガニスタンへの関心が高まっている折、本書の著者にはマスコミの注目が集まっている。非政府組織(NGO)を率いて、パキスタンとアフガニスタンで一つの病院と十の診療所を運営する、現地事情に最も精通した医師であるからだ。
 だが、本書は報復問題を扱ったものではない。昨夏、アフガニスタンを襲った大旱魃に際し、手弁当で多数の井戸を掘った著者たちの、苦渋に満ちた奮闘記なのである。タリバン政権と反タリバン勢力間の内戦、近代的な掘削機をよせつめぬ巨礫層、地元井戸掘り業者の妨害など、多発する難問に果敢に挑戦する姿には強烈な使命感が溢れている。
 その一方で、膨大な難民の発生に手をこまねく国連の無力さやその関連機関の横柄な官僚主義、あるいは欧米NPOの功名争いや縄張りといった、従来の美名を覆す実態も紹介される。このためか、著者のアフガニスタン観はこれまでの定説をはるかに超える。
 人権侵害の権化とされるタリバン政権についても「保守的なイスラム慣習法を全土に徹底し、それまでの無政府状態を忽ち収拾、社会不安を一掃した」と、一定の評価を与える。バーミヤンの石仏の破壊でさえ、日本に非難する資格はない、と断言する。大旱魃の原因は先進国の生み出した地球温暖化であり、打ち続く内乱も大国の思惑によるものだ。
 タリバンに国連制裁を加えた国際秩序でさえ、「貴族国家のきらびやかな生活を守る秩序」にすぎない。結局、先進諸国の富と武器への信仰こそが「偶像崇拝」であり、仏像以前に「世界を破壊」している、と逆に批判する。
 欧米発の情報に偏りがちな昨今、著者の指摘はまことに尊い。今後著者らの活動を活かしていくには、日本が先頭に立って、欧米主導の一元的な援助・開発に代わる、より多元的な支援方法を構築することが必要だろう。近代的な掘削機械よりハンドメイドの井戸掘りの技術の方が、ずっと役立ったように。

報道されない現実・アフガン問題の本質に触れる

田口淳一

 パキスタン、アフガニスタンで十七年にわたり医療活動を続けている福岡県出身の医師中村哲氏が最近出版した『医者井戸を掘る・アフガン旱魃との闘い』を読みながら思い当たらせたのは、九月以来の国際事件の衝撃性を前に、見失っていたものがありはしないかということである。
 私たちが目の当たりにしたのは、もろくも崩れ落ちる高層ビルとともに数千人が犠牲になった米同時テロの光景だった。胸のうちを激しく波立たせた脅威はおそらく、その規模の大きさゆえだったろう。だが、引き続くアメリカによるアフガニスタン空爆で相次ぐ民間人の死が報じられるのに接しながら、徐々に変化していくものを感じた。
 被害の甚大さに目を奪われ、一人一人の死を見落としていなかったろうか。ビルには直前までビジネスマンの日常があり、アフガンの空の下にも仕事をし子供を育てながら暮らす人々の営みがあった。そして、それら一人一人の、固有名の、掛け替えのない具体的な生が突然に奪われたのが事実である。従って数千人であるか、数十人かという数も個々の死を意識して初めてリアリティーを呼び覚ますのではないか。
 中村氏の新刊本は、昨年六月以来の深刻な干ばつに対するペシャワール会医療サービス(PMS)の「一年間の苦闘の記録」だ。
 夏に解け出す山脈の氷雪に水源を依存するこの国で積雪量の激減という異常気象が干ばつの予兆としてあり、赤痢による幼児たちの死の原因を探ると、ききんに伴う栄養失調や飲料水不足に突き当たった。「医療以前」の問題として、中村氏率いるPMSにとって「井戸を掘る」ことは必然的な課題となっていく。
 ときに銃声にさらされながら、道具を改良し独自の井戸枠も開発、地中の「子牛ほどの巨礫」と格闘し、利用可能な井戸を五百五十二か所(八月現在)に確保、千か所を目指している。
 それは一人一人が生かされる道を探る取り組みであったが、その積み重ねが二十万人の難民化を防ぎ、一万数千人を帰村させることになった。「お手軽で派手な『人道的支援』」ではなく、「難民を出さぬ」ことが肝要という中村氏らの明確な姿勢が導いた結果だったとも言える。
 中村氏の批判は、未曾有の干ばつに農業さえままならず飢餓に直面するこの国の現実が「情報社会の外」に置かれていたことにも向かう。報じられない世界は、現実として認識されることもない。そこに確かに暮らしがあるのにである。
 困難と立ち向かい井戸を掘り続ける経緯を通して、この本に描かれているのは、〈アメリカ対タリバン=ビンラーディン〉〈正義対悪〉といった単純化された図式では埋もれてしまうアフガンの人々の日々の営みである。一つ一つの記録は、正義は言葉ではなく、破壊的でない建設的な実践そのものの中にあるのだとも迫り、ゆっくりと胸底に染み入ってくるような揺るぎ力を感じさせる。
 多くの日本人の想像力が及ばなかった国で、現地の人々と手を携えた日本人の活動は根を下ろした。その象徴でもある井戸は、空爆下で一体どうなっているだろうか。「瀕死の小国に世界中の大国が束になり、果たして何を守ろうとするのか」と中村氏は問う。これまで知らないままきたアフガン問題の本質に触れる意味でぜひ読まれるべき一冊である。千八百円。

