最新のニュース
  • 1960年代からアフガニスタンに通い続ける異能の画家・甲斐大策さんの個展が昨年に引き続き福岡市で開催されます。
    今回は「ペシャワール会」の2012年カレンダー原画を中心に、ガラス絵、泥絵、水墨など、
    さまざまな技法による近作や過去の大作なども並びます。お近くにお越しの際はぜひお立ち寄り下さい。

    ◎甲斐大策作品展「天・地・信」

     会期)2012年2月7日(火)〜2月19日(日) 11:00〜19:00
        ※2月13日(月)休廊、最終日は17:00まで
     会場)村岡屋ギャラリー(福岡市中央区天神2-8-237。新天町南通り)
        電話092-711-1187


    【甲斐大策(かい・だいさく)】

    画家・作家。1937年、中国大連市生まれ。早稲田大学文学部卒業。
    青年期より民族音楽・楽器の制作・演奏に親しむ。1969年以降、今日までアフガニスタンとその周辺に通い続ける。対ソ戦、内乱期にはムジャヒディン・グループに加わり、地雷探索等に従事、現地アフガンとの親交を深め、イスラムに入信。主にアフガニスタン・パキスタンやアジア内陸を題材に、油彩・ガラス絵等、全絵画表現を水墨画へ収斂せんと努める。イッセイ・ミヤケ、コムデギャルソンのショーにも出演し脚光を浴びる。一方、1988年より文筆活動を開始、その文学的個性は五木寛之氏、中上健次氏らの絶賛を浴びる。著書に『ペシャーワルの猫』(トレヴィル)、『生命の風物語』『シャリマール』『神・泥・人』『餃子ロード』『アジア回廊』(父巳八郎と共著)『聖愚者の物語』(以上石風社)がある。

  • 1/27(木)からの3日間、神戸・大阪・京都の書店をまわってきました。
    昨年末と同様、あいかわらず好調の『医者は現場でどう考えるか』(J・グループマン/美沢惠子訳)を筆頭に、続々と書評が出始めた『世間遺産放浪記 俗世間篇』(藤田洋三)『細部にやどる夢』(渡辺京二)『火の話』(黒田征太郎)等の継続販売をお願いしてきたほか、配本をしていない『北欧やすらぎ散歩』(絵・文ティンドラ・ドロッペ)を扱って下さるお店をいくつか開拓してきました。
    最初に訪れた大阪・梅田では紀伊國屋書店梅田本店さんの相変わらずの混雑ぶりに圧倒されましたが、一昨年オープンした丸善&ジュンク堂書店梅田店さんを初めて訪れたほか、かの有名な京都のガケ書房さん、心斎橋のアセンスさん、そして「書店員ナイト」発祥の地であるcalo book shopさんなどにもにお邪魔し、大小/硬軟織り交ぜた充実の営業ツアー(?)となりました。さらに、最終日に伺ったジュンク堂書店大阪本店さんでは『医者は現場でどう考えるか』が「一般向けの医学書では去年一番売れました!」との嬉しいお言葉を頂きました。
    ざっくばらんな印象ではありますが、関西の書店はやはり「地力」がありました。新刊書店では関西の読者を意識した書棚づくりが印象的で、特に大阪・京都は周辺に古書(店)が点在し、うらやましい限り。歴史の厚みが違います。当然、読者の裾野も広いのだと思いますし、選書眼も肥やされているのではないでしょうか。
    単にわが社の「営業」という以上に、書物を支える文化や土壌を考える上でも有意義な3日間でした。

  • 1/6(金)から1/15(日)まで、宮崎・西都市の92歳の画家・弥勒祐徳(みろく・すけのり)さんの個展が福岡市中央区、新天町南通りにある村岡屋ギャラリーにて開催中されています。

    弥勒さんは長年、西都市の美術科教員を務めながら、宮崎各地の「神楽」を初め、桜や山などの自然、そして長く宮崎に滞在した江戸時代の仏僧・木喰の残した仏像などをライフワークとして描いてきました。

    また82歳から88歳までの6年間は、寝たきりの植物状態となった奥さまの介護を自宅で行い、その寝顔を毎日、描き続けました。

    その人柄と画業の功績により、西都市民栄誉賞(05年)、西日本文化賞(08年)を受賞されています。

    奥さまは残念ながら4年前に他界されましたが、その後もおう盛な創作活動を続け、色彩と画風がますます明るく、より躍動的になっています。

    ぜひお出かけください。

     

