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風土・民俗既刊
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バーサンスレン・ボロルマー  ぼくのうちはゲル 石風社 絵本 モンゴル ゲル 野間 国際 コンクール グランプリ 長野ヒデ子 遊牧民 宿営地
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ぼくのうちはゲル
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ぼくのうちはゲル

モンゴル・遊牧民の四季


「ぼくの さいしょのうちは まあるい かあさんの おなかのなか。このうちは かあさんのやさしさで いっぱい。ぼくが どんどん おおきくなり おなかのなかが きゅうくつになった」そして宿営地のゲルで生まれた男の子ジル。家族や家畜とともに、春夏秋冬と宿営地をめぐる、モンゴル遊牧民の四季と生活の絵本。野間国際絵本原画コンクール・グランプリ受賞作。

書評

さながら民族博物館で本物を見ているよう

平井妙子

 モンゴル遊牧民の男の子ジルの最初のうちは、まあるいかあさんのおなか、二番目のうちはとうさんの作ってくれたまあるいゆりかご、三番目のうちもまあるいゲル。このゲルで、四季の土地を巡る遊牧民の暮らしを、ジルの最初の一年間の成長に重ねた絵本である。
 作者ボロルマーは、1982年生まれの若い女性。モンゴル美術大学を卒業しウランバートル在住。十代から数多くの児童書・教科書に挿絵を描き、高く評価され、日本では04年に『モンゴルの黒い髪』で注目をあびた。なるほど、絵が素晴らしい。ゲルの中の様子、家具、生活雑具、民族衣装、髪型、そして家畜との暮らし等、頁をめくる毎に、さながら民族博物館で本物を見ている様な錯覚に陥る程、細かく丹念に描いてあり、圧巻といえる。
 さて、ジルの四番目のうちは、見渡す限りまあるく広がる大草原である大地。作者のモンゴルの文化や自然と共にある生活に対する愛情が画面から溢れる一冊。

  • 32頁 A4判上製
  • 4-88344-134-2
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2006/04/30発行
中村 哲 ペシャワール アフガン アフガニスタン 国際化 らい ハンセン病 NGO 北西辺境州 イスラム 石風社 辺境で診る辺境から見る 中村哲
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辺境で診る辺境から見る
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辺境で診る辺境から見る

「ペシャワール、この地名が世界認識を根底から変えるほどの意味を帯びて私たちに迫ってきたのは、中村哲の本によってである」(芹沢俊介氏「信濃毎日新聞」)
戦乱の中、診療所をつくり、千の井戸を掘り、緑の大地を拓く医師アフガニスタン・パキスタンで19年。時代の本流を尻目に黙々と歩む一医師の果敢な思考と実践の軌跡。戦乱の中、診療所をつくり千の井戸を掘り用水を拓く。時代の本流を尻目に、黙々と歩む一医師の、その果敢な思考と実践の軌跡のエッセンス。

