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Dec |
弥勒先生のこと
Posted by 石風社 on
04:41 PM / Category : General
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宮崎に行ってきました。熊本との県境にある西米良村・村所(むらしょ)の夜神楽見物です。
この冬一番の寒波で道が心配でしたが、道中なんの障害もなく、夕方4時すぎに無事西米良に到着。
宿に荷物を下ろし、さっそく神楽の会場である村所公民館へ。
われらがミロク画伯もいました。
また会えましたね先生。
先生に会うと、何ともいえない幸せな気もちになります──。
*ミロク先生は90歳を迎えた今年も、夜を徹して100号の作品を制作
わが「石風亭」の常連であったN新聞社I氏から「宮崎にすごい絵描きの爺サマがいる」という話を伺ったのが5年前。その画家は名をミロクといい(何とも神々しいお名前)、88歳の米寿を目前にして100号クラスの大作を次々とモノにしているのだそうな。長く小中学校の美術教員をされていたそうで、この40年、宮崎県内の神楽を描くことをライフワークにしているのだとか。
*先生の「高速画法」(勝手に命名)ではキャンバスがパレットの役割を果たす。つまりパレットであれこれ色を混ぜず、キャンバス上で描きながら色を作っていくのだ
気になって気になって、さっそくその年、I氏に同道して「ミロク先生」こと、弥勒祐徳(みろく・すけのり)さんの住まう西都のお宅へ。
当日はお宅のガレージ兼アトリエでもあるお庭で話を伺い、その後夕飯までごいっしょしてお酒までいただいたのですが、う〜ん。不思議で大らかでユニーク。まったくフツウのおじいちゃんに見えるのですが、とにかく腰が低くて、にこやかで、でも絵のことについて質問すると、一瞬深く何かを考え込むような刹那があって、その途端に破顔一笑、「わしゃ、絵がヘタですからな! ワハハ!!」
外見はまったくフツウの爺さま、いや、これも説明するのが難しいのですが、フツウなんだけど、どこか山の民・マタギのような風格を滲ませている。だけど服はいつも絵の具で汚れたジャージ風(夏はアロハとか)。
そしてとにかく毎日、絵を描く。日課というよりもはや動物的本能とでもいうように、宮崎県内を日々、東奔西走してスケッチにお出かけになる。移動はボンロボロの軽自動車で、おっこちそうなバンパーをガムテープ(!)で補強し、狭い車内に絵の道具をこれでもかと満載して田舎のあぜ道を走る走る。
また、ものすごく筆が速い。10号ぐらいならアッ!という間に出来上がり、ライフワークの神楽を描くにあたっては、極寒の屋外で、一晩徹夜で100号を仕上げてしまわれる。まさに鉄人です。あとで伺ったところによれば、神楽の動きををとらえるには、それなりのスピードで筆を動かすのが大事なんだ、と。それは自然を描いても同様で、木や山、岩の動きをとらえ、その「いのち」を描くのだというようなことをおっしゃるのです。
「弥勒」という姓の由来は仏師を先祖に持つ家系の故なんだそうで、そのせいか、江戸時代の仏僧で90歳すぎまで全国を行脚しながら仏像を彫り続けたという木喰(もくじき)に共感し、ご自身でも巨大な木彫の仏像をたくさん彫っていらっしゃる。また木喰の行脚の足跡を追って北海道まで旅をされたそうで、そのとき描いた仏像のスケッチを魅せてもらいましたが、これもまた膨大な量。「一途」といえば簡単ですが、その一途さがハンパではないのです(これが縁となって昨年、木喰の生涯を描いた絵本『木喰さん』を出版することになります)。

さて、先生のライフワークにはあとひとつ、「桜」があります。
*150号の「桜」。本物の桜の花びらが画面にへばりついている
