ボクシング、その心の強さ

西日本新聞記者 岩田直仁
2008/03/23「西日本新聞」本と人

 一九八七年、全国高校総体ボクシング大会が札幌市で開催された。注目選手はライトフライ級に続いてライト級制覇を狙う豊国学園(福岡県)の鬼塚勝也。準決勝でその夢を絶ち切ったのは、徳島の生徒だった。後に鬼塚はWBAスーパーフライ級王者に、徳島の川島郭志はWBCスーパーフライ級王者になる。高校ボクシング史に語り継がれる勝負である。
「二人とも学生時代から抜きん出た選手でした。でも、高校、大学でボクシングに青春を賭けたほとんどの選手は、大きな脚光を浴びることもなく、リングを去っていくんです」
 自らもそんな名もなきボクサーだった。佐賀市大和町の出身。地元・龍谷高校でボクシング部に入り、推薦で中央大学へ。ヒットアンドウエイが得意なサウスポーのボクサータイプ。「周囲から『おまえは左腕一本で大学に行った』と冷やかされたもんです。とはいえ、プロで食っていける才能なんて、誰にでもあるわけないじゃない」。大学卒業後に就職したが、すぐに退職。満たされない心を抱えたある日、新聞記者の父から譲り受けた一眼レフを手に、出掛けたのは後楽園ホールだった。
「後輩の写真を撮ってやろう、という軽い気持ち。そんな写真をボクシング雑誌に持ち込むと、買ってくれた」。転機になった。八三年から高校ボクシングに対象をしぼり、国体、インターハイ、全国高校選抜などに足しげく通ううちに写真家として認められ、拳を交わす選手だけでなく、リングサイドの指導者にほれ込んでいった。
 この本には「高校ボクシング指導者の横顔」というサブタイトルがある。鬼のような形相で叱咤する男がいれば、おおらかな笑顔で見守る男もいる。「癖がある人が多いし、魅力も人それぞれ」。ただ一つだけ、共通点がある。「絶対にあきらめない心の強さ。それを生徒に伝えようという思いです」。モノクロ写真の中の男たちの顔には、張り詰めた精神と奥行きのある優しさの両方があふれている。
 東京と郷里の佐賀を行き来しながら、写真教室などの講師を務める。これが記念すべき第一冊となる。四十九歳。