『医者井戸を掘る』「読売新聞」2001年11月12日

生を問うアフガニスタン報告

鎌田慧
ルポライター

 湾岸戦争のときと同じように、地上の目標物に命中する米軍ミサイルの映像が、テレビで放映されている。
 テレビゲームのように、それを見ていても何の感情もおぼえないが、確実に人間が殺されている。そればかりか、空爆から逃れようと、何千何万にのぼる難民が国境に殺到している。
 アフガニスタンで十七年間、医療活動をつづけてきた著者のこの克明な報告を読んだあとだけに、負傷、病気、飢餓など、家族を抱えた人々の恐怖と不安、これから厳冬を迎える中での生死を想像すると、胸ふたがる思いにさせられる。
 昨年の夏からはじまったのが、中央アジアの大旱魃だった。著者の中村さんは、非政府組織(NGO)である、ペシャワール会医療サービス(PMS)の医者として、パキスタン北部とアフガニスタンの山岳地帯で、医療体制の確立とハンセン病根絶の運動をつづけていた。
 ところが、旱魃による砂漠化は、ききんによる栄養失調、赤痢や疫痢の発生ばかりか、挙家離村の膨大な難民を生み出した。そこでは治療よりも、生命の泉としての井戸掘りが必至の課題になった。
 それは荒廃地を沃野にもどし、生命を支える大事業だった。が、旱魃の被害にはまったく無関心で、援助の手を差し伸べることなどなかった大国が、今度は空爆によって大量の死者と難民を生み出している。
 この本は、自衛隊の参戦決定前に書かれたものだが、「平和憲法は世界の範たる理想である。それをあえて壊つはタリバンに百倍する蛮行にほかならない」とある。日本はアフガニスタンの人たちにとって、戦争をしない国として尊敬されていた、という、その「名誉ある地位」が、泥沼に落ちかかっている。
 ひとりでも多くの生命を救おうとして体を張ってきた医者と、ひとりでも多くを殺そうとする軍人や政治指導者とは、絶対相いれない存在である。この時期、きわめて明快になった真理である。