書評

アフガン復興への現実的展望

芹沢俊介
評論家

 パキスタン北部の山岳地帯にある町ペシャワール、この地名が世界認識を根底から変えるほどの意味を帯びて私たちに迫ってきたのは、中村哲の本によってである。
 著者はペシャワール会の医者として、二十年にわたり現地で、ハンセン病コントロール計画をはじめとする医療活動に従事する一方、大旱魃にみまわれたアフガニスタンに数多くの井戸を掘ってきた。現地の人たちとともに、農民が土地を失って難民となる事態を防ごうとして懸命の努力を傾けてきた。
 素朴な疑問が浮かんでこよう。なぜパキスタンの町がアフガン復興の拠点となるのだろうか。著者は書いている。浮浪者、物乞い、泥棒、そして三百万人のアフガン難民たちを、ペシャワールは苦もなく受け入れると。著者はそうした姿に、著者のいう「平和・相互扶助の精神」を見たのだ。それこそが真の人類共通の文化遺産であると思ったに違いない。
 あの悪名高かったタリバン政権に関しても、現地の生活者の視点に立つとまったく違う像が描き出される。著者の目には、タリバンによる治安回復は驚くべきで、人々はおおむねこれを歓迎していたと映った。アフガニスタンの広大な国土の九割が、兵力わずか二万人のタリバン政権で支配され続けたのは、決して圧制のためではなく、世界でもっとも保守的なイスラム社会の住民たちの期待に応えたからだ、と著者は述べる。
 このような著者の目を通して見るとき、正義の米国対悪のタリバンという構図は虚偽であり、タリバン後の自由なアフガンという見通しもまるで根拠のない、非現実的なものだということがわかる。実際、タリバン政権崩壊後、治安は乱れ、貧しい人々の生活はいっそう悪化している。復興支援という名の西欧風の押し付けも完全に行き詰まっている。
 そうした現実をかたわらに、長期的展望に立つ著者はめげる気配もない。誇り高いアフガン気質は農村にこそ生きているという現実感覚を踏まえ、年間二〇万人を診察するという医療活動や、井戸掘りなど水源確保を目的とした作業地の拡大に尽くしている。農村復興の要がそこにあるというのだ。読後、人間愛についてつくづく考えこんでしまった。

魂の叫び……珠玉の文章

白垣詔男
西日本新聞編集局

 一九八四年からパキスタン、その後アフガニスタンでも難民らの診療を続けている福岡市出身の医師中村哲さんの初の時事評論と随筆集。「人間にとって一番大切な権利は生存権」と言い切る中村さんの「魂の叫び」が並ぶ。物質文明の中で生活する日本人が読むと心洗われ「人間とは何か」を考えさせてくれる魅力的な一冊だ。
 時事評論は、中村さんが本格的にアフガニスタンにかかわり始めた八九年から昨年秋まで、西日本新聞はじめ日本の新聞や、中村さんを支える非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(福岡市)会報に発表した中から厳選した。
 この間、アフガニスタンでは、軍事介入していた旧ソ連軍の撤退(八九年)、内戦(八九─九四年)、イスラム神学生の武装集団タリバン政権登場(九四年)、米国の空爆でタリバン政権崩壊(二〇〇一年十二月)、暫定政権発足(同)とめまぐるしい動きがあった。
 しかし、中村さんと現地病院、診療所スタッフらは、「幾多の戦乱と権力の変遷、現われては消える海外援助活動とは無縁に、患者や現地スタッフたちと泣き笑いを共にし、現地活動を継続してきた」。
 中村さんが現地代表を務める「ペシャワール会」の事業は、医療に加え飲料水確保、さらに農業土木工事まで広げる。すべて、現地の人々の命を守るためである。
 これらの資金は、同会が募集した「アフガンいのちの基金」(十億近く集まった)と急激に増えたペシャワール会会員の会費だった。同会は、米空爆が始まると会員が急増、八千人を超えた。
 本書には、二十年近く両国で医療活動など、現地の人々の立場で活動してきた中村さんの「珠玉の言葉」が並ぶ。それらは、光が当たるときだけ、にぎにぎしく動き回る大半のNGOの活動家らとは違う、大地に根ざし活動を継続してきた者だけが語り得る重たい響きを持つ。それは、湾岸戦争、米空爆などイスラム社会で「敵」を増やしている日本政府の愚行を、食い止める努力にもなっている。
 巻末には〇〇年七月から八月にかけて西日本新聞文化面に五十回連載した随筆「新ガリバー旅行記」を収録している。

  • 251頁四六判上製
  • 978-4-88344-095-5
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2003/05/20発行
ペシャワールにて 中村哲 ペシャワール イスラム らい ハンセン病 石風社 中村 国際化 アジア パキスタン 難民 NGO
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ペシャワールにて
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ペシャワールにて

数百万のアフガン難民が流入するパキスタン・ペシャワールの地で、1984年以来現地スタッフと共にらい(ハンセン病)患者と難民の診療に従事する日本人医師が、高度消費社会に生きる羅針盤を失った私たち日本人に向けて放った、痛烈なメッセージ

