人とカボチャのエネルギー

2007/07/01「西日本新聞」本と人

門司港に近い急斜面のアトリエ。ここでカボチャに魅入られ、カボチャを擬人化した絵を描いてきた。
 話を聞いていると目の前でカボチャが笑っているような錯覚に陥ってしまう。本の表紙にも「トーナス・カボチャラダムス作」とある。著明な神学者や〝予言〟で知られるノストラダムスをカボチャの中に取り込んだ名前だ。「カボチャはもこもこしていておしりも大きい。十人ぐらいの子育てをしているお母さんのようだし、地球とか山のように生きものが生まれ、そこに帰っていくというような生命力に満ちている」
 新刊は豚を飼っているかぼちゃ大王一家が花の都に家族旅行に出掛ける絵物語である。ところが、「遊びほうけて」あっという間に財布の中は空っぽ。チンドン屋をし、曲芸をし縁日の露店ではたこ焼き売り。さらにバナナのたたき売り……。いろんな商売をし食いつなぐ。それが楽しい思い出となって帰っていく、という話。
 子どものころ、身の回りに広がっていた世界だ。「いまはビルの中に人間が閉じこめられている時代。人間の姿が見えない時代になった。あのころは、生活の中に生命力があふれていた。人間が生きていた」
 だから低いところから人間を描く。「低く低く構えないと描く力は出てきません」
 鹿児島市で生まれ、石炭商だった祖父母のいた北九州市で育った。建築家にあこがれ東京大学の理系に進んだが、「生きることは何なのか」と考え込んで文学部に転科。卒業後、好きな絵でも描いて学問をしよう、と思っているうちに人気画家になってしまったそうだ。家業はチンドン屋だった、と本にある。ウソかまことか。
 カボチャを模した門司港駅や発電所、横町、市場など建物を描くのは建築家を夢見ていた青春時代の想像力がふくらみ続けているからだ。作品は描くたびに売れて手元を離れる。
 自宅から歩いて五分ほどのところには、自らの作品を集めたカボチャドキヤ国立美術館もある。一帯は「カボチャ美術」の王国、城なのである。一帯を離れることはめったにない。六十三歳。