書評

バテレンと宗麟の時代

バテレン 布教 キリスト教 宗麟 豊後 加藤知弘 地中海学会賞 ザビエル ロドリゲス
四六版上製426頁
4-88344-016-8
定価:本体価格3000円+税
1996/11/30発行
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バテレンと宗麟の時代
zeikomi
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地中海学会賞・ロドリゲス通事賞受賞


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戦国時代、それはキリスト教文明との熾烈な格闘の時代でもあった。アジアをめざす宣教師たちの野心が、豊後府内の地で大友宗麟の野望とスパークする。世界史的な視点で平易に描かれた戦国史

書評

異文化交流導いた人の出会い

阿蘇品保夫

「異文化交流の歴史には、偶然と人間関係が大きな役割を果す」と著者はいう。東へ向かったザビエルと、西へ向かったトルレスの出会い。ザビエルは日本の豊後にキリスト教の種を播き、トルレスはそれを育てた。しかし、この両人の働きには、さらに大友宗麟との出会いが必要であった。
 大分合同新聞に連載の「豊後と異国の物語」をまとめた本書は、「グローバルな歴史の流れと異文化の地域への伝わり方」を結びつけて考えるという世界史的視野で、地域と人をとらえているところに特色がある。
 宗麟が他の大名たちと異なったのは、ヨーロッパの物質文明である鉄砲・大砲にも彼らと同じく興味を示しながらも、他にさきがけてヨーロッパ精神文化に強い関心を示したことであり、その真剣さが宣教師たちの信頼を得たのであろう。しかし、彼は慎重であり、寄進や布教許可は与えても、改宗の意思は明らかにせず、禅宗にもかかわって宗麟と称する。彼が受洗しフランシスコを称するのは隠退後の天正六年のことである。
「私が再び大砲を求めますのは、海岸に住んで敵と境を接しているため、これが大いに必要なものだからです。私が領国を守り、これを繁栄させることができるなら、領内のデウスの会堂、パードレおよびキリシタンたち、ならびに当地に来るポルトガル人一同も繁栄するでしょう」
 宗麟が単純な好意から宣教師たちの活動を援助したというより、内外諸地域の動向を注意深く把握しながら、イエズス会布教活動をも彼の政略の一端として利用し、イエズス会もその意図を心得て動いたと考えるべきだと著者はみる。
 十六世紀後半は豊後国が日本の歴史の中で最も輝いた時代であった。中世以来の伝統を背負い、九州諸国の大半を抑え、日本のみならず「豊後の王」の名で海外まで知られた男が演出し、体現したものは、大航海時代の西欧世界と、国内統一を目前にした戦国期日本社会を巧みに汲み上げたさまざまな人々のエネルギーの輝きであったのである。

目次紹介- 抜粋 -

第1部 ザビエル、トルレス、海に沈んだ港町
 序説 ポルトガルのアジア進出
 1 豊後とポルトガルの交流の始まり
 2 フランシスコ・ザビエルの来日
 3 ザビエルの府内訪問と「瓜生島」
 4 府内に根づく南蛮文化
 5 日本布教長コスメ・デ・トルレス
 6 インド副王使者と東インド管区長
 7 九州から五畿内へ
 8 国際交流は地方から
第2部 豊後と異国の物語
 1 大村領の反乱と豊後
 2 西九州情勢と宗麟・イエズス会
 3 臼杵を日本布教の拠点に
 4 聖堂・修道院・ノビシャドの消滅
 5 改宗事業と豊後武士団
 6 宗麟の改宗と日向での敗北
 7 亀裂を深める豊後武士団
 8 バテレン追放令と軍事計画
 9 ヴァリニャーノ再来日
 10 伊東マンショと秀吉、大友吉統

加藤知弘

かとう・ともひろ

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加藤知弘
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かとう・ともひろ

1927年福岡市生まれ。1953年九州大学文学部西洋史学卒業。同大学助手を経て、1954年大分大学学芸学部に赴任。1976年大分大学教育学部教授、1987年より大分大学教育学部長、1991年同大学定年退官、名誉教授。1992年より大分県立芸術文化短期大学教授。1998年退官、名誉教授。2005年12月大分市にて死去。享年78歳。
日本西洋史学会会員、「瓜生島」調査会代表、異文化交流史研究会会長、BUNGO-大分日本エスパニア協会副会長、大友氏関連遺跡の保存を考える会会長を歴任。1997年『バテレンと宗麟の時代』でジョアン・ロドリゲス通事賞(ポルトガル政府)、地中海学会賞。また同年大分合同新聞文化賞受賞。
著書に『ザビエルの見た大分』『瓜生島沈没』(葦書房)、『海にしずんだ島』(福音館)、『大分市史』編纂・分担執筆、『バテレンと宗麟の時代』(石風社)がある



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