戦争の記憶・体験 歌い継いで

朝日新聞 穂満建一郎
2010/06/30「朝日新聞」

 山口県下関市在住の児童文学者、黒瀬圭子さん(77)が、関門海峡を舞台に戦争の悲惨さと平和の尊さを描いた自作の絵本『白いなす』を合唱組曲用に書き直し、出版した。1945年6月29日の関門空襲から65年。黒瀬さんは「物語が歌い継がれ、戦争の記憶が風化しませんように」と願っている。

 黒瀬さんは北九州市門司区の出身で、自宅は、関門海峡が見下ろせる風師山(かざしやま)の麓にあった。戦争中、門司の港から兵隊を乗せた軍用船が戦地に向かうのを縁側から日の丸の小旗を振って見送った。
 「白いなす」の物語は「関門の美しい海が、何千何万の兵隊さんを戦場に送った悲しい海峡であったと気がついた時に生まれた」と振り返る。
 初出版は91年。今回は下関市民合唱団から「創立55周年を記念してオリジナルの合唱組曲を」と頼まれ、メロディーに乗りやすいよう、文章を歌詞風に書き直した。文字数は旧作から半減。絵も新たに茨城県在住の宮崎耕平さんが描いた。山口県立大の田村洋教授が曲を付け、5月30日の記念演奏会当日に出版。演奏会では混声合唱組曲として歌われた。会場で聴いた黒瀬さんは「物語の情景を伝える音楽の力に感動した」という。
 閉会後、聴きに来ていた80代の男性が「私も歌に出て来るような船で戦地に行った。この時代を生きた人間として心を動かされた」と、涙ながらに話してくれたという。
 「白いなす」は、海峡の街で暮らす少女の家族の物語だ。一家は両親と4男3女の9人家族。父さんは軍楽隊のラッパに送られて下関の港から戦争に行った。母さんは家族の無事を祈り、実をつけ始めた七つのナスに紙袋をかぶせ、火のついた線香で袋に子どもたちの名前を刻んだ。「たろう」「じろう」「かずこ」「さぶろう」「いつこ」「しろう」「なおこ」と。
 ある日、袋からナスを取り出すと、日光を浴びた部分だけ紫の文字が浮き出た白いナスが顔を出した。「あっ わたしのなす」。子どもたちの笑顔がはじけた。だが、今度は、たろう兄さんが歓呼の声に送られて戦場へ……。
 物語は実体験に基づく。黒瀬さんも4男3女の兄弟姉妹だった。戦争中、物語のように長兄はシベリアに出征。次兄は防空壕で病死。三兄は学徒動員のセメント工場で積み荷の下敷きになって亡くなった。3人とも10代だった。
「昭和20年6月29日、空襲警報が鳴って、(略)黒い煙におおわれた門司の街が、炎の柱をあげてメラメラと燃えはじめました。昨日まで立ち並んでいた海峡の街が、一夜のうちに消えてしまいました」。黒瀬さんは演奏会の案内チラシにも自身の戦争体験を寄せている。
 黒瀬さんは「事故死や病死ではなく、戦争のため家族から引き離されて死んでいった人たちの悲しさを伝えたい。戦争の記憶も風化し、体験した語り部も減ってきた。物語が音楽になって歌い継がれるよう期待したい」と話している。