書評

真の国際化は異質との接触

阿部謹也
一橋大学教授(当時)ドイツ中世史、西洋社会史

 私はまだペシャワールに行ったことがない。蒼穹に白い頂を屹立させたヒンヅークシの美しい山々も見たことがない。アラブのバザールも知らない。それなのに、パキスタン・アフガニスタンで医療活動を続けている福岡市出身の医師・中村哲氏著「増補版・ペシャワールにて」を読んでいると、あたかもペシャワールのJAMS(ジャパン・アフガン医療サービス)の病院で患者の膿みをとり、ときにバザールでカバブーを買っているような気にさせられる。
■現代世界の焦点
 どんなに小さな町でも村でも、それなりに世界の縮図ではある。しかしペシャワールは文字通り現代世界の焦点といってもよいだろう。ここには自分たちの文明の普遍性を標榜している欧米先進諸国が奉仕という形式のもとでその傲慢な素顔を見せているし、現代日本の旅行者や若者も現在の日本の病める姿をさらけ出している。旧ソ連やアメリカの露骨な干渉が何のために行われたのか、住民は日々肌身で感じとっている。国連難民高等弁務官という地位や国連という名が日本では海外協力の錦の御旗にされているが、その実態がどのようなものであるのか住民はつぶさに知っている。ここには明治以来百年日本人が自分の目にかけてきたサングラスあるいは鱗を払い落すすべてのものがある。
 ペシャワールに思いを馳せるとき、私はまた東京・福岡という回路を通して考えてしまう。私は中村氏が糾弾している東京に住んでいる。そして年に一度福岡に行くことを楽しみにして月日を送っているといっても過言ではないだろう。それが何故なのかこれまで余り考えたことはなかったが、中村氏が生まれ、ペシャワールの会がつくられる福岡を考えてみると、そこには何らかの関連があるような気もする。
 一昨年と昨年、私はドイツで国際学会に出席し、昨年は「日本の世間と西欧の社会について」講演をした。そのときマレーシア出身の学者が日本の世間という概念にたいへん関心を持ち、マレーシアでもその話をして欲しいといわれたことがあった。その前の年に私はこれまでの日本とヨーロッパ・アメリカという構図だけでなく、東南アジアそのほかのアジア諸地域を含めた歴史認識を形成してゆかなければならないと考え、明治維新に関する東南アジアの学者たちと日本の研究者たちとの大きな違いについて考えるべきだということを岩波書店の『よむ』という雑誌に書いたことがあった。
■自ら変える意志
 しかし、本書を読んでいるとこうした問題のすべてがペシャワールでは明瞭な形で現れているように思える。国際化という言葉が叫ばれて久しいが、かねてから私は国際化とは異質な文化(人と人の関係のあり方)の中に自分の文化(人と人の関係のあり方)と共通な基盤を発見し、そこから互いの文化の違いが生ずる経過を現在まで辿ってくる作業だといってきた。中村氏は文字通りそれを実践されている。国際化とは、異質な人々と接することによって自分が変わってゆくきっかけをつかむことでもある。自分を変えようという意志がないところには真の国際化はない。西欧のミッションや国連の事業がうまくゆかない理由の一つにはこの問題がある。
 最も重要なことは現地に長く滞在し、そこで何が求められているのかを把握することなのだが、このようなことをこれまでどれほど多くの人や公的機関がなおざりにしてきたことか。インテリを代表とする近代文明の担い手たちが、自分たちこそ知の最先端にいるという幻想にとりつかれてからこのような事態が始まったのである。それはヨーロッパでほぼ16世紀に始まり、日本ではこの百年の間の出来事である。
「ハンセン病」をめぐる偏見についての本書の指摘はまさにこの問題とかかわっている。中村氏は「ハンセン病」をめぐる偏見が近代化に応じて強くなり、科学的知識の普及に連れて差別も無慈悲なものになってゆくことを指摘している。
 パキスタン北西辺境州やアフガニスタンでは患者も共同体に一定の席を割り当てられているという。感染という科学的な概念が普及すると「うつる」というメカニズムが、精神的なものを媒介することなく人々の頭脳に定着し始め、差別が激しくなったという。
「近代化とは中世の牧歌的な迷信が別のもっともらしい科学的迷信におきかえられてゆく過程であるに過ぎない」と中村氏がいうとき、ルーマニアの亡きルネサンス研究者クリアーノのような現代の学問の最先端の人々がようやく気づき始めたことを中村氏はすでにペシャワールで自らの体験の中で確認していたのである。
■自分の外のこと
 現在日本でも外国人労働者に対する差別が激しくなっているが、このような状況の中ですら日本史家たちは「ハンセン病」に対する差別や「ハンセン病」の存在さえ日本の学生は知らなくなっていると嘆いているにすぎない。専門の学者ですらこのような状態であるから、日本では部落差別や外国人労働者に対する差別を自分の外の出来事として捉えようとする風潮が強い。私は部落差別の問題は被差別部落以外の人々の中に今も強く残っている世間意識がある限り、容易には解消しないと考えている。しかしこの世間意識に対する関心はほとんどゼロに等しい。
 日本のインテリは社会という言葉を容易に使うが、社会は個人を単位として成立している建て前になっており、自立した個人の存在を前提としている。しかし日本ではその程度の個人もいまだ十分には存在しておらず、今後も西欧的な個人が定着する見通しはほとんどないといってよいであろう。にもかかわらず西欧風個人を前提にしてすべての概念が立てられているところに問題がある。
 世間とはそれぞれの個人がもっている人間関係の絆であり、郷土や出身校、会社、などの中でそれぞれが独自に結んでいるものである。一人一人の世間は従ってそれぞれ異なっている。世間は個人以前に存在するものと考えられており、個人が世間を変えることが出来るとは誰も考えてはいないのである。しかし世間は個人にとっては実在であり、皆が世間を意識しながら暮らしているのである。その世間そのものは排他的で差別的な構造をもっており、私達の差別的な言動の根源に世間という枠がある。そして世間意識の存在に気づかないが故に私たち自身の差別的言動にも気づかないのである。
 本書は私たちをこのような世間意識から解放し、「ハンセン病を病むことだけが人間の平等の印でしかない」世界を見せてくれる。このような世界を見た人の言葉を私たちは信じなければならない。本書を読むことによって私たちがどのような絆で結ばれているのかをも自問することになるだろう。

