帆掛一輪車の記憶

「暗河の会」会員 松浦豊敏
1990/08/23「毎日新聞」

M君
『尼僧のいる風景』をお送りいただき、大変有難うございました。いい文章で書かれた本の感想が拙い文章だったら全くのお笑いにしかなりません。『尼僧のいる風景』はそんな気持ちを起させる本です。お礼が遅れた言い訳です。

 もう四十数年も前、私は中国山西省南部の田舎で、帆を掛けた一輪車を見たことがあります。帆掛一輪車は、黄土地帯の轍の跡を、少しばかりの袋のような荷物を積んで、車軸をがたつかせながら私たちの前を通り過ぎてゆきました。仕事のことで一緒に田舎回りをしていた先輩格の同僚が、すかさず、中国人はあんなふうに少しでも力を吝(おし)もうとするのだと説明してくれました。成程、と思いながらも先輩の穿ったような説明で、眼前の光景がすべて納得できたわけではありませんでした。
 齟齬の感じは、他にもいろいろと異を立てられる、そんな時限のものではなくて、報告と報告されるものとの間のちょっとした、それでいてなかなか越えられそうにない隙間、そんな感じだったような気がしています。
 近くは天安門のことがありました。新聞にはセンセーショナルな大きな活字が躍っていました。悲しむべき事件にショックを受けながら、それでもいま一つ、帆掛一輪車の時と同じような齟齬感に、気持ちがざらついてくるのがどうしようもありませんでした。
 送っていただいた『尼僧のいる風景』を読みながら、私はそんなことを思い出していたのです。たぶん、様式の違いなどというものではありません。著者の、しなわかで人の心にしみ入るような感性が、読む者に安堵感を与えるのです。それでその安堵感が、四十数年も前の、帆掛一輪車を前にしての隙間の感じを思い出させたのだろうと思います。
『尼僧のいる風景』は、サブタイトルにもあるように、中国の西安美術学院へ留学した著者の「内なる中国の旅」です。ハイライトはやはり後半の「峩眉山 雷音寺」一連にあると思いました。著者と同行者一名、散々な手違いを繰返しながら、やっと成都に近い雷音寺に辿り着いて何日か宿泊することになります。この間の、寺の尼僧達にしてみれば、殆ど日常茶飯の何ごとでもないことを綴ったものです。それでいてふと熱くなるような読後感は何なのでしょうか。
私は著者については何の知識もありません。しかし文章からすると、繊細で非常に抑制の利いた人柄のように思えます。著者は寺の若い尼僧に思わず年齢を尋ねてしまいます。そして自分の出過ぎた質問にうろたえてしまうのです。
 更には同じような抑制の利いた文章が本文の随所に光っています。「仏事」では、老師が土間にひれ伏して祈りをする場面があります。一個の布のかたまりのようだと記しています。己を全く空しくした祈りの姿に感動しているのです。老師はおそくに出家したと言いながら、まだ三十代の尼僧です。
 本には出家前の老師の生活や出家の動機については何もふれられていません。しかし読む者は、それらの祈りの場面の数行だけで、老師の過去も現在も、はては未来まで、すべてを理解出来たような気分になります。伝達と伝達されるものの間に一分の隙もないのです。真実というものだろうと思います。
『尼僧のいる風景』には、他にも現在の中国にとっては不都合な多くの社会事象が紹介されています。しかしそれらの報告も、決して意図的に書かれたものではないという安心感から、いずれもスムーズに納得出来るのです。

 好人不当兵(ハオレンブタンピン)。二年経ったら帰って来なさいよ。そう言って兵隊に行く私を送ってくれた人達がいました。この本に出てくる、雪の高台に立って、いつまでも目送(ムースン)していた法王寺の老人の姿が重なってきます。
 戦争のことは、またいずれかの機会にお話ししたいと思います。酷暑の折から御自愛下さい。