    弥勒祐徳(みろく・すけのり)

     

    画家。1919年宮崎県西都市に生まれる。1938年西都市立寒川小学校代用教員となる。1940年、応召。中国東北部、南方戦線に従軍。1944年招集会場。、三納青年学校助教諭となり、以後59歳まで宮崎県内各地の中学校で図工科の教員として教壇にたち。
    1955年、宮崎県美展に初入選。1960年、宮崎県美展で知事賞受賞。1976年には文部大臣賞、さらに宮日総合美術展で県知事賞を受け、無審査となる。1978年には北海道にスケッチ旅行、長年の主題の一つである「木喰仏」を訪ねる。
    1989年文部省の地域文化功労賞、2003年西都市民栄誉賞、2008年西日本文化賞を受賞。2005-07年には宮崎県美展で特選、大賞、特選を連続して受賞。
    現在も西都市に在住。個展回数は400回を超える。
    著書に『西都風土記』『曼陀羅の記』『神楽を描く』『木喰は生きている』(以上、鉱脈社)絵本『木喰さん』『語れぬ妻へ──八十八歳の画家が描いた在宅介護の千八百日』(石風社)をはじめ『絵に生きる』(私家版)など多数。
    また評伝に『小伝・弥勒先生』(井口幸久)『民俗画家弥勒祐徳』(福富健男)がある。

     

  • 12月21日(水)〜28日(水)まで、福岡市中央区のギャラリーBIN(中央区赤坂2-6-270-5 バスコ赤坂店 2F。護国神社そば)にて甲斐大策さんの作品展が開催中です。ペシャワール会の2012年カレンダーの原画を中心に、水墨、ペン画など、日を追うごとに作品が増えています。ぜひ足をお運び下さい!

     

       

  • 久しぶりに東京の書店さんを廻り、好調の『医者は現場でどう考えるか』(ジェローム・グループマン・著/村田惠子・訳)が店頭でどういう風に売れているのか、担当者さんから現状をうかがってきました。
    新宿を代表するK書店では医学書のコーナーで計5ヶ所、さらに1階の話題書コーナーでも展開して頂いており、1日10冊というものすごいペースで売れているそうです。同じ新宿のK書店の系列店でも同様で、「ロングで売れそう。よほどのことがない限り積み続ける」という嬉しいコメントを頂きました。また神保町の大型書店S堂では「朝日新聞の書評以後、たいへん好調だが、最近は医者の卵と思わしき若いお客さんが次々と購入している」(担当者さん談)とのこと。さらに四谷駅構内の小さなお店では、6冊ほど積んでみたところ、すでに5冊が売れたとのことで、読者層がじわじわと広がっているようです。ありがたいことです。

    また今回の訪問では新刊『細部にやどる夢』(渡辺京二・著)と『火の話』(作・黒田征太郎)をしっかり売っていただくようお願いし、さらに近刊『世間遺産放浪記 俗世間篇』(藤田洋三・著)と『北欧やすらぎ散歩 スケッチで歩くデンマーク』(絵・文 ティンドラ・ドロッペ)の案内もしてきました。