  • 261頁四六判上製
  • 978-4-88344-050-4
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 1992/03発行
フンザにくらして

パキスタン北部フンザ地方の小さな村に暮らすこと8年。その四季を哀切な文章と細密なペン画で綴った珠玉の滞在記。杏の花が咲き乱れ、原初の神がラカポシから見下ろす最後の桃源郷・フンザ。

  • 171頁 四六判上製
  • 4-88344-079-6
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2001/10/10発行
古川嘉一詩集 古川嘉一 前山光則 石風社 詩集 熊本 八代 始終 淵上毛錢
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古川嘉一詩集
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古川嘉一詩集

熊本県球磨川の河口、不知火海の岸辺に発火した魂が、時を超え結実する。五十年後の処女詩集。復員後淵上毛錢を訪ね、毛錢と詩誌「始終」を刊行。死を目前にした2年間の詩作品50篇に生を結晶させる。

  • 100頁 A5判上製
  • 4-88344-057-5
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2000/04/20発行
淵上毛錢詩集

熊本は水俣が生んだ夭折の詩人が伝説の海から鮮烈に甦る。二十歳で発病、死の床に十五年。死を見すえつつ生のみずみずしさをうたう……。

書評

詩の贈りもの

猫柳

 現代詩は抒情の否定といわれることがある。本当に、そうかな。これは、安易な感傷に流れる詩作への戒めであって、やはり詩の根底は抒情だと思う。現代詩人たちも、ひょっとしたら存分に叙情詩を書きたいと思うことがないだろうか。私なら、ある。
 時折、こういう思いに駆られていたところ、「詩は抒情よ」と言いたくなるような詩集に出会った。しかも、上等の抒情である。日ごろは口にしない詩の原点に連れ戻される。
『淵上毛錢詩集』を手にして、とても懐かしく、うれしく思った。実は、わが十代の終り頃、図書館で日本詩人全集を読み、好きな詩をノートに書き写した。その時、毛錢の詩を知った。そして、長い間忘れていた。
 変色したノートを出してみると、『猫柳』という題の詩を写していた。「猫柳の/ねるの玉を/握りしめて/小径に/屈み込んでしまった/このまま/このまま/日が暮れなければいい」。あっと思った。私のペンネームは、子ども時代の原風景である貧弱な一株の猫柳からつけたものだったからだ。
 この本は、詩のことだけでなく多くのことを改めて考えさせてくれた。編者の前山光則氏は散文系の方である。だから逆に、詩と詩人を深いところから温かに甦らせることができたのかもしれない。詩を読むよろこびを久々に贈られた気がする。

伝記的事実捨て去る真骨頂

山本哲也
詩人

 詩が、精神とか人生とかをふりかざすようになったらだいなしである。人生訓まがいの行分け散文が、本物の詩集より売れる時代、この詩集の刊行はありがたい。
 毛錢の詩は、淵上毛錢という人間の素(す)でできている。集中に「もう題なんかいらない」というタイトルの詩があるが、そうなのだ、もう題なんかいらない。形式も、詩の方法論もいらない。毛錢は、カリエスという不治の病の運命を見すえて、過剰な言葉を削り、感傷を削って、生の原型、詩の原型そのものを書き残した。
 毛錢の詩集がこうして一冊なること、現在の出版事情からすれば、これは稀有のことであろう。編者の前山光則氏が「五十回忌を迎えるにあたって、催しや石碑だけでなく、毛錢の詩が手頃なかたちで読めるように」というように、収録作品七十四編が「風土と抒情」「雲よ、風よ」「スッケンギョーで きやー渡れ」「生と死の間」の四パートにわかれて編まれているところに、編者がこの一冊にこめた意図が透けてみえる。水俣方言のフレーズには、その詩の末尾に脚注がつき、作品を裏打ちするように、巻末に編者前山光則氏の「淵上毛錢小伝」がくる。七〇年代に国文社から出た?巻本『淵上毛錢全集』以後、はじめての毛錢詩集である。
「小伝」を読めば、毛錢という詩人の、天衣無縫ともいうべき無頼、三十五歳の死に至るまで十五年間のカリエスで寝たきりの生の酷薄さ、それらはみえすぎるほどみえる。だが、毛錢の詩の真骨頂は、そのような伝記的事実を捨て去ったところにあるのだ。
 自閉的になりがちな対象を扱いながら、毛錢の詩はつねに、言葉の底に開放感がある。「ぼくが/死んでからでも/十二時がきたら十二/鳴るのかい/苦労するなあ/まあいいや/しっかり鳴って/おくれ」(「柱時計」)この健康なユーモア。これが毛錢詩の「素」なのである。

