私は比較的活字を読みなれているだろう。読みながら立ち止まって考えこむことはあ っても、理解できればどんどん先へ進む。しかしこの島田有子写真集『HIGAN』のページを繰りながら、次第にその手が遅くなり、間遠になって、三分の二ぐらいのところで止まってしまうという初めての経験をした。残り三分の一は日を改めて見直したのである。
 そのとき私は写真を見ているのは確かに私だが、同時に明らかに写真から見返されており、見ている私と見返されている私とが一体となって、どこかの宙空で浮遊している、と思ったのである。これは後からの解釈であって、その時は放心していたのに違いない。
 写されているのは長崎県の普賢岳を遠くに望む有明海の熊本側にある埋め立て地である。海はほとんど見えない。動くものと言えば、風にそよぐ自生した雑草、群れる鳥たち、泥を吐く埋め立てパイプ、バスで、八割までが埋め立て地全景である。そこに人影はなく、櫓、柵、電柱、クレーン、大型ユンボなど、工事用機材は労働時間外の静止のなかにある。全景のほとんどが夕方であり、無音の世界である。埋め立て地はまだ水を貯めていたり、どろりと液状のものから、乾いて団子状の塊の連続から砂塵を巻き上げんばかりのものまである。こう書き連ねても当然そうあるであろうなんの変哲もない埋め立て地の風景である。
 その変哲もない風景が島田有子によって切り取られると、なぜ人を宙空に浮遊させるのだろうか。
 私たちは新古今和歌集の「三夕」の和歌が持つ「秋の夕暮」観の残滓を引きずっている。書くまでもないことだろうが「三夕」とは「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮 西行」「さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮 寂連」「み渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕ぐれ 定家」の和歌
のことだ。この悲哀、感傷、寂寥、寂寞の感覚は、「故郷(ふるさと)」「旅愁」「赤とんぼ」「夕焼小焼」の童謡、唱歌にまでつながり、私たち日本人の心情の基礎を作ってきた。しかしこの『HIGAN』にはその残滓がまったくない。あるのは夕日
に直面する島田有子の伝統から切れた孤絶感である。島田有子はあとがきで「HIGAN」は「彼岸」だと書いている。島田有子に仏教者的感性があるかどうか、私はそこまで確かめていないが、「彼岸」だとしても「此岸」は島田有子にあるのだろうか。
 島田有子にとって埋め立て地は「此岸」の一角であるだろう。開発の名のもとに海が埋め立てられ、相貌を変えていく。道路が作られ、上下水道が引かれ、人が住む街ができることはわかる。生態系、気象系、おのずからあった眺望を押し潰して、新しい「人の世」が自然にとってかわってできるだろう。しかし人は人が作ったものを壊すことがある。あるいは放棄することがある。そのとき再び埋め立て地が現前しないか。現前しないとはだれも保証できない。きちんとした「此岸」はあるのだろうか。
 島田有子の「此岸」を見る眼は喜びや悲しみ、怒り、不安、あるいは批判からもほど遠い。伝統的な思考、感性から切れ、孤絶した地点で見る。だからこそ埋め立て地は埋め立て地の単独のことばを語り出す。そのことばを私は残念ながら文章にできない。しかし埋め立て地自身が語っているとわかるのである。その状態は外から見れば、多分茫然自失として見入っているだけのことだろう。そのとき私たちは宙空という虚の世界にいる。虚そのものは写真でもことばでも現せないが、実際は一種の擬似世界を作って、その照り返しがひとつの真実の世界となって写し出されるのだろう。もし『HIGAN』が仏教的色彩でこれほど力強く現した写真集はないと思う。