政情不安と厳しい自然環境で知られ、日本では省みられることの少なかったアフガニスタンの大地に、誰が用水路建設計画を思いつくだろう。いや、思いついたとしてもその実行と完成までに多くの障害が立ちはだかることは容易に想像できる。しかし、この計画を実現したのが、1984年以来特にアフガン難民救済の医療事業を行ってきた中村哲医師率いる「ペシャワール会」である。
 何故、医師が治水事業に従事したのか? との素朴な疑問が湧くかもしれない。「飢餓と渇水の前に医療人は無力で、辛い思いをする。清潔な飲料水と十分な農業生産があれば、病の多くは防ぎ得るものであった」とは、こうした疑問を直ちに解消してくれる。著者とペシャワール会スタッフたちは現地アフガン人を含めて、「百の診療所より一本の用水路を!」を合言葉に立ち上がった。本書は、主にアフガニスタン東部クナール川を利用した用水路計画工事が着工される2001年9月から、第一期工事(マルワリード用水路、総距離一三キロメートル)が終わる2007年4月までの約5年半に及ぶ活動記録である。
 この計画の開始はもちろん、「米国同時多発テロ」事件と重なる。アフガニスタンは、米国ブッシュ政権によりその実行犯と目された「アル・カイーダ」と緊密な関係を持つタリバーン政権支配の国として、その一ヵ月後に激しい空爆に曝された。日本を含め、国際的な「反テロ戦争」の大合唱とその後の戦争状態や不安定な政治情勢が続く中、しかしこの計画は進められた。障害はそれだけに止まらない。素人集団による土木技術の限界、約10億円にも達する工事資金調達の難しさ、襲い来る洪水、土石流、地盤沈下や旱魃といった自然の猛威、「復興支援ラッシュ」による物価高騰、工事や土地所有をめぐる現地人との争いなども、計画推進を阻んだ。どれひとつ取っても、決して解決は容易ではない。
 この難工事も「誰もやりたがらぬことを為せ」との基本方針に加え、「アフガン問題は先ずパンと水の問題である」との現実認識や政治的中立の堅持、それまでに一五〇〇本もの井戸を掘ったことに見られる著者の指導力と協力者のエネルギッシュな活動、現地人との粘り強い対話を通じて漸く完成を見た。それだけなら、異国での苦労話に過ぎないが、現実の不条理や虚飾を目の当たりにした著者の言葉は、各々異なる文脈で語られながら、「錯覚」に陥った世界の実態を鋭く衝いている。「平和とは決して人間同士だけの問題ではなく、自然との関わり方に深く依拠している」、「『デモクラシー』とはこの程度のもので、所詮、コップの中の嵐なのだ」、「『ピンポイント攻撃』の実態は、無差別爆撃であった」など。
 今から七〇年前に同じアフガニスタンで農業指導に奔走した尾崎三雄(『日本人が見た‘30年代のアフガン』石風社)は著者の先例となる日本人だ。さらに医療活動の傍ら、カメラを手に発展途上国六〇ヵ国以上を旅した山本敏晴『アフガニスタンに住む彼女からあなたへ──望まれる国際協力の形』(白水社)も現実と葛藤する真摯な日本人の基本姿勢を教えてくれる。