「美しい空つぽ」を希求

岡田哲也
詩人

 淵上毛錢、本名淵上喬、法名十方院釈毛錢居士。彼は一九一五年、水俣に生まれた。かつての名門士族、淵上家の次男だった。彼をモデルにした小説『ある詩人の生涯』のなかで火野葦平は、「喬は一生名門の亡霊とたたかい通した」と描いているが、本物の喬も幼い頃から、知らぬ人なき悪童だった。
 家からはみだし、ふるさとからはみだし、と言うよりどこにいても所を得ないような人間はいるものだ。彼はやがて熊本市の九州学院から、東京の青山学院へと進む。そして養子に出される。さらに放蕩に拍車がかかる。
 世はまさに大正デモクラシーの嵐が吹き荒れていた。彼はこの頃、詩人山之口貘を知り、青山学院を退学する。寄席の下足番、新聞配達、港湾労働者、輸送トラック助手︱︱。彼の職歴の部分だ。まあこれは、労苦というより、青春の浪費のようなものだろう。
 しかし、三五年、はたちの時、結核つぎに股関節カリエスが発病し、以後十五年間ふるさと水俣でほとんど寝たきりの日々をすごすことになる。何という皮肉か。その病のすさびに書き始めたのが、詩だった。
 「来て見れば 来て見れば/誰もかれもが石垣の石に似てゐて/ほし魚のしつぽのやうな故里の/らちもない話といふものが/こんなにもこたへてくるものであらうか」(作品「流逝」)
 ところで、私は毛錢のふるさと水俣の隣町、鹿児島県出水で生まれた。彼のことを知ったのは、私が東京におさらばして出水に戻ってからのことだった。入りびたっていた居酒屋のおかみが、淵上一族の出だった。だが当時の私は、彼女から毛錢の話をされても、あまり乗らなかった。さして読んでいなかったこともある。それより、「人間どこに住んでも都であり、地獄である」と思いつめていた私は、どこへも行けなかった毛錢が、ベッドにくびかれた土着の囚人のように感じられたのだ。とんだ読まずぎらいというものだが、人は時として、あまりに卑近な同類を目のあたりにすると、思わず顔を背けるものらしい。
 「屋根といふものがなければ/暮しはできないものなのか/もの哀しい習俗のぐるりの/屋根屋根を濡らして/遙かなる狐の嫁入りが行く(略)僕はこのまんま/美しい空つぽになりたくて/ほそい山経に群れてゐる」(「眺望」)
 「じつと雨を見てゐると、/しまひには雨が自分のやうに思へてきて、/へまなぼくがさかんに/降つてゐるのであつた。」(「梅雨」)
 毛錢の作品では、この「美しい空つぽ」になるという思いが、まるで交響曲のテーマのようにくりかえし奏でられる。病の苦しみや生きる痛みが増せば増すほど、この美しい空つぽへの希求は、より大きなものとなって登場する。彼の作品には、方言を使った作品も少なからずあるが、それらは泥臭いどころか、はんなりとしたユーモアと味わいに昇華している。それは彼の資質にもよるのだろうが、私にはやはり業苦ともいえる不治の病が与えたフィルターで濾されたものにうつる。
 「ぼくが/死んでからでも/十二時がきたら 十二/鳴るのかい/苦労するなあ/まあいいや/しつかり鳴つて/おくれ」(「柱時計」)
 彼は寝たきりだったが、彼の精神は縦横無尽に、この世界を駈けつづけた。敗戦後、彼が、地元の水俣文化会議のリーダーとして、多忙な時を過ごしたのも、その表れのひとつだろう。むろん彼は、時局に便乗することもなく、地方で〈東京〉風を吹かしてのぼせることもなく、自足して腐ることもなかった。生きることに忙しかった彼は、とても威張るどころの騒ぎじゃ無かったのだろう。永眠したのは、五〇年三月九日だった。
 「貸し借りの片道さへも十万億土」
 これは彼の絶句だが、この度の詩集は、貸し借りなしに買える求めやすい一冊となった。三部構成の編集は、小気味良いし、新しく改められた年譜も有難い。編集の前山光則氏の毛氈への敬意が、それこそ「素朴な煮しめ」のような味わいを生んでいる。

  • 194頁 A5判並製
  • 4-88344-041-9
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 1999/05/01発行
福岡城 天守 天守閣 九州諸城図 佐藤正彦 石風社 黒田長政 如水 建築史 復原
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福岡城天守を復原する
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福岡城天守を復原する

築城の名手・黒田如水とその子長政。新発見の文書や『九州諸城図』をはじめ注目史料を読み解きながら、天守はなかったとされてきた福岡城の実像と天守破却の謎に迫る。──見えてきた大天守の実像。