「京都新聞」2001年11月4日

アフガニスタン、医者からの警告・中村哲氏への手紙──

佐高信
「佐高信の政経外科」

 拝啓 中村哲様
 福岡にある石風社から、中村さんの新刊『医者井戸を掘る』を贈ってもらいました。オビには「孤立するアフガンで診療所をつくり井戸を掘る」とあります。そして、「とにかく生きておれ! 病気は後で治す」と。これは中村さんの言葉ですね。
 パキスタンやアフガニスタンで十七年間も診療を続けてきた中村さんの重みが行間から伝わってくる本です。しかし、私より一歳下のあなたは、テレビで見る限り、むしろ、飄々とした感じですね。肩ひじ張った使命感では、とても、これまで続けてはこられなかったのでしょう。
 賽の河原の石積みにも似た医療と井戸掘りをやりながら、「訳もなく哀しかった」と思ったら、五十四歳の誕生日だったという述懐に私はとても共感しました。
「こんな所でウロウロしている自分は何者だ。……ままよ、バカはバカなりの生き方があろうて。終わりの時こそ、人間の真価が試されるんだ……」と中村さんは思ったとか。
 大旱魃の地で苦難の闘いを続ける中村さんに自分をなぞらえては失礼ですが、お互い、それ以外の生き方はないということですね。
 中村さんがリードするPMS(ペシャワール会医療サービス)がカブールへの診療チーム派遣を決め、ジャララバード郊外まで来た時、タリバンの兵士が行き先を尋ねるので、
「カブール」
 と答えると、目を丸くして、
「続々と外国人が逃げてくる中で……」
 と絶句したという記述に私も感激しました。
 久しぶりの沢庵に歓声をあげ、せめてカップラーメンでもあればと嘆く日本の青年たちが中村さんと行動を共にしているわけですね。

 〈平和憲法は「日本国民を鼓舞する道義的力の源泉」〉

 一九九七年にはタリバン代表を日本に招いたり、九八年には、「アフガニスタン支援国会議」を東京で開いたりした日本政府が今年の一月に国連が行った「タリバン制裁決議」に参加したことを中村さんは怒っています。確かな現地の情報に基づいて行動していないというわけでしょう。
 中村さんの指摘をそのまま引かせてもらいます。
「マスード軍閥など、反タリバン勢力への武器援助は、公然と黙認されていた。ロシア、イランは大掛かりな補給を北部で行っていた。マスード個人は確かに開明的で、欧米筋に人気があった。だが、現場のわが方から言うと、あの旱魃の最中にその混乱に乗じるように、ダラエ・ヌールを戦場にしたのは許しがたい。その上、戦闘員ならともかく、こともあろうに作業中のカレーズに地雷を埋設して四名の農民が爆死、作業を遅らせた。我々には面白かろうはずがない。さらに、マスードの部下が、タリバン進駐前のカブールで婦女暴行をほしいままに行ってひんしゅくを買っていた事実を、どれだけの『マスード・ファン』が知っていただろうか」
 いまも、情報は圧倒的に「欧米筋」のものばかりなのでしょうね。そして、小泉純一郎もそちらの筋の人気だけを気にしている。それに対し、「現在アフガニスタンで進行する戦慄すべき事態は、やがて全世界で起きうることの前哨戦に過ぎない」とし、あえて、「平和憲法は世界の範たる理想」だと言い切る中村さんに私は大いなる賛意を表します。平和憲法は「日本国民を鼓舞する道義的力の源泉」なのであり、「戦争以上の努力を傾けて」、その理想を主張しなければならないという言葉は、とても説得力があります。

