井上岩夫。鹿児島に生きた詩人、作家。だが、その存在を知る人は少ない。今回、熱心な一読者の手で出版された著作集からは、詩への熱い情熱と、孤独を恐れぬ凄絶な生きざまが、重く伝わってくる。その根底にあるのは、紛れもなく戦争体験だった。
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 著作集第一巻は全詩集。第二詩集「素描」(一九五四年)はじめ、「荒天用意」(七四年)「しょぼくれ熊襲」(七九年)などを収めた。いずれも推敲を重ね、余分な語句を削り落とした作品群。「捨てるだけ捨ててみると、残りは十二篇になっていた」 (「しょぼくれ熊襲」あとがき)と、言葉への厳しさと自戒がのぞく。
 生前交友のあった同世代の作家島尾敏雄さんは、昭和三十年代初め、井上さんの経営していた印刷所で出会う。島尾さんは、その時の印象をこう記した。「私のまえにはまぎれもない詩人・井上岩夫が居た。ああまだこの世に詩人が生き残っていたという衝撃を私は受けたのだった……」(「荒天用意」跋)
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〈戦争について語ることも、書くことも、今は空しい。殺し合いの現場に行きもしない人々によって、戦争はあらかた語られ尽くしたようだ。唯一つ、これだけをつけ加えておこう。どうしても読解できない緊急作命によって一つの部隊が行動に移ることがあるということを。//わたしは覚えている。あの後尾の一人が誰であったか。あたりまえのように装具を着け、砲をひき出し、前の男が歩くとおり次々に歩いて消えていった、あの行く先を誰も知らない、そして誰かが知っていると信じている、長い縦隊の後尾の一人が誰であったかを。〉(「荒天用意」)
 「後尾の一人」とは誰か。評論家渡辺京二さん(六二・熊本市)が読み解いている。
 渡辺さんは昭和五十年代初め、井上さんの作品に触れて心動かされ、自ら編集していた文芸誌「暗河」を紹介。以後、井上さんは同誌に発表し続けた。「『後尾の一人』とは何の個性的特徴も持たぬ一個の無名者なのです。(略)戦争とは、行き先も知らぬ縦隊の後尾にたしかにひとりの男が歩いていたということなのだよ、と作者はいっています。作者が戦場から持ち帰ったのは、こういう『一人の実在』に関する譲渡できぬ思い込みでした」(「土俗としての戦争──井上岩夫論」=『暗河』二四号)
 出水市に住む詩人岡田哲也さんは、三十年の世代差を超え、「本物の詩人として見ていた」と言う。岡田さんの言う詩人とは「徒党を組まず、一人でその世界に立ち向かう人」。あたかもドン・キホーテ。「鹿児島も地方文化人みたいな人が跋扈している。井上さんはそれを拒んだ。偉そうなことを言ってなんだい、という生き方」「戦争を体験したことで、化けの皮をはがした人間の生身を見てしまったんだと思う 、自分の姿も含めて。この目で見たぞ、この耳で確かめたぞ、と」(岡田さん)
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 井上さんは優れた小説も残した。渡辺さんが最初に触れたのも小説「カキサウルスの鬚」だった。入り組んだ手法、洗練された文章。モダニズムを踏襲する一方で強烈に「鹿児島」のにおいをふりまいていた。「鹿児島特有の階層感情、そして土俗せいがほとばしっていた。南米文学にも通じる前衛性を感じた」という。
 井上さんはその後、二度目の応召(昭和十八年)の後の体験を基にした小説「下痢と兵隊」を「暗河」に発表した。部隊の同僚や部下たちのこと、ささいな会話、心理の葛藤などが二百二十枚につづられた。締めくくりはこうだ。「何だ、これだけのことか、何もなかったじゃないかと舌うちする人もあるだろう、凄惨な死闘や飢餓や意表を衝く作戦などが出て来なければ人々はもうセンソウに出会ったとは思わないだろうから。そんな戦記や小説に比べればこれは屁のようなものには違いないが、ゴミでしかなかった一人の兵隊にもまたゴミなりのセンソウがあったことを観て戴ければそれでいいのである」
「後尾の一人」がここにいる。
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 井上さんの生涯の友は酒(しょうちゅう)だった。三男の巨器(なおき)さん(五〇・鹿児島市)は父の家業を継ぎ同居していたら、夜もおちおち寝ていられなかったという。「夜になるとふらりと出掛け、どこそこで見知らぬ客に声を掛けてはけんかしていたようだ。夜中の二時、三時、飲みつぶれているから迎えに来てほしいと店から電話があるんです。それも知らない店から」一時は父を嫌悪していた巨器さんだが、「誇り高かった」父を今は許せる、という。
 厳しさは鹿児島の文学仲間にも容赦なく向けられた。その裏に、作品を理解してくれないもどかしさや憤りが、突き上げていたとも見られる。
 今回、企画編集した豊田伸治さんは熊本大在学中に「暗河」に参加、その後井上さんを知った。会ったのは一度きり。「作品や資料を散逸させたくなかったし、全国的には無名の詩人だが、その優れた仕事をまとめることで現代日本文学の中での位置を問いたかった」。著作集はこの語、小説集、エッセー集と続く。
 地方に生きた詩人の戦後が、やっと明らかになっていく。