社会– category –
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ヨーロッパを読む
「死者の社会史」から「世間論」まで、ヨーロッパにおける「近代の成立」を鋭く解明しながら、世間的日常と近代的個に分裂して生きる日本知識人の問題に迫る、阿部史学の刺激的エッセンス -
いまどちらを向くべきか
誤解多き医師会に身を置き、希望と諦念に揺れつつ、地域医療のために悪戦苦闘する一民間病院長の二十年の軌跡と提言──仕事の本質を見失う前に、医者が医者であり続けるために。 -
空爆と「復興」
「カネがなくても生きていけるが、雪がなくては生きてゆけない」。現地のことわざどおり、アフガニスタンは自給自足の山の国である(中村哲)。 9.11勃発から900日、NGO活動最前線の舞台裏。破壊と欲望が、復興と利権が野合するアフガニスタンの地で、日本人医師と青年達が空爆下の配給から用水路建設まで、修羅の舞台裏で記した4年間の実録。(9.11直後から03年末まで二百余通のeメールを収録) -
生命の風物語
苛烈なアフガニスタンの大地に生きる人々、生と死、神と人が灼熱に融和する世界を描き切る神話的短編小説集。「読者はこの短編小説集に興奮する私をわかってくれるだろうか」(中上健次氏) -
アフガニスタンの大地とともに
アフガニスタンの農業復興を夢みながら、08年8月、志半ばで凶弾に斃れた1青年の遺した深き心。彼と行動を共にした日本人ワーカーによる追悼文と多数の写真で綴る遺稿・追悼集 -
仙厓百話
扶桑最初善窟「聖福寺」の仙厓さんは、美濃のお生まれ、八十八歳までの五十年を博多でくらした高徳奇行のお坊さま。仙厓さんの嫌いなものは、俗物・成金・侍で、子供や貧乏庶民には心底温かい、軽妙洒脱で粋な方。軽妙辛辣な逸話の宝庫! -
日本人が見た’30年代のアフガン
1935年(昭和10年)、熱砂のアフガニスタンで農業指導に奔走した日本人がいた。一人の明治人とその妻が、苛酷な日常を通じて異文化と真摯に向き合い、日々の生活と内面の葛藤を綴った貴重な記録。写真多数。 -
左官礼讃 Ⅱ
私達は戦後、眼に見える〈物〉を大切にするばかり、それらの〈物〉を生みだす眼にみえない過程(プロセス)をないがしろにすることで、成果や結果だけを求める拝物主義、拝金主義に陥ってしまった。職人の技術は、眼にみえないプロセスであり、身体とともにある眼にみえないフォルム(形)である。……(本文より) 懐かしい風景と、未来の風景のため。 〈泥の壁は美しい夢を見る──〉 -
左官礼讃
専門誌「左官教室」の編集長が綴る土壁と職人技へのオマージュ。左官という仕事への愛着と誇り、土と水と風が織りなす土壁の美しさとともに、打ちっ放しコンクリートに代表される殺伐たる現代文明への批判、そして潤いの文明へ向けての深い洞察を綴る -
少年時代
米国ディープサウス(深南部)の小さな町。人種差別と大恐慌の時代。家族の愛に抱かれたピーナッツ農園の少年が、黒人小作農や大地の深い愛情に育まれつつ、その子供たちと共にたくましく成長する。 ──このアメリカには「希望」があった──