    どこの書店も、クリスマスを目前にたいへんな盛況ぶりで、お声をかけづらかったのですが、売れ行き好調な本があったこともあり、歓迎していただきました。

    潜在的な読者層を掘り起こしつつ、ロングセラーへと成長させるにはどうすればいいのか、課題も見えた3日間の旅でした。

最新の書評
  • 編集委員
    松垣 透

    考えさせられる幸せの基準

    松垣 透
    編集委員

     最近、幸せの気分について考えることがある。格差社会だの、派遣切りといった言葉が溢れ、正しい自身の立ち位置を見失いかけているのではないかと思う。そうしたときにこの本に出会った。
     そのタイトルの「雑草」という言葉にまずひかれて、手にとって読み始めた。内容は本の装丁通り武骨で、何気ない日々の生活を書いているのだが、これがいいのだ。鶏を飼い、野菜を作るという素人農法で、「ロビンソンの日々」の毎日。自分たちの食べるものをつくり、採取し、拾い、貰う。現金収入は基本的には卵を売ることで得るが、それはごくわずかな金額でしかない。周囲からは綱渡りの極貧生活と見られていたかもしれない、と書く。その通りだろう。
    「世間体などを一切気にしなければなんとかなるものだ」と、小屋のような家まで建てた。そうした生活を文章で表現している。自身のことを書くときの素直な表現もいい。素直に反省もしているのもかわいい。子供たちとの会話もいい。子供たちとの接し方もいい。なかでも妻の素直な文章がいい。手作りの家を台風に飛ばされながら、そのトタン屋根を修理する様子など、目に浮かんでくる。ユーモアもあるから、ただ苦しくて悲惨な生活には見えない。餅をネズミに持っていかれ、それを見つけて取り返すくだりは笑った。
     家族についても考えさせられる。子供たちが成長して、自分の将来の進む道を決めるときに、その「教育」が正しかったこと、両親の教えをきちんと理解していたことが分かる。それぞれの進む道はそれぞれでしっかりと選んでいる。
     幸せの基準について考えさせられたのは、何もないのにここでは豊かなのだ。お金ではないことは分かっていても、そのことにこの本を前に、厳しく気付かされる。今の世のなか、何が幸せで、何が必要で、何がいらないのか。この本ではそんなことを考えさせられ、自分の将来を見つめ直すきっかけにもなった。

     最近、幸せの気分について考えることがある。格差社会だの、派遣切りといった言葉が溢れ、正しい自身の立ち位置を見失いかけているのではないかと思う。そうしたときにこの本に出会った。  そのタイトルの「雑草」という言葉にまずひかれて、手にとって読み始めた。内容は本の装丁通り武骨で、何気ない日々の生活を書いているのだが、これがいいのだ。鶏を飼い、野菜を作るという素人農法で、「ロビンソンの日々」の毎日。自分たちの食べるものをつくり、採取し、拾い、貰う。現金収入は基本的には卵を売ることで得るが、それはごく… 全文を見る
    169-150x219
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  • エッセイスト
    瀬尾真志

    泥の壁は美しい夢をみる

    瀬尾真志
    エッセイスト

     黒銀杏。切大葉。本海苔。仙台。晒海藻。アラビアゴム粉末。三千本膠。極上稀飛切一本生濱。純白特雪生濱。改良白生濱。油苆。雪晒硝赤。硝赤ツタ。本生麻。カナリヤ。朱赤間石。大磯。国華石。熊野那智。茶根岸。松サビ。九條土。耐水プラスター。秋田産アスファルト。土佐水化純白粉灰。鹿児島産純良仲貝灰。……ナグラ、言葉の大群だ。素材性、季節感、時代性、地方色、国際色、化学……いろいろな世界とのつながりを感じる。出典は左官材料カタログ集『境屋商報』だ。発行元の酒井茂平衛商店は江戸時代から浅草蔵前橋に店を構えていた老舗の左官材料店だった。埼玉の本庄市の店じまいした建材屋の棚の奥からこの小冊子が見つかり、巡り巡って著者の手元へたどり着いた。本書の中で「昭和十三年の左官材料」という随想で紹介されている。
     本書は、土の文化誌・月刊「左官教室」を中心に、月刊「さかん」、「チルチンびと」季刊「東北学」、季刊「銀花」などに書いた文章を集めたものだ。土のあるくらしを愛する多くの人々の期待に、福岡の出版社が応えた。2001年に一巻目、このたび待望の続編が上梓された。著者が生まれてから、子ども時代、学生時代、社会人……未来のはなしが綴られている。編集者のセンスがいい。記憶、音、風景、人、巡のテーマで新たな文章群が生まれ、鮮やかな作品となった。夜に、田舎の少年時代をおもう。コンクリートがいっぱいの風景を嘆く。著者の風景論がおもしろい。「風景は私のむこうにあるものではなくて私の内にも外にもあって私を包んでいるもの。私が生まれる前にもあって、私の死の後にもあるもの。私たちがデザインしたりつくったりできないなにか。かつて魂と呼ばれたものの全てではなかろうか」
     心洗われるフレーズがある。「西行する」という言葉だ。左官の世界では知られた言葉だという。著者の随想や詩文の中で、肌身に染みる言葉となってひときわ輝きを増している。「西行するとは、鏝一本持って仕事を求め諸国を旅することである。それは、左官にとっては修行の旅であり、地方地方のその土地の材料や仕事を学んだり、すぐれた技能を持った職人の仕事を習ったり、一緒に仕事をしながらそれを盗み取る旅でもある。流れ流れてその土地土地の左官の親方のところにワラジをぬぎ、みずからの腕を売りこみ、助っ人として長逗留したり、一宿一飯の恩義で旅銭をもらって次へと旅立っていくといった風である」
     著者は、左官専門誌編集者と紹介される。広い視野で今を敏感に生き、左官の現場にひたすら通う。取材を通して、職人と語り、土を触り、壁を撫で、現場で文を書く。カメラを構える。左官ジャーナリストである。まさに、現代を凝視する泥のジャーナリストだ。風景とは何か、歓待とは何か、世界を見つめている詩人である。本書は左官風土記、左官歳時記のような書物である。22世紀に伝えたい本である。詩人は旅をし続ける。
     今、左官の技が見直されている。丸の内のカフェに泥壁画がある。銀座の書店に大津磨きの壁が見られる。有楽町の酒肆で竃がシンボルになっている。日比谷の最高級ホテルのロビーに土壁が使われた。左官という仕事、左官職人という生き様が注目されている。本書は、左官の世界を広く知るための格好の基本書であろう。