共同配信

命の水でアフガン支援

中村輝子
立正代客員教授

 いま、世界の最貧国アフガニスタンの地に、欧米諸国の最新鋭軍団が襲いかかっている。九月の、悪夢ような同時テロ事件への報復戦。この小国は、昨年から、異常な大旱魃、国連制裁で生存の危機にさらされている。そして「自由と民主主義」を守るという戦火の先は見えていない。
 この本の著者、中村医師は、パキスタン北西辺境州に設立したPMS(ペシャワール会医療サービス)を本拠に、両国の貧民、難民の医療活動を各地で行って十七年。厳しい自然と戦争による荒廃地で、国際社会から忘れられた民の生死をそこで見続けてきた。日本の市民の募金に支えられて。
 いまアフガンの苦境を語れる人は彼をおいていないだろう。実態報告ともいうべき本書は、大旱魃で水が枯れ、疫病がはやり、離村が進む昨夏から、「緑化させれば難民化しない」との信念で猛然と取り組んだ井戸掘りの苦闘物語だ。
 素人集団をまとめる二十代の蓮岡青年、西アフリカから飛んできた井戸掘りのプロの中屋氏、さらに数人の日本の若者たちが、現地の職人、村人らと知恵と技を尽くして掘削作業に当たり、なんと六百近い井戸を新設または再生させた。
 ひたすら、命の水を彼らに、の思い。国連や諸外国の官僚的干渉や本腰を入れていない支援との確執をはねのけて、PMSは住民の一部となり、絶対の信頼をかち得ている。
 これこそ平和主義に貫かれた無欲の扶助の精神ではないか。バーミヤン仏跡破壊で現政権に憎しみをかき立てている人々に、医師はお互いの心の中に築かれるべき文化遺産は何か、と問う。国際政治を干からびた大地から冷静に見る人の目がそこにある。
 ともあれ水源確保は二十万人の難民化を防止した。しかし、拡大する空爆は多くの井戸を破壊したかもしれない。厳冬を控え、国際社会は彼らの難民化を期待しているよう、との医師の言葉は痛烈にひびく。

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世界の真実、この一冊に──井上ひさしの読書眼鏡

井上ひさし
作家

 ごく稀に、「この一冊の中に、この世のあらゆる苦しみと悲しみ、そして喜びが込められている、ひっくるめて、世界の真実がここにある」と、深く感銘をうけ、思わず拝みたくなるような書物に出会うことがあります。中村哲さんの『医者井戸を掘る』(石風社)は、まちがいなく、その稀な一冊でした。
 中村さんは一九四六年、福岡市の生まれ、ここ十八年間、パキスタン北西の辺境州都ペシャワール市を拠点に、ハンセン病とアフガン難民の診療に心身を捧げている医師で、略歴にはこうあります。
〈パキスタン側に一病院、二診療所、アフガン国内に八診療所を持ち、年間二〇万人を診療するNGOペシャワール会の現地代表〉
 この中村さんが日本の青年たちや現地七百の人たちと、アフガニスタンに、千本の井戸を掘ることになったのは、昨年夏にユーラシア大陸中央部を襲った史上空前の大旱魃のせいでした。その被害はアフガニスタンにおいてもっともひどく、〈千二百万人が被害を受け、四百万人が飢餓に直面、餓死寸前の者百万人と見積もられた(WHO、二〇〇〇年六月報告)〉
 幼い子どもたちの命が赤痢の大流行で次々に奪われて行くのを診療所で目撃した中村さんは、その原因が旱魃による飲料水の不足によることを突き止め、こう決心します。
〈医師である自分が「命の水」を得る事業をするのは、あながち掛け離れた仕事ではない……〉
 こうして中村さんは、もちろん診療行為をつづけながらですが、有志と力を合わせて、必死に井戸を掘りはじめる。これはその一年間の苦闘の記録です。
 すぐれた書物はかならず、巧まずして読み手の心を開かせるユーモアを内蔵しているものですが、ここにもたくさんの愉快なエピソードがちりばめられています。たとえば井戸をほる道具がそう。五十米、六十米と掘り進むうちに、牛ほどもある巨石にぶつかる。これを取り除くために、石に穴を穿ち、そこに火薬を詰めて爆破しなければならないが、現地人担当者は、なんと内戦中、ソ連軍を相手に活躍したゲリラの指導者の一人で、
〈したがって、爆発物の取り扱いには慣れていて、大いに活躍した。埋設地雷やロケット砲の不発弾に上手に穴をあけて火薬をかき出す。その入手経路は彼が引き受けて調達した。同じ爆破でも、相手が人間の殺傷ではなく、逆に(人間を)生かす仕事であったから、生き生きと働いた。〉
 また、石に穴を穿つ道具は、なまなかのノミではすぐ使えなくなってしまう。そこで、
〈ノミは(ソ連軍が遺棄して行った)戦車のキャタピラの鋼を使い、強靭で摩耗が少なくなった。地雷や戦車もこうして「平和利用」となり、あの戦乱を知る者は多少溜飲を下げた。〉
 中村さんたちの得た報酬はなにか。現地の作業員が一人、亡くなったことがある。滑車で跳ね飛ばされて、井戸の底に墜落してしまったのだ。お悔やみに出かけた中村さんたちに、作業員の父親が云う。
〈「こんなところに自ら入って助けてくれる外国人はいませんでした。息子はあなたたちと共に働き、村を救う仕事で死んだのですから本望です。全てはアッラーの御心です。……この村には、大昔から井戸がなかったのです。皆汚い川の水を飲み、わずかな小川だけが命綱でした。……その小川が涸れたとき、あなたたちが現れたのです。しかも(その井戸が)一つ二つでなく八つも……人も家畜も助かりました。これは神の奇跡です」〉
 こういう言葉を報酬として、そしてそれに励まされながら、中村さんたちは井戸を掘りつづける。読み進むうちに、わたしはひとりでに、アフガニスタン全土に井戸のポンプが立ち並ぶ日のくることを祈っていました。この無償の行為が天に届かぬはずはない。

