昨年9月、JR総武線亀戸駅前で、久しぶりにチンドン屋さんを見かけた。お決まりの派手な着物にカツラと厚化粧。だが、チンドン太鼓にゴロスと呼ばれる大太鼓の2人だけで、管楽器演奏をカセットテープで流していた。メンバー不足は、やはり寂しかった。その後、チンドン屋さんには遭遇していない。
 昭和30年代を境に、チンドン業界は衰退の一途をたどってきた。この時代遅れの街頭宣伝業は早晩消滅するはずだ。それが、一般的な見方だろう。だが、本当にそうか? ひょっとしたらチンドン屋はしぶとく生きのびるかもしれないぞ。そう思わせてくれるのが本書である。
 著者は1964年生まれ。彼が福岡市で「アダチ宣伝社」を旗揚げし、チンドン屋の道を歩み始めたのは94年、30歳のときだった。同社のスタッフは現在、アルバイトも含めて総勢15人ほどになり、九州各地と山口県を中心に、街回りの宣伝業務のほか、さまざまなお祭り、イベントなどで活躍している。
 ところが、熊本出身の著者は、子どものころ、チンドン屋を実際に見たことがなかったのだそうだ。音楽にのめり込んだ彼は、大学を中退して博多でロック・バンドを結成した。そのバンドは、当時の人気テレビ番組「イカ天」(「イカすバンド天国」)にも出演し、なかなか人気があったという。
 その後、彼はラジオ番組のパーソナリティーに抜擢されたり、大道芸で投げ銭を稼いだり、さまざまな仕事をしたが、あるときチンドン屋の真似事をした。これが性に合っていたらしい。今では「チンドン屋が好きで、やめたくてもやめられない」と彼は書いている。
 だが、もともと音楽畑の人だから、たとえばアコーディオンの話の中に、テックスメックス(テキサス〜メキシコ系音楽)やザディコ(米ルイジアナ州の黒人音楽)なんて、マニアックな音楽の名がポンポン飛び出す。こんな人、旧世代のチンドン屋さんには絶対いないはずだ。
 じつは80年代前半に、ジャズ界からチンドン界に入った若者がいた。サックス奏者の篠田昌巳氏(92年没、享年34)である。
 同じころ関西では、立命館大学「ちんどん屋研究会」を作った林幸治郎氏が大阪の「青空宣伝社」に入り、やがて独立して「ちんどん通信社」(現「東西屋」)を起こした。ここらが、いわばニューウェイブ・チンドンの出発点で、著者は約10年遅れで彼らを追ったわけだ。
 本書には、著者がチンドン屋になった経緯、仕事のエピソード、大先輩の親方たちや後輩の話、チンドン屋の歴史、「全日本チンドンコンクール」の様子などが、素直な筆致で楽しく綴られている。チンドンやイベントの出し物を工夫する著者の柔らかな発想が面白い。
 ロックからチンドンに転身した著者は、チンドン屋を内側と外側の両方から、バランスよく見ることができる。チンドン屋の優れた知恵と技術を受け継ぎながら、広い視野からチンドン屋をとらえ直す。そうしたニューウェイブ・チンドンの発想が、よくわかる本である。
 新しい若手チンドン屋の人数は、まだ決して多くない。だが、チンドン業界の未来を担うのは、この人たちだ。ホリエモンに言われるまでもなく、これからはインターネットがますます生活の中に浸透していく。だが、そうなればなるほど、かえって生身の人間同士が直接出会うコミュニケーションもまた求められるかもしれない。とすれば、まさに「手の届くところにお客さんの喜怒哀楽がある」チンドン屋の出番ではないか。
 版元は確かな本作りで信頼できる福岡の出版社で、本書はチンドン演奏のCDが付いてこの定価。お買い得である。