  • 四六判並製256頁
  • 978-4-88344-198-3
  • 定価:本体価格1900円+税
  • 2011/08/01発行
フィリピンの小さな産院から
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フィリピンの小さな産院から
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フィリピンの小さな産院から

フィリピンの最貧困地域にクリニックを開いて13年。伝統的風習と近代化のはざまで悪戦苦闘しつつのてんやわんやの日々の記録。丸裸の人間が見え、本当の豊かさと、「本当に母子にとって良いお産とは」を問う、泣き笑いの奮闘記。

  • 四六判上製 287頁
  • 978-4-88344-226-3
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2013/04/01発行
悲劇の豪商伊藤小左衛門 武野要子 伊藤 小左衛門 博多 石風社 武野 要子 商人 豪商 商都 朝鮮 小屋瀬 近松 歌舞伎 アジア 中世 黒田 藩 禁制 
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悲劇の豪商 伊藤小左衛門
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悲劇の豪商 伊藤小左衛門

東アジアの海を駈けめぐった中世博多商人の血を受け継ぎ、黒田の御用商人として近世随一の豪商にのぼりつめながら、禁制を破った朝鮮への武器密輸にて処刑。鎖国に揺れる西国にあって、海を目指して歴史から消えた、最後の博多商人の生涯

  • 227頁 四六判並製
  • 4-88344-046-x
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 1999/11/0発行
恨の海峡 恨 ハン 申鉉夏 日韓 朝鮮 近代史 半島 石風社 帚木蓬生
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恨の海峡
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恨の海峡