     黒銀杏。切大葉。本海苔。仙台。晒海藻。アラビアゴム粉末。三千本膠。極上稀飛切一本生濱。純白特雪生濱。改良白生濱。油苆。雪晒硝赤。硝赤ツタ。本生麻。カナリヤ。朱赤間石。大磯。国華石。熊野那智。茶根岸。松サビ。九條土。耐水プラスター。秋田産アスファルト。土佐水化純白粉灰。鹿児島産純良仲貝灰。……ナグラ、言葉の大群だ。素材性、季節感、時代性、地方色、国際色、化学……いろいろな世界とのつながりを感じる。出典は左官材料カタログ集『境屋商報』だ。発行元の酒井茂平衛商店は江戸時代から浅草蔵前橋に店を構えてい… 全文を見る
    左官礼讃 小林澄夫 鏝 漆喰 左官 小林 澄夫 藤田 洋三 壁 日本 庭 建築 写真 泥 風景 職人 技 バイブル
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  • 詩人
    伊藤比呂美

    「まじない」の力 全開

    伊藤比呂美
    詩人

     石牟礼道子さんの書くものは、日本語のたましいの熱に触れるといつも思っていました。水や草や泥などというものの持つ熱にいつも触れつくと。
     これは詩集です。長い小説にくらべれば、詩とは、ささやかな、雨夜に独り言をつぶやくような、ごはんを作ったり洗濯したりするような表現です。その中でこそ、かもしれない。たましいの熱は発揮され、詩のことばは、生き物のように呼吸をはじめ、日常の生活の、食べたい、愛したいという欲望と同じように、わたしの中になんともたやすくはいりこんできました。
    〈花がひらく/赤ちゃんが死ぬ/肉汁(しちゅう)の匂いのこぼれる扉をひらく〉
     詩は読みにくいと、よく言われます。詩はどうもわかりませんと。どうして人がそう言うのかわたしにはわかる。行から行に、詩人の意識が飛んでいってしまうからです。人が、それなしではいられないと思っている論理のみちすじをすっ飛ばし、感情をむき出しにして、定型詩ではないから、詩人の個人的なものであるべきリズムにのって、うみだされてくるわけです。つまり詩を読むというのは、他人の生理を取り入れるような作業であります。
    〈乳頭にちらつくのは/雪の気配のようであるが/わたしはもう/ねむくてたまらない〉
     詩の読み方を教えましょう。まず、この本を手にとってはじめから読みとおすのです。わかるわからない、のれるのれないは別にして、読みとおす。それから本を閉じてしばらく置く。そしてまた開くのです。こんどはページをめくり、なんとなく探し物をする心持ちで、ぼんやりとことばを見つめておりますご、あなたが探し物を見つける以前に、ことばは向こうからあなたを探しあてて、吸いついてきます。吸いつかれたら、そのことばを手にとってよくながめる。こうしてわたしはこの詩集を読みましたし、ここに引用していることばたちが、わたしに吸いついてきました。
    〈めめんちょろの/野蚕さんになって/這うて漂浪くのが/役目でございます〉
     詩っていうのは、論理なんてどうでもいいのです。もしかしたら人に伝えることすら、どうでもいいかもしれません。ただ、詩人はことばがいとおしくてたまらないのです。ことばをつぶやいていたい、ことばを手の中に入れてなで回していたい、そういう欲望が、詩を書く人の中にはあるのです。でもそれだけじゃありません。
    〈蛙のあしをひき裂くように/じぶんの愛をひき裂いてしまったので/もうなんにも生まれ替わることはできません〉
     詩の原型は「まじない」です。人の心やもののけにつたわり、それを動かし、いやし、あるいはのろう。それが太古からの詩の役割であったはずなんです。現代詩という世界はそれを忘れかけていましたけど、石牟礼さんはけっして忘れていない。むしろ詩のかたちで、本来の力を全開大にひらききったようだ。
    〈こなれない胃液は天明の飢饉ゆづりだから/ざくろよりかなしい息子をたえられない〉
     こなれない胃液や天明の飢饉ゆづりについてい、たぶん、石牟礼さんの持っているイメージとは違うものをわたしは持ったまま、何年もたち、いつか、どこかで、何かを思いわずらっているときに、ふと、「ざくろよりかなしい息子をたべられない」と口ずさむときが来るような気がしてなりません。それがおそらく、詩が読まれるという行為が完結するときです。

