懐かしさ漂う深い静寂

「暗河」同人 吉田優子
1990/10/01「熊本日日新聞」

 数年前、羽床正範氏の水墨画絵本を読んでその不思議な雰囲気に引き込まれたことがある。仕事に追われて余裕がなくなると、むしょうにその絵本の世界に触れたくなり、幾度か読み返したものだった。日常の時間から、深い静寂を湛えた空間へすっと入れる隙間がその童話には有った。
『尼僧のいる風景』にも同じような雰囲気が流れていた。
 この本には、一九八八年、当時四十八歳の作者が西安美術学院留学中、友人の中国人学生と旅して回ったときの事が語られている。二人は山あいにひっそりと在る古寺を捜して泊まり歩いた。──内なる中国の旅──という副題がつけられているが、作者自身の心の内に長い間抱き続けてきた奥深い中国へのイメージを捜し求め、出逢う旅でもあったように思える。
 旅の道すがら逢った老人、ひたすら歩き続けているような尼僧たち、山道、古寺などが作者とのかかわりを通して淡々と描き出され、読んだ後も印象に残っている。
 この本の中にも幾つか墨で描かれたお寺のデッサンがある。それぞれの絵は正面に一つずつ小さな入口を持っている。そこからお寺内部の仄暗い世界が一部のぞき、むかしむかしから在り続けてきたような時がひんやりと匂ってくる。
 旅人である作者は、その入口を越えて内部の世界に入っていった。そこには尼僧たちの居るお寺があった。明るく澄んだ文体が、尼僧たちの静かな生活、手作りの食べ物、濃い闇、仏事などを描き出し、読む者の想像をふくらませる。わたしらの周囲には決して見れない世界であるのに、遙かなむかし、どこかで知っているような深い懐かしさに包まれる。読手によって異なるだろうが、わたしには、幼年時代住んだことのある茅葺の大きな家屋の空気がぽっかり浮かび上がってきた。