時代や政治の荒波に翻弄され続ける日韓近代史を生きた一人の教師が、深い智恵をもって記した自伝。──醜くもなく美しくもなく

書評

「恨」の癒えるとき

帚木蓬生
作家

 著者は一九二八年、慶尚北道安東の寒村に生まれた。洛東江の支流沿いにある村は百戸ほどしかなく、大半が小作農だった。日本の土地収奪事業のために村民は貧しく、一日二食、粥か麺が主体で、それも春の始めには底をつき、男たちは松の皮をはがし、女たちは草の根を掘って食の糧としなければならなかった。年寄りと幼児は栄養失調で死んでいった。
 曾祖父が一台で築いていた著者の生家も、台所は火の車だった。両班(ヤンバン)の家筋ではないが、祖母と母は両班の出であり、家の中には凛とした雰囲気が漂っていた。四歳になると曾祖父から漢文の手ほどきを 受け、六歳のときにはもう漢文とハングルが読めるようになっていた。小学校は六キロ離れており、そこで初めて日本語教育に接する。村の子ども全部が学校に行けるわけではなかった。二、三年遅れで入学した子もいれば、学費が続かない子もいた。著者を慕っていた女の子は小学二年で学校をやめ、やがて家族とともに満州へ去っていった。
 小学校では、毎朝東に向かって皇居遙拝があり、行事のたびに「君が代」と「海行かば」を歌わされた。小学四年で朝鮮語の授業がなくなり、日本語のみが強要された。
 創氏改名の強制もいよいよひどく、実名のままでは進学もできない。曾祖父は悩んだ末に、本貫の地名をとり平山と創氏した。
 五年生の担任だった浅沼先生は長野県の農学校出身で、平山少年の学業にことの外厳しかった。「こんな成績で、お父さんに顔向けできるか」と著者の手を鞭で叩き、猛勉強させた。その激励にこたえて平山少年は十三倍の難関を突破し、大邱師範学校に合格する。村の小学校始まって以来の快挙で、もちろん卒業式では答辞を読んだ。
 師範学校には、全国から優秀な朝鮮人子弟が集まっていた。学費免除のうえ、月二十五円の官費が支給された。日本人の学友もいて、寮生活は軍隊さながらだった。著者はここで先輩たちの抗日運動の歴史を知る。布団の中でハングルの本を読み、民族意識に目覚めていく。「朝鮮歴史」が密かに回し読みされ、将来は植民地政策の先兵にならねばならない自分たちの危うい立場に苦悩する。
 一九四五年四月、学業の途中で郷里の小学校に配属される。戦争に駆り出される朝鮮人青年に、日本語を教えるための教育動員である。ガキ大将だった竹馬の友は独学で英語を学び、日本陸軍に志願して古里を出ていた。後に彼は南方の英軍俘虜収容所の監視兵となったが、それが仇でBC級戦犯に指名、遂に家族の許には戻ってこなかった。
 日本の敗戦とともに、著者は師範学校に向かい、祖国の解放を祝う級友と再会、互いに本名で名乗りあう。音楽担当の朝鮮人教諭は涙を流しながら、禁じられていた母国の曲をテノールで歌った。
 戦後、教壇に立つようになって、卓抜な教育者だった浅沼先生のことが思い出された。こんなとき先生であればどうするだろうかと、会えなくなった恩師に問いかけた。