     石牟礼道子さんの書くものは、日本語のたましいの熱に触れるといつも思っていました。水や草や泥などというものの持つ熱にいつも触れつくと。  これは詩集です。長い小説にくらべれば、詩とは、ささやかな、雨夜に独り言をつぶやくような、ごはんを作ったり洗濯したりするような表現です。その中でこそ、かもしれない。たましいの熱は発揮され、詩のことばは、生き物のように呼吸をはじめ、日常の生活の、食べたい、愛したいという欲望と同じように、わたしの中になんともたやすくはいりこんできました。 〈花がひらく/赤ちゃんが死… 全文を見る
    はにかみの国 石牟礼道子全詩集 石風社 はにかみ 石牟礼道子 詩集 水俣 苦海浄土
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  • 元熊本近代文学館長
    久野啓介

    苛酷な体験から明澄な世界へ

    久野啓介
    元熊本近代文学館長

     第2次大戦中に国策として推し進められた満蒙開拓青少年義勇軍に、高等小学校を出たばかりの15歳で志願し、さらに17歳で関東軍に志願入隊、敗戦と同時にソ連の捕虜となり、4年間のシベリア抑留。帰国後、画家となり、「死者のために」シリーズなど鎮魂と反戦の絵を描き続けてきた著者が、折りにふれて新聞・雑誌に書いた120編のエッセーを集めたものである。
    「満州・シベリアの七年」と副題されているが、「その七年が私の青春の総てであった。人はそれを苦難の歳月とも云うが、私にしてみれば濃密な学びの場であり、己れを視つめ、確かめることのできた得難い日々としても忘れることはない」と「あとがき」に書くところに、並みの人ではない著者のしたたかな資質をうかがい知ることができる。
     また帰国から50年後、中国東北部を再訪して見たものが、熱烈歓迎とは裏腹に、「植民地満州の時代の日本人(軍)の所業であり、まぎれもなく浮かぶ東洋鬼(トンヤンクイ)の姿は、否定しようもなかった」(『シベリア再び』)と、かつて加害者側の尖兵であった自分を見つめることにやぶさかでないことも、特記しておかねばならないだろう。
     そして民族間の加害と被害、収容所煉獄の苦難と学び、異郷と故郷など、幾重にも錯綜した苛酷な体験の末に、著者がたどり着いた境地は、意外と明澄な世界であったようだ。例えば「ツワの花」と題する掌編がある。 
     ツワの花の季節に、研ぎ屋の老夫婦がやって来る。鋸(のこぎり)の目立てを頼むと、元は大工だったという老人は、確かな手つきでやすりを動かしながら、「齢をとると、高い所がいけまっせんけんなあ……」などと言う。普通なら楽隠居のはずなのに、身につけた手仕事で二人が支えあって生きる姿には、老いの哀愁があった。ひと仕事終えた二人は、淹れた茶を飲み、振りだした雨の中を、寄り添って帰って行く。
     それだけの話だが、書き手の目線の低さとデッサン力の確かさで、静かな感動がじんわりと胸にしみた。滋味あふれる一文である。

     第2次大戦中に国策として推し進められた満蒙開拓青少年義勇軍に、高等小学校を出たばかりの15歳で志願し、さらに17歳で関東軍に志願入隊、敗戦と同時にソ連の捕虜となり、4年間のシベリア抑留。帰国後、画家となり、「死者のために」シリーズなど鎮魂と反戦の絵を描き続けてきた著者が、折りにふれて新聞・雑誌に書いた120編のエッセーを集めたものである。 「満州・シベリアの七年」と副題されているが、「その七年が私の青春の総てであった。人はそれを苦難の歳月とも云うが、私にしてみれば濃密な学びの場であり、己れを視… 全文を見る
    十五歳の義勇軍 満州・シベリアの七年 宮崎静夫 石風社 十五歳 戦争 満州 シベリア 抑留 満蒙 義勇軍 開拓 中国 美術 宮崎 静夫 海老原 喜之助 ドラム缶 死者 西日本文化賞 みゆき画廊 俘虜
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  • 中国文学者
    高島俊男