2001年10月28日「読売新聞」

  • 285頁/四六判上製
  • 978-4-88344-080-1
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2001/10発行
アフガン農業支援奮闘記 旱魃 洪水 水不足 蕎麦 茶 アルファルファ 中村哲 高橋修 橋本康範 伊藤和也 進藤陽一郎 山口敦史 石風社 ペシャワール会 農業 さつまいも
booktitle
アフガン農業支援奮闘記
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¥0円
アフガン農業支援奮闘記

「アフガニスタンに自給用の農作物を」。異なる文化、過酷な風土の中で悪戦苦闘しつつ積み重ねられた農業支援六年余りの克明な記録。小麦・米・トウモロコシ・アルファルファ・ソルゴー・さつまいも・茶・ぶどう・蕎麦など、失敗の数々といくつかの成功。その試行錯誤を克明に記すことで、次世代へと繋ぐ報告集。

書評

アフガニスタンにおける農業支援の詳細な実践の記録

岩島 史
京都大学大学院農学研究科博士課程

 本書は、アフガニスタンで活動するNGO「ペシャワール会」が、2002年に発足させた「緑の大地計画」のうち、ダラエヌール地区の試験農場を中心とする農業支援計画の記録である。「緑の大地計画」は「1飲料水源の確保、2農業用水路の建設、3乾燥に強い作物の研究・普及から成り、旱魃で荒廃したアフガン農村の復興を長期的な展望でめざ」すものであった。2007年8月、同会の試験農場で働いていた伊藤和也氏が拉致・殺害された事件以降、中断せざるをえなかった農業計画を「できるだけ正確に広く知っていただく」ことが、「責務」であるという同計画の責任者らによって上梓されている。
 1章では「ペシャワール会」が農業計画をはじめるまでの経緯、2章では計画に参加した日本人ワーカーそれぞれの意気込みや参加に至る経緯が書かれている。3章では実際に試験農場で栽培をはじめた作物について品種選びから作付けの時期や畝の立て方まで、数々の栽培試験をし、失敗と工夫を重ねたことが詳細に記録されている。4章では、試験農場で栽培に成功した作物を近隣農家へ普及する過程で経験した、現地の人に任せることの大切さと難しさについて述べている。5章では世界的な政治情勢が他人事ではない状況のなかで、現地の生活・文化に馴染んでいく様子や人びとととのふれあいが描かれ、マスメディアの中の「アフガニスタン」とは異なる等身大の人びとの姿が垣間見える。ただし、編著者が全員男性であるため、本書における「人びと」とはすべて「子どもと男性」である。最後の章では、伊藤氏の拉致・殺害事件と農業計画中断の決断にまつわるメンバー間のやりとりが記載されており、編著者らの「断腸の思い」が伝わってくる。巻末の資料も非常に充実しており、現地の気温や土壌phから施肥や水やりの方法など、アフガニスタンの厳しい気象条件の下で作物を実らせるための7年間のさまざまな工夫が詳細なデータの蓄積として残されている。農業計画の責任者であった高橋氏の栽培方針と現地農家からの提案との相違点も作物ごとにまとめてあり、非常に興味深い。
 本書を通じて一貫して語られるのは、編著者である高橋氏が京都府で農業改良普及員をしていたという経験にもとづく「現地主義」の理念である。「現地主義」の内容は「主役は農家」「現地の技術を改良しながら」「資機材は現地調達を基本として」の3点であるという。これは今や国際協力において必ず求められ、なおかつ議論も多い理念である。本書でもそれを実践することのむずかしさが試行錯誤する記録の中ににじみ出ており、農業支援の記録として貴重であるだけでなく、支援する人と現地の人とのかかわりの記録として、国際協力にかかわるすべての人にとっても示唆に富んだ書である。

