生まれ変わりではないか

西日本新聞記者 井口幸久
2008/03/16「西日本新聞」本と人

 木喰(もくじき)は江戸時代の僧。二十二歳で仏門に入り、四十五歳で木食戒(かい)を授けられた。木食戒は、凡人には信じ難いほど厳しい。肉食を絶ち、火を通したものを食べてはならず、米、麦など五穀を食べてもいけない。着物は一枚、横になって寝ることも許されない。山岳を回り、仏を刻み、梵字(ぼんじ)を学び……。
 九十三歳で亡くなるまで、木喰は諸国を回って千体の仏像を刻んだと言われる。その後、仏たちは忘れられ、子供の遊び道具となり、盗まれたものもある。民芸運動の柳宗悦が再評価し、今日、円空と並び称され親しまれている。
 弥勒祐徳さん=宮崎県西都市在住=は一九一九年生まれ。中国大陸での戦火が拡大し、不況は深刻だった。赤貧洗う暮らしの中で中学に進学したが、授業料が滞り、登校停止を言い渡される。それを両親に言い出せぬ弥勒少年は、日向国分寺で時間をつぶした。そこには最大の木喰仏、五智如来が鎮座していた。消失した日向国分寺の再建のため、木喰は十年間この地に留まり、多くの仏像を残している。
「彫刻のまねごとですな。木の枝を拾うては、小刀で刻んじょりました」
 戦後、中学校の美術教師となった。一貫して絵を描き続け今日に至る。定年退職してからは木喰の辿った道を歩き木喰仏を描いた。その数は数千枚に上る。
「木喰仏は何度描いても同じものが描けませんな。つまり、生きちょるということですな」
 直線的な円空仏に対して木喰仏は丸い姿。円は角が立たず序列も生じず、すべての人を包むのだと弥勒さんは見る。昨年まで自宅で寝たきりの妻を介護しながら精力的に絵を描いた。そのひた向きな生き方に対して西都市は市民栄誉賞を贈っている。行政が個人の生き方を表彰するというのは異例中の異例。人々がいかに彼を愛しているかが、知れようというものだ。
「自分は復活する」と木喰は予言した。弥勒さんは八十九歳にして初の絵本である。数十枚の油彩で綴った木喰の生涯を眺めると、弥勒さんその人が木喰の生まれ変わりではないか──。そんな気持ちにさせられる。