 一九五〇年、朝鮮戦争が勃発。著者は担任の児童を引率し、安東駅頭で出征兵士を見送った。やがて自らも報道要員として現地召集される。山河を埋める彼我の死体。同族同士が血を流し合う惨劇は眼をおおうばかりだった。
 著者が初めて日本の土を踏んだのは一九六八年、京都の韓国中高校に赴任したときだ。アパートを借りようとして何度も断られ、差別を知る。ボクシングのテレビ中継で韓国人よりも日本人を応援する生徒たちに驚き、教師も生徒も母国語を話せないのに落胆する。僑胞たちの貧しさも予想以上のものだった。生徒たちに、朝鮮文化に対する誇りをもたせるにはどうしたらいいのか。著者は彼らと語らい、文化祭のための韓国歌曲や民謡を指導する。生徒たちは舞台の上で、父祖の地にはぐくまれた歌を高らかに口にした。
 翌年、浅沼先生の消息が判り、妻子を伴って信濃へ旅する。恩師は南方で戦死していた。霊前で韓国式に二拝の礼を上げ、著者はこう叫ぶ。「先生、朝鮮から平山が参りました。生きておられる先生にお目にかかれないのが、残念でなりません。朝鮮の教え子を代表して、ご冥福をお祈り申し上げます」
 さらに京都から福岡の韓国教育文化センターに転任。在日韓国人子女の民族教育と韓日の文化交流に腐心するなかで生れたのが、「一人の人間が動けば、文化は自ずと交流される」の信念である。自分自身が韓国文化そのものなのだと著者は自らにいいきかせ、「日本人に韓国を正しく知らせる」仕事に邁進する。
 在日十六年で著者はいったん韓国に帰り、定年まで教師として勤めあげた。現在は福岡にも居を構え、新たに韓日両国を行き来する毎日を送っている。
 身をもって現代朝鮮史の激動を生きぬき、日本をも知りつくした著者だけに、本書で紡がれるひと言ひと言が、読者の胸にやさしく沁み入ってくる。その根底に流れる調べは「恨」である。しかし「恨」は怨念でも復讐でもない。「実現されなかった心の祈願が、内部に沈殿し積もった情の固まり」であり、その裏には、決して望みを失わず、美しく調和のとれた世界を希求する強靱な精神がよこたわっている。
 死ぬ日まで空を仰ぎ/一点の恥もないことを/葉群れにそよぐ風にも/私は心を痛めた。/星をうたう心で/すべての死にいくものを愛さねば/そして私に与えられた道を/歩んでいかねば。/今宵も星が風にこすられる。( 尹東柱『序詩』森田進訳)
 著者よりもひとまわり年長の尹東柱は、一九四五年二月十六日福岡刑務所で、誰にも看取られることなく有為な前途を断たれた。まさしく著者は詩人の遺志を継ぎ、彼が生き長らえていたならば辿ったであろう道を歩んだといえる。
 日韓を隔てる海峡に信頼の橋を架ける営みは、著者の人生が具現する「恨」のかたちに眼をこらし、耳を傾け、寄り添うところから始まるように、私には思える。

  • 四六判並製247頁
  • 4-88344-014-1
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 1996/08/15発行
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