アフガン、実った笑顔 ペシャワール会農業の記録出版

古田大輔
朝日新聞

 アフガニスタンとパキスタンで医療や農業の支援活動をしているNGO「ペシャワール会」(本部・福岡市)の農業分野の軌跡をまとめた『アフガン農業支援奮闘記』が出版される。2008年8月にアフガンで拉致・殺害された伊藤和也さん(当時31)らが旱魃と戦乱で荒廃した大地に挑んだ7年余の汗と涙、そして、現地に再び実りと笑顔をもたらした記録だ。

 アフガン東部での農業支援は01年6月、旱魃対策の井戸掘りから始まり、はがて、25キロにも及ぶ水路の建設とその周辺に農地を復活させる「緑の大地計画」に移る。
 京都府職員として長く農業の普及指導に努め、退職後は国際協力機構のもと、アジア各国で支援に飛び回ってきた高橋修さん(79)ら計6人の日本人職員が主に支援にあたった。その中に伊藤さんもいた。
 予想もしていなかった困難が相次いだ。異常な高温と乾燥。アルカリ性の土壌を改良しようと硫黄を持ち込んだら、テロリストと疑われた。せっかく育った作物を盗んでいく者もいた。「なんでもいいから種よこせ。アフガンの手助けに来たのだろう!」と居丈高に要求されたことも。成功の影にあるそんな苦難も本には記されている。
 作物は元々栽培が盛んだった小麦だけでなく、飢餓から農民を救うためのサツマイモや現地品種よりも収穫量が大きかった日本米、栄養価の高い大豆や換金作物としての茶などに広げていった。成功体験を重ねることで、現地の人たちからの信頼が高まり、活動も円滑に進むようになっていった。水路周辺には内戦で避難していた人たちが戻り、集落もできていった。
 職員を支えたのは飢餓と闘う決意と、アフガンの人々の温かさだった。「寂しいだろう」と手作りの伝統楽器で民謡を披露してくれたり、自分たちの食事を減らしてまでもてなしてくれたり。そんな心の交流も紹介している。
 伊藤さんの事件が発生し、日本人職員は現地代表の中村哲医師(63)を遺して全員帰国した。本では、日本人職員撤退後の09年2月に現地の農家からかかってきた国際電話が紹介されている。
「日本米の新米は中村先生のところに届けた。サツマイモもお茶にあう甘い芋がとれた。この冬のサツマイモの保存も去年やった通りに管理している。(中略)大丈夫だ。農業計画はちゃんと前進させているぞ」

  • 401頁 A5判並製
  • 978-4-88344-184-6
  • 定価:本体価格2500円+税
  • 2010/03/01発行
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アフガニスタンの大地とともに
zeikomi
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アフガニスタンの大地とともに

「現地に行かなければ何も始まらない」


アフガニスタンの農業復興を夢みながら、08年8月、志半ばで凶弾に斃れた1青年の遺した深き心。彼と行動を共にした日本人ワーカーによる追悼文と多数の写真で綴る遺稿・追悼集

