一知半解の事情通に対する痛烈な批判

東京大学教授、歴史学 山内昌之
1994/03/22「エコノミスト」

「アフガニスタン──それは光と影です」
 一九八四年以来、アフガン難民の医療に従事する筆者の指摘には、ずっしりとした重みがある。前著の『ペシャワールにて』に続く、アフガニスタンやパキスタン現地の人との交友と診察の貴重な記録である。最新のアフガニスタン情勢の紹介にもなっている。
 欧米や日本から来た論客やボランティアのなかには、アフガン人の難民キャンプ生活を見て、「イスラムの後進性」や「男による女性虐待に金切り声を上げる」者が多いという。こうした外国人の解釈や異文化論こそ、アフガン人の言動より「さらに解らない」というのが著者の感想である。これは、一知半解の事情通に対する痛烈な批判になっている。
「日本︱アフガン医療サービス」の主宰者であり、アフガン国内ダラエ・ヌールにつくった新診療所で文字通り生命を賭して診療を続ける中村氏には、とくにアフガン社会の解放とか救済といった気負いはない。むしろ、戦火の恐怖で言語も失った人びとの病を癒し、高熱と全身の痛みで耐えられなくなった患者に少しでも「人間」としての誇りを取り戻させる。
 中村医師の医療活動の信念は明快である。「べたべたと優しくするよりも、泣き叫びを放置して思い切り心の膿を出させる方がよい。事実と結果が最も雄弁である」。
 しかし、こうした考えは時にスタッフに大きな忍耐力を強いる。ある外国人がやってきて、「病棟の無秩序と悲惨な女性患者の境遇」を嘆いたそうである。
 しかし、中村氏は「即座にその意味が分からなかった」という。それは、「瀕死の野良犬が人間に立ち直るのを大きな希望で見てきたからである」。それでも、せっかく治癒したこのハンセン氏病患者が気管切開をして失語状態になってしまう。極限状態を経験するのは患者だけではないのだ。
 各種の会議にありがちは「無駄口と議論」への嫌悪と出席拒否も、著者ほどの体験を重ねるとまるで自然な振る舞いに思えてくる。
 どんなにつらい環境にあっても、ユーモアや余裕を忘れない中村氏の姿が随所に見いだされる。アフガン難民の治療にあたる日本人医師やレントゲン技師があまりといえばあまりの現地民の対応に怒りはじめると、唐の高僧・玄奘が仏典を求めてペシャワールあたりに来た時の言辞をさりげなく紹介する。「この地は人情が頗る悪い」と『大唐西域記』が記録しているというのだ。高僧でさえこの調子だから、「偉くもない我々凡人が簡単に解るものではない」。
仏教でいう「悪智」に陥らず、観念の格闘で終わらないようにしよう、という中村医師の勧めは、広くわれわれにもあてはまる素晴らしい警句ではないか。
 それでも、「率直さ」だけは忘れないようにしたい、というのも著者らしい。玄奘も「悪智」こそもたなかったが、率直に悪口を末代まで記している、という指摘には思わず喝采を送りたくなる。クリスマスの日、ペシャワールに出た医師は患者五〇人に「見たこともない高級の洋菓子」を土産に買って帰る。一週間の食事代にもなるケーキを暖かいストーブの側で食べながら、談笑する光景は感動的である。久しぶりに笑顔が戻った患者を温顔で見守る中村氏のシルエットが、ストーブの明かりに照らされて浮かぶようである。