    「人生、遊びが最も大切でございます」

    高島俊男
    中国文学者

     このおばさん、年は六十、夫君は十五年前になくなって現在「未亡人」、娘が二人あっていずれもアメリカ在住、ハーフ孫が一人。
     御当人は九州福岡でひとりぐらし、職業は大学の地質学の先生。陽気で、爽快で、純情。遊ぶのが大好きで、釣り、水泳、ピアノ、絵を楽しみ(どれもウデは大したことない)、ドームへ出かけてダイエーを応援する。加えて痛快で元気のよい文章を書く。大学教師なんかさせておくのはまことにもったいない才媛(?)である。
     誰しも考えることは同じと見えて、地元の新聞がこのおばさんに目をつけ、連載エッセイを書かせた。それを二年分まとめたのがこの本である。
     まず、自己紹介部分をご紹介申そう。
     ──〝未亡人〟というものを、私は十五年間やらせていただいとるのでございますが、この〝未亡人〟という言葉は、まっこて意地の悪か言葉でございますな。(……)
     でもねえ、〝未亡人〟になっても、私、寂しくないのでございます。やりたいことが余りにも多いからでございましょうか。〝未亡人〟になってよかったことの一つに、外出の自由がございます。
    「明後日、ジャズ聴きにいかない?」「行く、行く」。ジャズは楽しかったですよ。
     癖になりそー。「絵のモチーフ探しに、パリ行かない?」「行く、行く」。海外旅行はよろしゅうございますよ。命の洗濯出来ましてよ。「明日、釣りに行かない?」「行く、行く」。赤と黒の鯛はまっこて美味しゅうございました。
    〝未亡人〟は亭主の許しをもらうというチェックポイントがありませんので、話が早いのです。即断、即決で、どこへでも出かけて行くことが出来ます。だれに気がねすることなく、やりたいことが何でも出来る〝未亡人〟という地位(?)に、私は今、大変満足しているのでございます。派手な服装をして、バッチリ化粧して、どこまでも遊びにでかけます。人生、遊びが最も大切でございますよ。──
     いいねえ、こういうおばさん。
     でも大学の先生だからそういうことが許されるのよ、という声があるかもしれない。
     そう、おばさんは選手なのだ。ノーテンキな若い娘の遊びとちがって、このおばさんのばあいは、選手の自覚がある。太宰流に言えば、義のために遊んでいる、というおもむきがある。それが、楽しく愉快なこの本に、切実、というスジを一本通しているのだ。
     で、話題は、弱者の観点から、というのが多い。女、その上「未亡人」、というのはまさしく弱者。それを逆手にとるのがおばさんの戦略であるのは上に見た通りである。
     だから、とかく陰気になりがちなセクハラの話もこのおばさんだとおもしろいよ。
     ──私の職場でも、歓迎会や忘年会など、一年に何度か宴会がございます。(……)
     ある日、二次会で、隣りに座っていたうちの若いもんに例のように声、かけたんですわ。「踊ろう」って。
     彼は立ち上がり、私の肩に手を掛け踊り始めたのですが、私の体とは何と一メートルも間隔を空けておるのです。チーク・ダンスにならんのですわ。「もう少し、くっつけ」と私が注文付けましたらね、彼は一言「せんせ、セクハラです」──

     このおばさん、年は六十、夫君は十五年前になくなって現在「未亡人」、娘が二人あっていずれもアメリカ在住、ハーフ孫が一人。  御当人は九州福岡でひとりぐらし、職業は大学の地質学の先生。陽気で、爽快で、純情。遊ぶのが大好きで、釣り、水泳、ピアノ、絵を楽しみ(どれもウデは大したことない)、ドームへ出かけてダイエーを応援する。加えて痛快で元気のよい文章を書く。大学教師なんかさせておくのはまことにもったいない才媛(?)である。  誰しも考えることは同じと見えて、地元の新聞がこのおばさんに目をつけ、連載エッ… 全文を見る
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