隅田川乱一は、一九五一年生まれで、タコという日本ロック史上でも意味のあるバンドのメンバーであり、また、雑誌編集や文章にも独特の境地を見出した、なかなか他にいないタイプの男である。
世代はまったく一緒で、していることに共通点がない訳でもない。しかし会ったことは一度もなかった。文章も、多分読んでいなかったと思う。
何でそう思うかというと、この人の文章は魅力がある。だから読んだら忘れられない。読んでいたら覚えていると思うのだ。
あるいは面白いと感じるだけの力がなかったか。いずれにせよ、この人の文章は、きっと雑誌のなかで読むより、こうして一冊の本になったものを読むのがふさわしい。ダイナミズム、そしてリズムを、より強く実感することが出来るからだ。
格闘技、ドラッグ、宗教、そして音楽、更にその他もろもろ。守備範囲はひろい。しかし、観点はひとつだけである。読み進むほどにそのことに気付かされる。この観点がディープなのだ。そして、先にも書いた通り、ダイナミズムとリズムを持っている。本の推薦を書く町田康が《明るくてポップで、でも主張が明快で》というように、その文章は、硬質なものだけが持つしなやかさで、読み手の神経を覚醒させる。難解な内容があっても、この本は人をリラックスさせるのだ。
つまり、文体ということか。文体に普通と違うバランスを感じる。文章のなかに音楽がある、と私は思った。だから読んでいると、自然と身をゆだねたくなる。
この品格が実に得難いと思うのである。たとえばタイトルになった《穴が開いちゃったりして》の、バリ島の暑い夏の夜の描写。ここにただよう空気の濃密さである。いちいち質感がどこか上等なのだ。それで安心して身をゆだねられる。
そういう意味でいうと、大きくスタイルはふたつに分けられる。筋道は通っているが話としてはねじれているものと、話も筋道の通ったものになっているもののふたつだ。この《穴が…》は前者である。町田康が好きな作品として挙げた《報道関係者に告ぐ/おまえらの報道の基準は何処にあるのだ》は後者だろう。そのどちらも奥の方でつながっている気がして、大きなうねりのなかにリアルというものが力強く何かを貫いているイメージが、いつしか湧いてきた。
この本は、分野としては批評、評論に属すると思うが、とにかくこれだけはいえる。隅田川乱一は物書きである以前に音楽家だった。そして文章から察するに音も良い手触りだったのだろうなァと思ってしまう。
読んでいたら、一ヶ所私の名前があった。春男になっていたのでちょっとガクっと来たが、ほぼ原文のまま載せているので、こういうこともある、と凡例としてあとに書いてあった。夫人によるあとがきも凛として良い。
穴が開いちゃったりして
定価:本体2000円+税 2003/01/31発行