» 石風社HOMEへ19
Jan |
もてなしの唐人町 2005年8月某日
Posted by 石風社
|
こざっぱりした福岡が嫌いだ。歴史はあるのにデカイお城もなければ古い町並みも殆ど残っていない。お寺も禅寺が中心で何となく地味だ。よそから客人が来ると、毎度どこに連れていこうかと頭を悩ます。確かにどんたくも山笠もあるのだが、年中やってるわけじゃない。仮に一月に来た客に「あれが博多名物のごりょんさんですたい」と指差してみてもただの道行くオバサンである。およそラーメンと刺身を食らわせ、焼酎で潰して終わりというのが、今ふうの福岡の「もてなし」ということになろうか。
だが歴史を繙けば、中国から坊主が、朝鮮から通信使が、江戸から幕府の使節が来るわで、結構大わらわだったのである。特に渡来の人々は福岡を含め九州各地に現地妻を娶って居着き、「唐人町」の名を残している。
そんな福岡の歴史的な「もてなし」のありようと九州の「唐人町」について、近く小社から発行する雑誌『海路』第二号で特集する。この雑誌、博多町人史研究で知られる武野要子氏の主宰で、目からウロコの一二〇〇円、お買い得である。
だが歴史を繙けば、中国から坊主が、朝鮮から通信使が、江戸から幕府の使節が来るわで、結構大わらわだったのである。特に渡来の人々は福岡を含め九州各地に現地妻を娶って居着き、「唐人町」の名を残している。
そんな福岡の歴史的な「もてなし」のありようと九州の「唐人町」について、近く小社から発行する雑誌『海路』第二号で特集する。この雑誌、博多町人史研究で知られる武野要子氏の主宰で、目からウロコの一二〇〇円、お買い得である。