ミロク先生には画家として長い不遇の時代があり、ご自身でもテーマを探して苦悩された時期がありました。その頃からやはり土俗的・風土的なテーマを追っていらっしゃったのは確かなのですが、その絵の色調はどこか暗く、陰鬱。人のもつ陰陽の陰の部分を徹底的に見つめたようなすごさがあって、ファンも多いのですが、80歳をすぎたころからだんだん絵が明るくなっていきます。その間、「絵が下手だから」と抽象をされていたころ出会った強烈な「蛾」シリーズや「女」シリーズ、「妻線(廃線となった地元の鉄道)」シリーズなど、たくさんの佳作もあるのですが、今やミロク先生といえば「神楽」か「桜」。
*先生の初期の傑作「別離」。村の幼子が交通事故で亡くなったときの通夜の様子だそうだ
*村所神楽の一場面を描いた「うずめの舞」(宮崎県展で特選)
2年ほど前、宮崎の近代絵画史を飾った、瑛久をはじめとする画家100人の絵を一堂に会した展覧会が開催されたことがあるのですが、そこに出品された150号の「桜」はひときわ光彩を放っていました。何といってもスゴいのは絵に本物の桜の花びらがびっしりはりついていること。文字通り桜吹雪のその下で、お得意の高速画法でいっきに仕上げてしまった証しなのです。先生お気に入りの春の西都原公園にお出かけになれば、そこには毎年、巨大なカンバスと格闘する先生の姿が必ずや、あることでしょう。
さて、書き出せばきりがありませんが、ミロク先生の魅力は絵そのものだけではなく、そのお人柄、生き方を含めた、「ミロク先生という形をとった総合芸術」だといっても過言ではありません。そんな「ミロクの魅力」を体感できる展覧会が年明けの1月5日(火)から、市内天神の「村岡屋 新天町ギャラリー」で開催されます。西日本文化賞受賞を記念して行われた今年の新春の個展に続き、福岡では2回目の個展です(ちなみにトータルでは380回目!)。
ぜひぜひぜひ、お越し下さい。


◎弥勒祐徳(みろくすけのり)さんプロフィール
1919年宮崎県西都市出身・在住。90歳。旧制妻中学校卒、代用教員を経て応召、4年半の従軍。復員後、中学校の美術教員となる。60歳で定年退職した後も一貫して宮崎を描き続けて今日に至る。宮崎の神楽、西都原のサクラなどで独自の画境を開き、「宮崎の土俗を描く画家」と呼ばれる。寝たきりとなった妻を7年間自宅で介護しながら毎日スケッチを続け、02年、西都市が市民栄誉賞を贈った。受賞理由は「長年の画業とその生き方」。自治体が個人の生き方を表彰するのは極めて異例だろう。[賞歴等]宮崎県展で入賞多数。宮崎日日新聞社総合美術展で無鑑査、宮崎県文化賞、国の地域文化功労者、08年、西日本文化賞。同年、大腸がん手術で死線をさ迷ったが奇跡的に復活。倍旧する勢いで制作を続ける。
この冬一番の寒波で道が心配でしたが、道中なんの障害もなく、夕方4時すぎに無事西米良に到着。
宿に荷物を下ろし、さっそく神楽の会場である村所公民館へ。
われらがミロク画伯もいました。
また会えましたね先生。
先生に会うと、何ともいえない幸せな気もちになります──。
わが「石風亭」の常連であったN新聞社I氏から「宮崎にすごい絵描きの爺サマがいる」という話を伺ったのが5年前。その画家は名をミロクといい(何とも神々しいお名前)、88歳の米寿を目前にして100号クラスの大作を次々とモノにしているのだそうな。長く小中学校の美術教員をされていたそうで、この40年、宮崎県内の神楽を描くことをライフワークにしているのだとか。
気になって気になって、さっそくその年、I氏に同道して「ミロク先生」こと、弥勒祐徳(みろく・すけのり)さんの住まう西都のお宅へ。
当日はお宅のガレージ兼アトリエでもあるお庭で話を伺い、その後夕飯までごいっしょしてお酒までいただいたのですが、う〜ん。不思議で大らかでユニーク。まったくフツウのおじいちゃんに見えるのですが、とにかく腰が低くて、にこやかで、でも絵のことについて質問すると、一瞬深く何かを考え込むような刹那があって、その途端に破顔一笑、「わしゃ、絵がヘタですからな! ワハハ!!」
外見はまったくフツウの爺さま、いや、これも説明するのが難しいのですが、フツウなんだけど、どこか山の民・マタギのような風格を滲ませている。だけど服はいつも絵の具で汚れたジャージ風(夏はアロハとか)。