書評

〝菜の花畑の笑顔〟が広がる世界へ

古居みずえ
ジャーナリスト

「アフガニスタンを元の緑豊かな国に戻したい。子どもたちが将来食べ物に不自由しないようにしたい」。そう志した日本の若者、伊藤和也さんが、武装グループに殺された事件はまだ記憶に新しい。
 伊藤さんの参加していたペシャワール会は中村哲医師(現地代表)を中心にアフガニスタンの村々で水源確保事業のための井戸掘削作業など、長年地元に根付いて支援活動をしているNGOの団体だ。
 本書は伊藤さんの書き残した会報と会の仲間たちのメッセージで構成され、彼のひたむきな姿が伝わってくる。伊藤さんは二〇〇三年、会の活動に参加し、五年間アフガニスタンの大地で働いてきた。私自身、パレスチナという所へ二十数年通い続けている。NGOとジャーナリストという違いはあるが、いずれも現地の人たちとの信頼関係がなければ成り立たない仕事だ。
 しかも伊藤さんたちの仕事は、人々の生活に直接、関係するだけにもっと厳しい現実があったと思う。そんな中で「僕に何かあったら、アフガニスタンにこの身を埋めてくれ」とご家族にも話すほどの志を持ち、活動を続けていた伊藤さんが、三十一歳の若さで凶弾に倒れたことは無念としかいいようがない。
 救われるのは仲間の人たちの「伊藤さんが描いていた未来をあきらめないこと、伊藤さんが(写真に)残した菜の花畑の女の子のような笑顔が広がる世界を作っていく努力を続けること」という言葉だ。
 伊藤さんが危険で、地道な仕事を続けることができたのは、何よりもアフガニスタンが好きで、アフガニスタンの人々、特に子どもたちを愛していたからにほかならないと思う。彼の生き方は、国際支援とは本来どうあるべきか、日本にいる私たちはどう生きるべきかということをあらためて考えさせてくれる。

農業復興にかけた一生を凝縮

鎌田 慧
ルポライター

 アフガニスタンで誘拐され、殺害された若きNGOスタッフの遺稿と追悼文を集めた一冊。
 伊藤和也さんは、三十一歳で無念の死を遂げたのだが、中学生当時すでに「将来農業関係の仕事をしたい」と書いていた。その志を戦乱で疲弊したアフガニスタンの農業復興にかけた、短い、しかし充実した一生がこの本に凝縮されてある。
 彼の死が報じられたあと、彼が撮ったアフガンの子どもたちの笑顔が新聞に掲載されていた。そのまっすぐな、信頼しきった眼差しをみて、わたしは彼の仕事が、アフガンの大地に根付いているのを感じさせられた。
 それらの写真が、この本のカラーグラビアになっていて、伊藤さんが荒れ地に育てた、豊かな実りを確認できる。
「子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になればと考えています」
 この控えめな言葉は、彼がNGOペシャワール会に参加したときの志望動機だった。その中断させられた夢をささえるかのような、彼とともに働いたひとたちの悲しみと痛みのこもった文章がこころを打つ。
 世界のあっちこっちで、自己犠牲的に働いている伊藤さんのような若いスタッフと、わたしは旅先で出会って、心強い思いをしてきた。そのなかでも彼がユニークなのは、農業という専門技術で、ひとつの国の復興に役立ってきたことである。
 たとえば、収穫量の多い日本米の栽培を成功させ、その脱穀のために図面を見ながら「千歯こき」を試作し、現地の人たちの労力を軽減させた。作物を植え、育てるというたしかな営みが、彼の死後もアフガンの大地に残され、その遺志が子どもたちに受け継がれる。
 息子の不慮の死を受け入れている両親の文章もいい。父親は「アフガニスタンを憎んでおりません。恨んでおりません」と書いている。

  • 263頁 A5判並製
  • 978-4-88344-172-3
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2009/04/10発行
阿蘇グリーンストック 農と生命の危機のなかで 佐藤誠 石風社 農業 立松和平 富樫貞夫 竹熊宜孝 山口力男 無農薬 有機農法
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阿蘇グリーンストック
zeikomi
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阿蘇グリーンストック

