山里に舞い散る一葉の人生

2006/11/05「西日本新聞」本と人

 山里で暮らすその親娘(おやこ)に出会ったのは三十年ほど前。河津さんが大分県日田市に内科医院を開業したばかりのころだった。車で往診に通い、言葉を交わすうちに短編「山里」の物語は立ち上がっていった。
 兄の急死に伴い、父と継母を山里の嫁ぎ先に引き取ることになった娘の回顧談が続く。ページをめくっていると、しおりのように現われるのが銀杏(いちょう)の風景。父は〈まるで金色堂のようだ。ここはまさに旅に疲れた旅人が、旅衣(たびごろも)を解く所だね〉〈銀杏は山里の晴れ着だね〉と、老いを重ね、娘夫婦に看取られる。
「高度成長期が終わり、山里は人口流出が進んでいた。往診すると、多くのお年寄りは薄暗い奥の部屋で独り伏せっていたが、あの老夫婦はすがすがしく生きていた」。遺族の了解を得て、山里に舞い散った一葉の人生を小説にまとめた。
 河津さんの父母は戦後しばらく、杖立温泉(熊本県)で保養所を営んでいた。そうした幼少、思春の記憶から、旅館を舞台にした女三代の物語へと熟成させたのが表題作「秋の川」。
〈美しく染まっていく紅葉は、退化現象ではない。(中略)散る間際に特別のホルモンを出して、自らの最期を意識的に美しく演出しているのだと〉。川霧が晴れ、モミジの落ち葉が燃えるように広がる川面の描写など、秋の盛りに人生の哀歓と躍動を映し出す。
「小説にあくがない、と批評されることがある。しかし、私にはこれしか書けない。努力して生きる普通の人生が一番美しく、描くことも難しい」
 八月初め、妻真佐子さんが急逝した。お盆を前に自転車で買い出しに行き、自宅に戻ってから容体が急変した。遺影にはカラオケマイクを握った笑顔を選んだ。連作集には、父から受け継いだ持ち山の再生をめぐり、自らの家族の風景を投影した近作「間伐」も収められている。
 自宅近くに購入した里山を三年前に公園化。地元の人々と植えたモミジ、ツツジ、サクラなど二百本が育っている。それは真佐子さんの夢でもあり、夫婦で連れ立ってよく散歩した。いつの日か、そんな風景も小説としてつづられるのだろう。六十七歳。