そしてとにかく毎日、絵を描く。日課というよりもはや動物的本能とでもいうように、宮崎県内を日々、東奔西走してスケッチにお出かけになる。移動はボンロボロの軽自動車で、おっこちそうなバンパーをガムテープ(!)で補強し、狭い車内に絵の道具をこれでもかと満載して田舎のあぜ道を走る走る。
また、ものすごく筆が速い。10号ぐらいならアッ!という間に出来上がり、ライフワークの神楽を描くにあたっては、極寒の屋外で、一晩徹夜で100号を仕上げてしまわれる。まさに鉄人です。あとで伺ったところによれば、神楽の動きををとらえるには、それなりのスピードで筆を動かすのが大事なんだ、と。それは自然を描いても同様で、木や山、岩の動きをとらえ、その「いのち」を描くのだというようなことをおっしゃるのです。
「弥勒」という姓の由来は仏師を先祖に持つ家系の故なんだそうで、そのせいか、江戸時代の仏僧で90歳すぎまで全国を行脚しながら仏像を彫り続けたという木喰(もくじき)に共感し、ご自身でも巨大な木彫の仏像をたくさん彫っていらっしゃる。また木喰の行脚の足跡を追って北海道まで旅をされたそうで、そのとき描いた仏像のスケッチを魅せてもらいましたが、これもまた膨大な量。「一途」といえば簡単ですが、その一途さがハンパではないのです(これが縁となって昨年、木喰の生涯を描いた絵本『木喰さん』を出版することになります)。
さて、先生のライフワークにはあとひとつ、「桜」があります。
ミロク先生には画家として長い不遇の時代があり、ご自身でもテーマを探して苦悩された時期がありました。その頃からやはり土俗的・風土的なテーマを追っていらっしゃったのは確かなのですが、その絵の色調はどこか暗く、陰鬱。人のもつ陰陽の陰の部分を徹底的に見つめたようなすごさがあって、ファンも多いのですが、80歳をすぎたころからだんだん絵が明るくなっていきます。その間、「絵が下手だから」と抽象をされていたころ出会った強烈な「蛾」シリーズや「女」シリーズ、「妻線(廃線となった地元の鉄道)」シリーズなど、たくさんの佳作もあるのですが、今やミロク先生といえば「神楽」か「桜」。
2年ほど前、宮崎の近代絵画史を飾った、瑛久をはじめとする画家100人の絵を一堂に会した展覧会が開催されたことがあるのですが、そこに出品された150号の「桜」はひときわ光彩を放っていました。何といってもスゴいのは絵に本物の桜の花びらがびっしりはりついていること。文字通り桜吹雪のその下で、お得意の高速画法でいっきに仕上げてしまった証しなのです。先生お気に入りの春の西都原公園にお出かけになれば、そこには毎年、巨大なカンバスと格闘する先生の姿が必ずや、あることでしょう。
さて、書き出せばきりがありませんが、ミロク先生の魅力は絵そのものだけではなく、そのお人柄、生き方を含めた、「ミロク先生という形をとった総合芸術」だといっても過言ではありません。そんな「ミロクの魅力」を体感できる展覧会が年明けの1月5日(火)から、市内天神の「村岡屋 新天町ギャラリー」で開催されます。西日本文化賞受賞を記念して行われた今年の新春の個展に続き、福岡では2回目の個展です(ちなみにトータルでは380回目!)。
ぜひぜひぜひ、お越し下さい。
◎弥勒祐徳(みろくすけのり)さんプロフィール
1919年宮崎県西都市出身・在住。90歳。旧制妻中学校卒、代用教員を経て応召、4年半の従軍。復員後、中学校の美術教員となる。60歳で定年退職した後も一貫して宮崎を描き続けて今日に至る。宮崎の神楽、西都原のサクラなどで独自の画境を開き、「宮崎の土俗を描く画家」と呼ばれる。寝たきりとなった妻を7年間自宅で介護しながら毎日スケッチを続け、02年、西都市が市民栄誉賞を贈った。受賞理由は「長年の画業とその生き方」。自治体が個人の生き方を表彰するのは極めて異例だろう。[賞歴等]宮崎県展で入賞多数。宮崎日日新聞社総合美術展で無鑑査、宮崎県文化賞、国の地域文化功労者、08年、西日本文化賞。同年、大腸がん手術で死線をさ迷ったが奇跡的に復活。倍旧する勢いで制作を続ける。



