安住する故郷を持たぬ旅人

東京大学大学院生 玄武岩(ヒョン ムアン)
「週刊金曜日」2002年12月6日号

「親日」を背負う植民地朝鮮の「文豪」李光洙(イ グァンス)を旅先案内人として、故郷を棄てる旅(『棄郷ノート』)に出た在日三世の姜信子(きょうのぶこ)。今度は「天然の美」という歌を追いかけてロシア沿海州や中央アジアの高麗人社会に辿りついた。この旅も、「国民のふるさととしての『故郷』」を棄てる旅の延長にある。
 唱歌や軍歌が主流であった一〇〇年前の日本に、突如現われたスローワルツの三拍子。それが「天然の美」であった。現在は、ジンタ、サーカスの歌とも呼ばれている。その哀切なメロディーは瞬く間に人びとの心を捕らえ、国内はもとより植民地下の朝鮮半島に広まった。さらに圧制を逃れようとした朝鮮民衆とともに、旧満州や沿海州にまで流れていった。悲しい歌を愛した植民地の民は、日本から渡ってきた「天然の美」の哀切なメロディーに自らの思いを託して詞をつけ、題名をかえて歌ったのである。「故国山川(コグクサンチョン)」もその一つである。
「天然の美」は、その後「高麗人(コリョサラム)」と運命をともにする。高麗人とは一九三七年、スターリンによって沿海州からウズベキスタンやカザフスタンに強制移住させられた朝鮮半島由来の人々である。彼・彼女らがソ連の中で生き延びていくためには、「追放」という来歴を忘れることが必要だった。高麗人は封印した自らの運命に対する思いをそのメロディーに託し、彼の地で歌いつづけたのだ。
 姜はその中央アジアに赴く。そして一人の写真作家に出会う。アン・ビクトル。ウズベキスタン在住の高麗人である。意気投合した二人はそれぞれの記憶のために、写真作家の両親の生まれ故郷であり、高麗人の「故郷」である沿海州を巡る旅に出た。本書はその記憶の語りと生き様の合作品である。
 本書は二つの構成からなる。第一部は、在日韓国人である姜の手による、沿海州に「帰還」した高麗人の記憶の物語。だが作家が以前出した写真集のタイトルは『受取人不明』。自身の撮り続けてきた高麗人の記憶の受け取り人が見つからないという意味を込めているのだ。姜はその封印された記憶を「語る」ことについて、思いを巡らす。そしてこう言う。「今までと同じ枠組みと言葉遣いに寄りかかっている限りは何も語り得ない」。
 第二部は写真作家の目に映った高麗人の素顔である。作家は、高麗人の歴程を強烈なコントラストと粗い粒子の写真に焼き付けるために、ちょっとした細工も惜しんでない。カバーを飾る写真の老人が奏でるヴァイオリンは「消えゆく農村」のレクイエムにも聞こえる。しかしページを一枚捲ると、それは祭りの音であった。記憶の中から希望を見出そうとしている。
 高麗人の写真作家は、旅の終わりにこう叫ぶ。
「俺たちに帰るべき『故郷』なんて実はない」
 姜は写真作家のことばに自分の思いを重ねる。むしろ自分の思いに写真作家のことばを重ねようとしている。写真作家が不在を口にしているのは、記憶の
「受取人」を待つ高麗人の末裔の故郷だ。姜が捨てようとしている、日本で育まれた国民国家という「物語」の末にある「故郷」と、はたして重ねてしまっていいのだろうか。
 高麗人が歌う「天然の美」も、姜が言うように朝鮮半島を経由したものなのか。沿海州のウラジオストクはかつて、さまざまな民俗が溢れた国際都市であった。そこに居住する日本人が伝えた可能性もある。もっと言えば、多民族の「重なりあう領土」である沿海州で発生したと言えなくもない。
 もっとも歌はいざ海を渡ると、その由来や行き場は互いに認知されず、その必要もない。その証拠に「天然の美」は「すでに辺境を生きる高麗人の心にしみついた彼ら高麗人の歌」になっていたからだ。
 本書で浮かび上がるのは、悲壮感ではない。アン・ビクトルが撮り続けた数々の「マドンナ」はむしろ美しい。半身不随の「人形使いソン・セルゲイ」の表情は、自ら作ったユーモラスな人形たちに溶け込んでいる。だが、ソ連崩壊で封印された記憶が解けたのもつかの間、中央アジアはイスラム主義が台頭し、高麗人は第二の追放に直面している。その一部は今、沿海州に戻りつつある。安住する故郷を求めて彷徨う高麗人の旅はまだ続いているのである。
 日本では北朝鮮による拉致の被害者とその家族との再会で持ちきりである。だがすこし目をそらすと、沿海州やサハリンにはいまだに流浪を続ける追放の民が生きている。その追放された民に投じられた日本の影は決して消え去ってはいない。拉致の悲劇がそうした夥しい数の流浪の旅と絡まりあうならば、それは内向きのナショナルな語りに回収されていくだけではない。本書はそのことに気づかせてくれるはずだ。