収容生活通して描かれた人間への信頼感

作家 石川 好
1992/08/06「サンケイ新聞」

 北米大陸への日本人移民上、最大の事件は、1941年12月に開始された日米戦争と、それによってもたらされた、日本人および日系米人の強制収容であろう。その強制収容より今年は数えて50年に当たり、去る2月全米の日系人は、大々的にこれを取り上げ、各地で記念(?)式典が催された。
 アメリカに生まれながら、正当な法的手続きを経ずして収容された日系米人と、祖国日本と生活しているアメリカが戦争に突入するという一大事に出合った日本人移民の物語は、古くは藤島泰輔が『忠誠登録』で、そして山崎豊子が『二つの祖国』で、また日本人写真家の宮武東洋の写真集でなど、これまでにも多く紹介されてきた。
 全米10カ所に収容された日本人および日系米人は合わせて11万強。この中には、同じ東洋人の顔をしていたのでは日本人と間違えられるおそれがある。それなら収容されていた方が安全だと、韓国人で日本語の話せる人も入っていたとの話もあるが、全ては日本人及び日系米人であると思われていた。
 ところが、ここに紹介する著書の作者エステル・石郷さんは、れっきとした白人女性である。主人が日系二世であったため、ラストネームが石郷だったにすぎない。1920年代当時カリフォルニア州では異人種間の結婚が州法で認められていなかったので、2世の石郷氏、著者エステルさんはメキシコのティワナにまで出かけ結婚している。そうしたことまでして結婚した二人であるがゆえにか、日米開戦となり、主人の石郷氏が強制収容された時、エステルさんも(アメリカ人女性である彼女はその必要はなかったのだが)収容所に同行する決意をする。かくして、ここに、白人女性で、唯一日系人強制収容所を体験することになる人間が現われることになる。
 これだけの話なら、歴史は彼女の存在を世に伝えることはなかったはずだが、エステルさんは絵描きであったため、アメリカ史上、まれなこの体験を、絵筆にして残しておいたのである。それが、今回、刊行された、本書である。
 エステルさん夫婦が収容されたのはワイオミング州のハートマウンテン収容所。夏は暑く、冬は寒い砂漠地帯で、エステルさんのスケッチは見事なまでに、ワイオミングの荒涼とした風景を描き、同時にそれに収容された人々の日常生活のディテールをも描き込んで、資料的な価値も十二分にある。収容された人々の生活をこれほどよく描いたものは他になく、著者の人間に対する信頼感が伝わってくる。告発の書である以上に、これは画家の作品集となっている。彼女をテーマにした映画で日系3世の監督スティーブン・岡崎がアカデミー賞を受賞したことは記憶に新しいだろう。