ポスト・バブルの生活──高度消費文明の果てに農と生命が危機に瀕している。無農薬や有機農法の作物を、エゴイスティックに求める時代も終わった。生産者と消費者の対立を超えて、共に新しい生活価値を生み出そうとする試みがはじまろうとしている。【立松和平氏推薦】「昔も今も大切なのは、命の源を失わないことです。命の源とは、水であり、水を生む緑であります。当たり前のことを改めていわねばならないのが、私たちの時代なのではないでしょうか。心ある人たちがこうして集まってきたのが、心強いことです。」

  • 223頁 四六判並製
  • 定価:本体価格1262円+税
  • 1993/09/30発行
アジア回廊 甲斐大策 甲斐巳八郎 満洲 アフガニスタン アフガン 石風社 中国 絵画 水墨画
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アジア回廊
zeikomi
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アジア回廊

満洲──アフガニスタン。茫茫たる中国大陸に生きる中国民衆の強靭な生を畏れとともに描いた巳八郎。深々としたアフガンの人と風土に魅入られ、その深奥を描かんと彷徨する大策。強烈な個性をもつ画家父子によるアジア回廊巡り。

書評

アフガンに見る人間の魂

小林清人
読売新聞文化部

〈パシュトゥンってどんな人たちだ?
「おれがパシュトゥンじゃないか。つまりアフガンだ。あんたはよく知ってるじゃないか」〉
 福岡市の石風社から出た「アジア回廊」は、父は戦前の中国を、息子は戦後のアフガニスタンを中心にアジア大陸を放浪した九州出身のともに絵かきの親子がこれまでに新聞や雑誌などに発表した文章を集めている。約250ページのほぼ前半分が息子の大策氏に、後半分が父巳八郎氏に充てられ、二人の絵画作品の図版も豊富だ。
 冒頭に引用した部分は大策氏とアフガンの〈兄弟〉ハジとのやりとりだが、「おれがアフガンだ」というきっぱりとした答え方が新鮮に感じられる。このように明快に確固とした自己確認のできる日本人は少ないのではないか。「殺すか兄弟になるか」の選択を迫られるのが、「血を支払い合う中で人間の心を知ってきた」アフガンの人々の人間関係だという。人々の魂は単純で、深い。
「毎年十万人失っても、今百二十万人戦える者がいるから十年はもつだろう。その間に子供達が育って、新たな百二十万人が出てくるよ」
アフガン戦争下でのこの長老の言葉にも圧倒される。人々は長大な時空の中で生きている。ここでの生活の美しさは「悠久の時間をぬって多くの民族と文化が交流し破壊し、そのつど、ほんの少しずつ厳選された美が残り、人々の生活にキラキラとちりばめられていった」ようなものとしてある。音楽もまた「民族興亡の数千年が練り上げた旋律」なのだ。
 ペシャワールでは、「毎夜、仇討ちのために、少なくとも二人以上の死人がでる」。ハジがみずから描き出すように彼らは「正直で、ウソつきで、盗っ人で人殺し」だが、日本人の〝兄弟〟を見送るために十時間をバスに揺られ、別れ際には「涙を浮かべ力いっぱい私を抱きしめ」るような人間でもある。
「泥と血の匂いとともに、無限の優しさを漂わせる」人々は、異国趣味で眺める分には尽きない魅力をたたえて見えるが、隣人として付き合うとなると、どうだろう。現代文明が失ってしまった何かに郷愁を感じてばかりもいられなくなるはずである。
 彼らの生活態度がさし示すももを「西欧近代の知と思考によって解きほぐすのは不可能である」と大策氏も指摘する。私たち日本人の多くにとっても事情は同じだろう。イスラムに改宗し、彼らと〝兄弟〟になったはずの大策氏自身、「結局のところ私は見物人だ」と書く。そうつぶやくしかないような遠い距離が彼らと私たちの間には横たわっているようである。
 巳八郎氏も画家らしい丹念さで人々の暮しを記述している。戦前の日本人で、対等の人間としての目線で中国人を眺めることのできた人はそう多くはないのかもしれない。売春婦や賭博者に向けるまなざしにも、余儀ない人生を生きる人々への共感やいたわりの気持ちが感じられる。

  • A5判並製254頁
  • 4-88344-017-6
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 1996/11/30発行
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